誰でもすること?
連日あちこちの「いじめ」の報道が増えているなーと思うのだった。
#ということは、やっぱり解散・総選挙が近いんだろうか?なんて思ってしまったり(悩)
#アメリカとか中国とかロシアとかで、そういうときに外交が強気になるのと一緒(しみじみ)<え(汗)
報道が多くなると、やっぱりいいかげんな論調が気になってしまうし、やっぱりそう思いたい人が多いのかなーとうんざりしがちなんだけど、今回はさすがに何回目かのブーム(?)だということもあってか、ちょっと毛色の違う意見も見えるようになっていると思う。
ちなみに、ウチの学校だったら、他の生徒の命の危険に関わるようなことをした生徒は、問答無用で一発退学、ということになる。
中学の場合、退学、という措置はないけれど、とにかく義務教育は他の場所で受けてね、ということになるのだった。
なぜそうなるか、というと、理由は単純で、「指導ができないから」「他の生徒の安全を保証できないから」ということなのだった。
その生徒が「更正」しないものだと決めることはもちろんできない。
が、少なくとも今日、明日、その生徒が他の生徒の安全を脅かさない、ということは到底保証できない。
「更正」のための努力も、それをしつつ他の生徒の安全を守ることも教員のつとめなのだった。
ふたつを両立させるなら、問題の生徒に教員が常時付き添わなければならない。
なぜなら、生徒が「更正」していない以上、たとえ短時間でも、他の生徒と一緒にすると、彼らに危険を及ぼさないということは誰も保証できないからだ。
実際、生徒が問題を起こしたときはそうやって対応することになっている。
教員が日常生活をしている生徒にくっついているのは難しいので、生徒の方を教員の常時いる場所に置いておくことになる。
そこで、フツウの教室に戻しても大丈夫(学校として保証できる)と判断できるまで個人授業をし、個人面接をするのだった。
そうはいっても、教員も予言者ではないし、生徒の心の隅々まで見通せるわけではない。
だから、あまりに極端な……というか、常識では考えられない危険な行為をした生徒の場合、一応、そうした措置はとるけれど、やっぱりすぐには教室に戻せない。
もちろん、こうした措置はあくまで一時的なものでなければならず、何ヶ月も続けるわけにはいかない。
こちらの体制ももたないし、何より、問題の生徒自身の教育を受ける権利に関わってしまう可能性もあるわけで。
だから、他の、そういうことがしっかりできる場所を探してください、ということになる。
ただ、この措置は、最後に大問題がある。
「他の、そういうことがしっかりできる場所」なんて、ないんじゃないのかなーと思いつつ、そこにはバックれて私たちは生徒を送り出すのだった。
実を言うと、ウチの学校で、これまで実際にそれをやったことはない。そこまでの問題が起きたことがない、ということで。
でも、そういうことがもし今後起きたら、結局問題の生徒は地元の公立中学校に行くしかないのかなあ、とぼんやり思っている。
で、そうだとすると、そもそも公立中学校ではどうするのか、というと、どうしようもないんじゃないのかなあ……とも、思うのだった。
今問題になっている「いじめ」は、どれもウチでは一発退学にしかしようのない事例だ。
学校でどうにかしてくれ、と言われても、できるか!と思わずにいられない。
でも、公立中では学校で預かるしかないのだ。誰も預かってくれないのだから。
そしたら、何かをごまかすしかないじゃないか、と思うのだった。
何かを隠してやりすごすしかない。
もしかしたら、問題の生徒に「とりあえずおとなしくしてもらう」ための不正もあるかもしれない。
暴力団と警察だって、微妙な問題があるとかいうし。
いや、学校は警察ですらないのだけど。
オトナの世界でも、毎日のようにどこかで暴行事件があって、殺人事件もある。
村八分みたいないやがらせももちろんある。
