今日はマルちゃんに踊って貰いましょう。
 

 

シロクマさんとも仲良しです。

 

大きなシロクマさんもいます。

 

 

面白いでしょう。もちろんAI合成動画でGrokというアプリで、この写真一枚から作成されました。

すごいですね!!

 

「マル」はもう生後9ヶ月、我が家にやっと来てから、まもなく6ケ月になります。

アメリカンショートヘアのシルバータビー&ホワイト、体重もあっという間に4kg超えとグングン育ってます。


やんちゃでいろんなことに興味深々で、家の中を駆け回ってます。

 
 

久々の、これからジャズを聴き始めようという人への「お勧めのこの一枚」、今回は趣向を変えてジャズ好きにお勧めのクラシックの名曲の紹介です。

 

お勧めは日本ではあまり有名ではない?かもしれないショスタコービッチです。

 

まずはジャズ組曲2からワルツ2で、1938年作。

あんまりジャズしてませんねぇ。

 

次はマーチです。

少しジャズっぽいけど、ブラバン向きかな。

 

次はフィナーレ。

少しスウィングしてますかねぇ。

 

もっとジャズらしいのはないかAI(Gemini)に聞いてみました。

それがこのピアノ協奏曲第一番第四楽章です。

これは面白い。まるでピアノとトランペット、弦楽器がバトルをしているよう。

ドラムを加えて弦を管に変えれば直ぐにジャズになりそう。デュークエリントン楽団なんかがピッタリですね。

 

ドミートリイ・ドミートリエヴィチ・ショスタコーヴィチロシア語: Дмитрий Дмитриевич Шостакович [ˈdmʲitrʲɪj ˈdmʲitrʲɪjɪvʲɪtɕ ʂəstɐˈkovʲɪtɕ] ( 音声ファイル) ラテン文字転写の例: Dmitri Dmitriyevich Shostakovich1906年9月25日 - 1975年8月9日)は、ソビエト連邦時代の作曲家。」Wikipediaより。

 

「彼はどうしてジャズに興味をもったのですか」

 

Geminiの回答

ショスタコーヴィチがジャズ(あるいは当時のソ連で「ジャズ」と呼ばれた軽音楽)に興味を持った背景には、彼の**「時代への鋭い感性」と、当時のソ連が置かれていた「複雑な政治状況」**が深く関わっています。

彼がジャズに惹かれた主な理由は、以下の3つのポイントに集約されます。


1. 時代の最先端だった「西欧の響き」

1920年代から30年代にかけて、ジャズは自由や近代性の象徴として世界的に流行していました。

  • 新しい刺激: 若きショスタコーヴィチにとって、伝統的なクラシックの語法にはない、サックスやバンジョーといった楽器の音色、そして独特なシンコペーションのリズムは、非常にモダンで魅力的な「新しい音楽」に映りました。

  • 映画とダンス: 当時、彼は無声映画の伴奏ピアニストとして働いていた経験があり、大衆が好むキャッチーな音楽やダンス音楽の力を肌で感じていました。


2. ソ連の「ジャズの社会主義化」への対応

これが最も皮肉な理由かもしれません。当時のソ連政府は、ジャズを「資本主義の腐敗」と批判する一方で、**「労働者を楽しませるための、健全で質の高いソ連製ジャズ」**を作ろうと国家主導で動いていました。

  • 国家の要請: 1930年代後半、ソ連は「国家ジャズ・オーケストラ」を設立します。ショスタコーヴィチはこの運営委員に選ばれ、**「ソ連のジャズを芸術的なレベルまで引き上げる」**という任務を(半ば公的に)与えられました。

  • 生存戦略: 当時の彼は、過激な現代音楽を書きすぎてスターリンの不興を買っていた時期でもありました(有名な「プラウダ批判」)。そのため、大衆的で分かりやすい「ジャズ組曲」を書くことは、当局への**「私は大衆に愛される音楽も書けますよ」という恭順のポーズ**でもあったのです。


3. 「皮肉」を表現するツール

ショスタコーヴィチにとって、ジャズやサーカス音楽のような「軽快すぎる音楽」は、単なる娯楽ではありませんでした。

  • 仮面としての音楽: 彼の音楽には、表面上は明るく踊っているように見えて、その裏に悲しみや冷笑を隠す手法がよく見られます。

  • 「軽さ」の重み: ジャズ特有のけばけばしい響きやコミカルなリズムは、彼が社会の歪みや人間の滑稽さを風刺的に表現するための、絶好の「楽器」だったのです。


まとめ:ショスタコーヴィチにとってのジャズ

彼にとってのジャズは、「純粋な音楽的好奇心」と、生き残るための「政治的な妥協」、そして社会を風刺するための**「知的な武器」**という、3つの側面が混ざり合ったものだったと言えます。

だからこそ、彼のジャズ作品は単に楽しいだけでなく、どこか「冷徹な客観性」や「寂しさ」が漂い、クラシックファンをも惹きつける独特の深みを持っているのです。

 

1930年代のアメリカは黄金時代、その時に旧ソ連でジャズが流行ったというのは皮肉ですね。いつの時代でも為政者は民衆に憧れや敵愾心を植え付け、眼をそらさせ悪行を働くの現代も同じです。

 

 

ジャズ好きの私はほとんどクラシック音楽は聴きませんでした。たまたま図書館で借りたCD「映画の中のクラシック音楽」でワルツ2を聴いて興味を持ちました。

それから徐々にクラシック音楽を聴くようになりました。バロック音楽が馴染みやすいです。

バルトークの「弦楽とチェレスタのための音楽」なんてもはやジャズです。

 

ただ、オーディオ的にいうとオーケストラの優しい弦の音とジャズの迫力のあるシンバルの音を両立させるのは難しいです。PC+ディジタルチャンネル+3Wayアンプ・スピーカでそれぞれに微調整して合わせてしのいでますが・・・。

ついにアナログのレコード盤の再生は諦めました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆様

 

ちょっと遅れましたが、明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

 

ということで、昨年8月に来た我が家の二代目ネコの「マル」です。

 

生後7か月で3.6kg超とすくすくと育っております。

 

ここからがお題のAIに写真を元にマルの画を描いて貰いましょう。

使ったのはGeminiですが、ChatGPTなどでも同じです。

 

まず元になる写真をアップロードします。9月に撮った写真で生後5ヶ月弱かな?

