升方城(魚津市升方) | えいきの修学旅行(令和編)

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早月川こしにみる升方城 
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松倉城の西、金山谷の西尾根に築かれた早月川を外堀とした松倉城の支城群https://ameblo.jp/mei881246/entry-12496884935.html 
のひとつとされる。椎名時代は竹田宮内・小幡九助、佐々時代は末森城攻めで討死した佐々新左衛門が居城したと伝わる。
 支城とはいっても椎名、上杉、佐々、前田と機能したようで、上杉景勝時代の普請と思われる近代的な遺構が明瞭に残る。松倉城を訪れる際は、ぜひ升方城も訪れてみてください。
 

現地縄張り図に佐伯哲也『越中中世城郭図面集Ⅱ』を参考に郭名(英)、遺構を加筆。

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 大手は図の左下升方集落からF郭に入り、黄線ルートで主郭へ入ります。図の右下は松倉城下金山谷に入る山街道の関門石の門に繋がり、石の門方面からの寄せ手に備えた畝型阻塞が見られます。どちらのルートも櫓台、屈曲した城道が計画的に配され、支城というよりも拠点城郭として機能できる見事な普請です。その1ではF郭から大手の黄線ルートで主郭まで辿ります。
 
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F郭からE郭をみる
F郭に林道が通っていて展望台と駐車場があります。ここhttp://yahoo.jp/SWGSic
写真右側から升方城主郭への遊歩道が整備されています。
 
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登り口
 
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登り口すぐ左がE郭で升方城の説明版があります。
写真右は虎口2で、うえはD郭。D郭のE郭側は塁線土塁で固められ、裾には堀切が掘られています。
 
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E郭
右はD郭した裾の堀
 
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D郭塁線土塁した切岸と裾の堀
 
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虎口2からD郭内
右側は窪地Gで井戸とされているが、井戸はわからなかった。
寄せ手の展開が制限され、奥へは窪地で制限された道を細く進まされることになる。
 
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さきほどのE郭側の塁線土塁
 
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D郭奥はC郭したに突き当り右へ折れる
右は窪地G、左は竪土塁で制限された道の設定。
正面C郭から狙われる。
また左に切り口があり、佐伯先生の縄張図では虎口とされ道が描かれている。
 
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虎口した 道は見えず
冬きて見えたら感動かも
 
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C郭した
左に竪土塁 右に虎口
C郭から頭上攻撃を受けながら虎口へ向かわされる
 
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竪土塁
 
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左C郭、右H郭への虎口
 
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口内 H郭は石遺構や井戸があるようですが、ごらんの藪で踏み込めません。
道は二郭・Bの虎口4へ湾曲しながら向かいます。
道の左には、ここまでの道を迎え撃つC郭があります。
 
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C,H周辺
 
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C郭 北面には竪土塁があります
 
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C郭から、先ほど通ってきたC郭下で突き当り折れる道と竪土塁をみる
 
虎口4からB・二郭へ向かいます。
 
 
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虎口4 木の門があります
 
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奥の高地は主郭櫓台6
この虎口4は櫓台6で見張られている
 
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虎口内B 二郭
道は湾曲しながら主郭虎口へ向かう
B二郭は主郭下をとりまいている
左には井戸が2つ今も水を湛えてある
 
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B 左
 
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今も水を湛える井戸
堀かとおもった
 
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B 右
 
主郭へ
 
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主郭への虎口
 
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主郭( 実際は写真よりもっと奥深い)
左 櫓台6ふきんに東屋がたつ
 
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台6から虎口4、B・二郭、主郭へのルートをみる
櫓台6は、厳重にこのルートを監視する
B・二郭のH郭側には塁線土塁を備える
 
参考文献 現地説明版 佐伯哲也 越中中世城郭図面集Ⅱ
その2では主郭から石の門がわへの備えを辿ります。