北畠具教卿胴塚
三瀬館前面の沢の向こうにある。
天正4年(1576)11月25日織田信長の差し向けた刺客によって謀殺された、北畠具教卿の胴体が埋葬された塚。
具教の首は家臣が、津市三杉町の多気の菩提寺に葬ろうと、宮川筋をさかのぼり馬を走らせたが、敵方の敵方の追撃も厳しく、大台町栗谷から尾放峠を越え、松阪市飯高町の野々口に埋葬された。(現地説明版より)
先の詠歌
「花におく霜も涙や染めぬらん 昔の春をしのぶ思ひに」
の標柱もたつ。
無念であったであろう。
松阪市飯高町の野々口にある具教卿首塚
殉死された家臣達の名が刻まれている
背後、方形にロープがはられ、立ち入りを拒む区域がある。古い小塚が寄り集まっている。
殉死された家臣達のお墓であろうか。もしくはこちらが具教卿首塚と殉死家臣のお墓で、前のは後世の供養塔か。
場所
ここhttp://yahoo.jp/8Omc35を川沿いに入る
すぐ右手に登り口
なかなか山城並みの、しっかりした登り
具教卿が、おわす様
もういちど地図でまとめます。
三瀬館https://ameblo.jp/mei881246/entry-12496890193.html
具教卿死の約100年前の文明十年(1478)建立と伝わる浄眼寺に、当時の伊勢国司北畠政勝の寿像が納められている。
曹洞宗正法山浄眼寺
現建築物は、宝暦年間(1751~64)の再興。
無外逸方(北畠政勝)寿像
北畠政勝は文明18年(1486)、入道して無外逸方と号した。
政勝卿存命中に、本人を前に描かれた可能性がある。
戦国北畠当主の姿
参考文献 現地説明版
次は、信雄が大河内城から移り大改修して居城した田丸城を。