えいきの修学旅行(令和編)

えいきの修学旅行(令和編)

えいきの修学旅行を綴ったブログです(ヤフーブログから移設しました)。

 人生の転機にはだいたい美濃にいる。月芳さんと。

 佛大の研究報告と論文諮問とも済んで、4月からは新しい大学でのスタートとなる。その前にやはり美濃へ行ってきた。月芳さんと。

 私の専攻がいちおうの文献史学から考古学への転換で、その心境の整理も兼ねて考古学的な修学旅行コースを月芳さんと徘徊。

 

 〇土岐の元屋敷陶器窯跡(写真撮り損ねたのか、ない…)

  遺物から年代を導くためには窯関連の勉強が重要になる。

 〇鷺山城

  土橋と石垣が出土したって情報があったので。

 〇とんかつおやじさんのお店

  お城のブログ楽しませていただいているとんかつおやじさんのお店で昼食。

 〇加納城

  徳川初期の石垣実見。作手の奥平信昌関連でもある。

 〇各務原の野口館

  発掘後は消滅するそう。

 〇恵那泊

  18歳、大学進学でふるさとを離れ名古屋へ引っ越すとき、家族で恵那峡温泉に泊まった。

  恵那に泊まると、その時の両親の気持ちとその後の私の歩んだ人生の双方を想い、感謝とこれからもの精進を誓う機になる。人生の転機にはそれもあって恵那に来てしまうのかな。

 

鷺山城から金華山

 

鷺山城の畝状竪堀

 

土橋と石垣

 

 とんかつおやじさんのお店

 やわらかいとんかつと味噌の味、美味しさ遠征の甲斐あり!

レジの横、スタッフにおこられないのかしら。

 

 

中山道加納宿町づくり交流センター

石垣

主郭出枡形

 

野口館

 

とんかつおやじさん、月芳さん、ありがとうございました。

 

 

 といっても目指す所は一緒ですが、先日R大学の大学院を受験したところ、受け入れてくださいました。4月から考古学でもう一度修士課程に挑みます。

 今までと同じく京都なので(けっこう隣)、ひきつづき京都往来を楽しもうと思います。

 ついていけない場合は苦難となる可能性もありますが、それも楽しみです。

 そう受け止め向かうことができるのも、10年に及ぶ佛大での修練のお陰です。

 56歳の誕生日、大雪のさなかに京都へ向かう。このような人生、想ってもみなかった。
 朝、ガーミンの時計が誕生祝いのメッセージを表示。君(時計)だけ。
 うれしかったぜ。

 9月から京都ー上越を週2往復で満喫した佛教大学の秋学期が今日で終了。といっても大雪の影響でサンダーバード終日運転取りやめが事前に告知され、今日の上洛は断念。本来なら木曜3講時の社会経済史と4講時の地域文化演習Ⅰの15回目講義を受講して終了の予定だったが、このようなエンディングになった。

 社会経済史は私が10年来お世話になってる教授(指導教員)の専門分野で、流通とか経済的な視点で歴史を考える授業。15回目なので新しいことよりも振り返りが主だったと思う。地域文化演習はこちらも私が修論の諮問以来お世話になっている考古学の教授の講座で、学生が任意の遺跡の発掘調査報告書にもとづいて発表を行うという授業。自分の対象とは異なる各地の遺跡を取り上げるので、自分からは気にも留めない各地の遺跡を修学旅行するような感じで見聞でき、視野が広くなった。学生たちのパワポのレイアウトやアナウンス、自分とは違うアイデアでの構成に学ぶことも多かった。じつは私の発表は今日が予定日だったのだけど、12月11日に空きがあって急遽済ませてしまった。越中太田本郷城。で司会の当番が当たって(残って)いたが、行けませんでした。教授に代役を頼みました。

 3月末まで佛大に籍はあり、2月末「越後上杉氏による越中松倉城の改修」の諮問と3月末年間研究報告書の提出があるが、京都週2往復の通学は終了。修士までは通信だったのと、研究って結構孤独な世界で暗闇に陥りがちになる。大変だったが、先生方や学生達と毎週会えるってことで気持ちを明るく維持できていた。充実と明るい京都だった。

 だから京都ロスが心配。2024年秋学期からの研究員、松たか子の「夏の記憶」と共にあった。最近は頸城の友達の推しでもある倉木麻衣を聴くことも多い。徐々に新しい人生に成ってきている。

 ちなみに今日は京都取り止めで、2024秋学期に受講させていただいた考古学概論の授業資料を4回分復習。今週はこれ。その後自宅と道場周辺の除雪、新パソコンの下見、ウエイト、溜まっている論文読み。けっこうやることはある。

 2025年は2月に頸城でコンサートがあったので、その準備、リハーサルから明けた一年でした。寂寥と心が残る心境で、頸城の皆様の前に立つ機会を得たことを励みに準備しました。想像をはるかに超える頸城の皆様の暖かい眼差し、拍手に包まれたあの日、母(両親が永野薬品を創業)と次女共々、信義なき輩に踏み躙られた無念が癒されました。きっと見えないお陰様でどなたかが頸城の皆様へお声がけ(動員)くださったのでしょう。ありがとうございました。6月には頸城でのバスツアーのガイドも務めさせていただき、父の墓前に報告しました。