そういうことは、ないに超したことはないから、そうならないように努力することを諦めてはいけないけれど、ソレとは別の実質的な問題として、それらに対して、そのコミュニティがどう対処するか、ということを示さないわけにはいかないだろう。将来はともかく、とりあえず今それは「起きているし、明日も起きる」ことだからだ。
更に、学校のコミュニティは異質だ。
コドモは間違ったことをしても、オトナのように責められない。
なぜか、というと、これも単純で、コドモというのは間違ったことを「必ずするモノ」だからだ。
「誰でも必ずする」のだ。
だから、誰でもすることをしたからといって、責めてはいけない。
そうしないように教え導くことは必ずできるのだから、しなければいけない。
そういうことになっている。
で、少なくともウチでは、そのしでかした間違ったことが、「誰でも必ずする」ことなのかどうか、について、事柄によっては疑いを持っているのだった。
だから、その間違ったことが「誰でも必ずする」ことなのかどうかを判断し、この学校で教育を続けられるかどうかを決めているのだと思う。
ただし、「誰でも必ずする」ことなのかどうか、という判断を適当にするわけにはいかない。
だから、オトナの法律を基準にしている……のだと思う。
要するに、オトナなら刑務所にいかなくてはならないことかどうか、という感じの判断になる。
ややこしいのは、オトナだって「フツウの人」が人を殺したりするよ?という問題があるということと、それとは別に、前述したように「犯罪者ではないけれど今のままでは危険なコドモ」のための教育をする適正な場所がない(たぶん)ということだと思うのだった。
たとえば、オトナの世界だったら、もし、世の中に刑務所がなくて、刑事罰もなくて、おまわりさんだけがいたら?
なんて思うのだった。
そんな社会でコトが起きたとき、町の駐在さんが「悪を見過ごしにした」と糾弾されたり、対策として「駐在さんの資質を高めなければ!」というのは、なんかかなり異様ではないかなーと思うのだった。
テレビでは大抵、「思いやり」と言う。「先生は生徒の声を聞いてください」とも言う。
たしかに、村八分問題だったら、それで何かが変わるかもしれないけれど、暴行や殺人の問題がソレで解決するのか?ホンキでそう思ってる?と考えてしまう。
ウチは「いじめのない学校」と思われている。少なくともそう期待されている。
でも、別に、ウチの教育が「いい」からいじめがないわけではない。
今報道されているような種類の「いじめ」をする生徒は問答無用でコミュニティから追い出される、それは当然だと、生徒・保護者・教員の全てが何の疑いもなく思っている、というだけのことなのだった。
我ながらズルいなーと思う。
実際に手を下したことはないけれど、結局、公立中学校に問題を全部押しつけて「ウチはいい学校です」と澄ましているようなものだし。
いじめの報道があるたびに、だからそれは「いじめ」じゃないでしょ、と思う。
「危険な生徒」をどうやって教育するか、という問題なのだ。
その線が引きにくいのはわかる。
でも、それ以前の問題として、そうした生徒のための特別な教育の場所が全くない、というのはやっぱりマズすぎるだろうと思うのだった。
笹の葉さらさら
さすがに7月なので(?)学期末らしい感じになってきている。
もちろん、その皮切りは期末考査なのだった。
7月といえば七夕。
……かもしれないけれど、試験でごたごたの最中、それを気にする教員も生徒もほとんどいない。
とはいうものの、中学校の保健室では数年前から廊下に少し大きめの笹を立てて、短冊を置いて、「願い事」を自由に書けるようにしていたりする。
思えば、この時期、ごく目先のコトでいえば期末考査で成績を上げたかったり、もう少し先のことで言えば、総体でいい成績を残したかったり、中学生には中学生なりに願い事が結構あるはずなのだった。
そんなわけで、今年も保健室前に笹が立てられた……のだけど。
なんだか、例年と様子が違う。
へんだぞ?と私たちが気付いたのは、笹が立てられて2,3日たった頃だったと思う。
休み時間になると、保健室前がなんだか混雑しているのだった。
いちねんせいたちが何かのムシのように(え)笹に群がっている。