 

「写真を油絵風に変換して」と入力します。少し待つと画が表示されます。たったこれだけ!

 

水彩画風

 

漫画風

 

ジブリ風! ちゃんとジブリしてますね。

 

浮世絵風。

 

 

こんなに簡単に描けていいのか心配になります。著作権はどうなるの?

 

私のお気に入りは「水彩画風」でLINEなどのアイコンに使ってます。

 

📸はSony A7RM3、レンズはSE50mm/F20G。

もう紅葉は終わりだろうと思ってましたが、自由が丘へ行ったついでに寄って見ました。12月18日撮影。

ピークは過ぎていますが、まだまだ楽しめてラッキーでした。

今年はホントに猛暑で梅雨がなく、秋がとても短く、季節の移り変わりが年々ヘンですね。

 

東急大井町線九品仏駅から徒歩5分の浄真寺の総門。

 

「「九品仏」の名で親しまれております当山の正式名称は「九品山唯在念佛院淨眞寺」と号し、浄土宗に属する寺院です。
開山は江戸時代初期の高僧「珂碩上人」で、四代将軍徳川家綱公の治世延宝六年(1678)に奥沢城跡であったこの地を賜り、浄土宗所依の経典「観無量寿経」の説相によって諸堂宇を配置し、九躰(九品)の阿弥陀佛像を安置し創建されました。

諸堂宇は「江戸名所図絵」(1836発行)に描かれている配置とほとんど変わりなく現在に至っております。」寺HPより。

 

まずは総門から入ります。中はまだまだ紅葉が残るようで期待できますね。

 

残っているどころか場所によってはまだまだ見頃!

 

 

左に曲がって山門へ。

 

赤と黄色のハーモニーが綺麗ですね。

 

 

本堂。

 

九躰の阿弥陀如来像が納められている三つのお堂の辺りはもう散ってしまっています。

 

ごく一部は残っていました。

 

ここは昭和35年頃に東京都大田区の小学校低学年の遠足で来たところで、私にはとても懐かしい。その頃はまだお堂の屋根は茅葺きで、仏様もほとんど金箔が落ちていて木像そのものでした。

 

カメラはA7RM3で、レンズはライカ Summicron R50/F2、オールドライカで撮った赤は濃くて、現行のAFレンズには無い美しさがあります。

 

1年5か月ぶりに横浜の山下公園に係留されている氷川丸に行って来ました。12月3日に撮影。

 

あまり知られていませんが、現存する数少ないアール・デコの建造物として旧朝香宮邸(都庭園美術館と並ぶ一級品で、平成28年度に国重要文化財に指定されました。 

 

「氷川丸は、日本郵船が1930年(昭和5年)に竣工させた日本の12,000t級貨客船。戦前は主に北太平洋航路の豪華客船として就航し、戦中は病院船、戦後は復員船としても使われました。その後復帰して米国航路で1960年まで運航されました。」

 

今の外洋大型客船と比較すると小さいです。

 

しかし内部は豪華です。

まず、ひと目でこの船の華とも言うべきこの中央階段に魅了されてしまう。

 

手摺りの幾何学模様と大きなカーブが美しい。

 

手摺りの丸の中は船名になった大宮氷川神社の紋。

 

内装はフランスのマーク・シモンのデザインによるもので、全て輸入されて日本で組み立てられもの。当時の日本の豪華客船はほとんどが英国デザインであったが、コンペでシモン商会が勝って採用となったそうだ。当時はアール・デコは流行の最先端だったとはいえ、今見てもとても斬新でモダンです。

 

船中とは思えない豪華な一等食堂室。

 

正月飾りがいいですね。

 

アール・デコの見本のようなシンプルなチェストと時計。

 

一等サロン、くつろぎの空間。

 

 

 

廊下もいつになく華やかです。

 

 

こちらは一等喫煙室。

 

 

そしてVIP御用達の豪華な特別室の、こちらが寝室。チャーリー・チャップリンや秩父宮殿下と妃などが利用したそうです。 

 

こちらがリビング・ルーム。

 

一等客室はコンパクトで快適そう。

 

昭和初期にはこのような豪華な外洋客船が続々と建造されたという。1922年・大正11年のワシントン軍縮条約によって軍艦の建造が制限され、そのリソースがこのような客船や震災復興の隅田川橋梁の建造に使われました。戦前最後の平和な時代の象徴とも言える船ですね。

 

戦中の病院船時代には機雷に接触するも大事には至らず、よく生き残ったものだ。戦後はシアトル航路に復帰しフルブライト留学生など、その後の日本を支えることとなる多くの人々を運んだ。

 

歴史資料としてだけではなく、芸術的価値からも重要文化財の資格は充分。レトロ建築のお好きな方は是非見に行かれると良いですよ。アール・デコの魅力を堪能できます。

 

レンズはタムロン24mm/F2.8、カメラはSony α7RM3。