えいきの修学旅行(令和編)

えいきの修学旅行(令和編)

えいきの修学旅行を綴ったブログです(ヤフーブログから移設しました)。

 

 城のブログでも書きたいと思いつつも、叶わないでいる。大学が変わったことが大きく心理に影響し、緊張の毎日をおくっている。せめてそんな日常と今日という日を書いておこう。

 来春刊行予定の6月末締め切り原稿がある。文章はすでに書いてあるのだが、薮と積雪で作図時期が限られた吉川の入河沢の図化を3月中旬から開始した。新学期が始まるまでに済まそうと目論んでいたが、地形図と合わないところもあり苦闘、先週下書きが終わった。

 立命館でのデビューとなる発表が5月19日に指定され、その内容、資料作成も押し迫っている。研究室の作業でもあるPDF取込も同輩に遅れをとっている。午前中はそのPDF取込作業。昼あたりから道場の掃除と下半身のウエイトして1600から母のケアマネ、ヘルパーさんの訪問に同席。

 明日は予定講義の他に先生の学部講義のお声がかりがあり、1715上越妙高発のはくたかで京都へ向かう。はくたか車内で出来た図と原稿の照合しつつ推敲。敦賀まで行くはくたかで、乗り換え無しで2時間没頭できた。

 敦賀でサンダーバードに乗り換えて、えいきの修学旅行をつぶやく。

 月曜から火曜の昼まで大学にいて、火曜1900頸城の空手に間に合うように帰る。

 

 昨日オリエンテーションで、今日1630から入学式。 

     

 京都に毎週来てるとはいっても、大学と図書館とホテル周辺(四条大宮)と京都駅くらいしかしらない。

 入学式はみやこメッセという東山になるのかな、鴨川の東の平安神宮のそばであった。市バスでいつもの46番系統の佛大と反対側の経路で四条河原町、祇園って私とは縁遠い京都の繁華街を通って行った。すごい人出でと賑やかさ、これが京都か。一昨日出発直前まで入河沢城の図化のため吉川(旧中頸城郡吉川町)の藪の山中に浸ってた私にとって、異次元の世界。ピシバシと枝に顔を叩かれていたんだもの。

 そんなことが研究という言葉になって、認めて下さる人がここにいる。

よろしく頼むぜ

(私がつくのは左の学長ではなく、山城猛者の教授です)

 

 倉木麻衣が立命館出身で、空手の大会会場とかで「風のららら」とかよく聴いていた。頸城の友達1号白鳥さんも倉木麻衣のファンで、大学院、立命館目指すかもしれないって相談したときに倉木麻衣の話になって(俺の人生どうなるんだ)、動く倉木麻衣見たことないんだよねっていったらYouTube送ってくれた。そんな機転も利かない俺がそこでついて行けるんかって思ったけど、そしたら「chance for you」(2005発売)の倉木麻衣×立命館宇治スペシャルムービーに出逢って、勇気づけられ応援歌にしてきた。

 

     雨が窓を叩く いつまでもそこで雨やどり

     目指す場所もうすぐ目の前に見えて来るのにね 

     Oh yeah  (あとはYouTubeみてください)

 

      前向きになります。

 

 2か月半ぶりに佛教大学へ。指導教官の貝先生にご挨拶。

 平成28年に学芸員の資格が通信課程でとれることを知り入学した佛教大学、学芸員課程の後に歴史学歴史学科(文献史学)、大学院修士課程(同)、歴史学部歴史文化学科(考古学)、研究員と計10年学ばせていただいた。薬剤師しながら歴史学学ぶことができるなんて、すごい機会の提供とめぐり逢いに感謝するばかり。

  令和6年7月に私が頸城で経営していた調剤薬局の経営権利を他社に譲渡した際、頸城の人々へのかわらないサービス(薬局機能ÙPを依頼)、私たちの業績、立場、職まで失うことになるとは考えていなかったため、母とともに精神的なダメージを大きく受けた。急遽6月中に佛大の後期(9月~)研究員採用を申請し、採用され、失った居場所を佛大に見いだし、大いに救われた。研究指導を受けることはもちろんだが、研究員って佛大の大学院、学部の講義を聴講できる。1年半で17科目も受講さてていただいた。教室や研究室に私が居てもいい、永野さんって名前を呼んでいただけて、存在を認めてもらえるということが如何に有難く嬉しかったことか。文献史学の貝先生、考古学の堀先生に毎週用がなくても会えるってことも貴重で、じつはもう一人、授業が生きる希望となるような先生がおられた。

