えいきの修学旅行(令和編)

えいきの修学旅行(令和編)

えいきの修学旅行を綴ったブログです(ヤフーブログから移設しました)。

 2025年は2月に頸城でコンサートがあったので、その準備、リハーサルから明けた一年でした。寂寥と心が残る心境で、頸城の皆様の前に立つ機会を得たことを励みに準備しました。想像をはるかに超える頸城の皆様の暖かい眼差し、拍手に包まれたあの日、母(両親が永野薬品を創業)と次女共々、信義なき輩に踏み躙られた無念が癒されました。きっと見えないお陰様でどなたかが頸城の皆様へお声がけ(動員)くださったのでしょう。ありがとうございました。6月には頸城でのバスツアーのガイドも務めさせていただき、父の墓前に報告しました。

 佛教大学で繰返し説かれる仏教の教えは、恨みを捨て、執著を離れることです。憤り、恨みなどは自分を苦しめるだけで、それを捨てれば楽になり、幸せが付き従うと説かれます。そうだと理解してはみても、あの頃の心境に比べれば随分癒えているのですが、どうしても未だに湧いてきてしまいます。

 教えを深めることと一心に勤めを果たすことで消滅させたいものです。

 その勤めである学業と空手と薬剤師バイト、私の不安定な心とは裏腹にあまりにも充実しています(空手と薬剤師の話はややこしくなるので止めておきます)。

 学業は佛大で考古学の学部と文学研究科研究員として在籍させていただいており、学部のほうは履修、論文とも済んで予定通り来春卒業の見込み、研究員としての研究はやや歴史地理と考古学に寄った感じの手法で進み、また特権である院、学部の聴講を文献史学、考古学、仏教学までも貪るように受けさせていただきました。来春以降は新たな境遇を模索しており、佛大で研究員を継続させていただいて(聴講はひとまず終了)論文等での研究成果の発表、あるいは考古学の学業積み増しのいずれかになります。これは運、縁に委ねようと思います。娘2人の学業は私の子にふさわしくないほどの成績で、感心しています。よほど努力しているのでしょう。

 土曜の集中講義や学祭と授業の合間に関西の著名な城をターゲットに見聞を広める修学旅行ができました。摂津飯盛山城、近江上平寺城、弥高寺、観音寺城、播磨感状山城、白旗山城、置塩城、赤穂城、備前岡山城、安芸三原城、新高山城、高山城など。夏休みはフェリーに乗って北海道厚岸も。福島長楽寺も幸運に恵まれました。自分のフィールドとして越中、頸城の友達とも北信、地元、越後各地を巡りました。執筆もあり、頸城の茶臼山には今月だけで4回も行ってます。

 これほど充実しているのに心底楽しめない、満足できないのは、執著の為せる業でしょう。

 繰り返しますが、教えを深めることと一心に勤めを果たすことで消滅させたいものです。

 皆様、本年もありがとうございました。良い年をお迎えください。

 

葛山と旭山のツーショット(鞍骨も)

 

飯盛山城からの大坂絶景

 

同今城塚古墳

私が佛大でお世話になっている考古の教授ゆかりの古墳。

ここ、結構よかった。

 

新高山城と高山城

 

頸城でのコンサート

定員50名で締め切ったのですが、64名お集まりいただいたそうです。

 

バスツアー出発前の頸城区総合事務所(旧頸城村役場)

 頸城区観光協会だりよりVol.30(頸城区環境協会HPより引用)

【観光協会だよりvol.30】発行しました | 頸城区観光協会 | 新潟県上越市頸城区へお越しください!

