不機嫌な私を脱ぎ捨てる    ゆらぎ世代のときめきエイジングケア  

不機嫌な私を脱ぎ捨てる    ゆらぎ世代のときめきエイジングケア  

イライラ、憂うつ、頭痛、肩こり、冷え

ゆらぎ世代の不快な症状を解消します
いつまでもときめきを失いたくないあなたへ
心とからだリセットして内側からきれいに
湘南・辻堂

Amebaでブログを始めよう!

不機嫌な私を脱ぎ捨てる!

『ゆらぎ世代のときめきエイジングケア』

更年期エイジングセラピスト山口富士乃です

 

 

 

「更年期の原因は生きているうちに働かなく〇〇にあった!」

 

 

 

更年期症状の原因は大きく3つあります。

そのうちの1つがこれ、卵巣が働かなくなる!です。

 

 

 

生きているうちに活動しなくなる臓器は卵巣だけ。理由はわかっていません。

 

 

 

37歳くらいから活動の低下が始まり、50歳ころにはほぼ機能停止し、閉経となります。

 

 

 

卵巣が働かなくなるとどのようなトラブルが起きてくるのでしょうか?

 

 

 

女性ホルモン(エストロゲン)の分泌が急激に少なくなってしまいます。

 

 

 

エストロゲンの働きは妊娠、出産に備えて子宮の環境を整える役割がありますが、それだけではありません。

 

 

 

自律神経、感情、骨、粘膜、関節、筋肉、胃腸、脳の働きまで大きく関わっています。

 

 

 

エストロゲン、すごっー!!

 

 

 

40歳〜60歳ごろの期間出てくる、ほてり、発汗、うつ、めまい、肩こりなどの不快な症状は、エストロゲン減少によって引き起こされる自律神経の乱れから。

 

 

 

それこそが、更年期症状、更年期障害なのです。

 

 

 

卵巣から分泌される女性ホルモン、エストロゲンがいかに重要な役割を果たしているかお分りいただけましたでしょうか?

 

 

 

女性の体はデリケートですね。

女性ホルモンを攻略すれば、心も体もコントロールできるかも?

 

 

 

女性の卵巣が鍵を握っていることを知ったら、お腹や子宮まわりを整えてあげましょう。

そのためにはまず、体を冷やさないように注意してくださいね。

 

 

不機嫌な私を脱ぎ捨てる!

『ゆらぎ世代のときめきエイジングケア』

更年期エイジングセラピスト山口富士乃です

 
 
 
病院にかかる前に〇〇に気をつける
について、お話します。
 
 
 
更年期かな?
と思って受診するのなら、更年期外来(閉経外来)があるクリニックをお勧めします!
 
 
 
今までサロンを訪れたお客様の中で
更年期かな、と思ってまず最初に行ったところは、
婦人科や産婦人科、が一番多かったように思います。
 
 
 
私が更年期外来をお勧めすると、
「初めて聞きました」
という方も結構いらっしゃいます。
 
 
 
更年期障害は婦人科の管轄ですから、もちろん間違いではないのですが・・
 
 
 
同じ婦人科でも病院によって、何に力を入れているか?って
違いますよね?
 
 
 
婦人科・産婦人科の中には、血液検査をしないクリニックもあるのです!
 
 
 
更年期は血液検査でホルモン値を計るだけで判断できます。
 
 
 
ですから、もし婦人科を受診するのなら、
事前に血液検査をしてくれるかどうか
更年期に力を入れているかを
調べてから受診したほうがいいですね。
 
 
 
ホルモンの状態を調べてから、
次にどのような選択をすればいいかが選べます。
 
 
 
お勧めは更年期外来です。
覚えていてくださいね。

不機嫌な私を脱ぎ捨てる!

 

『ゆらぎ世代のときめきエイジングケア』

更年期エイジングセラピスト

山口富士乃です

 

 

最近疲れが取れない

イライラする、うつっぽいなど

そろそろ更年期かもと

不安を抱えていませんか?

