1月18日(日)停電7日目
町中の発電機は売り切れた模様である。
だが私たちはこの電気がないという状況下で
日々生活能力を向上させていた。
電気がないからといっても容赦なく雨は降る。
おおもとの水道が出ない今、電気に続いて
水まで枯渇することはまったくもって恐怖である。
雨が降ると私たちはその雨水をできるだけ貯水することに努めている。
1月17日(土)停電6日目
「蛆(うじ):ハエ目・ハチ目などの昆虫の幼虫の総称。
特にハエの幼虫をいう。通常は脚がなく、歩行はいぼやかぎをもつ脚状物による。
種類によって様々の形態・色彩を有する。さし。蛆虫。」(広辞苑より)
今まで生きてきた約30年で蛆の皆さまと対面する機会なぞ持たずに
ここまできたが、ついに彼らと一戦を交えることになった。
停電後、元・冷蔵庫を蟻よけ保管庫としてをそのまま使用していたが、
ついに、ついに、蛆の皆さまがその元・冷蔵庫内においでなすった。
夜は姿が見えなかったのに、翌朝になっていきなり現れた蛆の皆さま。
数日前からハエがきていたので、日に数回は開けて追い払っていたのだが、
どこから入ってくるのかうまい具合に元・冷蔵庫で出産を終えていたらしい。
朝、元・冷蔵庫を開けると数百にもなる元気な蛆の皆さまと一斉に目が合う。
まだ赤ん坊である。
元気にうにょうにょと元・冷蔵庫内にまんべんなくいたのである。
繰り返しになるが、数にして数百はいたであろう・・・・・・・・・・
一瞬にして私は身動きが取れなくなった。
こういう類のものが苦手でゴキブリやネズミすら私に処分させようとする
旦那さんのこと、起こしに行っても大して役に立たないのは見えていた。
そこで私は彼らにパニックを起こさせないよう、一度その扉を静かにしめ、30秒ほど考えた。
しかしどう考えても、私が一人でこれら数百の蛆の皆さまをどうにかするしかない。
落ち着け、落ち着くんだ、相手はまだ赤ん坊だ。まだ小さい。
しかも飛ばない。(私は蛾とか飛ぶものが苦手なのである)
彼らからすれば、私ほど大きく恐怖におののく相手はいないだろう。
国立公園のサファリガイドも言っていたではないか
「一番恐ろしい動物は人間です」と。
私は覚悟を決め、蛆の子どもたちを守ろうと私に攻撃してくる
ハエたちを払いながら、勇気を振り絞り行動に移った。
キッチンペーパーと塩素たっぷりの掃除用洗剤を両手に、
元・冷蔵庫内のまだ無事な物(密封された瓶とか)、
もう救い出せない物と選り分けつつ、活発に元・冷蔵庫内の壁を
動き回る彼らに対して片っ端からキッチンペーパーで潰しにかかった。
キッチンペーパーも10枚ほど使った頃だろうか、
彼らにとってはひとたまりもないであろうこの掃討作戦は
粗方のかたがついていた。
途中、「戦争とかもこういうものなのかもしれない」と思ったり、
進撃の巨人の戦いのシーンが頭に浮かんできたりと、多少の混乱は
あったものの、なんとかすべての蛆の皆さまを葬り去った。
元・冷蔵庫内のすべての取り外せる部品は濃い目の洗剤で洗浄し
天日干し、庫内(特に壁面)もこれでもかというくらいに消毒した。
すべてを一人で乗り切り、疲弊しきっていたところに旦那さんがのこのこと起きてきた。
「何、どうしたの?何かを乗り越えた顔をしているけど何があったの?」
当然である。私は一人で乗り越えたのである。
1月16日(金)停電5日目
相変わらず電気はなく、一日は朝の水汲みでスタートする。
先日焼き切ってしまった大量のイカがあるので、
目ても覚めてもイカを食べながら毎日を過ごしている。
こうも電気がないと、日中家にいる私は時間を持て余してしまう。
日頃から長時間何もせずに過ごすことが少々苦手な私は
家の中を行ったり来たりして、「あ、あそこ掃除しとこう」とか
「そうだ!ここも掃除したかったんだ」と、まるで年末の大掃除である。
それでも時間が空くとポルトガル語の勉強か本を読むぐらいしかない。
非常に健康的である。生きるために生きているという感じがしてくる。
まだ慣れない屋外の掘立小屋での料理は、やれ鍋だ、やれ調味料だなどと
いっぺんに手に抱えられる物の限度があるので、家と掘立小屋とを行ったり来たりだ。
