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スチャラカでスーダラな日々

故・植木等氏の御冥福に因んでkeiのスーダラな日々を紹介します。故人の映画のようにスイスイと軽妙な人生を送りたいものです☆彡

東門外濠と美しい紅葉
東門外濠と美しい紅葉

昭和49年(1974年)の弘前市地図東門外濠で生息する黒鯉弘前城東門の外濠向かいに弘前文化センターがあって、駐車場が1時間だけなら無料なので停めました。そこから歩いて東門の周辺風景を撮ります。右の地図は昭和49(1974)年に発行された弘前市地図ですが、時敏小学校が移転して弘前文化センターが出来ました。

まず最初に目に飛び込んだのが東門外濠と美しい紅葉です。ソメイヨシノの葉桜が紅葉すると、ここまで美しく紅葉するのですね。太陽の光が入ってしまう逆光でしたが、構わずスマホのGoogle Pixelで撮りました。

右下の画像は、東門外濠で生息する黒い鯉です。弘前城内の内濠や池などは朱色とオレンジや真っ白な鯉が生息しているのですが、ここだけは濠に落ちた枯れ葉よりも黒い鯉ですね。

下の写真は東門外濠の美しい紅葉です。外濠の末端から濠の全体を撮りました。早速、同業者が似たような風景を撮影しています。

一番下の東門桝形の美しい紅葉は道路脇に並ぶ紅葉の並木を撮ったモノです。この桝形は城を作る構造に重要なモノで外敵が直線的に入らないようにワザと道を曲げて作りました。藩政時代から続く城下町弘前特有の惣構えとなります。

東門外濠の美しい紅葉
東門外濠の美しい紅葉

東門桝形の美しい紅葉
東門桝形の美しい紅葉
秋の春陽橋と美しい紅葉
秋の春陽橋と美しい紅葉

秋の春陽橋と美しい紅葉 遠景老舗高級料亭 野の庵秋の春陽橋は春のさくらまつりのように人混みになることもなく閑散としています。春陽橋は藩政時代に存在していなかった橋なのですが、弘前公園と対岸の五十石町との行き来と利便性から昭和時代に作られました。

春陽橋の撮影は、少し北側にある大久保堰から撮ったモノです。下に流れるのは西濠の水で、ここから排水して岩木川に流しています。

春陽橋が無かった時代、ここは岩木川の支流でした。藩政時代は川の流れを上手く使って弘前城の防御に使っていたのです。西濠に流れる水は暗渠となっていて地上からは見られません。

秋の春陽橋口は五十石町から見られる光景で唯一車から撮影できる場所です。右側に見える黒壁の奥に老舗高級料亭 野の庵が鎮座しています。一番安いかけそばでも1,200yenします。

秋の春陽橋口と美しい紅葉
秋の春陽橋口と美しい紅葉
ナポリタンは1973(昭和48)年から営業していた
ナポリタンは1973(昭和48)年から営業していた

スパゲティショップ・ナポリタン 創業当時の夫婦スパゲティショップ・ナポリタン 閉店直前の夫婦2011.11.28 ナポリタン閉店前日、お持ち帰り解体が始まった「ナポリタン」跡地スパゲティショップ・ナポリタンは、かつて弘前市元寺町で1968年から5年間「ナポリタン」を経営していました。1973年11月1日、弘前市下白銀町12の3で「ナポリタン」を新装開店しました。

元寺町で5年、下白銀町で38年。合計43年間も営業しました。2011年11月29日を最後に閉店しました。閉店当時も弊ブログは運用していましたが、地元新聞レベルのニュースでないと中々弊ブログ管理者まで伝わらないです。

2011年3月11日の14時46分に三陸沖で東日本大震災が発生して大変な被害がありました。この年末間際に弘前のナポリタンが閉店したことになります。既に川崎市麻生区で生活をしていたので弘前のニュースが中々入りづらいです。

AIが普及した今は弘前大好きな弊ブログ管理者の見るYahoo!トップページは弘前のニュースが数多く見られるようになりました。2011年はAIすら無かったのでネット環境でしたが、凡庸なニュースばかり目にしていました。

