マプトでの販売が嬉しい悲鳴があがるほどに好調な、
現地の人たちと制作にあたっているカプラナ商品。
お買い上げくださっている皆さま、納品や在庫・売り上げ管理などを
ご協力くださっている皆さまにはなんとお礼を申し上げたらよいのやら、
感謝の言葉もありません。
ということで、我々も日々精進している次第でございます。
新作でございます。
暑いです。毎日、家の中がむんむんします。
それもこれも、うちの家の屋根がトタンで、
朝から強い陽射しであたためられているからだと思います。
さて、ハイパーなマーケットでは少し前からマプトで売られていると
風の噂で聞いていたスワジランド産の卵が買えるようになった。
パッケージの綺麗さや中身の卵の大きさの均等さもさることながら、
なんと賞味期限が卵に印字されているではありませんか。
以前から売られていた国産の卵は賞味期限の記載などどこにもなく、
6個入りパックに入っている卵の大きさもマチマチ、
注意深く確認して買わないとすでに割れているものもあったものだから、
スワジランドの素晴らしさには驚きを禁じ得ません。
個人的な感覚として、週の後半はだいたい週末というような雰囲気の
ここナカラでは、12月に入り、俄然浮き足立っている。
なぜなら12月25日は家族の日という盛大に祝う祝日があるし、
もう今年が終わり、新年を迎えるからでもある。
わたし:「あ!そのサンダル、新しいの買ったの?」
Lurdes先生:「あ、これね、旦那がくれたの」
わたし:「それ昨日PEP(チェーンの雑貨屋)で見て可愛いと思ったんだけど、
サイズがなかったんだよね~」
Lurdes先生:「あ、そうなの?上町のPEPにはあるかもよ?」
わたし:「もう昨日さ、どこの店行ってもすっごい混んでてさー」
Lurdes先生:「あァ、もうFesta(祝日、お祭りの意)があるからね」
わたし:「え、そうなの?いつ?今週??」
Lurdes先生:「え、いつっていうか12月だから」
という具合である。
ここモザンビーク、特に北部沿岸に位置するモザンビーク島は、
8世紀頃よりインド洋交易上重要な役割を担ってきた。
大航海時代にはヴァスコ・ダ・ガマがこの地に上陸して、
ここをポルトガル領だと宣言した後、本格的な都市開発の手が入った。
当初は香辛料や象牙を中心とした国際貿易が発展したが、
19世紀に入ると次第に奴隷貿易が交易の中心となっていった。
そのようなわけで、かつてより様々な人種の往来があったため、
一言でモザンビーク人と言えども、アラブ系、インド系、バンツー系など
様々な系統のモザンビーク人が存在し、信ずる神も混在する。
先月、ナンプラ‐クアンバ間の道路舗装工事の一部を形成している、
ナンプラ‐リバウエ間の工事の監督業務に携わっていた
インド国籍従業員が国外追放された。
労働省監督局によると、この事業内でモザンビーク人に対して
人種差別的行為が行われていたため、今般の措置が取られたという。
それによる即時の労働許可の取り消しと国外退去処分の手続きが行われたらしい。
この事業は北部地域開発の主軸と位置付けられ、日本およびモザンビーク
両政府等(日本国際協力機構、アフリカ開発銀行、韓国輸出入銀行)
による2.5億米ドル(約288億円)規模の協調融資である。
ナンプラ‐リバウエ区間は中国可南国際グループ社が、
リバウエ‐マレマ区間は中国通信建設者が、そして
マレマ‐クアンバ区間はポルトガルのガブリエル・コウト建設社が
それぞれ受注しているものである。
人種や部族という区切りではなく、ひとりの人として、
相手に対する尊敬の念を忘れずにいたいと改めて思う。
(旦那さんに対して、ついこれを忘れがちであることはここだけの話)
参考:2014年10月22日付けNotícias紙(http://goo.gl/jeKwtQ)
(写真は本文とは関係ありません)
勤めるモザンビーク人からの不満が新聞に掲載されていた。
その主な内容は賃金未払いなどであったのだけれど、
その一部に毎日毎日、昼食に中華料理を強制されているという、
私からしたらここナカラではこの上なく羨ましいことであった。
しかし慣れない中華料理を来る日も来る日も食わされるというのは、
モザンビーク人にとっては耐え難い苦痛であったのであろう。
現に、新しくナカラにオープンした中国福天酒店には物珍しさから
モザンビーク人も食べにやってくるのだけれど、
出された中華料理を完食していく現地の人に私はまだ会ったことがない。
それでも炒飯は持ち帰ったりするのだけれど、
こと焼き餃子に関してはモザンビーク人の口には合わないらしく、
一皿に盛ってある15個ぐらいのうち2個ぐらいしか食べず、残していく。
あァ、私が欲しいよ、その残り…と思いながらいつも横目に見ている。
文化風習が違えば、様々なところで問題が出てくるのが常である。
新たな事業が次々に流入しているナカラ経済特区でも例に漏れず、
近年のナンプラ州内における労働争議が最も紛糾している場所となっている。
それは、ナンプラ州労働争議仲介調停センターによると、
2014年1月から9月までの間で発生した労働争議は約620件にものぼり、
その大部分がナカラ経済特区関連であるという。
うち約430件は前向きに解決され、約170件が暗礁に乗り上げ、残りが係争中とのこと。
これらには約540社20,000人の労働者が関与している状況であり、
分野も商業、土木、民間警備、ホテル観光業など多岐にわたる。
主な係争理由は不当解雇、残業手当未払い、給与改定等にかかるものであり、
当局は担当官らの能力強化を図りながら現在の争議解決に
最大の注力を行っていく方針であるという。
こうした様々な投資が入ってくることで、当局の能力強化も
