映画『ジョン・ラーベ』はドイツ映画だが中国とフランスによる国際合作映画である。資本は別としてアメリカ人俳優や日本人俳優も出演しているので5カ国の人がこの映画に携わっている。

中国ではドイツよりも数ヶ月早く『拉贝日记』(ラーベ日記)のタイトルで公開された。中国版は日本人の会話部分以外は全て中国語に吹き替えられている。オリジナルのドイツ版との違いは二箇所カットされていることで他には変わりはない。

 

カッ トされているシーンは映画の最初の方でラーベがジーメンスの中国人労働者を怒鳴って叱責し、「中国人は子供のようなものだ。時には手荒く扱うのがいい。頭 のいい中国人とそうでない中国人を見分けることが肝要なんだ。」と後任の支社長に語るシーンと、ラーベの受勲式で日本大使館の福田領事が日中の歴史観を語 る際に中国人には哲学を理解する能力がない云々と発言する部分である。これらのカットはドイツ側スタッフにとっては不満だったようで(DVDのオーディオ コメンターで脚本家が発言している)あるが、福田領事の件はともかくも

最初のラーベが中国人を侮蔑的に扱うシーンはカットされたのは正解で ある。脚本家は如何にラーベが中国人を統率しているかを示す重要なシーンだと語っているが、日記を読めばラーベがその様な人物ではないことが分かる。ラー ベは時には理不尽な従業員には厳しい態度をとることもあったが、常に従業員を大切にした人物で、彼の中ではドイツ人、中国人という区別も格差もなかった。 先のシーンはスティーヴン・スピルバーグ監督の『シンドラーのリスト』の作劇を単に意識したものだろう。

 

さて、中国でも公開された『ジョン・ラーベ』だが、ある程度の成功を収めたが同年公開された陸川監督の『南京!南京!』のヒットと評判には遠く及ばなかった。もちろんそれは『拉贝日记』が外国映画であったこともある。『南京!南京!』は中国の国産映画だ。

『南京!南京!』にもジョン・ラーベは登場する。

 

こ の映画におけるラーベは『拉贝日记』におけるラーベとは全く描き方は違う。『南京!南京!』におけるラーベは全く物静かで弱腰である。ベルリンからの召喚 命令に逆らえず国際安全区の中国人難民を仕方なく残してドイツへ帰らなくてはならない。彼は日本軍との交渉にも絶えず敗北する。決して日本軍にも強硬な態 度をとったりしない。ラーベは『南京!南京!』においては全く無力に見える。それは他の国際安全区委員会の外国人たちにも言えることで、宣教師で金陵女子 大学のミニー・ヴォートリン女史と思われる人物や金陵病院の外科医師ロバート・ウィルソン医師と思われる人物についても同様である。

 

『拉 贝日记』におけるラーベは正反対にエキセントリックで行動力があり、日本軍との交渉でも皇族である朝香宮鳩彦王(Prinz Asaka)を相手にしても全く物怖じせず堂々と向き合う。それどころか同席したドイツの外交官、ローゼン博士を狼狽するほどにPrinz Asakaに反駁を加えるといった調子である。『拉贝日记』におけるラーベは完全な英雄として描かれている。ラーベの実相がどちらに近いかといえば、『拉 贝日记』の方ということになる。ラーベは常に物怖じしない行動力を持った博愛の人であったからだ。映画ではかなりその点がオーバーに描かれている。『南 京!南京!』と『拉贝日记』の間のラーベ像に何故こうした差異が生まれたのだろうか。それは『南京!南京!』を監督した陸川の、この映画を撮るきっかけに なった際の思惑を語ったインタヴューによく表れている。

 

「当時、米国の投資側が『ラーベ日記』をもとに書いた脚本をもって きた。ところが資料を調べていると、だんだんこの作品を撮りたくなくなった。中国人監督が南京大虐殺を撮るのに、ドイツ人が中国人難民を救うストーリーに 濃縮することはできない。南京大虐殺の被害者は中国人なのだから。この傷跡は今でもわれわれ民族の体に残り、痛みもある。単に外国人が中国人を救ったとい う結末にすれば、このテーマを簡単にしてしまう。だから私は日本の兵士や中国の民衆、特に被害者の角度からこの殺戮と戦争がもたらした傷をじっくり見つめ る必要があると思った。それこそが我々の責任だと」南京事件は中国にとって抗日の最も分かりやすい素材である。「南京大虐殺」とも呼ばれるこの事件は日中 戦争の最もホットなトピックであって、中国にとってはシンボライズされたアイコンでもある。

ところが、これを映画にしようとすると問題が出てくる。

 

実は南京事件には史実として中国にとって闇の部分がある。

1937 年の12月に首都南京が日本軍の攻略部隊に包囲されたときには既に蒋介石を始めとして国民党政府は脱出したあとだった。行政機関もその担当者も全ては逃亡 してしまったのだ。国民党は南京に市民を置き去りにして奥地へと逃げて行ってしまったのだ。残されたのは南京防衛に当たった国民党軍の守備隊。しかもそれ は第二次上海事変での「四行倉庫の戦い」同様に苦戦する中国を国際世論にPRするため位の意味しか持ってはいなかった。国民党政府は南京を放棄したのだ。

 