サムネイル画像は創業当時のスパゲティショップ・ナポリタンを営業していた夫婦と閉店直前の夫婦です。この夫婦の息子さんが撮影していた写真で、ビートまりおさんのブログから画像を拝借させていただきました。

~以下、陸奥新報より抜粋~
『1968年の開店から43年間、市民や観光客に親しまれた弘前市下白銀町のスパゲティ店「ナポリタン」が閉店する。マスターの尾崎安夫さん(67)と順子さん(59)夫婦は「お客様とのお別れ期間として営業することで感謝の気持ちを伝えたい」と11月29日まで営業を続けることを決めた。定番のナポリタンはもちろん、季節ごとのオリジナルスパゲティなどが人気を集めた同店は閉店を惜しむ市民らでにぎわい、「おいしい」「今までありがとう」という笑顔であふれている』

解体が始まった「ナポリタン」跡地
解体が始まった「ナポリタン」跡地

ナポリタン跡地の紅葉
ナポリタン跡地の紅葉

ナポリタン跡地で紅葉
ナポリタン跡地で紅葉
藤田記念庭園洋館前の交差点
藤田記念庭園洋館前の交差点

追手門外濠の紅葉追手門外濠の鮮やかな紅葉ふらいんぐうぃっちで喫茶コンクルシオのモデルとなった藤田記念庭園洋館前の交差点から実家の車から降りて歩いて撮影を始めました。

夜行バスを降りて早朝から弘前市内を移動して休むヒマもなかったのですが、追手門外濠の鮮やかな紅葉に眼を奪われました🍁

今日は快晴で撮影日和。弘前市役所を背にして歩きながら撮影スポットを探しますが、やはり追手門前の外濠の紅葉が映えて見られます。

これらの紅葉はソメイヨシノの葉桜が紅葉したモノで最初から見栄えが良く美しく映えて見られるようになっています。外濠の夜は紅葉にライトアップされ、とてもキレイに見られます。

追手門外濠の鮮やかな紅葉
追手門外濠の鮮やかな紅葉

追手門と鮮やかな紅葉
追手門と鮮やかな紅葉
弘前舞台のマンガ 弘前で
弘前舞台のマンガ 弘前で

作品はパソコンの画面上で描き、アシスタントへの指示はメールやスカイプで行う下湯口バス停下湯口バス停と木幡真琴下湯口バス停と木幡真琴ちゃん「ここの背景をもう少し細かく」。青森県弘前市内の自室で、画面に向かって指示を出す。別冊少年マガジン(講談社)で連載中のマンガ「ふらいんぐうぃっち」の作者、石塚千尋さんのいつもの仕事風景だ。

「ふらいんぐうぃっち」は半人前の魔女が弘前の親類宅に居候し、一人前の魔女を目指すというストーリー。2016年4月にはテレビアニメ化もされた人気作だ。

県内に1人、東京など県外にも数人いるアシスタントへの指示は、すべて無料通話ソフト「スカイプ」やメールで出す。「中には顔も見たことがない人もいるので不思議な感じ」と石塚さん。完成原稿はデータを添付して出版社に送る。

石塚さんがマンガ家を志したのは高校生の時。「絵を描いて食べていけたらいいな」という漠然とした夢を抱えて上京した。

専門学校生時代に描いた作品が出版社の編集者の目にとまり、本格的に描き始めた。2010年春には新人賞を受賞。だがスランプに陥り、何を描いたらいいか分からなくなった。

受賞の2年後、実家のある弘前に戻った。窓から見える弘前の景色に「ここに魔女が住んでいたら面白いんじゃないか。」と思い構想を練った。

作品は弘前城近くにある藤田記念庭園・洋館の喫茶店や青森市の浅虫水族館など実在の場所をモデルにした場面が数多く登場する。

作品はパソコンの画面上で描き、アシスタントへの指示はメールやスカイプで行う
作品はパソコンの画面上で描き、アシスタントへの指示はメールやスカイプで行う

朝日新聞デジタルの記事と写真を一部抜粋
魔女似合う洋館喫茶室
魔女似合う洋館喫茶室

藤田記念庭園 洋館魔女が似合う藤田記念庭園 洋館喫茶室喫茶 コンクルシオ夜の帳さん定期的に地元の新聞のみならず、全国紙の紙面に登場するふらいんぐうぃっちは、我々弘前の出身者にとって大きな励みになります。