ようするに、彼らは熱心に「願い事」を書いては笹に結びつけているらしい。
たしかに、いちねんせいはそういう行事が好き。
保健室前の笹に願い事を書くのも、たいていはいちねんせいなのだった。
……それにしても。
何日たっても、群がるいちねんせいの数が減らない。
それどころか、増えていくのだった。
…………。
笹にはだんだん、みっしりと短冊が結びつけられていく。
本来は軽やかに風になびいたりするはずの短冊が、千羽鶴みたいな感じになっているのだった(倒)
7月7日は曇り空。
期末考査も始まっている。
それなのに、笹にはまだいちねんせいが群がっている!!!!(汗)
笹の先端は短冊の重みで垂れ下がり、床にくっついてしまっている。
もぉどこまで笹でどこまで短冊だかわからない(涙)
というか、そこまで短冊を切って用意してあげている(たぶん)養護の先生に合掌してみたりして。
どうしてこんなことになっているのか、やっぱりよくわからないのだけど。
でも、いちねんせいの何人かに話を聞いてみると、どうやら、人数が多いというだけでなく、毎日のように短冊をつるしにいったり、新しいものに(?)書き換えてつるしなおしたり、というようなことをしている生徒も結構いるらしい。
「書き換えては駄目でしょう!」
と思わず叫ぶ私に、生徒たちはきょとん?とするのだった。
「神様にお願いをするのに、ちょっと待って、今のナシ!とかやってたら罰が当たります。それに、取り替えるもなにも、笹は本来願いごとを書いたら川に流すものだから、書き換えるも何も……」
「せんせい、アレ、流れないと思います」
…………。
たしかにそうかもしれないのだった(涙)
#あの笹結局どうするんだろうやっぱり燃えるゴミだよなそうだよな(しみじみ)
匂い
季節の変わり目なので、服装がなかなか難しい。
暑かったり寒かったりするたびに、生徒たちは制服をちょくちょく重ねたり脱いだりして、結果として落とし物が増えていくのだった(嘆)
その日も、まもなく中学生の最終下校時刻……というところで、セーターの落とし物がひとつ届けられた。
どうも、落としたばかりだったらしいので、私はそのセーターを持って、中学生が下校の際、必ず通る通路に立ち、声をかけ続けてみた……が、落とし主は現れなかった。
ところが。
ある顔見知りのいつも生真面目な3年生少女が、何やら真剣な顔で、「先生、それ、見せてください」と、私に近づき、そのセーターを手にとったのだった。
なんだ、コイツだったのか……と思ったが、見ると既にちゃんとセーターを着ている。
やがて、彼女は手に持ったセーターの中に、おもむろに顔を突っ込み、深呼吸を始めた。
「え、えーと?」
「あ、匂いをかいでいるんですよー」
隣にいた彼女の友人が、真剣そのもので私に説明した。
「匂いって……?」
「先生、わかりました。……これ、3年生のじゃないです」
「へ?!」
あっけにとられていると、さっきの友人が、そう?と彼女をのぞきこんだ。
そして、うなずいた彼女からセーターを手渡されたその生徒もまた、いきなりソレに顔をつっこんで、深呼吸をするのだった。
「……ホントだ。3年生のじゃないね」
「うん、ちがうでしょう?」
「先生、これ、2年生のだと思いますよ」
「さようなら-!」
…………。(えーと)
全然わからないんですけど!!!!(涙)
電子辞書
ウチの校則に、「学業に不要なものは校内持ちこみ禁止」というのがある。
よく考えるとなかなか微妙な校則だけど、もちろん、師弟ともによく考えてみたりはしない(倒)
そんなわけで、ゲーム機や音楽プレーヤーやマンガやトランプなどを学校にもってきてはいけないのだった。
といっても、持ち物検査をするわけではないので、ようするにカバンから出さなければ教員のツッコミが入ることはまずない。
だから、叱られるのは、そういうモノをぼーっと持ってきて、ぼーっとカバンから出して、ぼーっと使っているぼーっとした少年少女たちなのだった。
で、ウチのクラスのいちねんせい少年の電子辞書が没収され、担任の私のところに届けられた。
