ジンジャービールというものを見つけたので、初めて飲んでみました。


まず予想外の色。
ジンジャエールのような色を想像していたもので。

次に中途半端な味。
ジンジャエールのようなピリッとした味を想像していたもので。
私が飲んだものはピリッとしていなくて、甘かった。

ジンジャービールは
1700年代半ばのイギリスが発祥で、
生姜・砂糖・レモン(オプション)などで味付けされた
ノンアルコール炭酸飲料である。

ジンジャーエールとの違いはその生姜味の強さと濁った色らしいが、
私が飲んだものは生姜味が弱かったな。
他のジンジャービールを見つけたら、また試してみようっと。


だんだんと暑くなってきて空がきれい

うちでは、ほぼ毎週金曜日はカレーの日。

最近はスパイスも揃ってきたので、カレールー
(そもそも売ってない)やカレー粉を使わずにカレーを作る。
となると、断然あめたま(飴色玉ねぎ)がその威力を発揮する。

ので、作り置きしておこうと、
3回分ほどの玉ねぎ
(小さめ
10個ぐらい)と大蒜(10かけぐらい)、
生姜(
2かけぐらい)を旦那さんが手抜・・・効率性を考え、
みじん切りではなくすべてミキサーにぶち込んだ。
それを鍋に入れて火にかけること数分。

・・・旦那さんがキッチンから
「なんか、ミドリなんだけどー!!」と、叫ぶ。

は?ミドリ??なんのこっちゃ、と思いながらキッチンに行くと、
まぁなんとそれは飴色になるどころか、見る見るうちに
発色のいいエメラルドグリーンになってゆくではないか!

有害物質でも出ているような変色っぷりなので、
インターネットで調べてみたところ、
ニンニク独特の香りや辛味のもとになっているアリインが刻んだり、
すったりなどの刺激を受けることでアリシンという物質に変化し、
時間がたつとアルキルサルファイド化合物というものへ変化します。
ごく微量に含まれる鉄分が酸化して緑色になるのです。

という記述がちらほらと。

ほぉー、アリなんとかがアリなんとかに変化してアルキルなんとかになったと。

味には問題がないということなので、
このまま使おうと思うが、次回のカレーは緑色かもしれない。


アルキルなんとかになったミドたま

家の前には酒場が集まっているが、そこに隣接して、
瓶や缶のアルコールを含めた飲料卸しの倉庫兼販売所がある。

そこの壁に昨日から
MANICAビールのラベルがお目見えした。
ビールの段ボールを見ながら描いていた。


右は完成


今日も朝から描き描き


これがラベル
モザンビークで作られているビール


町中でも見かける、携帯電話会社などの壁へのペイント。
手描きだとは思っていたが、本当に上手だなー。


これはレストラン

町中でも主に外国人の集まるレストランなどには、
自作の絵画を売り歩いている人たちに出会う。
港の入口では、小さなほったて小屋で木彫りの動物などが売られてもいる。

さて日本でも、モザンビークのアートが紹介されている。
大阪にある国立民族学博物館では、
「武器をアートに」という展示が行われている。

モザンビークでは
1975年から1992年まで続いた内戦により、
大量の武器が民間に残った。それらの武器を農具と交換することで
回収し、武装解除を進めるとともに、回収された銃器を用いて
アート作品を生み出し、平和を訴えようというプロジェクトらしい。

物は使いよう。


http://www.minpaku.ac.jp/museum/exhibition/thematic/peace20130711/index

塩をきらしてしまった。
早速ハイパーなマーケットに塩を買いに走った。(走ったのは、車)

これはここに限らないことなのだけれど、私はスーパーマーケットが好きだ。
日本でも、海外でも。

背丈を超える陳列棚に騒然と並ばされている商品たちを
端から見て歩くのが、好きなのである。
海外では、そこに暮らす人の日常を垣間見ることができ、
日本では、なんとまあよく考えるもんだと唸るほどの
様々な便利商品が揃っているからである。
ちなみに日本の薬局でも同じような感覚が得られる。

なので、ハイパーなマーケットには、
たとえ塩のみを買いに行くことになろうが、うきうきする。

出口で何やらもめている店員と客を横目に店内に入り、
忘れないうちに塩を手に持ち、昨日来たばかりの
さして代わり映えのしないその店内を、用もないのにうろつく。
来る前は買うつもりがなかったキウイもいくつか買うことにして、
いそいそとレジに並ぶ。