暗闇の中、段差につまずかないように緊張してそろそろと歩いたり、
ほとんど何も見えないので犬の足を踏んだり、炭火の煙が目に染みるは、
鍋の座りは悪いは、火加減の調整が難しいは、取っ手は暑いはで、
料理が完成するころにはほとほと疲れ切ってしまい、食欲がもはやない。
しかも水浴びの水は冷たいので、かぶる度に「ひゃッ」となる。
毎日こういう生活をしているご近所の皆々さまを心から尊敬すると
同時に、日本やこれまでの生活がなんと贅沢なものであったかと
つくづく思い知らされる。
しかもうちの中庭に埋まっている大きな水がめ(幅3m×深さ5mほど)の
水はもう半分まで減っているが、うちの敷地に轢かれている水道の蛇口は
ひねっても、うんともすんとも言わない。
電気がない上にこれで水まで枯渇してしまったら、どうすればいいのだろうか。
呑気な大家さんのお手伝いさんは
「大丈夫よォ、あと何日かしたら水も電気もくるから!」
などと根拠のない予言で励ましてくれるが、どうにも信じ難い。
答えは出ないまま、今日もイカを食らうしかないのであった。
それにしてもあの大きな送電鉄塔を10塔もなぎ倒してしまうほどの
威力の洪水を引き起こしたザンベジ、恐るべし。
年末年始に訪れたザンビアとジンバブエにまたがり世界遺産でもある、
あのヴィクトリアフォールズもザンベジ川の途中にある。
ザンベジ川はアフリカ南部を流れインド洋にそそぐ全長2,750kmの河川であり、
ナイル川、コンゴ川、ニジェール川に次ぐアフリカで4番目に長い川である。
ザンビア北部に源を発し、アンゴラ、ザンビア、ナミビアと流れた後に
ザンビアとジンバブエ国境を流れ、モザンビークに入りインド洋の
モザンビーク海峡にそそいでいる。
その流域にはカリバダム(総貯水容量世界一、琵琶湖の67倍の容量)と
我らがカオラバッサダム(モザンビーク・テテ州)がある。
さらに面白いことに、ザンベジ川には怪物魚がいるらしく、
釣り人が川に引きずりこまれる事件が次々と報告されているという。
蛇のような魚のその怪物魚の招待として有力な説は、
カリバダムのカリバ湖周辺に棲みついているブンドゥーという
ナマズの一種で体長は3メートルとも5メートルとも言われているらしいが定かではない。
とWikipediaにはある。
なんにせよ、恐るべしザンベジ川。
1月15日(木)停電4日目
今日ももちろん電気はない。
もう理由もはっきりしているので、なんてことはない。
停電してからというもの、朝一番の仕事が「水汲み」になった。
今までも朝から水汲みをしている子どもや女性たちを横目に見ては、
大変そうだなァなんて思ってはいたが、実際に自分でするようになると、
それがいかに重労働なのかが分かる。
とはいえ私の場合は、家のすぐ裏から家の中までの
ほんの数メートルを運ぶだけだ。それでも数回目にはげんなりする。
家から遠く離れた場所から水を汲み、家事を手伝い、学校に通って
(もしくは学校に通うことを夢見て)いる子どもたちには
まったくもって頭があがらない。
今日は新内閣発足のため、急きょ祝日になった。
この国では前日に通達があり、翌日が祝日になるということがままある。
昼食はビーチにあるコンドミニアムタイプの宿泊施設に隣接している
レストランに避難した。
ここはレストランのすぐ脇にはエメラルドグリーンの海が広がっているし、
いいのか悪いのかあまり賑わっていないのでお気に入りの場所である。
席につき、冷たい飲み物も温かい食べ物もあるというので、ひと安心。
久しぶりにゆったりした時間を過ごすことができたのである。
夕暮れ時になり、帰りがけ冷たい飲み物でも飲みたいということになったが、
どこも冷えているものはなく4~5軒目でやっと見つかった。
夕食は自宅で、屋外の掘立小屋で準備することになるが、
はて何にしよう・・・こういう時は酢飯だ!と旦那さんが言うので、
酢飯で手巻き寿司(具はキャベツで作ってあったキムチもどきと
イカ焼き)に冷凍してあった(もはやダメになる寸前の)かぼちゃで
ポタージュスープという、なんともへんてこな献立になった。
