前もって計画し、それに向けて準備し、実行するなどは
到底得意とは思えないこの国の人たちでも、一つだけ、
ものすごくきっちりしていることがある。

それは、祝日を全力で祝い、楽しむということ。

11
時半にポルトガル語の家庭教師Lurdes先生から、電話があった。
なにッ、まさかもう産まれたのか!?
現在臨月の先生のお腹はメロンが
3個ぐらい入っているのでは
ないかと思うほど大きく、体重は通常の
25kg増し(日本のように
太り過ぎたら怒られるということはないらしい)になっている
というから、もういつ産まれてきてもおかしくない。
しかし用件は別のことだった。

Lurdes
先生:「こんにちは、元気?」

わたし:「こんにちは、元気よ~先生は?」

Lurdes
先生:「まぁまぁよ。ところで今日、授業どうする?」

わたし:「何?具合でも悪いの??」

Lurdes
先生:「違うわよ。明日祝日だから」

わたし:「そうだよね、明日祝日だよね・・・」

Lurdes
先生:「だから、今日の午後はみんな仕事しないのよ。
       うちのお手伝いさんも来ないし」

わたし:「あ、今日の午後はみんな仕事しないんだ?」

Lurdes
先生:「そうよ~で、授業どうする?」

わたし:「えっとー、じゃあ、お休みで」

Lurdes
先生:「お休みね、じゃまた水曜日にね。よい祝日を!」

わたし:「はーい、よい祝日を~」

と、まぁ祝日ムードは前日の昼から始まっている。
特に明日625日は独立記念日なので、さぞ盛大にお祝いするのだろう。

その証拠に、市役所の職員も張り切っていて、祝日のための飾りつけ
(町の街灯などに飾られる赤・白・緑・黒のモザンビークカラーの
無地の布)は朝
8時には完璧に設置が完了していた。
通常の祝日では当日の午前中かけて作業しているのに・・・

そして町のどの銀行も米騒動ばりの混み具合で、
人が建物の周りにも収まりきらず、路上にまで溢れていた。
明日の祝日のために、銀行にお金をおろしに来ている人たちである。
なぜかここでは金曜日の夜とか祝日の前夜は、銀行のATMが長蛇の列になる。

不思議なのは、そこでは恐ろしいほどに秩序が保たれ、
まっすぐ綺麗な列が形成されているのである。
普段は「並ぶ」という単語を知らないのではないかと思うぐらい、
並ばない人たちが銀行の
ATMの前でのみ並ぶことができるというのは、
実に不思議である。

さて、
1498年にポルトガル人であるヴァスコ・ダ・ガマが
喜望峰に到着したのをきっかけに、この地でも
16世紀初頭より
ポルトガルによる植民が始まり、
17世紀半ばにはそれが確立されたが、
その後のもろもろを経て
1964年にはモザンビーク独立戦争が勃発、
1975625日には完全独立を果たしている。

しかしその後も
1977年にはモザンビーク内戦が勃発、
この内戦が長期化するなか
1989年には政府が社会主義体制の放棄、
翌年の大旱魃の影響もあり、和平交渉の結果
1992年に
独立直後から長く続いた内戦が終結した。

内戦後から約
10年は年平均8%の経済成長率を達成しているが、
いまだに国民の約
70%が貧困ライン以下で、世界でも最も
貧しい国の一つとされており、失業率は
50%をも上回る。

日本に生まれた私は特に戦争や他国による占領、
そこからの独立などを意識しないで生きてきたが、
Lurdes先生はまだそれを意識できる世代にある。

先生は自分の携帯電話に最新の
HIP-HOPR&B音楽を
ダウンロードして入れているのだが、そこに同様に
モザンビークの初代大統領の演説の肉声が入っているのだ。

これには驚いた。

その経緯やそこからの年数に違いはあれど、自分をはじめ同世代で
初代内閣総理大臣の伊藤博文や、第二次世界大戦後に
日本の独立が回復した後の首相の演説などを文字や音声で
携帯している人になど会ったことがなかったから、驚いた。

先生(現在
27歳)は初代大統領サモラ・マシェルの演説が
好きだから、携帯に入れているということだった。

この国でも、政治家は政治家然としているが、
70%が貧困ライン以下で生活しなければならない貧しい国の一つ」から
少しずつでも脱却に向かっていってほしいなァと思いながら、
明日は家でだらだらしよう。


