ひと月前に19年もののシャープ製テレビが急に不調になり画面が乱れるようになってしまいました。

 

テレビはニュース、ドキュメンタリー番組(NHKの「映像の世紀」等)、Amazon Prime Videoぐらいしか観ませんが、やはりないと困ります。

 

そこで購入を検討しましたが、国内メーカー製は10万円を超え高くて手が出ません。そこで今までは敬遠していた中国製、価格は国内メーカーの半分、を検討してみました。

 

丁度アマゾンのタイムセールでTCLの55インチ・4Kがなんと65,800円、翌日配達で出てました。ネットでの評判を調べてみるとさほど悪くありません。ただし、液晶パネルは高級機に使われているIPSではなく低価格機のVAです。

 

通常は76,800円、それでもかなり安い。

 

まあ、なんとかなるだろうとこれに決めました。我が家では初めての中国メーカー家電製品です。

 

AIのGemini君に聞くと、VAパネルとIPSパネルに比べるとデメリットは輝度が低い、視野角が狭いなどですが、

黒が深い、色が濃いなどのメリットがあるそうです。

 

そこで、比較してみると、

部屋のカーテンを開け(外は曇天)で天井の照明をつけた時はこんな感じ。

やや白っぽい気がします。

 

通常のカーテンを閉めて、テレビ側の照明を消した状態では白っぽさは消えて問題はありません。

 

19年前のシャープ亀山モデル48インチ・2K・IPSパネルよりも黒の沈み込み、発色は遥かに良いです。

当たり前でしょうが、隔世の感があります。

亀山モデルは当時25万くらいしたんですが・・・。

 

画面は前回紹介した「山田五郎のオトナの教養講座」の最終回「メメント・モリ」です。

 

このテレビはGoogle TVにもなっていてWiFi接続すればリモコン操作でYoutubeやPrime Videoが観られ、非常に便利です。

このテレビを買ってかさYoutubeを観る機会が非常に増えました。ようやく若い人がテレビを観なくなったことが実感できました。

 

「TCLについてGemini君に教えて貰いました。

 

TCLは、主にコスパの高い液晶テレビやスマートフォン、家電製品を展開する中国発のグローバル電子機器メーカー、またはプログラミング言語のTcl(Tool Command Language)を指します。

 

TCLのテレビ市場シェアは、世界市場で約14〜15%(第2位、1位はサムソン)、日本国内市場で約10〜11%(第4位)となっています。

 

TCLのテレビに使われている液晶パネルは100%自社製(自社グループ製)です。 [1, 2]

テレビメーカーの中で、パネルの設計・開発から本体の組み立てまでを「垂直統合(自社一貫生産)」で行えるメーカーは、世界でもごくわずかしかありません。 [1, 2]

TCLのパネル製造における主な特徴は以下の3点です。

 

1. 世界第2位のパネルメーカー「TCL CSOT」を保有

TCLグループ内には、半導体ディスプレイを専門に開発・製造する「TCL CSOT(華星光電)」という巨大な企業があります。
液晶パネルの生産規模においては世界第2位を誇り、最先端の「第11世代」と呼ばれる超大型パネルの生産ラインも自社で所有しています。 [1, 2, 3]

 

2. 他の一流テレビメーカーにもパネルを供給

TCL CSOTが作るパネルは品質が非常に高く評価されており、自社(TCL)のテレビだけでなく、ソニー、パナソニック、Google、そしてかつて液晶の絶対王者だったサムスン電子など、世界の名だたるブランドのテレビやモニターにも供給されています。
(※サムスンはテレビ用液晶パネルの自社生産を終了したため、自社の上位モデルなどにTCL製のパネルを採用しています。) [1, 2]

3. 「自社製だから安い」という最大の強み

他社からパネルを買い受けてテレビを作るメーカーとは違い、TCLは「自社で作ったパネルをそのまま隣の自社工場でテレビに組み立てる」ことができます。中間マージンや輸送コストが一切かからないため、「画質が良いのに圧倒的に安い」というコスパ最強のテレビを作ることができるのです。