 昨年秋に堀先生に博士課程の相談をした際、隣の大学に城郭考古学の先生がいるからそこへ行ったらどうだっていうアドバイスがきっかけで立命館大学を受験、そこへ行くことになった。

 思えば20代のころ、空手の試合で太道の全日本選手権、ウエイト制大会に幾度か出場させていただいた。その太道の主体が佛教大学の太道部で、主将をはじめ猛者たちと対戦した。どれだけ殴ってもフルパワーで向かってくるあの闘魂、一発で著名選手をKOする強打、延長再延長戦でも切れないスタミナは今でも覚えている。そこで学ぶことになろうとは思ってもみなかった。

 佛教大学は浄土宗の大学である。宗祖法然上人の仏道修行のきっかけとなった不慮の襲撃がもとで瀕死となった父からの「恨みを捨て、仏道修行に励め」という主旨の教訓が説かれる。触れてはいたんだろうが気にも留めていなかった。研究員採用後、繰り返し聴かされることが多くなった気がした。必死に見えない誰かたちが私に浴びせてくださったのかもしれない。

 図書館で論文書いてると(そうそう「上杉氏による越中松倉城の改修」は学内で賞をいただいた)、あれ今俺どこにいるんだって図書館にいること、佛大にいること、京都にいることすらを忘れて没頭していた。我にかえった時、これが仏道の真髄かとも思った。

 長くなってしまった。

 研究員採用後、なぜか1997年の松たか子「夏の記憶」に出逢った。

 

     またねと手を振って 微笑みあったけど あなたに出会う 季節はもう来ない 

               (途中略)

     さよならあの日々から ひとり歩き始める 別れの意味はきっとそこにあるはず

                (途中略)

     うれしいことはもっと広がる 奇跡信じていた 夏の記憶(後略)

 

 スマホで聴きながら、足踏み合わせて駅からバス停、ホテルからバス停、バス停から大学へと勢いつけて通ったよ。

 佛教大学、ありがとう。

左が礼拝堂、右が図書館

     

                 たぶん帰ってきます。

 人生の転機にはだいたい美濃にいる。月芳さんと。

 佛大の研究報告と論文諮問とも済んで、4月からは新しい大学でのスタートとなる。その前にやはり美濃へ行ってきた。月芳さんと。

 私の専攻がいちおうの文献史学から考古学への転換で、その心境の整理も兼ねて考古学的な修学旅行コースを月芳さんと徘徊。

 

 〇土岐の元屋敷陶器窯跡(写真撮り損ねたのか、ない…)

  遺物から年代を導くためには窯関連の勉強が重要になる。

 〇鷺山城

  土橋と石垣が出土したって情報があったので。

 〇とんかつおやじさんのお店

  お城のブログ楽しませていただいているとんかつおやじさんのお店で昼食。

 〇加納城

  徳川初期の石垣実見。作手の奥平信昌関連でもある。

 〇各務原の野口館

  発掘後は消滅するそう。

 〇恵那泊

  18歳、大学進学でふるさとを離れ名古屋へ引っ越すとき、家族で恵那峡温泉に泊まった。

  恵那に泊まると、その時の両親の気持ちとその後の私の歩んだ人生の双方を想い、感謝とこれからもの精進を誓う機になる。人生の転機にはそれもあって恵那に来てしまうのかな。

 

鷺山城から金華山

 

鷺山城の畝状竪堀

 

土橋と石垣

 

 とんかつおやじさんのお店

 やわらかいとんかつと味噌の味、美味しさ遠征の甲斐あり!

