中村城本編2:北西先方の防御施設 | えいきの修学旅行(令和編)

えいきの修学旅行(令和編)

えいきの修学旅行を綴ったブログです(ヤフーブログから移設しました)。

参考文献…略記は本編1に同じ

中村城本編1:城中枢 | えいきの修学旅行(令和編) (ameblo.jp)

中村城平面図(氷見市56より切り取り引用・赤加筆) 上方が北 スケールは本編1に掲載

本編2では、北西の尾根先方の防御施設を辿ります。

 本記事で先方完結の予定でしたが、盛りだくさんになたっため、南、東の先方は本編3に別立てします。

 北西は、主郭切岸下に郭Fを置き、外周を堀切12で遮断、その南に畝状竪堀群7-11を設け侵入を防ぐ。堀切12と連続竪堀14に挟まれた郭F北尾根は、防御施設が無く、氷見市56では搦手の可能性を指摘している。 

 

 

主郭北西壁下に郭F

矢になりそうな竹に武門の痕跡を感じる。

北西下方に郭Iを監視

 

その西に連続竪堀14を俯瞰

 

F北西辺縁には堀切12に沿って土塁が設けられている

高さは60~70㎝

 

天端幅が160㎝と広く、郭内から堀底に見通しは効かない

堀底を見下ろすには、土塁上が陣地となろう。

堀切12(後で降ります)

 

F南は、先に突入を試みて成らなかった帯郭がDに繋がる

しかし、こちらからも突入はならず、横堀か否かの判断はできなかった。

 この帯曲輪は、畝状竪堀7-11への上方監視が効き、畝に嵌り、行動を制限された敵兵に迎撃を加えることができる。

 

 

北西外周へ降ります

 

I北東の尾根は堀切14で遮断

 

連続竪堀14

上端付近で上幅約7mと測った。

上杉の畝状竪堀の規格よりも幅広で、ガバっと掘った形状。

西の

 

 

搦手尾根

防御っ施設はなく、氷見市56では、柿谷地区から清水を運び上げていた伝承と繋げている。

 

柿谷集落へ至る

 

遮断構造は敷設されていないとはいえ、上方には郭F切岸壁が聳え、監視する。

 

堀切12

遮断堀切で、上幅約16mと測った。

中央に土橋。

土橋

測ったところ、幅約1m、長さ約8m。

しかし内壁は斜度45~55度の急壁で、とても登ることはできない。

郭F側内壁  

上方監視は受けるが、横矢を変えるような造作はない。

 

土橋の先約00mに郭Jがある(同時期の一体となった構造ではないようなので掲載せず)。

 

12南西 この左側斜面には畝状竪堀群が敷設されている

対岸から

 

下方から12

 

まず一条畝って竪堀があるのだが、氷見市56図では畝状竪堀群には含めていないようだ。

 

これは幅6mほどで、規格外、あるいは竪堀とはとらなかったのか

 先の連続竪堀14と、これはほぼ同規格(幅広)で、これから掲載する畝状空堀群7-11とは別規格(幅少)と分類できそうだ。

 

この先に5本…

 

 

行く

 

畝状竪堀11(以下番号のみ)

 

10

 

畝って9

 

8

8と7はトレンチが設けられ、発掘調査が行われた。

氷見市56によれば、Ⅲ-1・2トレンチで表土から約35㎝で地山が検出された。

 

7

Ⅲ-4トレンチで表土から約85cmで地山が検出された。

上方

Ⅲ-3トレンチでは表土から約35㎝で地山が検出された。

 

畝の後背は、壁があって上に横堀状帯郭

(2023.2.23横堀確認、25日本編1に追補)

矢になりそうな竹が、素敵である。

上杉の弓矢の痕跡か。

 

 

本編3に続く。