二人で「そうだ、これはキャンプだ」などと自らを励ましながら、
これまた暗闇に浮かぶろうそく1本の灯りでへんてこな夕食を済ませた。
もう夕食が済んでしまうと他にやることもなく、
21時か22時には早々に床につくことになる。
これがあと10日も続くのか・・・。
1月14日(水)停電3日目
もはや期待なぞ、とうにない。
どういうわけか、電気は復活しないのだ。
停電3日目になって初めて停電の理由と災害の様子などを
旦那さん経由で知ることになる。
電気がなくてはならない港という場所で働く旦那さんの職場は
それでも電気があり、インターネット接続も絶えないらしい。
そこでインターネットでニュースを読んだ旦那さんから、
ザンベジ川の氾濫により送電鉄塔が10塔ほどなぎ倒され、
家々が流され、国の中部から北部全域で停電になるという
災害に見舞われたということを聞く。
記事によると復旧には1週間以上かかるとのことである。
うーん・・・うーん・・・、そうか。仕方がない。
モザンビーク生活も残すところ2か月をきったこのタイミングでこの事態。
ここでの生活の約2年半で、水が枯渇したことはあったのだけれど、
2日以上の停電は初めてであった。
しかも最低でもあと1週間はこの状況が続くという。
洪水や送電鉄塔の倒壊などで家を流されたり、感電死したり、
他の理由などで亡くなった方も大勢いらっしゃるときに
家も、家族も無事となれば多少の不便は致し方ない。
いつかまたこういう事態にどこかで陥った時に、
きちんと対処できるように生活の知恵を身につけるチャンスと思うようにしよう。
とりあえず、冷蔵庫がただの保管庫になってしまった今、
まずやるのは傷んでしまう食品の対処である。
ちょうど先週末にビーチで立派なイカを2杯も購入してしまったのだ。
その冷凍していた残りが元冷凍庫でただの冷蔵品になっていたので、
これを調理することにする。
頭の部分だけでも40cmほどの大きさのイカだったので、結構な量である。
ステーキ用や天ぷら用、炒め物用にと切り分けておいた
イカたちにとりあえず火を通すことにする。
普段であれば、料理は家の中のキッチンにある電気コンロで
行うのだけれど、電気がないので大家さんの家の屋外のキッチンで
炭のコンロで調理する。
広さ1畳、高さ180cmほどのキッチンという名のコンクリートの
掘立小屋で炭を焚くと、屋根がトタンなこともあり、
熱が逃げずにサウナ状態になる。
屋外なのでハエたちも遠慮がない。
もちろん終わった後はサウナ後であるかの如く汗がダーラダラである。
料理もしながら毛穴も綺麗になるなんて、一石二鳥ではないだろうか。
その後の洗い物ももちろん外で、タライにはった水でする。
しかし停電も3日目ともなると、なんだか慣れてくる。
ただ、精神的には慣れてもそこは齢三十一にして車生活の
絶対的に運動不足の体。
家と屋外キッチンとを何度も行き来し、何食分かのイカを焼き
(コンロの高さは地面から30cm)、水が必要な時には
地面に埋め込まれている水がめから水をタライに汲み、
その10kgちょいのタライを何度も運んでいると腰が悲鳴をあげざるを得ない。
しかも今日は朝からタライで洗濯もしていたのである。
大家さんのお手伝いさん:「今日はたくさん働いて疲れたでしょう」
わたし:「うん、もうくたくたです…」
お手伝いさん:「日本では2週間も電気がないってことはないの?」
わたし:「ないよー!日本は戦後70年だし、私の親の世代でもないんじゃないかな」
モザンビークは1975年にポルトガルの植民地時代が終結をむかえたあと
約20年にわたって内戦が続き、その内戦が終わりをむかえたのは
1992年であり、それは今からほんの20年前のことなのである。
お手伝いさん:「70年!すごいのねぇ。でも、日本にいるときも家事はやってたんでしょう?」
わたし:「うーん、でも働いてたからね。主婦じゃなかったよ」
お手伝いさん:「あァ!じゃあ私みたいなお手伝いさんを雇ってたのね」
わたし:「いやいやいや、私みたいな凡人には雇えませんもん」
お手伝いさん:「え!そうなの?高いのね!?
