川中島をめぐる甲越の舞台のいいところ | えいきの修学旅行(令和編)

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 三重県の北畠関連、大河内城、三瀬館、田丸城と書きたく、また週末連休は晴れそうで鳥取まで織田の陣城みに遠征を企てていて、馬念さんに連れられ踏み歩いた川中島のあの舞台を書くのは随分あとになりそうなので、うっとり魅せられた私の心を乗せて写真を簡単に公開しておきます。
 
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                   桝形城南前線となる三郭南横堀線
 
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                  その内側、堀線に土塁を構えた三郭
 
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                  桝形を三重に連ねた主郭への登路
 
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                           桝形城主郭
 
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桝形城登山道から眺望
 桝形城ー善光寺ー八幡原ー海津城ー鞍骨城がほぼ一直線に結ばれる。
 桝形城の意義がここにあるか。
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                          素の写真

      桝形城のとなりにある大峰城へ
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 このような建物が建てられたことを軽蔑していましたが、大峰城、侮ってはいけません。遺構が見事に残ります。
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                  主郭北直下堀切 横堀から竪堀に変化する
 
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                          三郭南 堀切ア

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妻女山から尾根伝いに天城城、鞍骨城を目指しました。
 
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                       天城城主郭古墳石室
 
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                        鞍骨城前線  堀切ア
                           遮られ、喜ぶ私達
 
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                                 鞍骨城

長野市歴史博物館第56回特別展へ
真田と大日向の展示でしたが、私は真田より大日向でした。
以前書いた大日向氏 ★大日方館別名根古屋館http://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/13541305.html
 
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 川中島をめぐる甲越の争乱の最重要衝、上杉方葛山城の落合氏調略を落合氏菩提寺静松寺に働きかけた武田晴信の書状   展示、活字もほしい…。
   弘治3年(1557)の冬、雪で越後からの援軍の叶わない2月15日、武田は静松寺を通じた落合一族の分断を画くし急襲、葛山城を落とした。城主落合氏は討死した。これが第3回川中島合戦の発端となる。
 
馬念さん、ありがとうございました。