![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/7b/8c/j/o0314020914510061635.jpg?caw=800)
地区市民センターに隣接し、説明版、駐車スペースがある。http://yahoo.jp/EOy2xJ
背後の山が大河内城。
国道166号から、地区市民センター地点を西に入り、大河内城神社を目指す。
こちらが搦手口にあたる。
![イメージ 18](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/f9/12/j/o0231031414510061639.jpg?caw=800)
説明版より引用加筆
矢津川、阪内川に挟まれ、城の北で両河川は合流する。
城域西から南に沿って伊勢自動車道が走り、要衝の要害である。
大河内城は、応永10年(1403)頃、北畠満雅によって築かれ、永禄12年、具教が本拠多気より移り、織田の大軍を迎え撃った城。織田方5万の大軍に北畠1万の軍勢で籠城、抗戦50日に及ぶ。マムシ谷で激戦が行われ、戦闘は織田方の敗戦であったと伝わる。北畠は、信長次男信雄を養子に迎え、和睦することになるが、具教は三瀬館に隠棲、以後北畠は信雄側近が主導することになっていく。天正3年、田丸城に移るまで信雄が居城した。
大手口にみえる近代的な大枡形は、私には信長次男信雄の居城としての威容を誇る普請に見えた。
![イメージ 11](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/6f/2e/j/o0314020914510061645.jpg?caw=800)
搦手口
大河内神社を目指します。
旗がいい。
![イメージ 19](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/b1/a3/j/o0314020914510061652.jpg?caw=800)
途中、左斜面に搦手門の石柱あり
![イメージ 20](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/cc/5d/j/o0314020914510061659.jpg?caw=800)
愛馬奥石垣の上が二の丸
左に南尾根との堀切
二の丸に入らず、正面に進むと、城の北端大手口に至るが、後ほど(その2になると思います)。
先に二の丸から本丸方向、城内に進みます。
![イメージ 23](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/28/a1/j/o0314020914510061668.jpg?caw=800)
二の丸前面(東面)はこの崖
織田の大軍を寄せ付けないであろう。
![イメージ 21](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/b8/da/j/o0314020914510061670.jpg?caw=800)
石垣上 忠魂碑が建つ二の丸
![イメージ 22](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/b1/a8/j/o0314020914510061674.jpg?caw=800)
右手にも広大な二の丸が広がる
左に折れ城内へ
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/2d/a6/j/o0314020914510061678.jpg?caw=800)
正面が本丸切岸
左に御納戸、右に馬場と、広大な郭が構えられている。
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/10/2f/j/o0314020914510061680.jpg?caw=800)
右手 馬場
![イメージ 4](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/ad/17/j/o0314020914510061688.jpg?caw=800)
左手 御納戸
二の丸・馬場と広大で、大軍勢の収容・籠城が可能である。
![イメージ 5](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/af/28/j/o0314020914510061695.jpg?caw=800)
切岸につきあたり、左へ折れ、まわりこむように南から本丸へ入る。
石垣は城遺構か、神社遺構かわからない。
このルートも、城道であるかはわからない。
![イメージ 6](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/5f/cb/j/o0314020914510061702.jpg?caw=800)
本丸城戸のように鳥居
![イメージ 7](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/74/6b/j/o0314020914510061712.jpg?caw=800)
大河内城本丸
大河内神社
![イメージ 8](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/e1/f4/j/o0314020914510061718.jpg?caw=800)
本丸東切岸下 二の丸から向かってくる道を見る
土橋のように見えるが、左の馬場との高低差はない。右の御納戸は低い。
![イメージ 9](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/97/10/j/o0314020914510061724.jpg?caw=800)
本丸北下 段郭
段伝いに二の丸にも降りることができたかもしれない。
![イメージ 10](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/0d/db/j/o0314020914510061733.jpg?caw=800)
本丸西 堀切で隔て、西の丸がある
![イメージ 12](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/c2/b6/j/o0314020914510061739.jpg?caw=800)
左は深い谷
![イメージ 13](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/91/8b/j/o0314020914510061744.jpg?caw=800)
本丸と西の丸を隔てる堀切を渡る橋
堀切って、鞍部と両谷の上部を繋げている。
右の谷はマムシ谷上端。
ここには橋があったかもしれない。
左は深い谷が迫るが、右のマムシ谷は狭くなってはいるが、谷底から緩やかにあがってくるようだ。
![イメージ 14](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/0c/c7/j/o0314020914510061749.jpg?caw=800)
マムシ谷
織田勢が伝い攻め入ろうとしたのがここで、激戦地と伝わる。
谷底から伝いあがってこれるようだが、狭く、西の丸、本丸両側から頭上攻撃を受ける。
突入を試みた織田勢の多くは討死し、侵入は成らなかったようだ。
![イメージ 15](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/09/fb/j/o0314020914510061757.jpg?caw=800)
橋を渡ったところ
郭は一段高く設けられている。
![イメージ 16](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/5a/f1/j/o0314020914510061762.jpg?caw=800)
南から回り込むように入ると西の丸
![イメージ 17](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/e5/a6/j/o0314020914510061775.jpg?caw=800)
西の丸北にも段郭がある。
二の丸ー本丸ー西の丸は神社が鎮座し、歩きやすいが、遺構は改変をうけているかもしれない。
その2では、草の中の大手口を辿ります。
参考文献 三重の山城ベスト50を歩く