 

 

 

そんな更年期の不安を取り除くには

まず今のご自分の状態を知ることから始めましょう。

 

 

いつくるか
どんな症状がでるか

人によって個人差があります

 


とあるデータによると、

30代後半から50代の女性の半数以上

更年期障害のような症状を持っているそうです。

なんと50代では7割以上

何らか不調をかかえているとのこと。

 

 

それなのに更年期症状を感じた時に

誰かに相談したかとの質問では、

 

 

「身内に相談した」

「友人に相談した」が

それぞれ2割。

 

なんと「何もしない」と回答した人は5割!




まだ信じたくないと

一人で抱え込む人が多いのかもしれませんね。

悩みながらも人に言えずに我慢している人が多いということです。

 

 

私もそうだったから、身にしみてわかります。

 

 

でも我慢して過ごすのは、一番もったいない。

身体からのメッセージを聞き逃さないで、

向き合ってみてくださいね。

 

 

辛くて我慢する更年期ではなくて、

人生を楽しめる更年期にしていきましょう!

 

 

そのために大切なことをお伝えします。



簡単に知ることができるチェックシートがあります。

ご自分の状態が客観視できますよ。



SMI(更年期指数)

更年期症状の重症度をみる方法はいくつかありますが、更年期指数(SMI)は、簡便に更年期の不調をチェックするものです。

 

 

ただし、たとえ点数が低くても、辛い症状がひとつでもあるようなら、婦人科の受診をお勧めします。また、骨粗鬆症や動脈硬化などの生活習慣病が隠れていることもあります。

 

いかがでしたか?
 

 

受診するかの目安がわかるかと思います。

 

 

今の状態を知ることが更年期障害から抜け出す近道です。
 

ぜひチェックしてみてくださいね。

不機嫌な私を脱ぎ捨てる!

『ゆらぎ世代のときめきエイジングケア』

更年期エイジングセラピスト山口富士乃です

 

 

マイストーリー⑦

 

 

〜〜更年期障害からセラピストへ〜〜

 

 

 

たまたま(直感かな?)更年期外来に行き、

治療を開始できたおかげで

普通の生活に戻れたことは

本当に幸運だったと思います。

 

 

 

しかし介護を担う中で、

ゆらぎやすい心や身体をケアする場所がない!

ということに怒りに近い感情が沸き起こってきました。

 

 

 

疲れた更年期の女性が身体の健康を取り戻し、

心を解放できる場所を作りたい!

 

 

 

という強い気持ちが湧いてきました。

そして、セラピストになってサロンをオープンしよう!と決心したのです。

 

 

 

更年期症状を抱えながら

我慢している方も多くいらっしゃるという現実。

 

 

 

不調をなんとかしたくて病院にかかっても

更年期の治療はまだ医療として浸透していないため

なかなか良くならない。

 

 

 

多くの更年期で悩んでいる人の存在を知ったのは

医師の勧めで、メノポーズ(更年期)カウンセラーの資格を取得してからです。

 

 

 

私の主治医は長年婦人科医として医療に携わり、日本では珍しく更年期専門医として尽力されている方だったのです。

 

 

 

メノポーズカウンセラーの資格を取るために、

クリニックを解放してくださったり、

定期的な勉強会で、

惜しげなく知識を教えて下さいました。

 

 

 

更年期をきっかけにセラピストになり、

運命的な医師との出会い。

 

 

 

これは偶然ではなく、

私に与えられた志命なのだと今は感じています。

 

 

 

気がつけば私が更年期障害を自覚してから

12年の歳月が過ぎていました。

 

 

マイストーリー⑧につづく

不機嫌な私を脱ぎ捨てる!

 

『ゆらぎ世代のときめきエイジングケア』

更年期エイジングセラピスト

山口富士乃です

 

 

マイストーリー⑥

 

 

〜〜〜ついに更年期障害に!!〜〜〜

 

 

同時に認知症を発症してしまった義両親、

実母の癌

経済不安

 

 

 

などなどから、ついに私が電池切れしてしまったようになりました。

朝目覚めても、起き上がることができません。

吐き気がするほどの頭痛、肩こりも。

 

 

ウツになってしまった?!

