映画『アマデウス』。一般に言われるように天才対凡人という様な単純な図式では語れない。この映画の最も恐ろしいポイントは「神の喪失」だ。
 冒頭でサリエリが面会し、告白する神父はサリエリに言う。「神の前には全ての人が平等です。」
 これはキリスト教の理想であり基本的思想だ。
 サリエリの告白を引き出すこの最初のセリフとラストのサリエリのセリフだけでこの映画の主題ははっきりしている。
 それは神の喪失だ。
 この映画の最後のセリフ、サリエリは言う「凡庸なるものよ、お前たちの罪を赦そう。」と。
 サリエリは「神の前に全ての人が平等」ではないことを知っている。
 彼はこの世界に神など存在しないことを知っている。
 そのサリエリが存在しなかった神に成り代わり、凡庸なる者の罪を許そうというのである。
 この映画の穏やかなな終わり方はキリスト教文明社会にとっては恐ろしい悲劇の幕切れである。絶望感に満ち溢れている。
 エンドタイトル寸前に聞こえてくるアマデウスの高笑いは「神の前に全ての人が平等」という理想を漠然と信じていた人々が神など存在しないのだと気づいた後に止めを指す嘲笑にほかならない。
映画『アマデウス』は背徳的悲劇である。キリスト教文明社会の根幹を否定し、現実をざっくり割って見せつける残酷な結末を持った映画である。

 天才対凡人・・・それがテーマだと見せかけながら、その奥に救いようのない絶望が隠されている。
 映画『アマデウス』とはそういう映画なのである。


執筆:永田喜嗣