 

超格安の中国メーカーのテレビ、コスパの高さには脱帽です。使い勝手も結構良いです。

 

もはやテレビなどのコンシューマー向け製品の領域ではパネル等の主要部品を製造できない日本メーカーは勝負にはなりませんね。

 

 

去る7月14日に私の美術の師匠と呼びたい山田五郎さんが亡くなりました。

 

「山田 五郎(やまだ ごろう、1958年〈昭和33年〉12月5日[9] - 2026年〈令和8年〉7月14日)は、日本の評論家、編集者[注 1]、タレント、コラムニスト、YouTuber。」Wikipediaより。

 

そして8月23日にお気に入り番組だった「ぶらぶら美術・博物館」が再放送されました。

 

ぶらぶら美術・博物館は 2010年4月6日 - 2023年9月26日(BS日テレ)に放送されてより、この番組をナビゲーターにレトロ建築の写真をあちこちに撮りに行ったものでした。

 

期せずして7月7日にここに行ってましたので、その写真をお見せします。

 

まずは最後の回で紹介された松方コレクションから。

 

眠る二人の子ども、ルーベンス、1612-13年。 可愛いですね。

 

十字架のイエス・キリスト、エル・グレコ、?年。

 

悲しみの聖母、カルロ・ドロチ、1633年。

 

睡蓮、クロード・モネ、1906年。

 

具象と抽象の間(はざま)、もっとも出来の良い睡蓮だと、五郎さんが激賞してました。

 

雪のアルジャントゥイユ、クロード・モネ、1875年。

 

これは私のお気に入りで、写真で撮れば真っ白な雪をいろんな色で描き分けて、立体感を出しています、モネのマジック!

 

 
「松方コレクション」は当時の川崎造船社長の松方幸次郎(1865~1950、父親は明治の元勲、総理大臣だった松方正義)が1916年から10年余りの間に欧州で買った西洋絵画・彫刻(約2000点)と日本の浮世絵(約8000点)から構成されています。
 
フランスに保管されていたものは第2次世界大戦後に接収され、それらの美術品数百点の返還に際して公立の美術館の開設が条件でした。そこで設立されたのがこの国立西洋美術館で設計はフランス人の巨匠ル・コルビュジエです(実施設計は前川國男と板倉順三)。
 
建築も見ごたえがあります。
 
展示室の上部からの光の取り方も独特のもの。
 
 
彫刻「カレーの市民」
 
同じく「地獄門」
 
レトロ建築を撮ってブログを書くということが16年も続けられているのは「ぶらぶら美術・博物館」、「100年名家」、「美の巨人たち」などのお陰です。特に五郎さんは分かり易く解説してくれるので、とても参考になりました。
 
最近もYoutubeでこれを観ていろいろ勉強させてもらっています。彼の博識とユーモアは唯一無二、掛け替えない存在を失った思いです。 合掌。
 
 

銀座で古いビルというと必ず出てくるのがこの奥野ビルで、「新美の巨人たち」などの番組でも紹介されました。

過去に行ったこともあるはずですが、あらためて5月27に訪問しました。
 

以下、説明はGemini君が作成してくれました。

 

東京メトロ有楽町線「銀座一丁目駅」の10番出口から徒歩約1分の場所にあります。

昭和初期のものとは思えないモダンな外観。

 

  • 1932(昭和7)年:本館が完成
    向かって左側の建物が先に作られました。これが最初の「銀座アパートメント」です。
  • 1934(昭和9)年:新館が完成
    2年後、隣接する向かって右側の土地に、本館とそっくりな外観の新館が建てられました。新館を建てる際、最初から「本館と連結させて1つの建物として機能させること」を前提に設計・建設されました。

一階のテーラーとギャラリー、丸窓がモダンですねー。

 

一階のホール、当時流行ったタイルの壁。

 

レトロな階段。新館を無理やりつなげたので、不自然な位置に窓があります。

 

階段の向こうにまた階段があります。

 

 

