甲信越の厳しい戦国情勢の中を生きた信濃の武士たちの典型的な山城、鳥屋城、中山城をづづけて書いたので、こんどは「越後の村の城」を紹介します。
本記事は、横山勝栄氏による「新潟北部の中世小型城郭について」を基にしています。
以下の特徴の、小型城郭、荒川口城と大沢城を紹介します。
〇交通上の重要な地点ではない収穫量の少ない山村の、集落に近接した小山の山頂部に平坦面、切岸、堀切をもうけている「城」であるが、他の城と連携した連絡中継としての役割や、本城ー支城といった関係、境目の監視等の、いわゆる武士たちの城の要素が見いだせない。
〇山城だけが単独で存在し、その近隣に一部の有力者の本拠点といわれる居住施設、いわゆる居館や根小屋を持たない。
荒川口城と荒川口の集落
瀬波群絵図では、あら川口村は縄ノ高 合参拾四石七斗五升五合五夕とされている
山北町史より引用
南の中腹まで林道で入れます。
林道から山上をみる
もちろん、ここから道はありません。
西の尾根に取り付き、登ります。
堀切があります。
西の尾根の堀切
切岸と小削平地
山頂部
南斜面
自然地形かもしれませんが、帯郭にも見える小削平地が巻く
技巧的な普請ではないが、たしかに城である。
次に大沢城へ
大沢集落と大沢城
瀬波群絵図では、大沢村 縄ノ高 合九拾四石三斗九合三夕
集落のお宮さん背後から登ります
山北町史より引用
社殿背後、桟敷段
城郭遺構かは、?
尾根伝いに登ります
道はありませんが、険しくはない。
山上部まえ郭まえの切岸
堀切
山上部まえ郭
山頂部
西下、帯郭様の小削平地
山頂奥
背後にも堀切がある
なんと二重堀切
その奥にさらに箱掘状の堀
信濃の武士の城、鳥屋城・中山城と比べてみると、むらの城の雰囲気満々な気がします。
荒川口城、大沢城、いずれも城主名は伝わっておらず、以下横山氏論文より
戦闘行為以外の集団で行動する機会に集合し、集会し、あるい非難し逃避する場面で主として使用される施設としての性格をもった場としての側面にこそ存在意義を認めなければならない。 中略 在地居住者にとってその存在が常時、不断に視覚され、意識される性質のものであり、16世紀半ばにおいては集落形成の構成要素しての位置を有し、きわめて日常性のつよい施設であったと言えるのである
これぞまさに、越後の村の城。
参考文献 横山勝栄 1988「新潟北部の中世小型城郭について」
山北町史