こんにちは、しゅんすけです。


今日は 愛の現れ というお話です。








散歩に出て、ちょっと周りを見渡すと、色んな人が生きています。



身長も、顔立ちも、体型も、

髪の生え方も、動き方も、雰囲気も

みんな違う…  十人十色です。




それぞれの人には、それぞれ違った「自分」があります。

それを思った時、まるで、それぞれ形の違う「器」みたいだな、と感じました。








現実的に言えば

色んな器を並べてみて水を注ぐと

中身は同じ水なのに

形の違う水ができあがります。



これと同じように。



同じ愛を注いでも

形の違う「自分(器)」だから

それぞれ違った愛の形になります。




例えば…

小学校の頃、とある先生に対して、刃向かっていく生徒もいれば、黙って言うことを聞く生徒もいました。



刃向かっていくことも

黙って言うことも聞くことも

愛が注がれた結果です。



どっちが良い悪いではなく、どっちも愛の現れなんです。




人間しゅんすけさんがお話会をしていても

質問をしてくる人もいれば

質問をしてこない人もいます。




表面的にみれば、質問をしてきてくれた方が助かるし、楽しい部分もあります。


けれども、本質的にみれば、質問することも、沈黙することも、愛の現れです。



みんな違って、みんないいと思います。








現実的に言えば


一つの器に対して、色んなものが注がれます。



お茶の時もあれば、ジュースの時もある。

温かいスープの時もあれば、冷たいドリンクの時もあるかもしれない。





これと同じように。



自分という器に注がれるのは

「楽しい」の時もあれば、「悲しい」の時もある。

「愛おしい」の時もあれば、「怖い」の時もある。




お茶も、ジュースにも、スープにも、ドリンクにも、水が含まれているように。




どんな感情や気持ちであっても、そこには愛が含まれています。

どんな味わいであっても、それは愛の現れです。




味わいましょう。

感じましょう。








もし、この感情や気持ちはイヤだ!といって

感じなければ、器に残ってしまいます。



そうすれば、次に何か注がれた時に、変なことになってしまうかもしれません。



お茶にジュースが混じったものを飲みたくはないでしょう?

お茶はお茶で、ジュースはジューズで味わった方が美味しいです。



だから、目の前の気持ちや感情は

感じたその時に、感じきってください。



ベストタイミングは、今です。


感じよう(味わおう)、なう。




人間しゅんすけさんは

小さい頃の認められたいという気持ちが

ずーっと心の中に残っていたから

大人になって、何を注いでも

「認めらたい」成分が混じっていました。




なんでだろ?

どうして承認欲求がついてまわるのだろう…?



そう思い始めて、器の中を点検していったら、小さい頃の「認められたい」が残っていたんです。



残っていたから、味わってあげました。



認められたいんだね〜

今まで気づけなくてごめんね〜

今、僕が認めてあげたいから認めるね



そんな風に感じていました。




承認欲求も愛の現れです。

人が感じるものは、すべて愛の現れです。

毛嫌いせず、感じたものを認めてあげました。




そうしたら、いつの間にか

器の中から、認められたい、が消えていました。








器は、空っぽなほど価値があります。



現実的に言っても


中身が入っている器に、何かを注ごうとは思わないでしょう?




気持ちや感情でいっぱいだったら、新しい愛が入るスペースがないんです。



先に注がれた愛は、ちゃんと味わってこそ

次に注がれる愛が、入ってこれます。




どんな感情も、どんな気持ちも、愛の現れです。



感じていきましょう。

味わっていきましょう。



ここには、尽きることの愛が満ち満ちているのですから。