植民地時代の首都、モザンビーク島


ここナカラで手に入る葉物といえば、丸くないレタスと

ケール(葉キャベツで日本では青汁にもなっている)と、

キャッサバやカボチャの葉ぐらいしかないので、先日、

市場でイタリアンパセリを見つけたときは興奮したが、

その値段を聞いてすぐに興奮は冷めた。



親指と人差し指でつかめるぐらいの束が

150MT(約450円)なんて、さすがに高すぎる。



レストランで鶏肉のプレート(鶏半羽分のグリル
or煮込みとご飯、

フライドポテト、生野菜サラダが
1皿に盛られている)が

食べれてしまう値段だ。



その後、それが値下げされ、
3束ほどで50MT(約150円)になってたので、買ってみた。

家に帰って気づいたのだが、それはイタリアンパセリではなく、パクチーだった。



タイ語でいう「パクチー」であるところの「コリアンダー」は、

ポルトガル語から昔日本では「コエンドロ」と呼ばれていたそうで、

中国語では「香菜(シャンツァイ)」という。











ここでもSalsa(パセリ)と呼ばれていたものだから、

うきうきしてしまったではないか。

私はパクチーが苦手なのである。



せり科であるこの葉っぱ、以前初めてお目にかかった際に、

そのうち慣れるだろうと食べ続けてみた(東南アジアでは

割と多用されている)のだが、どうも私が一生に摂取できる

パクチー量に達したらしく、今はあまり食べられない。

せりは大好きなのに・・・











その独特の香りもちょっと遠慮したい。

日本で「カメムシソウ」と呼ばれていたのも納得である。



さてこの大量のパクチー、どうしたものか。

とりあえず、料理の際に旦那さんの分にだけひそかに忍ばせている。



そして、旦那さんはパクチーが好きなので、栽培も試みている。

園芸店などないので、その辺の砂(土というものがない)と

ヨーグルトの空き容器でポットを作ってみたのだが、

砂(水を含むと泥?)は驚くほどに水はけが悪い。

数日経った今、パクチーは苦しそうにへたれてきている。











パクチーが花をつけてきたころ、(先日のイカと一緒に)天ぷらにしてみた。

天ぷらにすると、あの独特のパクチーの香りが抑えられて美味しいではないか。

これは新発見!また赤札になっていたら、やってみようっと。








イカとなす、ピーマンとパクチー(右手前)



 


最近、毎日ものすごく寒い。

いや、ビールが美味しいほどに毎日暑いのだけれど、
同様に毎日、特に朝晩が寒い。

朝晩は
Tシャツの上に長そで(薄手のパーカーか
サマーニットカーディガンもしくはその両方を重ね着)、
首にはストールを巻き、靴下を履く。

ナカラでは今(
57月ぐらい)が一番寒い時期だそうで、
それでも陽が出れば、一気に暑くなる。

暑い時は袖なし
1枚で充分なので、その温度差から
うっかり風邪をひいてしまいそうで、
体調管理には日本より気を使う。

町で見かける人もダウンジャケットとか
ボア付きのオーバーなんかを着ていたりする。
(特にバイクの人)

そう思うと日本は天候が穏やかだったのかなァ。
もちろん四季の中での差はあるけれど、ここでは
1日の中で暑かったり寒かったりするので、
ちょっと面倒くさい。

嗚呼、アフリカが寒いなんて!


気にせず寝てる、まめ子


わたし:「Desaparecido!(久しぶりじゃーん!)」

イケメンタクシー運転手
M氏:「Aqui mesmoTudo bom!?
(こっちこそだよー!元気!?)」

わたし:「
Tudo!!(元気、元気!)」

先日、すごーく久しぶりに
M氏に偶然会った。
最近は自家用車があるので、タクシーには滅多に
乗らなくなってしまったので、彼に会う機会も
あまりなかったのだ。

それでなくても彼は大抵近隣の州までの長距離間の
タクシー運転手として働いているようで、
町のタクシープールで客待ちをしていることはほとんどない。

この時私は旦那さんのお迎えで、なんとなく前の車が
彼のらしいとは思っていたのだが、行き先が一緒だったので、
旦那さんを待っている間の
20分ほど会話することができた。

まずポルトガル語で
20分も会話ができたことに自分でびっくり。
私はここモザンビークに来るまで、おはようという意味の
Bom diaも知らなければ、ポルトガル語での自己紹介も
できなかったのだが、来てから
Lurdes先生の授業のおかげで
最近やっとなんとなくしゃべれるようになってきた。