南 京陥落を巡る中で中国人の英雄は不在なのである。英雄を見つけるならば、蒋介石ら国民党政府が逃亡したあとも人道的立場に立ってなおも南京に残る決意をし た二十数名の外国の民間人なのだ。その中でも代表的な人物が南京国際安全区委員会の委員長だったジョン・ラーベであった。陸川監督は南京事件を映画にする 際に中国人を英雄に据えるために、どうしても、これら史実に残る外国人の英雄の立場を映画上、弱める必要があったのである。実際、『拉贝日记』では中国人 で英雄的活躍を行うものは皆無である。中国人たちはラーベたち外国人にすがって助けを求める。概ねこの図式がラーベの日記を読んだ限りでは史実により近い と思われる。南京事件を中国側で映画化する際にこの辺りは中国の大きなジレンマとなる。映画を発信する中国(中華人民共和国)にとって国民党政府の南京放 棄を批判することが出来ても、それではこの抗日戦の英雄を描くことができない。何故なら毛沢東の共産党軍は当時、南京にはいなかったからである。共産軍の 活躍を描けないとなると、仕方なく国民党軍の兵士を英雄として描かねばならないが、史実では最後まで日本軍とゲリラ戦で戦った英雄となるべき兵士の伝説も 記録も伝わってはいないのだ。南京城内に日本軍が迫ると、国民党政府軍の兵士は戦線を離脱し、城外へ逃れようとパニック状態になった。日本軍が市街を占領 したあとも、軍服を脱ぎ捨てて民間人に混ざって潜伏した元兵士たちも抵抗運動やゲリラ戦を展開することもなかった。

 

南京で の日本軍による捕虜などの処刑や、市街での略奪、強姦は言い逃れのできない戦争犯罪ではあるものの、映画として表彰した際には被害ぶりは描くことが可能で あっても、抵抗を描くことが出来ないのだ。南京陥落後、抗日を続けていたのは南京国際安全区の外国人だけだったからである。

中国のジレンマ は更に続く。中国共産党とは何ら関係のない国民党の南京市民への無責任な態度をどう扱うかは別にしても、当時南京にいた人々が国民党であれ、なんであれ、 中国人という一つの民族で括るならば国民党も含めて中国人の非英雄的行為を映画の中に晒すことは出来ない。ならば、映画用に英雄美談を創作して挿入すれば 良いが、これは日本に対しての歴史修正主義に対する批判を発信している中国側としてはしてはならない禁じ手となる。

 

陸川監 督は『南京!南京!』を撮るにあたってラーベの日記などから中国人に関する負のエピソードを幾つか抽出してそれを美化して中国人の英雄的行為として書き換 えた嫌いがある。例えばラーベが日記に書いている、金陵女子大学に収容されていた女性難民から慰安婦を供出せよと日本軍がせめよった際に、難民の中から娼 婦たちが自ら志願してきたことに、彼女たちを守ろうとしていたミニー・ヴォートリン女史を唖然とさせたといったエピソードを『南京!南京!』ではラーベが 国際安全区を守るために女性百人の慰安婦への志願を涙ながらに嘆願し、一般女性たちが安全区の人々を守るために次々と志願してゆくという風に書き換えられ ているのである。これは明らかに史実ではない。ラーベがその様な非人道的な提案や嘆願をするはずはないからである。

しかし、ラーベたちが英雄であり、中国人を救うのが中国人以外の民族であるということは中国人が作った抗日映画としての映画的な効果を弱める結果となってしまうからである。

 

こ うした事は南京事件を映画にする際に外国人以外に英雄が不在であったために起こったことだ。『南京!南京!』に続くチャン・イーモウ監督の南京事件を舞台 にした映画『金陵十三钗』ではすでにラーベたちは描かれず、国民党軍の狙撃兵と12人の中国人娼婦たちの日本軍への抵抗が描かれている。もっとも『金陵十 三钗』では飲んだくれのアメリカ人偽牧師がその抵抗に中心的人物として携わっているのでラーベたち外国人の存在を完全に抹消して中国人の問題だけに囲い込 んだものではない。しかし、こうした創作を加えなければ中国人としてのナショナリズムの面目を保つことは南京事件の映画表象では極めて難しいのである。

 

南京事件に関しての映画表象の中国側のジレンマをよそにドイツが中心となって制作された映画『ジョン・ラーベ』はその事を全く意識せずに作劇する事が出来たのである。その為に中国人側は無抵抗で非力な犠牲者として終始描かれることになった。

そんな映画『拉贝日记』が中国人にとって喜ばしいものではなかったことは容易に想像が付く。人々は中国人の南京における英雄行為を描いた、西洋人たちが非力に描かれた『南京!南京!』により大きな拍手を贈ったのだ。

 

『拉 贝日记』は決してラーベと南京事件の真実や実相を描いた映画ではない。しかし、中国が抱える南京事件の映画表象における抗日へのジレンマを考慮に入れな かった分だけ南京事件の実相にはある程度迫った作品となったことだけは確かなのである。『拉贝日记』はすでに中国ではDVDも廃盤となり、早くも忘れ去ら れた作品となった。

 

監督のフローリアン・ガレンベルガーがドイツへの帰国後、中国を批判したことなどもあってこの映画は既に過去のものとなっている。

 

日本では未公開、中国でも忘れ去られた『拉贝日记』の意義をもう一度考えてみることは、南京事件というアイコンを知る上で大切な鍵となるのではないかと筆者は考えている。


筆者:永田喜嗣