じゃあ働きながら家のことも全部やってたの?旦那さんと二人で?」
わたし:「そうだよ~でも色々なものが機械化されていたり、
外でも色んなお店とかあるからね」
お手伝いさん:「そうなのねぇ」
所変われば品変わるである。嗚呼、背中が痛い。
1月13日(火)停電2日目
朝方、雨は止んだようだがどうにも空腹である。
(モザンビークに来てからというもの「食べる」という行為が
生活における娯楽の大部分を占めるようになり、とんと食いしん坊になった)
しかも雨が降ったので蒸し暑い。
祈りを込めて、エアコンのリモコンに手を伸ばすが、作動しない。
諦めきれずにベッドから這い出て、部屋の電気のスイッチを
入れてみるが、やはり電気はつかない。
私たちの期待をよそに、電気はまだ復活していないのである。
もはや置かれた状況には諦めるほかないので、
眠い目をこすりつつ外の水がめから水を汲み、文字通り水を浴び、
食器の洗い物はタライに水を張って屋外で行う。ここまではまだいい。
問題は食事である。それでも朝はまだいい。
軽めにシリアルを食らい、旦那さんを仕事に送り出す。
午前中にあるポルトガル語の授業でLurdes先生から、
ナカラだけではなくモザンビーク島(ナカラから約100km)でも、
州都ナンプラ(ナカラから約200km)でも電気がないという情報を聞く。
(この時点ではテレビにもインターネットにも
アクセスできなかったので停電の全貌がつかめずにいた)
それなら仕方がない。
大家さんのお手伝いさんによると、ナンプラからナカラに
繋がっている送電線のどこかが壊れた(切れた?)と聞いたが、
伝言ゲームのようにそれが事実なのかは分からなかった。
そして電気はなくても腹は減る。昼食は旦那さんは外で会食なので、
1人で冷凍庫に入っていたパンの欠片をもしゃもしゃもしゃ。
ここまで停電が続くと夜までに電気が復活するのかも怪しくなってくる。
予想は的中し、もはや電気が復活する気配も、期待もなくなった。
夕食は私が誕生日だったということもあり外食をすることにしたが、
町はレストランも同様に暗闇に包まれていた。
それでも大きなホテルは相応の準備をしており、発電機を
使用しているようで暗闇にそこだけ営業しているのが一目瞭然であった。
町に古くからある一軒のホテル(1階がレストラン)に行って席に着く。
店員:「こんばんは」
わたし:「こんばんは、メニューもらえますか?」
店員:「あの、電気がなくて飲み物だけなんです」
わたし:「えぇ!?飲み物だけなの??」
店員:「そうなんです」
停電ゆえにいつもより賑わっていたそのレストランは、
確かに周りのテーブルにも飲み物しか並んでいない。
とはいえ、朝からシリアルとパンの欠片しか胃に入れていない私は
何かを胃に入れたかった。もはや固形物でなくてもよい。
わたし:「じゃあビールください」
店員:「はい、わかりました」
空腹にビールをぐいッと飲んだ途端にじわじわと五臓六腑にしみわたる。
あァ、幸せだ。あっという間にグラスが空になる。
もう帰って、パンでもつまむかといっていた矢先に店員が
にこやかにメニューをかかえてやってきた。
店員:「あの、電気が準備できたので食事も出せます!」
旦那:「え、ホント!?町全体の電気が復活したってこと?
