ケバありませんが、宮坂武男著 信濃の山城と館5を参考に土塁と堀の概念図を作図しました。
その2では主郭の後部を守る堀切群を辿ります。
トライアングルの堀普請は、髻山城にもみられる。武田の同時期普請技術であろうか。
主郭北東虎口から出ます
土塁、高さのわり(低い)になかなか分厚く、すぐ二重堀切かと思いましたが、小郭のようです。
低いが分厚い土塁
土塁下小郭
小郭下 堀切ウ
竪堀となって降る落ちている
写真、よくわかりませんが、堀ウの西斜面竪堀にはやや小さい竪堀キが並走します。
堀ウ南東側 いい竪堀
堀切ウを越えて、主郭側を振り返る
堀切ウの先、尾根上はトライアングル堀切の頂点で、竪堀エ、オが発する。
竪堀エ
トライアングルの底辺となる北西の尾根との鞍部
竪堀オを下から
トライアングル北底角
線無し
もう一枚
搦手道を搬送された物資はここから搬入されたのか。
竪堀キとウが並走するところを下から
塩田城(南から)
麓の塩田集落には、上町屋、下町屋などの屋号が伝わり、城下集落の存在を思わせる。
塩田川対岸の青木城という館城には牛山道賢が居城したと伝わり、塩田城と関連があったと思われる。
武田滅亡後、家康へ属した伊那衆のなかに汐田左近の名がある。
参考文献 宮坂武男著 信濃の山城と館5