 佛教大学で繰返し説かれる仏教の教えは、恨みを捨て、執著を離れることです。憤り、恨みなどは自分を苦しめるだけで、それを捨てれば楽になり、幸せが付き従うと説かれます。そうだと理解してはみても、あの頃の心境に比べれば随分癒えているのですが、どうしても未だに湧いてきてしまいます。

 教えを深めることと一心に勤めを果たすことで消滅させたいものです。

 その勤めである学業と空手と薬剤師バイト、私の不安定な心とは裏腹にあまりにも充実しています(空手と薬剤師の話はややこしくなるので止めておきます)。

 学業は佛大で考古学の学部と文学研究科研究員として在籍させていただいており、学部のほうは履修、論文とも済んで予定通り来春卒業の見込み、研究員としての研究はやや歴史地理と考古学に寄った感じの手法で進み、また特権である院、学部の聴講を文献史学、考古学、仏教学までも貪るように受けさせていただきました。来春以降は新たな境遇を模索しており、佛大で研究員を継続させていただいて(聴講はひとまず終了)論文等での研究成果の発表、あるいは考古学の学業積み増しのいずれかになります。これは運、縁に委ねようと思います。娘2人の学業は私の子にふさわしくないほどの成績で、感心しています。よほど努力しているのでしょう。

 土曜の集中講義や学祭と授業の合間に関西の著名な城をターゲットに見聞を広める修学旅行ができました。摂津飯盛山城、近江上平寺城、弥高寺、観音寺城、播磨感状山城、白旗山城、置塩城、赤穂城、備前岡山城、安芸三原城、新高山城、高山城など。夏休みはフェリーに乗って北海道厚岸も。福島長楽寺も幸運に恵まれました。自分のフィールドとして越中、頸城の友達とも北信、地元、越後各地を巡りました。執筆もあり、頸城の茶臼山には今月だけで4回も行ってます。

 これほど充実しているのに心底楽しめない、満足できないのは、執著の為せる業でしょう。

 繰り返しますが、教えを深めることと一心に勤めを果たすことで消滅させたいものです。

 皆様、本年もありがとうございました。良い年をお迎えください。

 

葛山と旭山のツーショット(鞍骨も)

 

飯盛山城からの大坂絶景

 

同今城塚古墳

私が佛大でお世話になっている考古の教授ゆかりの古墳。

ここ、結構よかった。

 

新高山城と高山城

 

頸城でのコンサート

定員50名で締め切ったのですが、64名お集まりいただいたそうです。

 

バスツアー出発前の頸城区総合事務所(旧頸城村役場)

 頸城区観光協会だりよりVol.30(頸城区環境協会HPより引用)

【観光協会だよりvol.30】発行しました | 頸城区観光協会 | 新潟県上越市頸城区へお越しください!

 

以下白鳥さん撮影

茶臼山城

 

 

 

おまえ、幸せだろう。

 

 M城の論文がひと段落ついて、来年6月締切りの原稿を書いている。頸城のCha、吉川のI、佐渡のO城で、ここ10年来なじみの城たちである。佐渡はだいたい済んで、頸城と吉川に取り組み中。図化と最終確認は降雪直前にする予定で、その下準備に今月から頸城の友達と手嶋中島の区長さんへの聞き取りや、足慣らしがてら藪具合とGPSの精度確認を行っている。吉川は春先にも幾城かまわったがけっこうな荒れっぷり。人が通らないのだろう倒木、蜘蛛が凄かった。

入河沢城

頸城1号白鳥さん

いつもすみません。

 

これがあの出入口か…

  頸城、吉川のこの2城は旧職業による繋がりもあり私が最も多く踏み歩いている城と地域である。私にとってホームタウンとは此処だろう。

 光栄でもあり、意欲もあるのだが、日々一日中この地域のことを考えていると淋しく辛くなる。能登の城を書いているときは地震の被害に想いが重なり辛かった。

 好きな城を本にするのが、かくも辛いものなのか。

 

 今日から秋学期がスタート。 

 昨日まで空手の合宿で新潟、長岡の門下生たちとも揃って稽古ができ、空手のほうは心残りなく京都にこれた。

 9時から考古の先生の面接指導があったので昨夜バイクで上洛。初日でもあり朝のお勤めに参加してから研究室。それも幸運に作用したせいか、10年来お世話になっている文献史学の教授(私の指導教員)に遭遇して一緒に8号館へ。文献の教授のとなりのとなりの部屋が考古の教授の研究室。秋学期のはじまりに両教授に面会って、私にとって幸運、光栄なスタートとなった。それは両先生の秋学期スタートが私ってことでもある。

 ふふ。

 19時過ぎまで大学にいて、バイクでホテルへ戻る。

 約2か月ぶりに京都に来てホテルの廊下、千本通り、大学内いずこでも帰ってきた感が湧いてくる…。

 今年度は当初MaとChaの2本を考えていたが、他の執筆もあり詰めすぎないようMaだけにすることにした。Chaはその執筆原稿分だけにする。2025秋学期は、いくぶん余裕をもって楽しもうと思う。

 

              1月下旬までこのスケジュール

                
                   余裕かい?