Desaparecido
というのは辞書によると、
形容詞:見えなくなった、消えた、隠れた
名詞:行方不明者、故人
などと書いてあるのだが、ここでは久しく会っていなかった人と
再会した際にもこの言葉を使う。ということを以前
学んだのだが、なかなか実践する機会がなかった。
それがついに実践で使え、想像通りの返事が返ってきたことに感動。

次の日、感動冷めやらず
Lurdes先生にご報告。

わたし:「昨日
M氏に会って、Desaparecido使ったよ~」

Lurdes
先生:「へぇ!よかったね!『太った?』って続けた?」

わたし:「え、なんで?別に太ってなかったよ」

Lurdes
先生:「違う違う、太った?ってところから、その先の会話が広がるでしょ」

なんと。そうかァ、そういう会話の進め方ね。
さすが「おしゃべり」が娯楽となっている人たちだわ。
でもこれ言う相手間違えたらいけない気がするので、
かなり上級者向けだと思われます。


カレーを作りすぎたので最終形はカレー春巻き


大家さんの敷地内に住んでいるので

「ティーアッ!!ティーーーアァッ!!!
Tia=おばさん、近しい女性への呼び掛け)」

と、呼ばれることが日に
1回ぐらいある。

その時々で用件は違うのだけれど、
洗濯物が出しっぱなしで「雨降ってきたよ」だったり、
「ポーチの掃除しますよ」(週に
1度してもらっている)だったり、
「ペットボトルの空き段ボール回収したいよ」
(ジャンクショップに売っているらしい)だったり、
野菜を買ってきて「これ日本にもある?どうやって食べるの?」だったり。

いつものように「ティーア!」と呼ばれて出ていくと、
いつもより少し控えめに立っている大家さんのお手伝いのマリアーモさん。

わたし:「はい、なんでしょう」

マリアーモさん:「あの、小麦粉ってある?」

わたし:「ありますよ」

マリアーモさん:「少しでいいから分けて欲しいんだけど」
とまぁなんともいつもにはない控えめな感じ。

わたし:「もちろんですよ!お昼、揚げ物?」

マリアーモさん:「うん、魚だよ。あ、そのぐらいで。ありがとう!」
と言って小走りでキッチンまで走っていった。

自転車をおねだりした時は、あんなにあっけらかんとしていたのに、
小麦粉を分けてもらう時の方が数倍申し訳なさそうなのはなんでだろう。

小麦粉なんて、お安い御用だよ!