それともここだけ?」
店員:「ここだけです。発電機が作動したので」
一瞬舞い上がったが次の瞬間にはそうだよね、
ここだけだよねと少し残念に思ったが、
何よりちゃんとした食事ができるのが嬉しかった。
ちなみにこの日は空腹にビールを流し込み、
その後に油っぽい食事をしたものだから、お腹が変な感じになった。
なんとも印象深い誕生日であった。
停電とは、配電(電力供給)が停止すること。
主に需要家への電力供給の停止について言う。原因は様々である。(Wikipediaより)
この度モザンビークでは、ザンベジ川の氾濫により送電鉄塔が10塔ほどなぎ倒され、
家々が流され、国の中部から北部全域で停電になるという災害に見舞われた。
ナカラでは停電が続き、水も止まり、インターネットの接続も切断されていた。
停電から16日目の1月27日(火)の今日、ようやく水とインターネットが回復した。
(電気は断続的にだが、日に7~12時間程度通電する)
1月12日(月)停電1日目
昼間は風はいつもより強かったが、晴れ間も見えるいい天気だった。
夕方、シャワーを浴びている間にどこぞから豪雨がやってきた。
洗髪もそこそこに頭に乗っかっていたシャンプーを急いで洗い流し、
目を開けた・・・何も見えない。真っ暗闇である。
その後は豪雨とともに不安定になった電気がついたり消えたりしていたので、
風呂もそこそこに、雨漏りの様子を確認するとやはり天井の一角から
水がぽたぽたと漏れていた。
外はあらゆる音を掻き消さんばかりの豪雨と強風で、
うちのベランダは水浸し、家側の木製のドアにまで水が浸みていた。
雲が切れた一瞬で外に出て、港で働く旦那さんを迎えに行こうとするが、
家の外には立派な川が流れを早めていた。
どうにかして川の浅そうなところから車を出し、港に向かう。
普段からさほど明るくもない田舎町は、停電のせいで街灯も消えていた。
港は海抜0mの一番低いところにあるので、排水システムもままならない
途上国の田舎町にある港なぞ、一網打尽である。
港の中は川どころではなく、海のように水が満ちていた。
こういう時は本当に車高の高い四輪駆動車でよかったと思う。
すでに10万キロまであと一歩という高齢車だが、まるでアマゾンを
探検しているかのように水をかき分け進むチャレンジャーに惚れ惚れする。
港の事務所の駐車場には、これまたどこぞから吹き飛ばされてきた
元屋根のトタンが散乱していた。
そのうちに豪雨は普通の雨に成り下がり、なんとか無事に
自宅に到着したが、今度は車庫が浸水していた。
とりあえずどうしようもないので車庫入れし、
車を降りるとヒヤリと冷たい水が足首の上まできていた。
とはいえ無事に家にも到着したし、さァ夕飯の支度にとりかかろうとした瞬間、
停電となった。30分、1時間、2時間・・・待てども待てども電気は復活せず、
先週と同様に翌日まで電気が復活しないこともあり得ると悟り、
夕飯は早々に諦めた。
きちんとした夕飯を諦めたところで腹は減る。
家にある食糧を思い浮かべて、まずクラッカーをもしゃもしゃ。
ツナ缶があったので、それも乗っけてもしゃもしゃもしゃ。
んーやっぱり物足りない。
次に取りかかったのは、日本から持ってきていた塩昆布だ。
暗闇にろうそくが灯った部屋の中で、旦那さんと二人で
ソファに並んでそれを文字通り舐めて味わう。
それでもやっぱり物足りないので、先週美味しさを再発見した
海苔チーズをスライスチーズで試してみる。
海苔を半分に切り、そこにスライスチーズを1枚置き、挟んで食べる。
「ろうそくの火で少し焼くと美味しさ倍増!」とか言いつつ、
もはや感動の沸点が低すぎる夜をやり過ごし、その日は床についた。
最近は雨季よろしくあまりぱっと晴れない。洗濯物も乾きにくい。
なんだかどんより空が続いており、夕方になると
真っ黒な雨雲が彼方からやってきて雨を降らせる。
雨季なのだから、雨が降ることはよいことであるのだが、
何にしてもほどほどというものがある。
年末の天井から雨が降り注いだことがトラウマになり、
少しでも強い雨が降るといてもたってもいられずに
家の中を数分ごとに確認して歩き回るようになった。
昨夜は弱い雨と強い雨がまるで腹痛の時みたいに
押し寄せては引き、押し寄せては引くので気が気ではなかった。
しかも夕方18時頃には停電。
ちょうど夕飯の支度をしようとした矢先だったのだが、
数分か1時間で復活するだろうとそのままにしていたら
なんと21時を過ぎても電気は復活しなかった。
うちのコンロは電熱タイプなのでまったく料理ができない状況に陥った。
そこで私は家にある数少ない食糧を思い、
まずは昼の残りであったフレンチトーストの欠片をもしゃもしゃ。
だがもちろんそんなフレンチトーストの欠片では
一日のメインである夕飯を控えた私の空腹は満たされるはずもない。
停電中の冷蔵庫を一瞬開け、2つのマンゴーを取り出したが
一つは半分がダメになっていた(天然ものなので開けてみないと中身の
状況が分からない)ので、1つと半分をしばしもしゃもしゃもしゃ。
やっぱりジューシーで美味である!