電子辞書そのものは禁止物品ではないのだけど、最近のソレは無駄に多機能になっていて、どうも音楽を聴くことができるらしい。
どんな音楽をどう聴けるのかは分からないが、とにかくその少年は教室でソレを使い、友人たちを大いに楽しませているところを、通りすがりの教員に見つかったというのだった(嘆)
帰りのHRをするために教室に入ると、早速その少年がとことこやってきた。
「せんせい、俺の電子辞書……」
なんといってもぼーっとした少年だから、放っておけば、ぼーっと単語だけでしゃべろうとする。
そのまま彼が口を閉じたので、私も口を閉じていた。
数十秒後、ようやく少年はもっとちゃんと説明しなければいけないのだ!ということに思い至ったらしく、再び口を開いた。
「せんせい、俺の電子辞書が没収されて、せんせいのところに届いていると思うんですけど」
「届いていません」
「え?!」
「あなたの音楽プレーヤーなら届いていますが」
「あ、それです、それ、電子辞書なんです」
「それは、辞書として使っているときの話でしょう。私が受け取ったのは音楽プレーヤーだと思います」
「いや、辞書なんです!」
「辞書で音楽は聴けませんね」
「聴けるんですよ、俺の辞書は-!」
しかたがないので、棚の国語辞典を少年に渡してみた。
「よくわからないですが、できるというのならどうぞ音楽を鳴らしてみてください」
周囲にいた少年たちが、馬鹿だなオマエなんで謝らないんだよー!と爆笑しながら忠告し、やっと少年はソレを「辞書だから違反ではない、返してほしい」と言い張るのが得策でないことに気付いたのだった(しみじみ)
少年はしどろもどろになんとか謝ろうとし始めたのだけど、やはり混乱しているからか、うまくいかない。
HRを始めなければいけないし、まあゆっくり考えてから来なさい、と席に着かせたのだった。
それが、かれこれ一昨日のこと(倒)
彼の電子辞書は職員室内の鍵のかかる場所で大切に保管してある。
保管したところで、なんとなく安心した担任はそのことをすっかり忘れてしまっていたのだった♪
なにぶん、ぼーっとした少年だから、彼もまたぼーっとそのことを忘れてしまっているのか。
それとも、どう謝ったらいいものか、まだ考え中なのか(悩)
明日、聞いてみなければならないのだった(しみじみ)<もし覚えていれば!<待って(涙)
金環日食その2<?
意外に晴れてるじゃないか(汗)と思った朝方だったけれど、7時を回ると、冗談のようにみるみる空が曇ったのだった(倒)
これは全然駄目だろうーと思うものの、生徒たちは結構集まっていて、わらわらグラウンドに出ている。
このまま見ることができなくても、朝からうきうき校庭を走り回るのは、それなりに爽快なのかもしれないのだった。
……が。
ちょうど、日食がリング状になる頃に、雲が微妙に動いたのだった。
あららら?と見上げていると、雲の向こうからうっすらときれいなリングが見える(驚)
#日食グラスをつけると、むしろ真っ暗(倒)
肉眼で見ちゃイケナイ、とはいうけれど(汗)
ということは、グラスを外して歓声を上げているいちねんせいたちを本当は叱らなくてはいけないのだけれど(汗)
まあいいか、とか思ってしまったのだった。
やがて、光が強くなってきたので、いちねんせいたちは嬉しそうにグラスをつけ、また騒ぐのだった。
実のところそうして太陽が見えたのはほんの僅かな時間だったのだけど、そもそも金環日食の時間自体が短いのだし、かなり運がよかったのだと思う。
よかったねーとしみじみしていると、他クラスのいちねんせい少女が大慌てて尋ねてきた。
「せんせい、せんせい、写真撮ってもいいですかっ?」
「だから、無理だってば、ってかそれより見ておいたほうがいいって、ほら、隠れちゃうぞー!」
と、私と近くにいた同僚はこれまた慌てて彼女に言った。
そして。
帰宅すると、夫がちょっと残念そうに携帯を見せるのだった。
画面の真ん中には、ひたすらまぶしく光る太陽が写っている。
「写真撮ってみたけど、やっぱりうまくいかなかったよー」
…………。(倒)<なんだかもう(涙)
金環日食
月曜日には金環日食!