 

以下白鳥さん撮影

茶臼山城

 

 

 

おまえ、幸せだろう。

 

 M城の論文がひと段落ついて、来年6月締切りの原稿を書いている。頸城のCha、吉川のI、佐渡のO城で、ここ10年来なじみの城たちである。佐渡はだいたい済んで、頸城と吉川に取り組み中。図化と最終確認は降雪直前にする予定で、その下準備に今月から頸城の友達と手嶋中島の区長さんへの聞き取りや、足慣らしがてら藪具合とGPSの精度確認を行っている。吉川は春先にも幾城かまわったがけっこうな荒れっぷり。人が通らないのだろう倒木、蜘蛛が凄かった。

入河沢城

頸城1号白鳥さん

いつもすみません。

 

これがあの出入口か…

  頸城、吉川のこの2城は旧職業による繋がりもあり私が最も多く踏み歩いている城と地域である。私にとってホームタウンとは此処だろう。

 光栄でもあり、意欲もあるのだが、日々一日中この地域のことを考えていると淋しく辛くなる。能登の城を書いているときは地震の被害に想いが重なり辛かった。

 好きな城を本にするのが、かくも辛いものなのか。

 

 今日から秋学期がスタート。 

 昨日まで空手の合宿で新潟、長岡の門下生たちとも揃って稽古ができ、空手のほうは心残りなく京都にこれた。

 9時から考古の先生の面接指導があったので昨夜バイクで上洛。初日でもあり朝のお勤めに参加してから研究室。それも幸運に作用したせいか、10年来お世話になっている文献史学の教授(私の指導教員)に遭遇して一緒に8号館へ。文献の教授のとなりのとなりの部屋が考古の教授の研究室。秋学期のはじまりに両教授に面会って、私にとって幸運、光栄なスタートとなった。それは両先生の秋学期スタートが私ってことでもある。

 ふふ。

 19時過ぎまで大学にいて、バイクでホテルへ戻る。

 約2か月ぶりに京都に来てホテルの廊下、千本通り、大学内いずこでも帰ってきた感が湧いてくる…。

 今年度は当初MaとChaの2本を考えていたが、他の執筆もあり詰めすぎないようMaだけにすることにした。Chaはその執筆原稿分だけにする。2025秋学期は、いくぶん余裕をもって楽しもうと思う。

 

              1月下旬までこのスケジュール

                
                   余裕かい?

 来週から(約2か月の夏休みを経て)大学の秋学期が始まる。始まると京都往復が週に2回となることもあり、週のスケジュールとしては固まってしまうので、地元での空手と薬剤師の後方整備等、後顧の憂いを無くす尽力と夏休み最後のツーリングを実行。

 そのツーリングのターゲットは本庄繫長の菩提寺、福島の長楽寺に定めていた。先週12日に予定していたが雨で延期、14日も雨で延期、で15日に決行。

 それが幸運で、15日が繁長公の霊廟・繁長八幡宮の祭礼日だった。お堂の中の木造を拝観、お参りさせていただくことができ、またお寺の方丈様はじめ方々がいろいろ親切にしてくださり、本堂内の位牌、かの猛将の魂が宿るかのような御遺品も間近に拝観させていたくことができた。

 鳥肌が立って私の魂も震えた。

 幸運って予期せず突然訪れるが、わたし今年あまりにも多くの幸運に見舞われている。

 それが必然の如く。

 ありがたいことで、見えないお陰様へ感謝し、運命に精進を誓う。

 

曹洞宗萬年山長楽寺

本堂

 

繁長八幡宮

 

本庄繫長一族之碑

 

かの猛将の魂が宿るかのような御遺品の公開は控えます。

別件ですがお知らせ

 6月の郷土の魅力再発見!バスツアーの写真が【観光協会だよりvol.30】発行しました | 頸城区観光協会 | 新潟県上越市頸城区へお越しください!に掲載されました。

 

夏休みで少々時間があり、久しぶりに城記事書きます。

(撮影時期が異なる写真が混ざります)

 

松倉城郭群北山城(2020.10撮影)