寝込んでる場合じゃないのに!

 

 

 

当時の私は

うつ=心の病

 

 

 

仕方なく神経科の病院にいくつか行きましたが

あまり手応えも感じられませんでした。

精神科でのお薬を飲むと

何とも言えない不快感に襲われる。

 

 

 

「お薬は飲みたくない」と

本能的に思いました。

 

 

 

そしてたまたま通りがかったところに

「更年期外来」という看板が目に留まりました。

 

 

 

聞いたことがなかったのですが、どんなことをするのか問い合わせしたところ、婦人科検診をするとのこと。

 

 

 

興味半分、とにかく精神科の薬に変わるものの手がかりがほしくて、受診してみることに。

 

 

 

更年期外来では、問診、内診、血液検査、骨密度などの検査をしました。

その結果、なんと女性ホルモンの数値が低く、

医師から「更年期だよ」と言われたのです!!

 

 

 

え?更年期?

更年期って50代くらいになるんじゃないの?

 

 

 

それぐらいの知識しかありませんでした。

当時は43歳、まだまだ若いと思っていたのでちょっとショック。

 

 

 

というか、認めたくない!

という感情が先にたちました。

 

 

 

そう、更年期はイメージが悪かったのです。

「老化」というイメージ。

 

 

 

今でこそ更年期を明るい前向きにとらえよう!

と訴えてる私なのですが

その時は医師の言葉が信じられず、

やぶ医者か?と疑ってしまったほど。

 

 

 

心の中ではうそ〜、と思いながらも、体も心もボロボロ。

 

 

 

医師がすすめるがまま、ホルモン補充療法(HRT)の貼り薬をもらいました。

 

 

 

すると辛かった症状がどんどん良くなって行ったのです!

1ヶ月ほどで、普通の生活に戻れるまでに回復しました。

九死に一生を得たわけです。

 

 

 

そこから遂に更年期障害との長いつきあいが始まるのでした。

 

 

 

マイストーリー⑦につづく

 

 

 

不機嫌な私を脱ぎすてる!

 

『ゆらぎ世代のときめきエイジングケア』

更年期エイジングセラピスト

山口富士乃です

 

 

 

マイストーリー④

 

〜〜修行時代〜〜

 

 

イギリスから夢いっぱいで帰ってきて待っていたのは

就職活動でした。

当時の短大卒は一般事務がほとんどでした。

 

 

しかし美容にもともと憧れがあり、

メイクが大好きだったことから

イギリス発祥の化粧品会社、M社に入社ました。

 

 

イギリスが好き

メイクが好き

化粧品が好き

 

 

もうこんないい仕事は他にない!!

憧れのM社の化粧品に囲まれて幸せいっぱい!

 

 

だったのですが、

 

 

人生は甘くありません!

 (やっぱりね・・・)

 

 

入社して数ヶ月後に、プロモーションチームに配属となりました。

 

 

プロモーションチームとは大阪を拠点に

自分のお店は持たず、岡山や広島、

四国などに遠征に行きます。

 

 

ほぼ毎日違うお店に入るので、

その時に売らないともう次はないのです。

 

 

もともと内気な私が顔を出して

全く売れませんでした。

そもそも、私は販売に対してとても

抵抗があったのです。

 

 

そんな自分が情けなくて。

でも自分ではどうすればいいのかわからない。

悩んでいた時、運命の人との出会いがありました。

 

 

離婚して、シングルマザーとなった

ある先輩が

直属になりました。

 

 

その先輩は一言で表現すると『鬼』

 

 

会社の中でも厳しい人で有名になり

「泣く子も黙る〇〇さん」

という噂まで。

 

 

先輩はある日

「軍隊をつくる」

と言ってきました。

 

 

その日から、名前はフルネームで呼び捨てです。

先輩の電車での席取り、カバン持ち、

タバコの火をつける

などは当たり前。

 

 

言葉遣いから何から叱られます。

 

 