週末、ビーチでイカを買いました


大きかったなァ。250MT(約750円)
獲れたてだったから、吸盤がまだ生きててびっくりした~


自身のアセトアルデヒトの代謝能力を超えたエタノールを

摂取したことにより引き起こされる不快な身体的状態。



そう、二日酔いです。



久しくなっていなかったので、最初は病気かと思いましたよ。

なぜ飲み過ぎたかというと、毎日暑く、ビールが

美味しいからだと思いますが、その辺は遺伝子レベルで

深く刻み込まれているであろうことなので、抗えないのです。



さてここモザンビークでも、もちろんビールを製造しています。



私が飲んだことがあるのは、LAURENTINA(ローレンティーナ)と

2M(ドイスエミ)、MANICA(マニカ)の3種類。

LAURENTINAにはプレミアム、黒、(黒じゃない)明るいのがあります。



味はどれもしっかり、日本で飲むビールたちとさして変わらない。

しいて言えば、個人的には
LAURENTINAのプレミアムがキレがあって好きです。



それもそのはず、
LAURENTINAプレミアムは南アフリカやイギリスになどにも

輸出していて、
2009年モンドコレクションの金賞を受賞しています。

贔屓目で見ずとも美味しいビールなのです。












このLAURENTINAというのは「ロレンソ・マルケスの女性」という意味で、

ロレンソ・マルケスという人は
16世紀のポルトガルの探検家です。



今のマプト湾一帯の探検を行い、ここモザンビークの人と結婚し、

生涯の大半をこの地で過ごした人です。

ポルトガルから独立する
1975年までは首都マプトは

彼の名に因み「ロレンソ・マルケス市」と呼ばれていました。



2M
は第三共和政の第2代フランス大統領であるマクマオン(Mac-Mahon)伯爵を

オマージュし、
2つのMというところからきている名前だそうです。











MANICA
は同じ名前の地名があるから、そこからきているのかなァ。











他に飲んだことはないのですが、RAIZBARON'Sというビールもあるそうで。









あとはキャッサバから作られたIMPALAというビールがあるのですが、

RAIZ
BARON'S同様ナカラには売ってないので、まだ飲んでいません。

いつか入ってきたら飲んでみたいなァ。











しかしいくらビールが美味しいからとは言え

「飲んでも飲まれるな」を忘れずに生活したいと思います。


モザンビーク人を2種類に分けろと言われたら、
私の知る範囲(かなり狭い)での独断と偏見により、
イケメンタクシー運転手
M氏を代表とする

5分前行動は当たり前、明日と言ったら明日です」

タイプと、
途上国に一般的に見られる

「待ち合わせ時間は家を出る時間のこと。
明日というのは明日を含む数日間または数週間のことを言う」

タイプに分けられる。
前者の性質の割合が多ければ多いほど、日本での感覚に近くなる。

ポルトガル語の家庭教師として
Lurdes先生には我が家に
3回通ってきてもらっているのだが、M氏を通じて
A氏がその送迎のほとんどを担当している。

最初のうちこそ
5分や10分の遅刻で済んでいたが、
そのうちだんだんその時間が長くなっていき、遅刻は当たり前。
とうとう
1時間や1時間半経っても迎えに来ないことがでてきた。

携帯にメッセージを送っても電話をしても、返事は
「今、向かっています」や「もうすぐです」と言うばかり。
さすがに1時間半来なかったときはしびれを切らし、
私が自分の車で先生宅まで送り届けたほどだ。

この送迎は月契約にしているのでさすがに目に余ると思い、
契約者である
M氏に物申そうと思ったところ、
もともと
Lurdes先生とM氏が友人だったために、
事態はすべて筒抜け、仕事においてキッチリしないことを
何より嫌う
M氏は激怒、今後改めないならもうお前は使わない!
ということで
A氏はとことんしぼられたそうだ。

その後の
A氏の代わりようたるや素晴らしいものである。
毎回
5分前に来て、必ず「もう着きました」と連絡をくれる。
今までは送迎時に他のお客と乗り合いのこともあったのだが、
それも随分と減った。
A氏もやればできるじゃないか!

M
氏のことは絶対に怒らせないようにしないとなっ。


前回のブログで書いたごみ問題の新聞記事は
ポルトガル語の家庭教師
Lurdes先生と一緒に読んだものなのだが、
先生がその中で電気代を払う際に「ごみ税」が引かれていることを
教えてくれたので、電気局で電気を買うレシートを見てみたら、
間違いなくごみ税が
0.5%徴収されていた。
さらにその上にはラジオ税を称した税金も0.6%ほど徴収されていた。


だいたいこのラジオ税というものは、自動車税ともセットになっており、
年に
1度の自動車税納税時にも(ラジオを聞かずとも)
いくらか徴収されているものだ。

まさか電気を使うためにラジオ税とごみ税が徴収されているとは
知ら(気づいてい)なかったので、驚いた。

この国では消費税は
IVA(付加価値税)と呼ばれているが、
2011年にIVA改正法案が採択され、畜産飼料の生産や鉱物、
石油調査、開発サービスに対する付加価値税が免税となっている。
これは海外からの投資や支援を促進するものであろう。

また、農村地域電化サービスに対する課税が
IVAも含め削減のほか、
製糖、食用油、石鹸各産業への
IVA免税期間が2015年末まで
延長されることとなったそうだ。

先日、スーパーなマーケットで食用油と共にモップと
ポテトチップスを購入したのだが、食用油は免税だった。


ちなみにモザンビークでの上記以外にかかる消費税(
IVA)は17%である。

生活必需品にかかるものは免税になっているかわりに、
電化された生活を送る人(=それなりの収入がある人)から
ラジオ税やごみ税という名目でを税徴収が行われている。

日本は誰が何を買うにも消費税が一律なのは、どうしてだろう。
収入格差がないことが前提になっているのだろうか。

そしてもちろんこの国でも所得税はあり、それはグラフのようになっている。


なぜか拡大しないと綺麗に表示されない


社会保険もあり、雇用者(事業主)が
4%を、被雇用者(社員)が

3%をそれぞれ負担することになっているそうで、
ここは日本の方ががっぽり徴収されているようだ。

ちなみに世銀のデータによると、この国の一人当たりの
GNI(国民総所得)は
440ドルで、日本のそれは45,180ドルということになっている。

税金って面白いな~。
なににせよ、徴収すべきところからきっちり徴収し、
使うべきところにちゃんと使ってほしいものです。


家で出るごみは朝、まとめて敷地内(屋外)にあるごみ入れに入れる。

カゴタイプの普通の大きさのプラスチックごみ箱
1つ分ほど。
当初、ごみだし、他人に見られるのも嫌だしと、いちいち
ビニール袋に入れていたのだが、大家さんのお手伝いさんが
わざわざ毎回、人の家のごみだというのに開封するので、
今ではビニール袋に入れずにバラバラとごみ入れに直接入れることにしている。
彼女はその中から瓶とか缶とか雑巾とかを、再利用したり、
リサイクル(ジャンクショップで現金化)したりしている。

