北畠具教卿胴塚・首塚(三重県多気郡大台町・松阪市) | えいきの修学旅行(令和編)

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 三瀬館からご覧下さい。https://ameblo.jp/mei881246/entry-12496890193.html

                   

                            北畠具教卿胴塚 
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瀬館前面の沢の向こうにある。
 天正4年(1576)11月25日織田信長の差し向けた刺客によって謀殺された、北畠具教卿の胴体が埋葬された塚。
 具教の首は家臣が、津市三杉町の多気の菩提寺に葬ろうと、宮川筋をさかのぼり馬を走らせたが、敵方の敵方の追撃も厳しく、大台町栗谷から尾放峠を越え、松阪市飯高町の野々口に埋葬された。(現地説明版より)
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の詠歌
「花におく霜も涙や染めぬらん  昔の春をしのぶ思ひに」
の標柱もたつ。
無念であったであろう。
 
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阪市飯高町の野々口にある具教卿首塚
 
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殉死された家臣達の名が刻まれている
 
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背後、方形にロープがはられ、立ち入りを拒む区域がある。古い小塚が寄り集まっている。
 
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  殉死された家臣達のお墓であろうか。もしくはこちらが具教卿首塚と殉死家臣のお墓で、前のは後世の供養塔か。
            
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場所
ここhttp://yahoo.jp/8Omc35を川沿いに入る
 
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ぐ右手に登り口
 
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なかなか山城並みの、しっかりした登り
 
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具教卿が、おわす様
 
もういちど地図でまとめます。
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三瀬館https://ameblo.jp/mei881246/entry-12496890193.html

 
 具教卿死の約100年前の文明十年(1478)建立と伝わる浄眼寺に、当時の伊勢国司北畠政勝の寿像が納められている。
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曹洞宗正法山浄眼寺
現建築物は、宝暦年間(1751~64)の再興。
 
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無外逸方(北畠政勝)寿像
北畠政勝は文明18年(1486)、入道して無外逸方と号した。
政勝卿存命中に、本人を前に描かれた可能性がある。
戦国北畠当主の姿
 
 参考文献 現地説明版
 
 次は、信雄が大河内城から移り大改修して居城した田丸城を。