花菖蒲と紫陽花が見頃とのことで、三渓園に行ってきました、6月5日。
なんと久しぶりとおもったら、2019年以来でした。
正門から入るとすぐのところに花菖蒲が咲いています。
遠くに見えるのは原三渓の自宅の「鶴翔閣」。1902年築ですが消失、2000年に修復(レプリカ)されました。
花菖蒲、綺麗ですね。
三重塔と花菖蒲、映えますね。
三重塔の丘には裏から登れます。
「この旧燈明寺三重塔は1457年(室町時代の康正3年)に建てられた、園内の建造物の中で最も古い建物。1914年(大正3年)に、現在の京都・木津川市の燈明寺から三溪園へ移築され、小高い丘に建てられたその姿は三溪園を象徴する存在となっています。」三渓園HPより。
美しい出世観音。
春草盧、銀杏の季節の名所です。
紫陽花も綺麗です。
「聴秋閣、私のイチオシです。

「徳川家光の上洛に際し、1623年(元和9年)に二条城内に建てられ、のちに家光の乳母であった春日局に与えられた」と嫁ぎ先の稲葉家の江戸屋敷に伝えられ、「三笠閣」と呼ばれていました。
1922年(大正11年)に三溪園に移築される際に原三溪はその名を「聴秋閣」と改め、周辺を秋に紅葉を楽しむ風情としました。また、聴秋閣の移築をもって三溪園は完成となりました。」
「臨春閣」、三渓園の顔。横浜とは思えない佇まいですね。

「江戸時代はじめの1649年(慶安2年)に、現在の和歌山県岩出市の紀ノ川沿いに建てられた紀州徳川家の別荘「巌出御殿」と考えられた建物。その後、大阪市此花区春日出新田に移されていたものを1906年(明治39年)に原三溪が譲り受け、11年をかけて念入りに配置を吟味し、1917年(大正6年)に移築が完了しました。 内部は元の状態が残され、狩野派を中心とする障壁画と繊細・優美な数寄屋風書院造りの意匠を各所に見ることができます。 池に面して3つの棟を奥にずらしながら連結させた、この臨春閣の姿は内苑の景観の中心となるもので、三溪園が「東の桂離宮」と称される所以となっています。」
「三溪園は、生糸貿易で巨万の富を築いた実業家・原三溪(本名:富太郎)によって造られた、120年以上の歴史を持つ日本庭園です。 [1, 2]
🏛️ 歴史の歩み
- 1902年(明治35年):原三溪が自邸の「鶴翔閣(かくしょうかく)」を建て、造園をスタートしました。
- 1906年(明治39年):現在の「外苑」にあたるエリアを、一般市民へ無料開放しました。
- 1922年(大正11年):「聴秋閣(ちょうしゅうかく)」の移築をもって、約20年かけた造園が完成しました。
- 1953年(昭和28年):戦火による被害を経て、原家から横浜市へ譲渡・寄付されました。
- 2007年(平成19年):庭園全域が国の名勝に指定されました。 [1, 2, 3, 4, 5, 6, 7]
🎨 文化サロンとしての役割
創設者の原三溪は、新進気鋭の芸術家を物心両面で支えたパトロンでもありました。園内の鶴翔閣には、横山大観や前田青邨、下村観山といった日本画の巨匠たちが滞在し、数々の名作を生み出しました。また、インドの詩人タゴールも滞在するなど、国際的な文化交流の場としても機能していました。 [1, 2]
🏯 移築された古建築の秘密 [1]
園内にある17棟の古建築は、すべて原三溪が京都や鎌倉などから買い取り、移築したものです。 [1, 2]
- 園内最古の建造物である「旧燈明寺三重塔(室町時代)」は、京都から移築されました。
- 豊臣秀吉が建てた「旧天瑞寺寿塔覆堂」や、徳川家光ゆかりの「聴秋閣」など、重要文化財10棟が含まれます。 [1, 2, 3]
自費で廃仏毀釈などで売りにでた名建築を購入・移築し、120年前の明治39年には公園として公開するとはなんとも太っ腹で先見の明があった人です。今の成金も少しは見習って欲しいね。
ここは平日は意外とすいていて、日本の四季が堪能できるよいところです。また、秋に訪れたいと思います。
カメラはSONY A7RM3、レンズはLeitz Summicron R50mm/F2。