同時進行していかなければ対応しきれないとは、長い目で見ると
投資というのは様々な事柄がかみ合って発展してゆく起爆剤にもなり得るのだなァ。
参考:2014年11月5日付けNotícias紙電子版(http://goo.gl/jj1MT2)
また、停電の季節となりました。
もうすぐ雨季のため、乾季の終わりは停電が続くことが多い。
最近は、午前中に数時間またはそれが午後まで続くこともあり、
夜も一時的に停電することがしばしば。
昼間は外が明るいし、冷蔵庫の中に入れておくものにさえ注意すれば、被害も少ない。
しかし一番困るのは、料理中とシャンプー中の停電である。
うちは電気コンロのため、料理の途中での停電は困るし、
シャンプー途中だと頭にこんもりと乗っかったシャンプーの
泡をすすぐのにもひと苦労。
早く、雨降らないかな~。
カシューナッツはナンプラで収穫される特産の一つである。
国道沿いにも売り子がたくさん出ているし、
町中にもすでに煎ったカシューナッツがタライに入って、
駄菓子感覚で手のひら分だけを数円で買うことができる。
しかもきちんと密閉されてきれいに店に陳列されている
どこかの工場で大量生産されているようなものよりも、
見た目は悪いが道端で売られているものの方が味が濃くて美味しい。
マンゴーと並んで、カシューナッツの樹もそこらに雑然と
生えているので、手作業でも収穫の手間を少しかけるだけで
現金収入に繋がるのだから、肥沃な大地に感謝である。
銅、マグネシウム、亜鉛などのミネラル分も多い。
そしてビタミン類、食物繊維が多く含まれているのが特徴である。
オレイン酸は悪玉コレステロールを減らし、過酸化脂質を作りにくくし、
脂肪燃焼を助ける効果があるというから、ダイエットや生活習慣病、
糖尿病予防にも効果的であるとされている。
私たちがナッツとして食べている部分はカジュー(Caju)の
実の上にくっついている部分で、実の部分は絞ってジュースにする。
ちなみにカシューナッツの殻を利用してオイルを作ることもできる。
その精製工場がナカラに建設されることが決定した。
これはモザンビーク国内のみならずアフリカ大陸において
初めて設置されるもので、中国からの2,000万米ドル
(約23億円)の投資事業である。
今季のカシューナッツの取引量は前期比20%増の8万トンに上っているという。
このカシューナッツの殻から精製されるオイルは、航空、化粧品製造、
衛生産業の中で利用されており、すでにインド、中国、ブラジルにおいて
そのオイルの精製を通じた農村部での雇用機会創出や地域開発の実績を持つ。
アフリカではまだ未開発のこの分野での参入が
モザンビークのここナカラで初めて行われるということからも、
国内外からの期待が伺える。
ナカラの町中でもカシューナッツから作られた化粧品類が
店に並ぶのも、そう遠くないのだろうなァ。
参考:
2014年11月7日付けNotícias紙電子版(http://goo.gl/RPTylb)
カシューナッツの効用()http://goo.gl/b5V8Rn
体中に車のアクセサリー用品をぶら下げた売り子がわらわらと近づいてくる。
売り子:「やあやあ、車の中で音楽が聴ける器械あるよ、どう?」
わたし:「いや、いりません」
売り子:「フラッシュメモリを挿せば音楽が聴けるんだよ」
わたし:「いりませんって。こないだあなたから買った同じもの、すぐ壊れたから」
売り子:「壊れちゃったの?じゃあ新しいの買わないと!」
わたし:「いや、もういいです、CDで聴いてますんで」
売り子:「じゃあハンドルカバーはどう?」
わたし:「必要ありませんから、いらないです」
売り子:「じゃあ、じゃあワイパーのゴム!もう替え時だよ、買った方がいいよ」
わたし:「いや、それもいらないです。何もいりませんから」
売り子:「じゃあ金くれよ」(急に目がマジ)
わたし:「はァ?なんで?ほら散った散った!」
これをカツアゲと言わずになんと言うのか。
Do It
Youself.
日本では高い技術を持つ専門業者に頼むことも、自分でやることも選択できるが、
こちらでは専門業者の腕が必ずしも専門たる技術を有していない場合もある上に
高額な技術料を請求されることも多々あるので、できることなら自分たちでやった方が安心である。
車の修理などその最たるものである。
ナカラでも数年前に比べて人口の増加や海外からの投資の増量に伴い、
車の使用量は何倍にもなっているので、車の修理業者もそこら中で見かける。
しかしその中で安心して車を預けられる業者はタクシー運転者から
聞いたりした個人的な見解からすると、ほぼないに等しい。
そもそもDIYは第二次世界大戦でドイツ軍の激しい空襲を受けた
ロンドンで戦後に「破壊された街を自分たちの手で復興させる
国民運動」が始まり、そのスローガンとしてうまれた概念である。
やがてその概念はヨーロッパ全土からアメリカに広がり、
特にアメリカでは「復興から週末レジャーや余暇の一つ」として
楽しむという概念に変化を遂げたものらしい。
それらに必要になる資材や工具を専門に取り扱うホームセンターが各地に造られたという。
1970年代初頭には日本にも本格上陸し、現在のホームセンターの
スタイルを日本で最初に取り入れたのは1972年にオープンしたドイト与野店である。
(Wikipediaより)
と、ここまで調べて、当時実家から一番近く身近に利用していた
ドイト与野店が日本発のホームセンターであると知って、いささか驚いた。
ということで、日本で購入してきた、車の凹みをDIYする器材を使って車の凹みを直しました。
