「やる気ないなら帰ってええよ」

「あんたにいいたこといっぱいあんねん。わかってる?」

 

 

ドスのきいた関西弁で睨みつけられます。

 

 

 

毎日叱られっぱなしで、何を叱られてるのかわからなくても

「はい、すみません」

と答えるしかない私。

 

 

 

きわめて昭和のスポ根的な鍛えられ方をしたワケです。

 

 

でも先輩にしたら、私はちょー難しいタイプの新人だったと思います。。

それまで私は全くの文系(部活はギター部でした笑)

でしたので。

 

 

 

よく叱ってくれました、ほんとに。

そのようにして体育会系の洗礼を初めて受けたのでした。

 

 

 

ゲキを飛ばされながらも、必死にくらいつき、

そして次第に、全国ランク上位に入れるようになりました。

 

 

 

後から聞いた話ですが、その先輩がなぜそこまで

厳しく接したのかは、ちゃんと愛情があってのこと。

 

 

 

とても厳しい先輩でしたけど、

いくら厳しくされても信頼できる方でした。

 

 

 

おかげでやっと自分に自信がつき

社内でも認められるようになりました。

 

 

 

本気でぶつかっていく時、道は開けるのだと

体で学ぶことができました。

 

 

 

その先輩には尊敬と感謝しかありません。

 

マイストーリー⑤につづく

不機嫌な私を脱ぎすてる!

 

『ゆらぎ世代のときめきエイジングケア』

更年期エイジングセラピスト

山口富士乃です

 

 

マイストーリー⑤

 

 

〜〜介護、子育て、シゴトが重なる!!〜〜

 

 

25歳で実家のある千葉県に引っ越し

同じ化粧品会社の東京支社に転勤し

結婚するまで8年間お世話になりました。

 

 

29歳の時に結婚。

神奈川県で新生活をスタート。

 

 

主人はとても優しく、お兄さんみたいな人。

義両親もとても優しく、嫁というよりは娘のように

可愛がってくれました。

 

 

イギリス留学で憧れたご夫婦のように、

理想的な仲良しご夫婦!

 

 

暖かい家庭環境に憧れていた私は

やっと安心した生活を手に入れました。

 

 

しかし、仕事に没頭するあまり自分の身体のことは

無頓着にしてきたツケが回ってきました。

 

 

なかなか子宝に恵まれず。

不妊生活7年の末、

やっと男の子を授かりました。

 

 

待ち望んだ我が子だけに、

それはもう可愛くて

一生懸命でした。

 

 

それなのに赤ちゃんとの生活は

想像していたのとは全く違って

とても大変でした。

 

 

私の子育てはこれでいいの?

疲れがとれず、いつも不安ばかり。

 

 

女性の体は出産とともに大きくホルモンが変動します。

今思うと産後うつ状態だったかもしれません。

 

 

けれどその時はそんな知識もありませんでした。

 

 

幸せな結婚

子どもも持てた。

なのになぜ、こころがこんなに空虚なのか・・

 

 

この頃から自分を探すため、

色々な本を読みあさっていました。

 

 

そんな母の元でも

子どもはすくすくと育ってくれたのは救いでしたが。

 

 

子どもが小学生になったころ

今度は義父、義母の様子が少しずつ変化が。

認知症にかかっていると認識するのには、ある程度時間がかかりました。

 

 

二人とも同時期に認知症が判明したのです。

 

 

小学生の子どもを抱えながら、

2人の介護を担うこと

それがどれだけ大変なことか

 

 

自分がその立場になるまでは

想像できませんでした。

 

 

けれど、高齢出産に陥りがちなパターンのようですね。

 

 

しかも、実家の母が癌を患っていることを知らされたのです。

そしてさらに、悪いことは重なります。

 

 

当時リーマンショックがおこり、

日本も経済不況に見舞われます。

自営でする主人の仕事にも影響し

経済的にも厳しい状況になってしまいました。

 

 

私は子育て、介護、

シゴト、家事、お金

全てをひとりで抱え込んでしまいました。

 

 

精神的に追い詰められて、

頑張りたいのに頑張れない。

ある朝、ついに起き上がることができなくなってしまいました。

 

 

これが更年期の始まりだったとは、その時は全く気づかなかったのです。

 

 

マイストーリー⑥につづく

不機嫌な私を脱ぎすてる!

