私は昔、この方のファンでした。

「…でした。」って言ってしまうと

失礼なのですが、今はほとんど

この方の本を開かないので。

でも、何冊も持っています。


あいだみつをさん。


あいださんの遺した言葉は

すてきな言葉がたくさんありますが、

そのなかで、




「しあわせはいつもじぶんのこころがきめる」。




けっこう有名な言葉だと思います。

ご存じの方もたくさんいらっしゃるのでは

ないかと思うんですが、

ほんと、そうなんですよね。


人のことをうらやんだり、

妬んだり、腹を立てたり。


そういうことは私には

日常茶飯事なんですが(笑)、




同じ場面を経験しても

AさんとBさんとCさんでは

それぞれ受け止め方が違う

ってこと、ありますよね?


たとえば、

「クリスマスに子供にプレゼントを買う」

という行為は同じなのに


(喜ぶ子供の顔が楽しみ)

と考える人ばかりではありません、


(喜ばなかったらどうしよう)

と考える人もいるし、


(選ぶの、面倒くさいな)

という私みたいな人もいます(笑)




さきほどあいださんの、

「しあわせはいつもじぶんのこころがきめる」

という言葉は、ほんともっともで、


「しあわせ」という気持ち以外の気持ち、

「うれしい」も、「さびしい」も、「かなしい」も、

「たのしい」も、「くやしい」も、「はずかしい」も

「いとおしい」も、「こわい」なんかも。


自分の気持ちは自分以外の誰も、

決めることができません。


自分が「しあわせだなあ」って思えば、

うたがうべくもなく「しあわせ」なんですからね。




ところで、なんで

こんなことを書いているのかっていうと、

前回、「精神面のケア」ってことを

書いたじゃないですか。


(それって、(アリ)なの?)

というようなことを書きました。


いつ、いかなる場面においても

自分の気持ちは自分で決めている。

自分以外のだれも、自分の気持ちを

決めることはできない。




そこで、2つの疑問がわきました。

その①

このアンケートは、介護する側が

一方的にとらえたものですから、


「おだやかにすごしている」とか、

「うれしそう、たのしそう」というのをもって

「精神面の向上がみられた」とまとめましたが、

実はそうは言い切れない、

ということじゃないかな?


だって自分が決めるんだもの。


突き詰めると、そうなんでしょうね。




その②

「こころのケア」っていうけど、

それはいったいどうしたらいい?


誰にも当てはまる「こころのケア」って

あるのかな?


私の今のところの見解は

「それは難しい」ということです。


同じことをやっても

Aさんにとっては「うれしい」けど、

Bさんにとっては「うざい」ということ

も当然ありますからね。


だから私は「こころのケア」っていう言葉は

あまり好きではないんです。




カウンセリングの世界は

あまり知りませんから

こんなことを考えるのかもしれませんが、

よっぽど勉強して、経験を積んできた

人でないと、「こころのケア」って

できないんじゃないか?


誰にでもできるって代物じゃない

というふうに思っています。




ということで、アンケートで

「意欲が向上した」とか、

「精神面に向上がみられた」

という回答は、基準が分かりにくいし

利用者さん自身が決めることだから

みたいなことで

回答が少なかったんじゃないか、

と思いました。


じゃあ、

精神面に関与することはできないの?

精神面の向上はほうっておくしか手がないの?

といったような疑問がわくんですが

それは次回以降にしたいと思います。