旅行などでナカラを出る。

目的以外に行った先でまずやることと言えば、中華料理屋を探すことである。
本心では日本料理屋があると最高なのだが、そんな大層なものはここらにはない。



ザンビアのリビングストンには、立派なホテルについた美味しい中華料理屋があった。



卵炒飯に餃子、レタスの大蒜炒めに青椒肉絲!



いやァ、中国様々である。
私たちが生きていくうえで、まず満たされるべき三つの要素は衣食住である。

たとえ平穏に暮らしていたとしても、戦争や内紛、自然災害などにより、
一瞬にしてこれらの安全が脅かされる可能性は往々にしてあるのである。
私にもそれは例外なく襲いかかってきたのである。

待ち焦がれた雨季が訪れ、毎日少しずつ雨が降り、
大地を潤し、気温を下げてくれていた。
その日も夜から雨音が聞こえはじめ、
床についてからもまだ雨は降っていた。

雨季と言っても日本の梅雨とは異なり、
雨がしとしとと振り続くということは稀で、
たいていは振り始めたかと思うと数分から数時間で
それまでの雨が嘘のようにまた太陽が幅を利かせるのである。

しかし年に一度か二度は激しい雷雨とともに夜通し雨が振り続く日がある。

この日、雨音の中で床についた私は顔に降り注ぐ水しぶきにより、目が覚めた。
それは真夜中の出来事であり、我が家の寝室とその隣の部屋には
壮絶な雨音と共に寝室の天井ならびに天井と壁の間から勢いよく
雨が降り注いでいたのである。

あまりの勢いのよさに寝室の床はみるみるうちに水浸しになり、
それを避けるように荷物をどかしながら、
古新聞でその水の流れを阻止しようとしていると
今度は割れんばかりの音で雷がやってきた。

それは瞬く間に我が家の真上に来たかと思うと
飛び上がらんばかりの音でもって、近くに落ちた。

裏向かいの大家さんの家から住人が私に向かって何かを叫んでいた。

「コンセント全部抜いて!!焼けちゃうからァ!!」

それを聞いて慌ててブレーカーを全て落としたが時すでに遅し。
普段から電圧が不安定なここナカラでは家電やパソコンがよく壊れるのだけれど、
昨年に引き続きインターネッ トのモデムがヤられた。









これらの水をかき出すのに、朝までかかった。
なぜか旅行の前日に限ってこういう事態に陥る。





寝不足のまま、ヴィクトリフォールズのある
ザンビアはリビングストンまで、いざ行かん。

1225日はこちらでは「家族の日」という祝日である。

大家さんの奥さんは前日からパウンドケーキ作りに大忙しで、
当日の昼も「今日はお祝いだから、食事はこっちで用意するから、
お皿貸して」ということで、たんまりいただきました。


二人なのにホールでいただいちゃった


ランチまで!

この日、至れり尽くせりだったので、この1年間の日々のあれこれ
(「ちょっと揚げ物するから小麦粉ちょうだい」とか
「トマト(または玉ねぎまたは卵)ある?」とか
「紅茶飲みたいから茶葉ちょうだい」とか)が、一気に清算された気がした。


犬たちも満腹のご様子

もう暑さも限界だった昨日、ついに雨が降った。わーいわーい。


いずこからやってきた雨雲


雨雲を見つめる、まめ子さん


半年以上振りの雨です


「それよりも肉です!ニク!!」


これで少しは涼しくなるかなー。

今月いよいよ開港したナカラ国際空港を冷やかしに行ってきました。


町中からビーチに行く途中に突如現れる空港の建物。
もちろん周りには、まだ何もない。
国道から空港への入口付近には中国の建設会社の看板がたてられていて、
その看板によると屋根付きのスタジアムなども順次できるらしい。
ほんの
1年前まではスーパーマーケットもなかった町なのに、なんてぃこったい。


ドバイへの就航もあるというれっきとした国際空港です


ちょうど日に1便の飛行機が出た後だったので、
すでに閑散とし、職員は掃除をしていた


テナントの場所は確保してあるものの
まだレンタカー会社が2軒入っているのみ


看板にレストランがあると書いてあったのだが、
その先にはまだ何もなかった


あまりの綺麗さに興奮し過ぎてトイレで記念撮影


ロビーには建設の様子がパネル展示されていた


左からブラジル、モザンビーク空港公社、モザンビーク、ナカラ市
建設にあたったのはブラジルのODEBRECHTという建設会社


2階にもテナントや展望スペースがあるのだが、
まだ立ち入り禁止であった


チェックインカウンターは新聞記事の通り16か所であった

まるでナカラではないみたいな空間だったが、機会があれば利用してみたいものである。

我が家のナカラでの生活も残すところあと2か月ちょっと。

日本からの出張者の方々にいただいたり、一時帰国の度に
スーツケースいっぱいに運び込んできた日本食たちは、
もったいないもったいないとここぞという時にちびちびと食べていたが、
残りも少なくなるとどんどん食べていかなくてはならない!