ここは客のほとんどが港や建設関係で働いているであろう
外国人なのだけれど、私の後ろに並んだ初老のおじさんも
ポルトガルか、その周辺のヨーロッパの人に見えた。
さっき私が塩を買ったときに、そのスパイス売り場で
商品をまじまじと真剣な面持ちで見比べていた人だ。

おじさんは私の買った塩に手をのばし、
「これは何だね?あ、塩か…」とひとりごち、私に
「中国からですか?」と聞いた。
私はこの時ばかりは悪い気がしなかったので、
申し訳ないと思いながらも
「中国ではなく、日本からです。日本人です。」と答えた。

するとその初老のおじさんは
「あぁっ日本人でしたか。それはそれは、では、『
SAYONARA』ですね」
と、得意げに言ったのである。
こんなところで、ふいに発せられた日本語を聞き、嬉しくなった。

そういえば、以前ガソリンスタンドでも店員の青年から
いきなり日本語で話しかけられて、驚いたことがあった。
その時は「
YOKOHAMA?」だったけれど、日本に
興味を持ってくれているのは嬉しいことだ。

この、日本からは地球の直径ほどに離れているここ、
モザンビークのナカラで、私はついに「梅干し」を発見した。

それは食べてみると、まさに「梅干し」なのであるが、
梅ではなく、マンゴーであった。

若くて小さいマンゴーを皮ごと塩(と油?)漬けにしたもので、
日本で梅干しを食べる時のように、ご飯のアクセントとして食卓に出される。

すでに皮もタネの殻も柔らかくなっているので食べられるが、少し苦みがある。
そしてその果肉の部分は、これは何と言っても「梅干し」なのである。

以前、私のポルトガル語の家庭教師
Lurdes先生(現在産休中)に
お茶請けとして乾燥梅干しを出した際に、特に期待した反応
(「酸っぱい!」とか顔を歪めるとか)が見られず、少し残念で不思議だった。

それもそのはず、ここには梅干しならぬ「マンゴー梅干し」があったからである。

今度作り方教えてもらおーっと。


油分が固まってしまっているが、味は梅干しそのもの

先週、ナカラ港の近くにハイパーなマーケットがオープンした。

なんと、いつも買い物をしていたスーパーなマーケットよりも
さらに少しずつ物が安く、品揃えはそれ以上だった。


この町にアルコールを買える酒屋は
1軒しかなかったが、
なんとここにはアルコールもそこよりも安く、種類も豊富にあった。


私が何より感動したのは、肉売り場があったことと、
ナカラでは見かけたことがなかった野菜(ズッキーニとか
カリフラワーとか)や果物(キウイとか)があったことだ。


ムスリム人口が
7割のこの町には「豚肉」を食べる習慣がなく、
どっこにも売っていなかった「豚肉」。
肉売り場には、これまたこの町にはどこを探しても見かけない
肉用の冷蔵ケースに並ぶ、切り身の部分別に並んだ美しい肉、肉、肉。


冷凍ものも充実していて、魚介類から、コロッケやナゲットの冷凍食品もあった。
そして何よりも店内の商品は砂やほこりをかぶっておらず、綺麗!!

これからはこのハイパーなマーケットに買い物に来るだろうなー。
嗚呼、感動的なお買い物だった。


早速購入した冷凍サーモンで寿司

大家さんのお手伝いさん:「それ、どうするの?」

わたし:「これ?これはもうゴミですよ」

お手伝いさん:「どうやって食べるの?」

わたし:「え、まず割って、中身だけ食べますよ。周りは食べないけど」

お手伝いさん:「それだけ?」

わたし:「うん、それだけ!」
・・・え、これをもしかしてモザンビークでは料理に使ったりするのか?

わたし:「
Tia(おばさんの意)はどうやって食べるの?」

お手伝いさん:「私?まず、割るでしょ」

わたし:「うんうん」

お手伝いさん:「それから、スプーンですくって食べるわ」

わたし:「それだけ?」

お手伝いさん:「うん、それだけ!」

・・・同じやーん。「これ」とはスイカのこと。
見た目も何もかもが遠い異文化の日本やアジアのことに、
興味津々のお手伝いさん。
「これ、日本にもあるの?」とか、
「どうやって食べるの?」とかそういう話になることが多く、
知ったあとはいつも満足そう。

知識として知っているのと、経験として知っているのでは、違うもんね。

ポルトガル語でも前者は
Saberという動詞だが、
後者は
Conhecerという動詞で、使い分けがされる。
あと
1年でどれだけのConhecerができるかなー。