その後はソファに寝転がり電気が復活するのをひたすら待つがまたも空腹に苛まれる。
仕方ないのでまたまた停電中の冷蔵庫を目に見えぬ速さで開閉し、
チーズの欠片を取り出す。
ただチーズをつまむのも夕飯としては貧しい気がしたので、海苔で包んでみた。
完全に酒の肴であるが、この停電中に酒なぞ飲んだら、
その後の私の毛穴から放たれる酒気により蚊の総攻撃を受けるため、
泣く泣く諦めた。
死に至ることもあるマラリアは本当に怖いのである。

この通り、人間を死に至らしめるのは
第1位が蚊、第2位が人間である
いくらチーズが好きであろうと、酒もなく空腹にいくらも
食べられないので、そこそこにし、またソファに寝転んで
電気の復活を待つことにした。
・・・ん?気づくとそこで1時間ばかり寝てしまっていた。
時刻は21時をまわっていた。
この時点で私は停電に完敗し、おずおずと蚊帳付きの寝床に移動した。
早朝3時半、空腹で目が覚めた。
空腹で目が覚めたのだが、この時点では眠気が勝り、再び寝入った。
早朝5時、今度は絶対的な空腹で目が覚めた。
私は朝からラーメンを食べることになる。
停電になることでもしかしてプチ断食のようなダイエット効果が
期待できるのではないかと一瞬思ったが、起床後に爆発的な空腹に
勝てずに朝からラーメンをたらふく食らうという行為に及ぶので、
結果としてはプラスマイナスプラスということになった。
来週も豪雨が予想されているので、
停電対策はしっかりしておこうと思ったのである。
雨季が始まったと思ったら、年末の大雨と雷で家の天井から大雨が降り注いだ。
いくら恵みの雨とはいえ、家の中に降られたのではたまらない。
しかも旅行の前日に。
その日は天井から降り注ぐ大雨がジャージャー流れる床から
水をかき出すのに朝方3時までかかった。
前回の旅行の時といい(出発直前にしっかり蛇口を閉めようと、
旦那さんが思い切り蛇口を閉めたら蛇口が根元からもげ、
蛇口のあった場所から濁流がとめどなくシンクに注いだ)、
今回と言い、なぜか水難に見舞われる傾向にある。
おまけに昨年同様落雷でインターネットのモデムが焼け壊れた。
ともあれ、年末年始はザンビアのリビングストンまで行ってきた。
お目当ては世界最大級の滝として知られるヴィクトリアフォールズである。
日帰りで、お隣のジンバブエはヴィクトリアフォールズにも足を伸ばした。
ザンビアは始終どんより曇り空または雨が続いたが、滝を挟んだジンバブエ側は快晴であった。

12月は水量が少ないヴィクトリアの滝(1989年世界遺産に登録)
最大落差108mだが滝の上を歩けます

日常に刺激が足りない方はここから足にゴムを結びつけ、
飛び降りることができます

いつでも走って逃げられるような準備をしつつ、
動物の近くまで歩いて行ける

もはや人馴れどころではないバブーン
売店からクッキーの箱を手に持って出たら、まんまと襲われた

1855年にヨーロッパ人として初めて滝を見た、
宣教師であり探検家のリビングストンさん(英)

滝の上を流れるザンベジ川クルーズもできます
(カバとかワニとかいた)
町中では・・・

最後の乗り継ぎヨハネスブルグでは
やっぱり寿司を食べてしまった。

ザンビアではスーパーマーケットで
高級ブランドのサンダルが買えます(千円ぐらい)






