寒天の粉から寒天作って、
豆の水煮缶と砂糖を煮詰めて餡子作って、
フルーツサラダ缶を開けて、
仕上げに持ってきた黒蜜かけたら、
「あんみつ」です(うーまーいー)



あんみつ姫

12月もあっという間に後半に入り、町中も俄然浮き足立っている。

それは銀行を見るとわかる。
現金を持ち歩くことが安全ではないので、
皆だいたい買い物の直前に銀行から引き出す。
いつにも増して銀行や
ATMは長蛇の列となっている。


クリスマスリースなんぞ売ってないので、
いただいたお菓子の包装紙を駆使して作ってみた


トナカイもいるよ

モザンビークでも北部に位置するここナカラは、
部族的にいうとマクワ族であり、マクワ語という口承言語を操る。

マクワ族は、モザンビーク内のザンベジ川北側のナンプラ州や
カボ・デルガード州に居住する部族であり、マクワ語の話者は
他にタンザニア南東部にもみられ、話者人口は約
300万人である。

このマクワ族には「ウィネリーア」と呼ばれる女子のための一つの儀式がある。
これは日本でいうと成人式に近いものになるが、決まった年齢や
日にちはなく、だいたい
15歳ぐらいの女子を対象に行われるものである。

2
日にかけて行われるこのウィネリーアには男子禁制で、
参加者は皆お揃いのカプラナ(腰巻布)をまとう。
対象者の女子は同じくマクワ語のマラカカーナ(助言者)と呼ばれる
女性から、女子(子ども)から女性(大人)になるにあたっての心得を色々と教わる。

内容は良い女性、妻になるためのあれこれであり、目上の人には
敬意をもって接することや子どもの作り方や育て方などである。

この
2日間は対象者の女子は自宅から外出することが許されない。
この中で行われる
Festaにはもちろん様々な食事が参加者に振る舞われ、
ダンスをして皆でそれを祝う。
ちなみにここより北部のペンバなどに居住するマコンディ族の
儀式では、
13か月は外出が許されないという。

部族やコミュニティの繋がりが日本や首都のマプトよりも
まだ色濃く残っている証であるのだろう。

こういった儀式が残っているから、
マクワの女性はしっかりとした「オカン」が多いのだろう。


身近なオカン、家庭教師のLurdes先生

乾季も終わりに近づき雨季の雨を待ち遠しく思いながら、暑い日々が続いている。

そんな暑いナカラで今、最も熱い話題と言えば、
今週末に開港するナカラ国際空港の話題である。

開港式には大統領閣下までいらっしゃるというのだから、
町中の清掃にも、祝日とか何かあるっていうと目抜き通りに
飾り付けられるカラフルな布の装飾にも、力が入るってもんです。

新聞記事によると、その初期段階での年間旅客対応許容量は
50万人。
ちなみにこれは日本でいうと、富士山静岡空港(合計
460,657
[国内:287,196人、国際:173,461]2013年統計ランキング40位)よりは多く、
奄美空港(国内利用のみ
556,111人/同39位)よりは少ない数である。

16
のチェックインカウンターと国内および国外路線用の出発ラウンジを有し、
混雑時には
1,240名の旅客への対応が可能となっているらしい。

これまでナカラから飛行機を利用したければ、
車で
3時間ほどかけて州都ナンプラまで行く必要があった。
さらにナンプラ空港にはチェックインカウンターが
10ほどしかない
ことを考えても、今後ナカラが北部沿岸の拠点としての期待の大きさが伺える。

空港建設に伴う事業費は、
2億米ドル(約236億円)超で
モザンビークおよびブラジル両政府による協調融資によるものである。

今のところ、初動としてはモザンビーク航空
1社のみの週3回(1便/日)、
マプトへの運航となる予定だが、運輸通信大臣の視察時には、
自社の航空機就航に関心を持つエチオピア航空や南アフリカ航空の
職員も同行したとある。

空港が開港することで国内外からの更なる投資が期待できるだろうし、
沿岸部の観光開発にも注力してゆくのだろう。

だがこれを受けて、今までナンプラ空港までの主な交通手段となっていた
タクシーの運転手は「もうオレは終わりだ(稼げない)・・・」と嘆いている。


参考:
20141127日付けO País紙:http://goo.gl/UyIbq3
全国空港乗降客数一覧:http://goo.gl/Cq6IQH

毎日毎日、暑い暑いと申せど、どのくらいの暑さなのかを
言葉だけで伝えることはいささか難しいのであります。


このように暑いのです
(もともとは真っ白なマルチーズ)



このように、暑いのです
(カラスが見切れた)