明けましておめでとうございます。

今年も「ケアマネの正しい歩き方

~ケアマネタマゴに贈るケアマネ道~」を

どうぞよろしくおねがいします。





私が考えるケアマネジメントの目標は

「精神面の向上」であり、そのために

「身体」と「社会」ヘアプローチする、

ということを書きました。


以前、この考えをある方にお話したところ、

「それはICFの考え方に似ているね」

と言われました。


その指摘は、とても的を射ているものだと

思います。ただ、ICFの残念なところは

分かりにくくて、浸透していないということです。


ICFの考え方は、以前からケアマネジメントに活用しようと

言われながら「ケアマネジメントのあり方検討会」ですら、

中間まとめのところで示されることはありませんでした。




ちなみに「ICFって何?」と

思っている方のために

ICFの概念図というものを

添付しておきましょう。



これですね。




ICFというのは「ICIDH」を見直したものです。




また新しい言葉が出てしまいました。

ICIDHとは、「国際障害分類」と訳され、

1980年にWHOで作られたものです。


例えば、脳卒中を患ったとき、

右半身麻痺が残った(機能障害)

そのため細かな作業ができなくなった(能力障害)

結果、仕事を辞めざるを得なくなったため

収入がガクンと減った社会的不利)といったものです。


この考え方でいくと、

「だからリハビリして障害を克服しましょう」

という考えに行き着きやすくなります。


しかし、いっぽうで「障害を克服できなければ

社会参加もできなくなってしまう」

という論理になってしまうんですね。




これに対して、ICFは「国際生活分類」

と呼ばれるもので、

「心身機能・身体構造」・「活動」・「参加」は

「生活機能」としてまとめられ、

そこには個人因子、環境因子が

関連しているということになっています。


平たく言えば、生活を送るのに

支障があるというのは、

個人の能力に限らず、

環境の問題であることもある

ということでしょうか。




この考え方に私は同意するのですが、

「じゃあ、実際の現場でどう考えたらいいの」

ということになってしまうと思うのです。





いや、べつにICFをディスってる

わけではないんですけどね(笑)

ケアマネジメントが目指す

「自立支援」とはいったい何か。


ということを延々と書いてきた今年でした。

今日で今年最後の更新になります。

今年もおつきあい頂き、

本当にありがとうございました。




アンケートの結果では、

「身体」・「精神」・「社会」と

3つのカテゴリに分けてみると

「自立支援」とは「身体」の自立

ということが頭の中にあるのではないか、

ということでした。


また、「生活の質」という言葉は

「社会」的なキーワードを示す内容が

多く見られました。


いっぽう、「精神」については、

あまり回答が多くありませんでした。

「精神」というカテゴリは

そんなに重視しないのか?

といったことを書きました。




私の考えは、

目指すべきところは

「精神」面だと思っています。

しかし、「精神」=心というのは

自分以外の第3者がああだこうだと

操れるものではないと思います。


ただ、心を動かすことが

できる可能性はあると思います。




それはどんな方法で、か?




2つの方法があります。

その2つの方法とは、

ひとつめが「身体」へのアプローチ、

ふたつめは「社会」へのアプローチ

です。





そろそろ私の考えを表明しておきましょう。


ケアマネジメントが目指すところは

「精神面の向上」であり、

その方法論として「身体」と「社会」

からのアプローチをおこなう

ということです。




どう思われますか?





そう思う理由を

次回から書いていきましょう。

私は昔、この方のファンでした。

「…でした。」って言ってしまうと

失礼なのですが、今はほとんど

この方の本を開かないので。

でも、何冊も持っています。


あいだみつをさん。


あいださんの遺した言葉は

すてきな言葉がたくさんありますが、

そのなかで、




「しあわせはいつもじぶんのこころがきめる」。




けっこう有名な言葉だと思います。

ご存じの方もたくさんいらっしゃるのでは

ないかと思うんですが、

ほんと、そうなんですよね。


人のことをうらやんだり、

妬んだり、腹を立てたり。


そういうことは私には

日常茶飯事なんですが(笑)、




同じ場面を経験しても

AさんとBさんとCさんでは

それぞれ受け止め方が違う

ってこと、ありますよね?


たとえば、

「クリスマスに子供にプレゼントを買う」

という行為は同じなのに


(喜ぶ子供の顔が楽しみ)

と考える人ばかりではありません、


(喜ばなかったらどうしよう)

と考える人もいるし、


(選ぶの、面倒くさいな)

という私みたいな人もいます(笑)




さきほどあいださんの、

「しあわせはいつもじぶんのこころがきめる」

という言葉は、ほんともっともで、


「しあわせ」という気持ち以外の気持ち、

「うれしい」も、「さびしい」も、「かなしい」も、

「たのしい」も、「くやしい」も、「はずかしい」も

「いとおしい」も、「こわい」なんかも。


自分の気持ちは自分以外の誰も、

決めることができません。


自分が「しあわせだなあ」って思えば、

うたがうべくもなく「しあわせ」なんですからね。




ところで、なんで

こんなことを書いているのかっていうと、

前回、「精神面のケア」ってことを

書いたじゃないですか。


(それって、(アリ)なの?)

というようなことを書きました。


いつ、いかなる場面においても

自分の気持ちは自分で決めている。

自分以外のだれも、自分の気持ちを

決めることはできない。




そこで、2つの疑問がわきました。

その①

このアンケートは、介護する側が

一方的にとらえたものですから、


「おだやかにすごしている」とか、

「うれしそう、たのしそう」というのをもって

「精神面の向上がみられた」とまとめましたが、

実はそうは言い切れない、

ということじゃないかな?


だって自分が決めるんだもの。


突き詰めると、そうなんでしょうね。




その②

「こころのケア」っていうけど、

それはいったいどうしたらいい?


誰にも当てはまる「こころのケア」って

あるのかな?


私の今のところの見解は

「それは難しい」ということです。


同じことをやっても

Aさんにとっては「うれしい」けど、

Bさんにとっては「うざい」ということ

も当然ありますからね。


だから私は「こころのケア」っていう言葉は

あまり好きではないんです。




カウンセリングの世界は

あまり知りませんから

こんなことを考えるのかもしれませんが、

よっぽど勉強して、経験を積んできた

人でないと、「こころのケア」って

できないんじゃないか?


誰にでもできるって代物じゃない

というふうに思っています。




ということで、アンケートで

「意欲が向上した」とか、

「精神面に向上がみられた」

という回答は、基準が分かりにくいし

利用者さん自身が決めることだから

みたいなことで

回答が少なかったんじゃないか、

と思いました。


じゃあ、

精神面に関与することはできないの?

精神面の向上はほうっておくしか手がないの?

といったような疑問がわくんですが

それは次回以降にしたいと思います。