横の写真は過去に撮った藤田記念庭園洋館ですが、当時から喫茶店は営業していました。これをふらいんぐうぃっちのマンガに組み入れて聖地化するとは、凄いイメージ戦略ですね。

ふらいんぐうぃっちがアニメ化された2016年が一番盛り上がった年ですが、その後はアニメ第二期の制作機運も上がらずに下火になってしまいました。それでもふらいんぐうぃっちのマンガは今でも石塚千尋さんが執筆されています。

最初は応援の意味を込めてふらいんぐうぃっちの単行本を買っていたのですが、今では完全に好きなマンガとなってしまったので発行されるたびに定期的に買っています。今年発売の最新刊は、第14巻です。

マンガのネタを考えるだけでも大変なのに、良く今でも続いているものだと思います。作品のあらすじは季節ごとになっていて、初登場の回は冬から春に移行する時期でした。やがて季節は進み秋までは書かれたのですが、冬の話がまだ描かれていないです。

季節の変わり目は運び屋によって表現されています。既に春の運び屋夏の運び屋秋の運び屋は登場しているので、冬の運び屋の出演する話が待ち遠しいですね。

アニメオリジナルキャラクターとして、地域に夜を連れてくることを生業としている夜の帳(よるのとばり)さんも出てくる不思議な話もあります。夜になるまではヒマなので、ここの喫茶 コンクルシオで時間を潰しています。

夜の帳さんは顔面が春の運び屋さんのようで、肘の関節が両腕に二つあって椅子に座って寛いでいる時には必ず何かしらの本を読みます。

喫茶 コンクルシオ 店員の幽霊
喫茶 コンクルシオ 店員の幽霊

紅葉の生垣と藤田記念庭園洋館
紅葉の生垣と藤田記念庭園洋館
最勝院金剛山門の向かいにある坂・春の運び屋さん
最勝院金剛山門の向かいにある坂と春の運び屋さん

最勝院金剛山門の向かいにある坂・宵宮春の運び屋は地元マンガ・ふらいんぐうぃっちに出てくるキャラクターで、冬を送り春を運んでくるメンフクロウに似た長身男性です。

最勝院の特集で桶屋町に続く長い階段とふらいんぐうぃっちで春の運び屋さんが登場するシーンがシンクロしていたので、聖地巡礼バージョンとしてupしました。ここで撮影した実写の長い階段は、最勝院と八坂神社で宵宮があったので階段の上から撮った写真です。

春の運び屋さんは弘前に新米魔女がやって来たと聞いて、真琴の元を訪ねる。その怪しい風貌から千夏に警戒されていたが、「嫌わないでください」というメッセージとともに春の花(ペチュニア)を贈り、彼女の信頼を勝ち得た。

極悪人風・春の運び屋さん
極悪人風・春の運び屋さん

おどける・春の運び屋さん
おどける・春の運び屋さん

ペチュニアをもらった千夏ちゃん
ペチュニアをもらった千夏ちゃん

ふらいんぐうぃっち 春の運び屋さんのコスプレ
ふらいんぐうぃっち 春の運び屋さんのコスプレ
最勝院五重塔 一階入口
最勝院五重塔 一階入口

最勝院五重塔 最勝院五重塔 境内に建つ五重塔は、日本最北端の国指定重要文化財の五重塔です。津軽統一の際に戦死した人々の霊魂を供養する仏塔として三代藩主信義の時世に大圓寺六世の京海が発願、四代藩主信政に至り大圓寺七世當海代の寛文八年(1668)に入佛開眼供養式が厳修されました。この五重塔は姿が美しいことで有名で、重要文化財指定説明には『實ニ東北地方第一ノ美塔ナリ』と讃えられます。