 遊歩道のあたりは改変されて不明だが、山上を切岸が巡り、私の好む切岸防御ライン、加えて帯郭にショートの竪堀(1か2本なので畝状竪堀とは言えないが畝状竪堀)、一部横堀まで備えている。スタンダードではないが、私は景勝期上杉氏の野戦城郭と見立てる。

 

現地説明版より引用しブログ説明のため青字加筆

 

山上北部

櫓台か高所を造作。

 

北東に古道が入る口がある

頸城2号。

こころなしか若い。

↓1号(どこかわからない)

 

櫓台状高所(2023.3撮影)

 

金山谷城、魚津城方向眺望

 

中央部方向

 

このあたり中央か

 

南部

 

切岸防御ライン、このあたりは横矢が効くか

 

ではその切岸防御ライン、えいきらしく

 

東下切岸を北から

窪みは竪堀ア

 

次、竪堀イ

そしてそのイと次のウの間はなんと横堀になる。

しかも低塁線造作

ここ興奮するのって私だけか

 

 

ウから横堀

 

南東部帯郭と切岸防御ライン

 

エ(よくわからない)―オ間あたりの防御ライン

ここも横堀だったかもしれない

 

畝状竪堀といいたいが連続竪堀

私、興奮

 

振り返る

身長代以下の塹壕状ではないか。

 横堀線の端を2条の畝状竪堀で区切るの構造は新発田の浦城、穴水の丸山城等天正期上杉圏城郭に見出すことができる。

 

南端の堀切カを通過すカ

郭内から

南端は間隔をあけて二重の堀切となる。

 

通過して南西の切岸防御ライン

 

松倉城平ノ峰から北山城

 

 

昨日誓いを破ったので3日目か。

0520いつもの時間に起きて厚岸の資料館開館時間まで松倉城のページ、目次合わせしてゆっくり過ごす。0900海事資料館。小さい船だが潟湖、河川、海の適用に関する展示があり、想定以上の収穫あった。柿崎家善の写真も見れた。ついで昨日休館だった太田屯田開拓資料館。

ここは加澤先輩の論文で予習して展示の狙いはつけていた。上杉士族の柿崎、本庄、市川といったら他国にまで名を響かせた猛将だけど、リーダー格とは言っても1屯田兵って…。そこが一番驚きと、感慨深い事項。

 

ただ柿崎、本庄はその家名と景家、繁長の勇猛さを知らせる展示がわずかながらあってやや溜飲がさがった。

 

 

上杉神社の展示ブースもあり、狙ったところはがっつりみれた。

 

 それから上杉神社跡地を宝探しのように探す。すぐビンゴ。

思いを果たし加澤先輩と頚城の友達に写真送って帰路へ。

 今、屯田兵屋見るの忘れたことに気が付いた。また行けるだろうか。

 雨が心配だったが時間大丈夫そうだったので足寄をひっかける。屈斜路湖、摩周湖は断念。

 松山千春のおうちみて、道の駅。中高時代、松山千春のファンだった。これが足寄か。

 雨雲レーダーで苫小牧までのコースを練る。小雨はかかった雨具で凌げ、無事東苫小牧港着。乗船。行きと同じ船で、探検なし。荒天で揺れがけっこうある。

 帯広発、せっかくなので釧路湿原をひっかける。

     細岡展望台。

 今回の修学旅行のメインターゲットである厚岸の太田屯田開拓記念館を目指す。ナビルートが通行止めで運を天に任せて別ルート。幸運に到達できたが休館日だった。ちゃんと調べとけ。で第二目標正行寺。

狙った理由と違うが本堂、糸魚川から移築だそうだ。太田は明日にして根室へ。


 帯広から根室間は雄大な酪農景観。道ひろくまっすぐで走りやすいが、単調で眠くなる。信濃とまではいかなくとも適度なカーブ、アップダウンが欲しい。


 納沙布岬の北方領土資料館。必要で有意義な展示だった。 

 時間の許す限り知床方面へ向かう。あっとヲンネモットチャシの看板が目に入る。城に行かない誓いが揺らぐ。貫徹しよう思ったが、根室半島の先っぽに再度来るチャンスは極めて小さい。

