大家さんのお手伝いさん:「それ、どうするの?」
わたし:「これ?これはもうゴミですよ」
お手伝いさん:「どうやって食べるの?」
わたし:「え、まず割って、中身だけ食べますよ。周りは食べないけど」
お手伝いさん:「それだけ?」
わたし:「うん、それだけ!」
・・・え、これをもしかしてモザンビークでは料理に使ったりするのか?
わたし:「Tia(おばさんの意)はどうやって食べるの?」
お手伝いさん:「私?まず、割るでしょ」
わたし:「うんうん」
お手伝いさん:「それから、スプーンですくって食べるわ」
わたし:「それだけ?」
お手伝いさん:「うん、それだけ!」
・・・同じやーん。「これ」とはスイカのこと。
見た目も何もかもが遠い異文化の日本やアジアのことに、
興味津々のお手伝いさん。「これ、日本にもあるの?」とか、
「どうやって食べるの?」とかそういう話になることが多く、
知ったあとはいつも満足そう。
知識として知っているのと、経験として知っているのでは、違うもんね。
ポルトガル語でも前者はSaberという動詞だが、
後者はConhecerという動詞で、使い分けがされる。
あと1年でどれだけのConhecerができるかなー。
わたし:「これ?これはもうゴミですよ」
お手伝いさん:「どうやって食べるの?」
わたし:「え、まず割って、中身だけ食べますよ。周りは食べないけど」
お手伝いさん:「それだけ?」
わたし:「うん、それだけ!」
・・・え、これをもしかしてモザンビークでは料理に使ったりするのか?
わたし:「Tia(おばさんの意)はどうやって食べるの?」
お手伝いさん:「私?まず、割るでしょ」
わたし:「うんうん」
お手伝いさん:「それから、スプーンですくって食べるわ」
わたし:「それだけ?」
お手伝いさん:「うん、それだけ!」
・・・同じやーん。「これ」とはスイカのこと。
見た目も何もかもが遠い異文化の日本やアジアのことに、
興味津々のお手伝いさん。「これ、日本にもあるの?」とか、
「どうやって食べるの?」とかそういう話になることが多く、
知ったあとはいつも満足そう。
知識として知っているのと、経験として知っているのでは、違うもんね。
ポルトガル語でも前者はSaberという動詞だが、
後者はConhecerという動詞で、使い分けがされる。
あと1年でどれだけのConhecerができるかなー。
