小鷹利城(飛騨市古川町信包) | えいきの修学旅行(令和編)

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小鷹利城遠景 
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 姉小路氏三家の向家(小鷹狩家)に属する城とされ、小鷹利伊賀守の居城と伝わる。戦国期、家臣牛丸又太郎重親が幼年の城主、向右近を追い、横領したという。向右近は常陸佐竹家に逃れ、佐竹家家老格の家門として明治維新まで続く。
 後、三木氏が、金森軍の侵攻に備え湯峯峠口を固めるために改修、後、三木を滅ぼした金森氏によりさらに改修された可能性もある。
 
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旧古川町と旧河合村の境界地点に小鷹利城登り口の石柱があります。
この先が湯峯峠
 
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登り口から彷徨うに随分(30分程)歩き、ようやくA付近に辿り着きます。
ちなみに私は3度ほどあきらめかけました。
 
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お、あれだ!
 
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畝状竪堀が、鞍部には二重堀切が、私を阻む!
 
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二重堀切
 
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畝状竪堀群のひとつが、登城路になっていて、竪堀群の上端ラインが城戸になっていたかもしれません。
 
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切り口 
畝状竪堀群の上端ライン
ここだけ城戸であろうか。
 
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はいって左側
横堀の前面は土塁状になっている
 
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側 畝状空堀群上端ライン
こちらは土塁状になっていない
 
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二郭北下の郭をひっかけて二郭へあがる
この付近からみる、さきほどの畝状竪堀群がいい。
 
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彷徨っていた淋しさが吹き飛んでいます。
 湯峯峠方向の西斜面に畝状空堀群、そこに張出から横矢をかけ、南斜面に横堀と土塁を備えた③三郭を配し、湯峯峠から寄せる敵に対し厳重に備えている。 
 
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二郭へ
 
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二郭から主郭をみる
二郭は北、東(畝状竪堀群の上面)、南を囲う。
 
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①主郭
 
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主郭西下の二郭
畝状竪堀群を真直ぐ登ってくる敵を上から撃つことがえきる。
 
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主郭から二郭の南部
左端に土塁が張出すようにある。
主郭と二郭を接続する土橋か、櫓台か。
 
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二郭南東隅から三郭へは、出て左に折れ降り、右に折れ繋がる。
さらに三郭で左に折れ東尾根へ出る虎口に繋がる。
なかなか絶妙な通路と虎口。
 
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右に折れ三郭へ
 左の竪堀状にみえる掘り込みが、東の尾根への虎口で、東尾根の麓には、「桜の御所」と称する城主下屋敷があったらしい。
 
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東の尾根
東の尾根の南斜面には、竪堀が2本走る(写真は1本)
 
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三郭
南面は土塁が盛られ、その下には横堀が掘られている
奥の南西部は張り出すように出、畝状竪堀群のある西斜面に横矢をかけることができる。
また、南西下は堀切で切られてる。
 
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土塁から南斜面、下に横堀
 
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三郭南西の張出部
南西端に土塁、その下に堀切
北に向かい(右)、畝状竪堀群のある西斜面に横矢をかけることができる。
 
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南西端下 堀切
 
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張出により、西斜面に横矢をかけることができる
 
 このように、小鷹利城は湯峯峠方向の西と南に厳重な防備を施し、湯峰峠から寄せる敵に対し厳重に備えている。その普請技術は、小鷹狩家時代ではなく、金森軍に対する三木、もしくは三木氏を滅ぼした後の金森氏による普請であろう。
 
 参考文献 岐阜の山城ベスト50を歩く 現地説明版