誓いを破った。


別海北方展望塔で引き返す。

厚岸に泊。明日雨が心配。海も荒れそう。


        津軽海峡通過

 朝のアラームをセットせず、洋上ぐっすり睡眠。普段は0520セットでそこから2〜3時間が私の猛勉時間なんだけど、今日は0730まで寝てた。しなくてもいいんだけど、とある執筆の推敲原稿を印刷して持ってきてて、つい開始。脳、モヤモヤしてくれば気ままに寝て、晴れてくれば再開って、至福の時間と空間。作業、終わっちゃった。東苫小牧着1650で19時間超の船旅だったが全然退屈しなかった。

 日暮までは下道走ろうと思っておそらくむかわまで東進し、北上。


    まっすぐ、ひろい、信号ない

むかわ穂別ICで高速に乗る。しばらく走って日暮で、ルート選定ナイスとほくそ笑む。しかし、高速事故通行止めで十勝清水ICで降ろされるが、降りるのに渋滞で1時間かかった。真っ暗な十勝平野をナビに導かれて21時頃帯広の東横インに辿りついた。

 京都でも東横インなので、部屋一緒で京都の気分。

 朝、空手の合宿申し込みの集計して午前はあおぞら薬局勤務。謙信公祭のため道場周辺は交通規制が厳しく空手は休み。午後はひとりで自分の練習を1時間ほどして掃除して一旦帰宅。長女、先週今週は県内の病院で研修。名札がカッコいい。明日石川に戻る。1900謙信公祭の春日山を脱出して新潟へ。2230発のフェリーで北海道へ船中往復路2泊、道中2泊の城に行かないツーリングに行く。

ツエを持たず、トレッキングシューズもはかず、縄張り図も持たず。とはいっても目的地は厚岸で、明治以降に上杉の侍(米沢藩士)が屯田兵として入植した地。加澤先輩の論文で対象となっていて、いかねばならぬ果てまでもと狙っていた。

 せっかく得ている夏休み、憤ったり、落ち込んでいても、気の毒ではあるけれど自分を苦しめるだけ。今年の論文も済んだし、春学期の勉強もしっかりがんばった。アルバイトもさせていただいているから地域への貢献も少しだけどしている。

デラックスBツインじゃ。

 29日火曜から出席させていただいた大学院のスクーリングが今日までで、さきほど春学期終了。9月21日まで夏休み。授業のヒットと教授はじめ先生方に恵まれ、あまりにもこの春学期の研究員生活が充実していた。私の人生においてこれほど上手くいった期間ってあるか。頸城の役場にも大手を振って出入を許され、バスガイドまで務めさせていただいた。新たな部署の人達とも人脈をいただいて、今後も私を頸城で役立てていただける。患者さん達からも一年たってもいまだに頻繁に連絡をいただいている。昨年8月から旧来の信義をもって下荒浜のあおぞら薬局でアルバイト(3時間×2/週)させていただいている。1年たって、そちらでの薬剤師業務も関係も馴染んできた。

 空手も6年ぶりとなる修武杯を開催でき、9月にはこれも6年ぶりとなる合宿を開催する。

 幸運すぎていいのかいって思うが、誠実に勤めるだけだ。見えないおかげ様もずいぶんとあるのだろう。ありがとう。

 そして明日から京都ロス。昨年8月は随分と落ちこんでしまって、少々心配。M城の論文はほぼ仕上がっていて、添付する図化を残すのみ。まあそれに取り組んで、バイトして、娘ら帰ってきたら相手してもらおうか。9月から取り組む執筆もあるから、そのための充電夏休みも必要なんだろう。法然上人の教え、恨みを捨てて楽しい夏休みにしよう。

 だれか暑いけど、山城行っか。