 

『ゆらぎ世代のときめきエイジングケア』

更年期エイジングセラピスト

山口富士乃です

 

 

マイストーリー③

 

〜〜憧れの地イギリスへ〜〜

 

 

Bay City Rollersが大好きだったことから、

(※1976年ごろ大流行したスコットランドのロックグループ)

英語が自然と好きになり、

短大は英文科に進みました。

 

 

短大2年の時、念願のイギリスへ短期留学!

 

 

家の経済状況を考えるととても難しかったのですが、

成人式の振袖はいらないから留学させて欲しい!

とお願いしました。

 

 

(成人式はとうとう行かなかったな・・・)

 

 

イギリスで過ごした期間は、まさに夢の時間

 

 

ケンブリッジに滞在したのですが、

古い街並みが美しく

ケム川が流れていて

馬や羊が放牧されています。

ホームステイ先はケム川のほとりにありました。

 

 

滞在した先はとても仲の良い老夫婦のお宅でした。

いつも奥さんが家事をしていると

旦那さんが隣によりそってお手伝いをする。

 

 

さすが紳士の国だけあり、

ご主人は私にもいつもレディーファーストで扱ってくれました。

例えば食事の時に椅子を引いてくれたり、

ドアを必ずあけてくれたり。

 

 

二十歳そこそこの娘に、

日本じゃありえないです。

 

 

ベッドも家具も全て夢のよう。

ファブリックはローズピンクで統一されていて、

窓枠は重厚な白く塗られた木製で、

下から上に開くようになっています

(この表現わかります??)

 

 

 

朝起きた時、部屋の外から石畳の上をパカパカという馬の足音が聞こえてきた時の感動!

 

 

 

朝食の前には奥さんが

「よく眠れましたか?」

と言って部屋にきて、ベットメイキングをしてくださる。

 

 

 

もう何もかもが、夢の世界。

こんなのが現実にあるのか!

とカルチャーショックの連続でした。

 

 

 

現実の私のうちは当時、団地住まい。

窓枠はガラガラと開けるサッシ。

そして仲が悪く喧嘩が絶えない両親・・・

 

 

 

でもその経験は将来の夢を描く手がかりとなり

とても大きな経験でした。

 

 

 

夢の時間はあっという間にすぎ、

次の修行時代へと続くのでした。

 

 

マイストーリー④につづく

 

不機嫌な私を脱ぎすてる!

『ゆらぎ世代のときめきエイジングケア』

 

更年期エイジングセラピスト

山口富士乃です。

 

 

My story②

 

〜〜いきなりの暗黒時代〜〜

 

 

その後父の転勤で東京から大阪へ引っ越すことに。

 

 

しばらくして家計を助けるということで、

母が働きに出るようになり

小1から鍵っ子になりました。

 

 

 

働く母の姿はハツラツとして好きでした。

母を助けたくて、

だんだんと家事を手伝うようになりました。

 

 

 

小学5年の頃には買い物、夕飯作りはほぼ私の仕事。

でも料理はもともと好きだったので、

そんなに苦になりませんでした。

 

 

 

家計をやりくりして残りのお金は、

自分のお小遣いにしてもいい?って

母に交渉をして、

ちゃっかりお小遣いを稼いだり。

 

 

 

しかしそのころから、だんだんと家庭の様子に変化が・・・

 

 

 

父と母の喧嘩が絶えなくなり

家庭は心の安らぐ場所ではなくなっていったのです。

 

 

 

段々と難しい年ごろになってきます

 

 

 

当時、テレビドラマ『3年B組金八先生』が

大ヒットしていました。

いじめ、校内暴力が

学校内に蔓延している時代です。

 

 

そんな私に待ち受けていたのは

やっぱりいじめ

  

 

中学1年の時でした。
内気な私は言い返すこともできず、

ただじっと耐えるだけ。

その辛さは死にたくなるぐらい辛い経験でした。

 

 

家庭にも学校にも居場所がない

誰もわかってくれない。

(誰にも言えない、が本音かも)

 

 

絶望・孤独

めっちゃ暗いっ!!