レジの横、スタッフにおこられないのかしら。

 

 

中山道加納宿町づくり交流センター

石垣

主郭出枡形

 

野口館

 

とんかつおやじさん、月芳さん、ありがとうございました。

 

 

 といっても目指す所は一緒ですが、先日R大学の大学院を受験したところ、受け入れてくださいました。4月から考古学でもう一度修士課程に挑みます。

 今までと同じく京都なので(けっこう隣)、ひきつづき京都往来を楽しもうと思います。

 ついていけない場合は苦難となる可能性もありますが、それも楽しみです。

 そう受け止め向かうことができるのも、10年に及ぶ佛大での修練のお陰です。

 56歳の誕生日、大雪のさなかに京都へ向かう。このような人生、想ってもみなかった。
 朝、ガーミンの時計が誕生祝いのメッセージを表示。君(時計)だけ。
 うれしかったぜ。

 9月から京都ー上越を週2往復で満喫した佛教大学の秋学期が今日で終了。といっても大雪の影響でサンダーバード終日運転取りやめが事前に告知され、今日の上洛は断念。本来なら木曜3講時の社会経済史と4講時の地域文化演習Ⅰの15回目講義を受講して終了の予定だったが、このようなエンディングになった。

 社会経済史は私が10年来お世話になってる教授(指導教員)の専門分野で、流通とか経済的な視点で歴史を考える授業。15回目なので新しいことよりも振り返りが主だったと思う。地域文化演習はこちらも私が修論の諮問以来お世話になっている考古学の教授の講座で、学生が任意の遺跡の発掘調査報告書にもとづいて発表を行うという授業。自分の対象とは異なる各地の遺跡を取り上げるので、自分からは気にも留めない各地の遺跡を修学旅行するような感じで見聞でき、視野が広くなった。学生たちのパワポのレイアウトやアナウンス、自分とは違うアイデアでの構成に学ぶことも多かった。じつは私の発表は今日が予定日だったのだけど、12月11日に空きがあって急遽済ませてしまった。越中太田本郷城。で司会の当番が当たって(残って)いたが、行けませんでした。教授に代役を頼みました。

 3月末まで佛大に籍はあり、2月末「越後上杉氏による越中松倉城の改修」の諮問と3月末年間研究報告書の提出があるが、京都週2往復の通学は終了。修士までは通信だったのと、研究って結構孤独な世界で暗闇に陥りがちになる。大変だったが、先生方や学生達と毎週会えるってことで気持ちを明るく維持できていた。充実と明るい京都だった。

 だから京都ロスが心配。2024年秋学期からの研究員、松たか子の「夏の記憶」と共にあった。最近は頸城の友達の推しでもある倉木麻衣を聴くことも多い。徐々に新しい人生に成ってきている。

 ちなみに今日は京都取り止めで、2024秋学期に受講させていただいた考古学概論の授業資料を4回分復習。今週はこれ。その後自宅と道場周辺の除雪、新パソコンの下見、ウエイト、溜まっている論文読み。けっこうやることはある。

 2025年は2月に頸城でコンサートがあったので、その準備、リハーサルから明けた一年でした。寂寥と心が残る心境で、頸城の皆様の前に立つ機会を得たことを励みに準備しました。想像をはるかに超える頸城の皆様の暖かい眼差し、拍手に包まれたあの日、母(両親が永野薬品を創業)と次女共々、信義なき輩に踏み躙られた無念が癒されました。きっと見えないお陰様でどなたかが頸城の皆様へお声がけ(動員)くださったのでしょう。ありがとうございました。6月には頸城でのバスツアーのガイドも務めさせていただき、父の墓前に報告しました。

 佛教大学で繰返し説かれる仏教の教えは、恨みを捨て、執著を離れることです。憤り、恨みなどは自分を苦しめるだけで、それを捨てれば楽になり、幸せが付き従うと説かれます。そうだと理解してはみても、あの頃の心境に比べれば随分癒えているのですが、どうしても未だに湧いてきてしまいます。

 教えを深めることと一心に勤めを果たすことで消滅させたいものです。

 その勤めである学業と空手と薬剤師バイト、私の不安定な心とは裏腹にあまりにも充実しています(空手と薬剤師の話はややこしくなるので止めておきます)。

 学業は佛大で考古学の学部と文学研究科研究員として在籍させていただいており、学部のほうは履修、論文とも済んで予定通り来春卒業の見込み、研究員としての研究はやや歴史地理と考古学に寄った感じの手法で進み、また特権である院、学部の聴講を文献史学、考古学、仏教学までも貪るように受けさせていただきました。来春以降は新たな境遇を模索しており、佛大で研究員を継続させていただいて(聴講はひとまず終了)論文等での研究成果の発表、あるいは考古学の学業積み増しのいずれかになります。これは運、縁に委ねようと思います。娘2人の学業は私の子にふさわしくないほどの成績で、感心しています。よほど努力しているのでしょう。