「民間住居(マンション)に設置されたものとしては日本最古(級)」、そして「東京都内に現存する手動式エレベーターとして最古(級)」 と言われています。これは懐かしいね。

 

完全セルフの手動式:東華菜館のように運転手が操作するのではなく、利用者が自分で外の扉と内側の黄色い蛇腹式シャッターを手で開閉して乗るという、非常に珍しいスタイルがそのまま残されています。

 

内部の多くはギャラリーとして使われています。

 

 

 

かっての様子をよく残す306号室。美容室として2009年まで店舗兼住居として使われていました。

 

 

やっぱりこの階段と廊下の風情がいいですね。

 

設計者は、建築家の川元良一(かわもとりょういち)氏です。

  • 経歴:関東大震災の復興住宅として有名な「同潤会アパート」を企画・建設した同潤会(どうじゅんかい)の建築部長(設計課長)を務めていました。初期の同潤会アパート設計の陣頭指揮を執っていた人物です。
  • 他の代表作:同潤会から独立した後は、東京都千代田区にある国登録有形文化財の「九段会館(旧・軍人会館)」などの設計を手掛けました。
  • 建築の背景:当時のオーナーである奥野治助氏と川元氏に交友関係があったことから、このビルの設計を依頼されました。 [1, 2, 3, 4]

建築当時の最先端だった「鉄筋コンクリート造による耐震不燃の高級アパート」には、同潤会で培われた川元氏のノウハウがふんだんに詰め込まれています。 [1, 2]

 

 

過去には西條八十、菊池寛、田中絹代などの文化人や芸能人も暮らしていたそうです。竣工当時は憧れの最先端のアパートメントハウスだったのでしょう。

 

建物の保存・運営は奥野一族で今もやられているそうですが、いろいろ大変でしょうが、さすがの江戸っ子の心意気、これからも応援します。

 

カメラはA7RM3、レンズはフォクトレンダーUWH 12mm/F5.6 です。

久しぶりに観たくなり「赤坂離宮」に6月22日に行ってきました。なんと2年半ぶりの訪問です。

 

JR四ツ谷駅から徒歩10分弱、迎賓館の名に相応しい立派で優雅な表門が見えてきます。

 

入口は塀に沿って右側に行って左折すると直ぐです。

予約なしでも入館料1500円で入れます。ただし国賓対応等で休館もありますのでHPで確認してください。

 

 

 

まず、迎賓館の内部からの見学です。どこを観ても筆舌に尽くし難いくらい綺麗、豪華で美しい!!!

 

残念ながら内部は撮影禁止ですが2024年の開館50周年記念で期間限定で撮れた写真を掲載します。

かっては舞踏会が開かれた「朝日の間」。

 

 

 

国賓を招いてのディナー等が開かれる「花鳥の間」で、最も格式の高い部屋です。

日本の伝統工芸技術がここぞとばかりふんだんに使われています。

 

 

 

「東京の元赤坂にある現在の迎賓館の建物は、東宮御所として1909年(明治42年)に建設された。鹿鳴館などを設計したお雇い外国人建築家ジョサイア・コンドルの弟子にあたる宮廷建築家片山東熊の設計により、元紀州藩の屋敷跡に建てられた。しかしそのネオ・バロック様式の外観があまりにも華美に過ぎたことや、住居としての使い勝手が必ずしも良くなかったことから、皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)がこの御所を使用することはほとんどなかった。嘉仁親王が天皇に即位した後は離宮として扱われることとなり、その名称も赤坂離宮と改められた。

その大正天皇の皇子・皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)と良子女王(後の香淳皇后)との婚儀が1924年(大正13年)成ると、その後の数年間、赤坂離宮は再び東宮御所としてこの一家の住居となったが、裕仁親王が天皇に即位した後は離宮として使用されることも稀になった。終戦時には高松宮宣仁親王が昭和天皇に、皇居を出て赤坂離宮へ移り住むことを提案したが、天皇は使い勝手が悪く経費がかさむとして拒否している。」

 

通常は写真が撮れないのが残念です。ぜひ、撮影の機会を作って頂きたいと思います。

 

建物の裏側を見学します。オーダー(列柱)が美しいです。

 

国宝の噴水!

