大河内城(三重県松阪市大河内町城山) | えいきの修学旅行(令和編)

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地区市民センターに隣接し、説明版、駐車スペースがある。http://yahoo.jp/EOy2xJ
背後の山が大河内城。
 国道166号から、地区市民センター地点を西に入り、大河内城神社を目指す。
こちらが搦手口にあたる。
 
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説明版より引用加筆
矢津川、阪内川に挟まれ、城の北で両河川は合流する。
城域西から南に沿って伊勢自動車道が走り、要衝の要害である。
 大河内城は、応永10年(1403)頃、北畠満雅によって築かれ、永禄12年、具教が本拠多気より移り、織田の大軍を迎え撃った城。織田方5万の大軍に北畠1万の軍勢で籠城、抗戦50日に及ぶ。マムシ谷で激戦が行われ、戦闘は織田方の敗戦であったと伝わる。北畠は、信長次男信雄を養子に迎え、和睦することになるが、具教は三瀬館に隠棲、以後北畠は信雄側近が主導することになっていく。天正3年、田丸城に移るまで信雄が居城した。
大手口にみえる近代的な大枡形は、私には信長次男信雄の居城としての威容を誇る普請に見えた。
 
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搦手口
大河内神社を目指します。
旗がいい。
 
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途中、左斜面に搦手門の石柱あり
 
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愛馬奥石垣の上が二の丸
左に南尾根との堀切
二の丸に入らず、正面に進むと、城の北端大手口に至るが、後ほど(その2になると思います)。
先に二の丸から本丸方向、城内に進みます。
 
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二の丸前面(東面)はこの崖
織田の大軍を寄せ付けないであろう。
 
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石垣上 忠魂碑が建つ二の丸
 
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右手にも広大な二の丸が広がる
左に折れ城内へ
 
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正面が本丸切岸
左に御納戸、右に馬場と、広大な郭が構えられている。
 
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右手 馬場
 
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左手 御納戸
二の丸・馬場と広大で、大軍勢の収容・籠城が可能である。
 
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切岸につきあたり、左へ折れ、まわりこむように南から本丸へ入る。
石垣は城遺構か、神社遺構かわからない。
このルートも、城道であるかはわからない。
 
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本丸城戸のように鳥居
 
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大河内城本丸
大河内神社
 
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本丸東切岸下 二の丸から向かってくる道を見る
土橋のように見えるが、左の馬場との高低差はない。右の御納戸は低い。
 
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本丸北下 段郭
段伝いに二の丸にも降りることができたかもしれない。
 
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本丸西 堀切で隔て、西の丸がある
 
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左は深い谷
 
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本丸と西の丸を隔てる堀切を渡る橋
堀切って、鞍部と両谷の上部を繋げている。
右の谷はマムシ谷上端。
ここには橋があったかもしれない。
左は深い谷が迫るが、右のマムシ谷は狭くなってはいるが、谷底から緩やかにあがってくるようだ。
 
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マムシ谷
織田勢が伝い攻め入ろうとしたのがここで、激戦地と伝わる。
谷底から伝いあがってこれるようだが、狭く、西の丸、本丸両側から頭上攻撃を受ける。
突入を試みた織田勢の多くは討死し、侵入は成らなかったようだ。
 
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橋を渡ったところ
郭は一段高く設けられている。
 
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南から回り込むように入ると西の丸
 
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西の丸北にも段郭がある。
二の丸ー本丸ー西の丸は神社が鎮座し、歩きやすいが、遺構は改変をうけているかもしれない。
 
その2では、草の中の大手口を辿ります。
 
参考文献 三重の山城ベスト50を歩く