ナカラは港町で海に囲まれているが、生活用水は慢性的に事欠いている。

家に水道を引いていない大多数の人たちは、バケツやタライ、
食用油の空いたポリタンクを再利用し、子どもから大人までが
毎日(特に朝)生活用水を確保するために、水を汲みに行き、
家まで運んでいる。

水道管の整備や水供給に関しては
FIPAG(水供給投資基金)という
機関が行っているのだが、うちみたいにその水を引いていても、
水の供給はかなり不安定である。
すぐに、水が出なくなり、FIPAGに連絡したり、
市内の他の場所に水を買いに行ったりしている。

私たちがここに来る以前より問題はあり、その解決のために
モナポとナカラの間にナカラダムを建設が進んでいた。
20123年には工事が完成され、ナカラにも安定した水供給がされる
予定なのであったが、この度、その工事がなんとストップした。

それは工事を受注していたインドの企業連合体による
18億円の事業実施が不可能であるということが明らかになり、
政府がその企業連合体との契約を撤回したかららしい。

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月から1月にかけての本格的な乾季を目前にしての工事ストップ。

ナカラは経済特区であり、様々な産業の創業やその工場建設、
それに伴う人口の増加に、水の供給が追いついていないのである。
そこで行政は、代替水供給システム稼働を目指し、市街地近郊に
位置する別の
2つの水源からナカラ市内への取水のために、
大容量電動ポンプと水道管配備等の工事に約
10億円を投資したそうだ。

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月の新聞には加えて、8月までにはこれらの工事により
ナカラにおける水の供給も改善されると書かれていたが、
いまだにかなり不安定な状況が続いている。
乾季はもうすぐそこまでやってきている。

うちの大家さんは乾季になり、ナカラで水が買えなくなると、
モナポ
まで車で往復2時間をかけて水を買いに行く。

深刻な水不足があった
2005年から、ナカラにおける水問題は
継続してあるものらしいが、政府が中心となり行われている
投資事業の実施により、ナカラの各家庭への需要は満たされ、
水を大量に使用するとされている各事業(タンザニアの
グループ企業による小麦・製粉、ナカラ国際空港建設、鉄工所、
油の精製施設、
VALEモザンビーク社)に必要な量も確保できると
新聞には書かれている。
が、今のところそれはまだされていないようである。

今日も朝から、頭に
1020リットル分の水を乗せて、
せっせと運ぶ人々が町には溢れているからである。


運ぶ、運ぶ


水、水、水


うちの水タンク

「中国人と日本人って違うの?」

これは、今日
Lurdes先生の家に行ったときに隣の家に来ていたおばちゃんに
中国人かと聞かれたので、私が中国人ではなく日本人ですと答えた後の質問である。

おぉぉ。

確かにアフリカにいるとアジアはとても遠い存在だし、
恐らく場所も分からないであろう。が、中国人と日本人は
違うということは世界的に知られていることだと思い込んでいたので、
案外知られていないのかもしれないと、思い直した。

「日本って中国の中にあるの?別々の国なの?」

これはさらに次の質問である。

おぉぉ。

ただ、ただ、驚いた。
アフリカの田舎町に暮らすおばちゃんの日本についての認識なぞ、こんなもんである。

ただ、周りにいた
2030代ぐらいの若い人たちは日本のことを
知っていたので、テレビやインターネットが与えている影響が
多いのだろうなァと思う。
その若いお姉さんに

「日本人男性ってインド人に似てて素敵よねッ」

と言われたのだが、はて、どうだろう。


授乳する母子って美しい

もう8月だ。先月無事に元気な男の子を出産した
ポルトガル語の家庭教師
Lurdes先生は、現在産休中。

退院の日に撮った写真を額に入れたものと、
赤ちゃん用の服をプレゼントしがてら先生の家に遊びに行った。


久しぶりの工作楽しかったなー


なんで赤ちゃん用の服ってこんなに可愛いのかしら


ほとんどずっと寝てた


行くと必ずなんかもらってしまう
これはケールとアーモンドのココナツ煮

ここでは例えば大家さんちの誰かの食事中(だいたい外やポーチで
食事をとっている)に私がそこを通りがかると、
Servido?(いかがですか?)」と言われる。
たとえそれがパン
1個でもだ。

言う方も慣習的に言っているだけなのかもしれないが、
おすそ分けの精神というか、そのようなものが日本にも
通ずるなと思う。返事としては「
Obligada, bom apetite!
(ありがとう、どうぞ召し上がれ)」と返すのだけれど、
そういうところでの細かいコミュニケーションを
大事にしているのが、なんか温かいなァと思うのであった。