そして大家さん宅と合わさったごみは自宅前に広がる
ごみ収集場所にそのままバラバラと捨てられる。


とてもじゃないが、本来の収集場所である
緑のコンクリートの囲み(コンクリートの劣化により
もはや囲みですらない)まで行くことは不可能


周りの家庭がそれぞれにバラバラとごみを捨てるので、
すごい広がりようだ。ちなみに自宅前がちょうど
収集場所になっているのだが、不思議とごみの臭いはしない。

生ごみは収集までの数日の間に、ほぼカラスと犬に食べられてしまうし、
誰一人としてビニール袋なぞに密閉しないので、臭いがこもらないからか?
気候が乾燥していて日中はカラッと晴れるので、
ごみもカラッカラになってしまうからか?

ともかく、
3日ごとぐらいに大きなトラックが来て、数人の人により
収集され、取り切れなかったごみはその場で燃やされる。

ナカラではトラック
3台とトラクター3台を所持しており、
処理能力は
190トンだという。
現在、産業と家庭から出るごみは
1日あたり250トンから
300トンと言われているので、到底追いついていないことになる。

ならばどうしているのかというと、トラックの能力を超える
ごみを無理に積んで処理にあたっていたそうだ。
その結果、言わずもがな、トラックが故障する。
行政は
1年以上も前から故障中のシャベル付トラック2台の
修理対応に追われているそうだ。

この度、約
1,000万メティカル(約3,000万円)を
ごみ管理のために投資したという新聞記事を読み、
町の発展とともにきれいな町になればいいなァと思うのであった。


公衆衛生の教育も同時に進めていったらいいと思う


家電商店のもじゃもじゃヒゲのおじさんが、

領収書に書かれた私の名前をじぃっと見ていた。



わたし:「
XXX(私の名字)です(字が読みにくかったかな?)」



おじさん:「うん・・・この名前なら、インド人かな?」



わたし:「・・・日本人ですよ」



おじさん:「ん?あぁっ!日本人かい?」



わたし:「そう、日本人!」



私の名字と同じインド人なんかに会ったことないよ、おじさん。

それ名前じゃなくて、顔で判断したでしょ。絶対、顔で判断したよね。

そういうおじさんもザ・モザンビーク人という顔ではなかったけれどね。



おじさん:「日本にはムスリムの人はいるのかい?」



わたし:「いますよ、モスクもあるし」



おじさん:「じゃあ、クリスチャンは?」



わたし:「いますよ、仏教徒が多いと思いますけど」



いつも宗教の話になると少し困ってしまう。

無宗教なんて考えは彼らにはあまり理解してもらえないと思うからだ。



おじさん:「ムスリムはどのくらいいるの?」



わたし:「数パーセントだと思います。ほとんどが仏教だと思いますよ」



帰ってきてから少し調べたところ、日本におけるムスリム人口は

5万人で人口の1,000人に4人の割合ということがwikipediaに書いてあった。



ちなみに文部科学省の統計調査によると、神道系が約
1700万人、

仏教系が約
9,800万人、キリスト教系が約300万人、その他が約1,000万人で

合計約
29,000万人と日本の人口の約2倍の数になってしまうそうだ。



これは各団体がちょっとずつ多めに信者数を申告する傾向にあることや、

すでに死亡した人たちも信者リストから外されておらずに

カウントされていたりするそうで、一般的に宗教ごとを重視せず、

意識もしないので、このような結果が出てもこの調査方法に

抗議する声もあまり上がらないがために、このような統計が

存在するのだと
wikipediaには書いてあった。



一国の公な統計がこのようなことになっているとはつゆ知らず、驚いた。



わたし:「おじさんはムスリムなんですか?」



おじさん:「そうだよ、君もムスリムになりなよ!」



初対面から数分でムスリムの勧誘を爽やかに受けた。