越中升方城
この城は2012年に佐伯先生のルート設定(佐伯哲也(2012)『越中中世城郭図面集Ⅱ』、桂書房,p.38)をもとに書いた記事がある。
12年も前か…
★升方城その2https://ameblo.jp/mei881246/entry-12496885006.html
★升方城その1https://ameblo.jp/mei881246/entry-12496884979.html
しかし 城の外周の備えが抜けていた。
修論で扱ったので私らしくいきます。
ただし皆様のストレス軽減のため従来よりも文字少なめを心かけます。
今回3は馬出(その1と一部重複)と横堀と畝状竪堀。
次回4は尾根の処理。
馬出と城側切岸際の横堀
塹壕状で馬出内に見通しが効くが、郭内侵入されてる状況で射撃するか?と私は思う。
切岸に取り付かせないための構造か。
もしくは上方郭からの射角調整か。いまいち用途がわからない。
馬出内
土塁がないので、織豊ではなく上杉の外張だろう。
外張への入り
登坂負荷がかかり、斜めに入る
導線に横矢は効くものの、枡形造作はない。
北西横堀線との竪堀区切り
横堀
北西横堀線
深いところは前斜面に見通しは効かない。
横堀前面塁線上
横堀内から見通しが効かないところは前面塁線上が陣地状。
東に向かって前面塁線は狭く低くなっていく
横堀も浅くなる
このあたりからは横堀内から前斜面に見通しが効き、射撃運用可。
東から
これは横堀射撃陣地だろう。
後背切岸上にジクザク導線と出入口開口あり、退出路も確保されている
しかし、この横堀線の北東は畝状空堀群が敷設されている
同ラインで横堀射撃陣地と畝状竪堀群って、運用が異なる。
私はこれを時期差、構築者の違いとした。
私の見解:横堀射撃陣地は佐々もしくは前田の構築で、外張と畝状竪堀群は上杉の構築と考えている。
越中、能登の上杉使用城郭で横堀射撃陣地があるのはここと増山の孫次山砦と御所山屋敷の北。他上杉使用の山城の横堀は見通し不可に加え退出路無く射撃運用否定。孫次山は増山の外を守る砦で、御所山の北横堀線は増山城の最外郭に位置する。上杉の後に構築されたと考えた。升形の横堀も畝状竪堀群で斜面を潰す上杉の普請の後、射撃陣地を設けたい場所に畝状竪堀群を潰して構築したと考えた。
後述する南の畝状竪堀西端上部横堀も別用途だが畝状空堀群を潰して造ったと考えている。
わかりにくいですが畝状竪堀
南斜面に飛びます
南斜面の畝状竪堀
これでもかってぐらいある
ここから私の見解
畝状竪堀の上端に土塁を設け、横堀状としたところ
越後のこういった施設は畝状竪堀を狙う横堀射撃陣地とされる。
しかし私は異なる見解。
この城のこの構造は、南西下方の郭の出入口前に出撃する兵の屯する区画とするために畝状竪堀の上端部を潰して土を除けたものと考えている。遺構の切り合い関係とした。
撮影日異なる下写真の方が保有区画がわかりやすい
この空間から竪堀通路を下り、出入口を攻撃する敵を襲撃する
竪堀通路
出入口前に降下する。
出入口前、舗装林道が通る
もの好きなかたはぜひ現地行ってみてください。
出入口前
下ってくる竪堀出撃路