侍ホリタンの続続100名城訪問記

侍ホリタンの続続100名城訪問記

惜しくも日本の100名城や続100名城に入らなかった隠れた名城が日本にはまだまだあります。
侍ホリタンが独断と偏見で選んだ続続100名城を紹介していきます。

訪問日:2026/4/29

 

 

熊本市役所本庁舎14階展望ロビーからの眺め、

南東方向からの眺めになります。展望ロビーは午前8時半から午後10時まで利用できます。

 

長塀のライトアップ、

坪井川沿いに面した石垣上に直線で242mの長さを持つ長塀です。

 

平御櫓のライトアップ、

平御櫓は長堀の防衛線を一段高い位置から援護する役割や、須戸口門から侵入してくる敵を、東竹の丸との連携で挟み撃ちにするための櫓でした。

 

棒庵坂からの小天守・大天守のライトアップ

 

加藤神社からの眺め

 
ここで雨が降り出したのでホテルへ撤収(>_<)
訪問日:2026/4/29
 
本日の天候、晴れのち曇り夜より雨
 

【ちょこっと寄り道 その4】

 

お城巡りの前に阿蘇山観光、

早朝7時に「道の駅あそ」を出発して草千里展望所を目指します。

 

草千里展望所

展望所から見た草千里ヶ浜の様子(8時頃)、

霧が立ち込めて何も見えません。霧が晴れるのを待ちます。

 

ようやく霧が晴れてきました。

 

展望所から見た草千里ヶ浜の様子、 

阿蘇五岳のひとつ、烏帽子岳(標高1337m)の北麓に広がる火口跡にある大草原。草原にある二つの池は雨水が溜まってできたものです。

 

 

展望所から見た噴煙を上げる中岳の様子、

活火山である中岳の火口は間地で見学できますが、訪問時は立入禁止となっていました。中岳の奥に見えるピークは阿蘇最高峰の高岳(標高1592m)です。

 

 

展望所から見た立野火口瀬・熊本平野、

前方に見える山と山の隙間は、立野火口瀬と呼ばれ、阿蘇カルデラの唯一の切れ目です。この切れ目から土砂が流れて、堆積していったことで熊本平野ができあがりました。天気が良ければ、火口瀬の先に雲仙普賢岳を見ることができます。

 

展望所から見た阿蘇カルデラと米塚、

カルデラとは、火山の噴火でできた大きなくぼみのことで、奥に見える稜線(北外輪山)はその縁です。阿蘇カルデラは南北約25km、東西約18kmの規模で世界最大級とされ、カルデラ内部に人々が暮らしている点でも珍しいとされています。

米塚、

高さ約80m、おわんを逆さまにしたような美しい形をしています。頂上のくぼみは火口で約3300年前の噴火で形成されたと言われています。保全のため登山は禁止されています。

 

 

展望所から見た杵島岳(標高1321m)、

頂上まで階段が整備されているので気軽に登ることができます(展望所から約40分)。

 

阿蘇山上ターミナル

阿蘇山火口見学シャトルバスの発着拠点ですが、阿蘇山公園道路入口が閉門中のためしばらくの間は一般車両も含めて通行禁止となっていました。

 

阿蘇神社

阿蘇神社楼門、

阿蘇神社は2000年以上の歴史を持つ古社で、全国に約500社ある「阿蘇神社」の総本社です。写真の楼門は茨城県の鹿島神社、福岡県の筥崎宮と並んで日本三大楼門と言われています。

 

阿蘇神社近くでランチタイム、

「あか牛丼とあか牛だご汁セット」をいただきました。あか牛は、主に阿蘇地域で飼われている褐毛和種という和牛で、茶色い毛色が特徴の肉用牛です。阿蘇の広い草原で放牧され、牧草を食べて育つため、赤みが多くヘルシーで、ほどよい脂と柔らかさがあります。

 

大観峰

北外輪山の一峰、標高は約936mで、直下に眺める阿蘇谷(阿蘇市街地)との標高差は約400mにもなります。360度の大パノラマが楽しめ、阿蘇の街並みや阿蘇五岳を一望できる場所です。

阿蘇五岳と阿蘇谷の眺め、

左から根子岳、高岳、中岳、杵島岳、烏帽子岳と続きます。根子岳を顔に見立てて、お釈迦様が寝ているような姿から「涅槃像」にたとえられています。

外輪山と阿蘇の街並み

 