 土曜の集中講義や学祭と授業の合間に関西の著名な城をターゲットに見聞を広める修学旅行ができました。摂津飯盛山城、近江上平寺城、弥高寺、観音寺城、播磨感状山城、白旗山城、置塩城、赤穂城、備前岡山城、安芸三原城、新高山城、高山城など。夏休みはフェリーに乗って北海道厚岸も。福島長楽寺も幸運に恵まれました。自分のフィールドとして越中、頸城の友達とも北信、地元、越後各地を巡りました。執筆もあり、頸城の茶臼山には今月だけで4回も行ってます。

 これほど充実しているのに心底楽しめない、満足できないのは、執著の為せる業でしょう。

 繰り返しますが、教えを深めることと一心に勤めを果たすことで消滅させたいものです。

 皆様、本年もありがとうございました。良い年をお迎えください。

 

葛山と旭山のツーショット(鞍骨も)

 

飯盛山城からの大坂絶景

 

同今城塚古墳

私が佛大でお世話になっている考古の教授ゆかりの古墳。

ここ、結構よかった。

 

新高山城と高山城

 

頸城でのコンサート

定員50名で締め切ったのですが、64名お集まりいただいたそうです。

 

バスツアー出発前の頸城区総合事務所(旧頸城村役場)

 頸城区観光協会だりよりVol.30(頸城区環境協会HPより引用)

【観光協会だよりvol.30】発行しました | 頸城区観光協会 | 新潟県上越市頸城区へお越しください!

 

以下白鳥さん撮影

茶臼山城

 

 

 

おまえ、幸せだろう。

 

 M城の論文がひと段落ついて、来年6月締切りの原稿を書いている。頸城のCha、吉川のI、佐渡のO城で、ここ10年来なじみの城たちである。佐渡はだいたい済んで、頸城と吉川に取り組み中。図化と最終確認は降雪直前にする予定で、その下準備に今月から頸城の友達と手嶋中島の区長さんへの聞き取りや、足慣らしがてら藪具合とGPSの精度確認を行っている。吉川は春先にも幾城かまわったがけっこうな荒れっぷり。人が通らないのだろう倒木、蜘蛛が凄かった。

入河沢城

頸城1号白鳥さん

いつもすみません。

 

これがあの出入口か…

  頸城、吉川のこの2城は旧職業による繋がりもあり私が最も多く踏み歩いている城と地域である。私にとってホームタウンとは此処だろう。

 光栄でもあり、意欲もあるのだが、日々一日中この地域のことを考えていると淋しく辛くなる。能登の城を書いているときは地震の被害に想いが重なり辛かった。

 好きな城を本にするのが、かくも辛いものなのか。

 

 今日から秋学期がスタート。 

 昨日まで空手の合宿で新潟、長岡の門下生たちとも揃って稽古ができ、空手のほうは心残りなく京都にこれた。

 9時から考古の先生の面接指導があったので昨夜バイクで上洛。初日でもあり朝のお勤めに参加してから研究室。それも幸運に作用したせいか、10年来お世話になっている文献史学の教授(私の指導教員)に遭遇して一緒に8号館へ。文献の教授のとなりのとなりの部屋が考古の教授の研究室。秋学期のはじまりに両教授に面会って、私にとって幸運、光栄なスタートとなった。それは両先生の秋学期スタートが私ってことでもある。

 ふふ。

 19時過ぎまで大学にいて、バイクでホテルへ戻る。

 約2か月ぶりに京都に来てホテルの廊下、千本通り、大学内いずこでも帰ってきた感が湧いてくる…。

 今年度は当初MaとChaの2本を考えていたが、他の執筆もあり詰めすぎないようMaだけにすることにした。Chaはその執筆原稿分だけにする。2025秋学期は、いくぶん余裕をもって楽しもうと思う。

 

              1月下旬までこのスケジュール

                
                   余裕かい?