……などということは誰も話題にしていなかったのだけど。
でも、文科省がいろいろ言っているからか(悩)、イキナリ、当日の朝は天気にかかわらず登校時間を遅らせる!という方針が決まったのだった。
いちねんせいたちに伝えると、反応が薄い。
とりあえず30分遅く登校してよくて、短縮授業になるのだから、「やったー♪」というリアクションを期待していたのだけど、どうもそうではない。
どうしたんだろー(汗)と思いつつ、日食を観測するときの注意、というのも伝えた。
今度は質問が続出した。
「せんせい、黒い下敷きじゃ駄目なんですか?」
「だめです」
「サングラスじゃ駄目なんですか?」
「だめです」
面倒になってきたので、言った。
「要するに、日食グラス、として販売しているモノしか使ってはいけません」
それについては一応、ネットでしつこく調べたのだった。
専用の道具を買わなければ絶対見ちゃ駄目、という説明で、とりあえずいちねんせいたちは納得した。
……が。
「先生!写真なら撮ってもいいですか?」
「へ?」
「日食グラスがない場合、見るのは駄目でも、写真なら撮ってもいいですか?」
「質問の意味がわからないんですが」
「えっと、だから-、携帯で写真をとるのはいいのかどうかわからないから質問して(おおまじめ)」
「あなたがどうしてわからないのかわからないですが、当然駄目です(涙)」
で、どうやら月曜日の朝は曇りらしいので、ちょっと残念だけどかなり安心しているのだった(しみじみ)<それでいいのか?(汗)
文節
ひさしぶりに口語文法の授業をするのだった。
いちねんせいたちは、中学入試を経験しているからか、微妙に文法についての知識をもっている。
でも、微妙なので微妙にしか役に立たない。
口語文法の授業は、まず言葉の単位から入る。
文章→段落→文→文節→単語、というアレで、メインは「文節分け」なのだった。
とりあえず、「ね」で区切るのが文節、と教える。
それで問題ない例だけですませばいいのだけど、実際にはそうもいかない。
たとえば、
彼女は花のように美しい。
は、
彼女は・花のように・美しい
と分ける。
「ような」は助動詞で、付属語だから、単独で文節にはなれないのだ。
…………。
みたいなことをいちいちやっていくと、ようするに文法をぜーんぶ覚えなければいけなくなってしまう。
だからほどほどのところで「まあこれ以上はあまり考えなくてもいいから!」と強制終了するのだった。
「じゃ、これからは試験に出さない、ってこと前提でいきましょう。何か例文を出してみてください。文節に分けましょう。意外に難しいですよ」
と、いちねんせいたちに振ってみると、早速、元気な少年が言うのだった。
「昨日、メシを食った!」
黒板に書く。
簡単だよー。という声が上がったので、じゃ、バリエーションいきましょう、と、続けて
「昨日、メシを食いました」
と書いてみたら、たちまちクレームがついた。「食う」に「ます」をつけるのはヘンだ!というのだった。
それはそうかも。と考えていたら、
「昨日、メシを食ったかもしれない!」
と声が上がった。
…………。
いや、それは難しいなー(汗)と躊躇している私に、いちねんせいたちは口々に言う。
「昨日ね、メシをね、食ったね、かもね、しれない!」
「あー、それは×です」
「昨日ね、メシをね、食ったかもね、しれない!」
「正解!」
問題は、なぜそれで正解なのかをどーやって説明するかということで。
が、悩む私をよそに、正解したいちねんせいたちは大喜びしているのだった。
「やったー!当たった当たった!」
福引きじゃないんだから(涙)
ハエ
昼休み、いちねんせいのお弁当のニオイがなんだか教室に充満していたのだった。
見ると、窓が全部閉まっている。
しょうがないなーと、何気なく窓を開けたら、すぐ後ろで「開けないで!」と悲鳴のような声がしたのだった。
なんだなんだ?と振り返ると、ひとりのいちねんせい少年が、必死、という形相でこっちを見ている。