 

いよいよ表側を見学します。

 

 

ベルサイユやルーブル、バッキンガム宮殿を手本にしたというが、けっして見劣りはしていません。

 

玄関正面の「菊の紋章」が入った扉。国賓クラスの方々のみここから入いられます。

 

全景。24mmレンズでも全体は撮れないので、3枚の合成写真です。

 

「第二次世界大戦後、赤坂離宮の敷地や建物は皇室から国に移管され、国立国会図書館(1948–61年)、法務庁法制意見長官(1948–60年)、裁判官弾劾裁判所(1948–70年)、内閣憲法調査会(1956-60年)、東京オリンピック組織委員会(1961–65年)などに使用された。

その後国際関係が緊密化して外国の賓客を迎えることが多くなり、またそれまで迎賓館として使用していた東京都港区芝白金台の旧朝香宮邸(現・東京都庭園美術館)は手狭で随行員が同宿できないといった支障があったため、1962年(昭和37年)に当時の池田勇人首相の発意によって新たに迎賓施設を整備する方針が閣議決定された。

これを受けて、池田とその後任の佐藤栄作首相の在任時に政府部内で検討を重ねた結果、旧赤坂離宮を改修してこれを迎賓施設とすることが、1967年(昭和42年)に決定された。こうして5年の歳月と108億円(工費101億円、内装費7億円)をかけて、本館は村野藤吾、和風別館は谷口吉郎の設計協力により、1974年(昭和49年)3月に、迎賓館が完成した。新装なった迎賓館に迎えた最初の国賓は、現職のアメリカ合衆国大統領として初来日したジェラルド・フォードだった。

2006年(平成18年)から2008年(平成20年)にかけて、大規模な改修工事が行われている。

2009年(平成21年)12月8日、旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)として国宝に指定、明治以降の文化財としては初の国宝となった。」Wikipediaより。

 

内部は勿論豪華ではあるが、ベルサイユ宮殿のようにゴテゴテして、これでもかという押しつけがましい豪華さではない。日本の皇室にも感じる、控えめで節度があり、それでいて他国にも退け取らず、堂々とした、そんな好ましい感じがする宮殿です。

 

加えて、さすがに現役の迎賓館である。チリひとつどころかホコリも少しもない。すみずみまで手入れが行き届いて、気持ちよい。

 

今回の見学をとおして、このようなすばらしい迎賓館で外国からの貴賓をもてなすことができることを知り、日本人としてとても誇らしく思いました。日本人には一度は観て欲しい近代建築で唯一の「国宝」です。

 

レンズはタムロンAF24mm/F2.8、カメラはα7RM3です。

毎年定点観測のようにここを訪れ、紫陽花のその年の咲き具合を確認しています。小雨の紫陽花をねらってましたが、近所では色褪せてきたので、あわてて16日(火)に行って来ました。

 

平日午前で空いていると思いきや、やや人が多い。

 
咲き具合が一番判りやすい本堂左手、今まさにまだ見頃ですね。

 

むしろ例年よりも色づきが濃いようです。

 

鐘楼の周りもみっちり咲いています。

 

北側の斜面はまだまだ見頃が続きそう。

 

この辺りが一番見頃。

 

 

ガクアジサイが好きです・・・。

 

淡い色は撮るのが難しい・・・。

 

 

寺の外壁越しの北斜面。

 

寺の外で見つけました。綺麗ですねぇ、新種でしょうか?

 

 

前日は雨でもう少ししっとりと瑞々しい紫陽花が撮りたかったのですが、この日は朝から日差しが強すぎました。そのせいでコントラストの強い写真になってしまいました。

 

レンズはZeiss Jena MC Pancolar 50mm/F1.8、カメラはA7RM3です。

花撮りにはいつもLeica Summicron R-50mm/F2を使ってますが、久しぶりにZeissを使ってみました。こいつも色乗りはLeicaに負けてませんね、さすがのZeiss、あらためて感心しました。