 

 

でも私には1つだけ希望がありました!

 

 

それは当時、世界的に大流行していた

スコットランドのロックバンドBay City Rollers!!

 

 

彼らの大ファンだったのです!

彼らの音楽と笑顔は最高に強い味方。

 

 

いつも彼等の音楽を聴きまくって

当時はもちろんYoutubeもありませんでしたので

ロックショーとか、Music Lifeとか

音楽雑誌を読みあさる。

 

 

彼らの住む遠いイギリスに思いをは馳せていました。

そのように辛い現実はシャットダウンしたおかげで

辛い経験を乗り越えることできました。

 

 

命の恩人ですね、彼らは。

ちなみに今も大好きです♡

(昨年メンバーのWoodyに会えて大興奮!!)

 

 

あ、話を戻します。

 

 

しかしその後、とても悲しい出来事に遭遇します。

 

 

当時仲の良かった友人が、

いじめの被害から心の病にかかり

19歳の時に亡くなってしまったのです。

 

 

心の病って何?

なぜ何も悪くない子が死ななくてはならないの?

 

 

心の中でいくつもの疑問が湧き上がってきます。

このころから人の心に興味を持ち始めました。

 

 

My story③へつづく・・・

マイストーリー①

 

不機嫌な私を脱ぎすてる!


『ゆらぎ世代のときめきエイジングケア』

更年期エイジングセラピスト

山口富士乃です


 

 

55年も生きてますと、人生いろいろあるものです。

 

私がどんな風に生きてきたかを

知っていただくことは

どなたかの励み繋がるかもしれませんので

少しお話ししていきますね。

良かったらお付き合いください。

 

 

〜〜〜幼少期編〜〜〜

 

東京の昭島市というところで、幼い頃を過ごしました。

 

 

丸の内で働く典型的なサラリーマンの父は

無口で寡黙、優しい人でした。

 

 

少女のような、羽ばたく母(笑)

働く女性。

 

 

お目目ぱっちりの、3歳年上のお姉さん

 

 

末っ子の私で

家族四人で暮らしていました。

 

 

昭和のサラリーマンは仕事第一で、

家庭はあまり顧みず

 

 

優しくてハンサムな父のことは大好きでしたが

あまりかまってもらえなかった、、、

 

 

お人形さんのようなぱっちりお目目の姉は

親戚から可愛がられて

あちこち連れて行ってもらっていましたが、

 

 

私は母にべったりくっついて

いつもお留守番。

 

 

家でお絵かきや人形遊びをしているのが大好きな

内気でおとなしい子供でした。

 

 

内気の原因はというと

それはとてもおブスだったからなのです

 

 

だって、目が一重で腫れぼったく、

(今は一重まぶたも美しいと知ってます)

垂れ眉で

下ぶくれ

3拍子そろってしまいました

 

 

もうコンプレックスのかたまりです。

 

父はハンサム

母も綺麗で

姉も可愛いのに、

 

 

なんで家族の中で私だけおブスなの?

 

 

橋の下で拾われた、とからかわれ

ひとり心を痛めていたことも(苦笑)

 

 

そんな私に夢を与えてくれたのは

ディズニーの絵本シンデレラ姫でした

 

 

貧しくても

心が綺麗で美しければ

白馬の王子さまが現れる。

 

けれど美しくないとダメなんだよな〜、と

 

 

鏡を見ては

はぁ〜とため息をつき、

 

 

大きくなったら、母や姉みたいにキレイになれるのだろうか・・・と

変身願望をつのらせていた幼少期です。

 

 

美に対する憧れはこのころから始まっていました。

 

 

それにしても今思うと超マイナス思考・・・

 

 

 

My story②につづきます・・