国の重要文化財指定の五重塔としては日本最北端に位置する。心柱は角柱で、初層天井から立つ。江戸時代建立の塔であるが古式を残し、軸部の逓減率が高く、バランスの取れた優美な塔である。初層は正面のみを連子窓、他3面を丸窓とし、2層以上は窓や構造材の意匠に変化をもたせている。

この塔は金剛山最勝院の所属であるが、昔は連光山大圓寺の所属であった。藩祖津軽為信の津軽統一の際、戦死した敵味方の将士らを供養するという本願を大圓寺第六世の京海が立てた。そしてその帰依者は、三代目藩主信義公である。

寛文五年(一六六五)四代藩主信政公の帰依を受けて工事が再開され、同七年に完成。同八年入仏供養式が行われた。

平成四年から平成六年にかけて行われた全面解体修理で『寛文四年八月十日』の銘が初重の内法貫から発見され、この頃の建設開始と推定されている。

最勝院五重塔 一階拡大
最勝院五重塔 一階拡大

最勝院五重塔 銅鐘
最勝院五重塔 銅鐘

最勝院五重塔 銅鐘の賽銭箱裏
最勝院五重塔 銅鐘の賽銭箱裏

最勝院で静かに散策して癒されました
津軽弘法大師霊場 第一番札所 金剛山 最勝院

金剛山最勝院 本堂 金剛山最勝院 お守り売場 最勝院本堂と境内の様子です。近くには水屋と最勝院鐘楼 平和の鐘があります。この鐘を鳴らすと弘前旧市街全域で鐘の音が聞こえます。

天文元年(1532)弘信法印が平賀郡堀越城外の北、萩野の地に三宇の伽藍を造営し開基しました。正式名称は金剛山光明寺最勝院。この名称は「金光明最勝王経」という仏教経典に由来し五穀豊穣、国家安穏の願いが込められています。

本尊は金剛界大日如来、秘仏として猫突不動明王、牛頭天王、聖天、文殊菩薩、五智如来、胎蔵界大日如来、如意輪観世音菩薩等を祀っています。文殊菩薩は津軽卯歳一代守本尊霊場、猫突不動明王は東北三十六不動尊霊場として信仰を受けています。

金剛山最勝院 水屋
金剛山最勝院 水屋

金剛山最勝院 境内の紅葉と仁王門
金剛山最勝院 境内の紅葉と仁王門
最勝院五重塔 銅鐘の音

重要文化財 最勝院五重塔 重要文化財 最勝院五重塔の紅葉 弘前市銅屋町にある国指定重要文化財 最勝院五重塔は藩政時代に津軽藩領地で起こった戦争の死者を供養しています。近くにある平和の鐘・銅鐘の音は一突き鳴らすと旧市街に聞こえます。

塔内部は来迎壁や四天柱を緑青、群青、故粉、辨柄、金箔、銀箔を使い極彩色で彩られています。中央の須彌壇(しゅみだん)には本尊胎蔵界大日如来、脇佛に稚児聖徳太子像、十王像が安置されています。

塔の高さは約31m。最も大きくて塔の中心にある心柱は、継ぎ目の無い一本の角形杉材で塔の最先端にある寶珠まで立ち上がります。古文書によると、西目屋村 村市の毘沙門堂裏山より切り出したと書かれています。

※駐車場/数台
※開館時間/AM9:00~PM4:30 
※名称 真言宗智山派 金剛山最勝院(昔は連光山大圓寺の所属)
※住所 〒036-8196 弘前市銅屋町63 Tel 0172-34-1123
※本尊 胎蔵界大日如来(本堂に金剛界大日如来が安置されたため)
※外観撮影自由 内観撮影・見学不可
平成15年4月22日~平成15年5月12日まで仏像開眼のため御開帳された

重要文化財 最勝院五重塔 平和の鐘
重要文化財 最勝院五重塔 平和の鐘

重要文化財 最勝院五重塔 看板
重要文化財 最勝院五重塔 看板

重要文化財 最勝院五重塔 説明看板
重要文化財 最勝院五重塔 説明看板