中村山城(氷見市中村) | えいきの修学旅行(令和編)

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この記事は2013年に書いた記事です。
2022年に書き改めた記事を貼ります。
 
中村山城
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 中村山城は、栖吉長尾を中核とする謙信の北陸方面軍が、湯山城とともに氷見地域を制圧し能登に向かう拠点とした城で、栖吉長尾の長尾左馬助が城将として居たという。
 謙信が氷見を制圧した天正4年9月頃から天正7年3月(越後国内にいる長尾左馬助宛景勝書状がある)までの間のことと思われる。
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 大規模な鋭い切岸と堀切、畝状竪掘など、「遺構の保存は良好であり、氷見地域に残る上杉支城の典型として…」と、氷見市教育委員会発行の氷見の山城に記されている。
 山頂のA郭・B郭・F郭の主要部(白)、その下に二段目のC郭-H郭・I郭-G郭(ピンク)、その外に畝状空堀群などの三段目(黄)の防御線を配しています。
 たしかに保存は良好かもしれないが、すごいでした。
 あまりいい写真撮れなかったのですが、藪を踏み、掻き分け、執念で撮った写真を、お見苦しいかもしれませんが紹介します。
 縄張図下方から尾根伝いに踏み込みました。
 
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ここから突入
 
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尾根端伝いに行けそうで、期待に胸が膨らんでいます。
 
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両側はすでに鋭い切岸
 
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こう
 
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J郭あたり
 
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I郭の切岸
J郭とI郭間には大堀切があり、二段目と三段目の防御境のようです。
 
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J-I間の大堀切
 
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堀底
 
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I郭H郭西下
藪が本格化
 
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左に折れ登るとH郭へ、直進し右に折れると東エリアにまわりこませないように竪堀13が掘られています。
この構想は上杉後期の特徴かもしれません。
 
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竪堀13
 
H郭へ
 
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H郭
藪ではいれませんでした。
右上にまわりあがり山頂主要部A郭へ
 
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藪ですが、いちおうA郭への虎口
 
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A郭
左にH郭からの虎口
A郭は北にB郭に続き(藪でふみこめません)、東に長方形に伸びます。
 
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A郭東にのびる長方形部
左、北面は崖
 
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A郭の東、F郭
土塁が残る
 
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F郭南の鋭い切岸
これが主要部と二段目の境
 
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二段目となるF郭切岸南下
奥がG郭
 
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F郭を見上げる
鋭い
 
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G郭
 
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二段目と三段面の境、G郭東の大堀切
この大堀切の右側斜面には畝状空堀群を配している
 

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大堀切の北斜面
畝状空堀群
 
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城域西の三段目にも畝状空堀群が配されています。
 
中村山城、執念で撮ってきました。
参考文献 氷見市教育委員会発行 氷見の山城