「せんせい、開けちゃ駄目!」
「な、なんで?」
「ハエが!……ハエがっ!!!」
「……ハエ?」
とりあえず窓を閉め、少年とその周りの少年に話を聞いてみると。
さきほど窓を開けていたら、一匹のハエが、ふらあ~っと入ってきたのだという。
で、少年はハエが嫌いなのだった。
もう昼ご飯は終わっているみたいだし、いいじゃないかハエぐらい……と思ったのだけど、少年は真剣にびびっているようだし、そんな彼を前に、是非とも窓を開けてほしい、というような様子のいちねんせいもいなかったので、黙ってそのままにしていることにした。
やがて。
「せんせい、もう外で遊んでいいんですよね?」
と少年たちは私に確認すると、次々に廊下へ飛び出していった。
…………。
外にいるハエはいいのか別に(悩)
信用
授業がはじまってようやく一週間のいちねんせいなのだった。
一週間になるので、早速始まったのが
追試(倒)
で、昨日は英語の小テスト追試が告知された。
告知のシステムは、帰りのHRの際、合格者にのみ答案が返却される……というなかなかシビアなものだった。
なるほどこれならわかりやすいか?……なんて、思ってはいけないわけで。
いちねんせいA「先生!僕の答案が返ってきません!」
私「それは、あなたが追試になっているからです」
いちねんせいB「僕の答案、どこにあるんですか?」
私「追試会場にあります」
いちねんせいC「先生、私の答案が返ってこないんですけど……」
私「それは、あなたが追試だということです」
いちねんせいD「先生、あの、俺の答案、ホントにないんですか?」
私「……えーと」
だから、いいから追試会場に行け、とりあえず!!!!!(叫)
ともあれ、放課後、いちねんせいたちはわらわらと追試会場へ移動するのだった。
すると、しばらくしてふたりの少年がとことこ戻ってきた。
「先生、追試やってませんでした」
「どこに行ったんですか、あなたたちは?」
「○組の教室です」
「あー、それ、場所が違ってます」
さっき言ったばかりじゃないか(怒)と思いつつ、正しい場所を教えると、少年達は合点のいかない表情になるのだった。
「でも。……○組の教室だって言われて」
「行ってみたら誰もいないし、今日の追試は中止だ、って言われたんです」
「誰に言われたんですか?」
「……」
「私より信用できる人に言われたんですか?」
「……」
少年たちは迷っているようなのだった(倒)
#なんで迷うんだてめーら(嘆)
#ってか、今から信用がこんなんでだいじょぶなのか担任>自分(涙)
いちねんせいふたたび!
正しく数えるとふたたび、どころではなくて、えーと(悩)<いいから(嘆)
6年間おつきあいしたいちねんせいたちが、ほんとーにぎりぎりまで大学入試(国立後期!)をしていた(涙)ので、実際のところ、終わった、という実感もあまりないまま、気付いたら新しいいちねんせいを迎えているのだった。
ウチはあいかわらず、なけなしの進学校なのだけど、この6年間の間に微妙に入学するのが難しくなった……というウワサを聞いていた。が、信用していなかった(しみじみ)
……ところが。
たしかに、なんだか6年前とちがうようなのだった(悩)
あたらしいいちねんせいたちは、私が話をしていると、ずーっと黙って聞いている。
よく見ると、じっとしているのが少ししんどそうな感じの子もちらほらいるのだけど、それでもじーっと聞いている。
いつまでもいつまでも聞いている。
…………。(ええと)
だいじょぶですかいちねんせいのみなさん。
だまってると、いつまでもしゃべっちゃうモノかもしれないですよせんせいって(しみじみ)
なんて思うのだけど、もちろん、そんな感じなのも今だけ!に違いない。
それにしても、今だけ!の「今」があるだけでもなんだかスゴイ(汗)
とりあえず、明日は昭和の香り漂う遠藤周作のべたべたな下ネタを読ませて反応を見ることにするのだった!(踊)
#始めが肝心!<???