 来週から(約2か月の夏休みを経て)大学の秋学期が始まる。始まると京都往復が週に2回となることもあり、週のスケジュールとしては固まってしまうので、地元での空手と薬剤師の後方整備等、後顧の憂いを無くす尽力と夏休み最後のツーリングを実行。

 そのツーリングのターゲットは本庄繫長の菩提寺、福島の長楽寺に定めていた。先週12日に予定していたが雨で延期、14日も雨で延期、で15日に決行。

 それが幸運で、15日が繁長公の霊廟・繁長八幡宮の祭礼日だった。お堂の中の木造を拝観、お参りさせていただくことができ、またお寺の方丈様はじめ方々がいろいろ親切にしてくださり、本堂内の位牌、かの猛将の魂が宿るかのような御遺品も間近に拝観させていたくことができた。

 鳥肌が立って私の魂も震えた。

 幸運って予期せず突然訪れるが、わたし今年あまりにも多くの幸運に見舞われている。

 それが必然の如く。

 ありがたいことで、見えないお陰様へ感謝し、運命に精進を誓う。

 

曹洞宗萬年山長楽寺

本堂

 

繁長八幡宮

 

本庄繫長一族之碑

 

かの猛将の魂が宿るかのような御遺品の公開は控えます。

別件ですがお知らせ

 6月の郷土の魅力再発見!バスツアーの写真が【観光協会だよりvol.30】発行しました | 頸城区観光協会 | 新潟県上越市頸城区へお越しください!に掲載されました。

 

夏休みで少々時間があり、久しぶりに城記事書きます。

(撮影時期が異なる写真が混ざります)

 

松倉城郭群北山城(2020.10撮影)

 遊歩道のあたりは改変されて不明だが、山上を切岸が巡り、私の好む切岸防御ライン、加えて帯郭にショートの竪堀(1か2本なので畝状竪堀とは言えないが畝状竪堀)、一部横堀まで備えている。スタンダードではないが、私は景勝期上杉氏の野戦城郭と見立てる。

 

現地説明版より引用しブログ説明のため青字加筆

 

山上北部

櫓台か高所を造作。

 

北東に古道が入る口がある

頸城2号。

こころなしか若い。

↓1号(どこかわからない)

 

櫓台状高所(2023.3撮影)

 

金山谷城、魚津城方向眺望

 

中央部方向

 

このあたり中央か

 

南部

 

切岸防御ライン、このあたりは横矢が効くか

 

ではその切岸防御ライン、えいきらしく

 

東下切岸を北から

窪みは竪堀ア

 

次、竪堀イ

そしてそのイと次のウの間はなんと横堀になる。

しかも低塁線造作

ここ興奮するのって私だけか

 

 

ウから横堀

 

南東部帯郭と切岸防御ライン

 

エ(よくわからない)―オ間あたりの防御ライン

ここも横堀だったかもしれない

 

畝状竪堀といいたいが連続竪堀

私、興奮

 

振り返る

身長代以下の塹壕状ではないか。

 横堀線の端を2条の畝状竪堀で区切るの構造は新発田の浦城、穴水の丸山城等天正期上杉圏城郭に見出すことができる。

 

南端の堀切カを通過すカ

郭内から

南端は間隔をあけて二重の堀切となる。

 

通過して南西の切岸防御ライン

 

松倉城平ノ峰から北山城

 

 

昨日誓いを破ったので3日目か。

0520いつもの時間に起きて厚岸の資料館開館時間まで松倉城のページ、目次合わせしてゆっくり過ごす。0900海事資料館。小さい船だが潟湖、河川、海の適用に関する展示があり、想定以上の収穫あった。柿崎家善の写真も見れた。ついで昨日休館だった太田屯田開拓資料館。

ここは加澤先輩の論文で予習して展示の狙いはつけていた。上杉士族の柿崎、本庄、市川といったら他国にまで名を響かせた猛将だけど、リーダー格とは言っても1屯田兵って…。そこが一番驚きと、感慨深い事項。

 

ただ柿崎、本庄はその家名と景家、繁長の勇猛さを知らせる展示がわずかながらあってやや溜飲がさがった。

 

 

上杉神社の展示ブースもあり、狙ったところはがっつりみれた。

 

 それから上杉神社跡地を宝探しのように探す。すぐビンゴ。

思いを果たし加澤先輩と頚城の友達に写真送って帰路へ。

 今、屯田兵屋見るの忘れたことに気が付いた。また行けるだろうか。

 雨が心配だったが時間大丈夫そうだったので足寄をひっかける。屈斜路湖、摩周湖は断念。

 松山千春のおうちみて、道の駅。中高時代、松山千春のファンだった。これが足寄か。

 雨雲レーダーで苫小牧までのコースを練る。小雨はかかった雨具で凌げ、無事東苫小牧港着。乗船。行きと同じ船で、探検なし。荒天で揺れがけっこうある。