大観峰で遭遇したスーパーマリオ、

人形ではないです。人です。朝から夕方までマリオの格好で座っているそうです。隣に座って一緒に写真を撮ることもできます。

 

阿蘇観光はここまで、熊本市内へ向かいます。

移動距離約45キロ
 
【7城目 熊本城(日本100名城No.92)】
 熊本城は慶長6年(1601年)から約7年の歳月をかけて、茶臼山と呼ばれた台地に加藤清正公が当時の最先端技術と労力を投じて築城された平山城です。別名「銀杏城」と呼ばれ、日本三名城の一つです。加藤氏改易後の寛永9年(1632年)には、細川忠利公が熊本藩主として入城、以後幕末まで細川氏の居城でした。明治10年(1877年)に起こった西南戦争で天守・本丸御殿一帯が焼失してしまいますが、昭和35年(1960年)に鉄骨鉄筋コンクリートで外観復元されています。
平成28年(2016年)4月に起きた熊本地震で石垣の崩落•落下、建物の倒壊、天守•櫓の屋根瓦の落下・外壁の落下等大きな被害が発生しました。天守は令和3年(2021年)復旧済みですが、櫓や石垣など城全体の復旧は今も進められており、完全な復旧完了は2052年度予定とされています。

 

二の丸お休み処に設置されている加藤清正公着用の甲冑

 

熊本城案内マップ

 

小天守・大天守の眺め、

大小天守の左側には「三の天守」と呼ばれ、江戸時代から現存している宇土櫓がありますが、熊本地震の震災による復旧解体工事中です。2030年前半から中頃の復旧完了を目指していると報じられています。

震災前の大小天守と宇土櫓の眺めが示されている案内板

 

復旧工事中の西大手櫓門

 

復旧工事中の宇土櫓横の石垣

 

大小天守の眺め

 

 

いざ天守内へ向かいます。

 

天守内展示物(天守軸組模型)

天守内展示物(宇土櫓模型)

天守内展示物(天守最上階「御上段」の模型)

 

天守内展示物(熊本城下のジオラマ)

天守内展示物(10代藩主細川斉護公着用の甲冑)

 

天守からの熊本市内の眺め

熊本市内と阿蘇方面の眺め

城内南側の眺め、仮設通路が確認できます。

復旧工事中の宇土櫓


ここから天守内を出て南口を目指します。

 

連続枡形、

竹の丸から6回曲がってようやくたどり着く造りになっています。

 

大天守南面

天守右側の本丸御殿大広間の白壁がはがれ落ちています。
 

数奇屋丸二階御広間下の崩落したままの石垣

 

未申櫓

 

本日のお城巡りはここまで

 

今晩は熊本城近くの「カンデオホテルズ熊本新市街」にて宿泊します。

 

熊本城ライトアップの記事はこちらを参照願います。『熊本城ライトアップ』訪問日:2026/4/29  熊本市役所本庁舎14階展望ロビーからの眺め、南東方向からの眺めになります。展望ロビーは午前8時半から午後10時まで利用できます。…リンクameblo.jp



ー訪問日:2026/4/28

今日も良い天気になりそうです。

ホテル客室からの朝日



【ちょこっと寄り道 その3】


お城巡りの前に指宿市の隣、南九州市にある「知覧武家屋敷庭園群」「知覧特攻平和会館」に立ち寄りました。


「知覧武家屋敷庭園群」

江戸時代、薩摩藩は領地を「外城」と呼ばれる102の地区に分けて、地頭や領主の屋敷である御仮屋を中心に「麓」と呼ばれる武家集落を形成し、鹿児島に武士団を集結させることなく分散して統治していました。知覧武家屋敷庭園群もその一つで、約280年余り前の武家屋敷通りと屋敷庭園が保存されている国の重要伝統的建造物群保存地区です。


武家屋敷通りの様子、

電柱もなく、石垣と生垣が続く美しい景観


案内板、

約700mの通りに武家屋敷が立ち並んでいて、今でも屋敷には子孫の方が暮らしています。

また有料で7つある武家屋敷と庭園を見学できます。


「旧高城家住宅」、

こちらは無料で一般公開されていました。

案内板


テレビのロケ地として使用された通り


「知覧特攻平和会館」

知覧武家屋敷庭園群から車で5分ぐらいの所にあります。第二次世界大戦末期、知覧から飛び立った陸軍特別攻撃隊員の写真や遺書、遺品などが展示されていて、戦争の悲惨さ、平和・命の尊さを知ることのできる施設です。


「知覧特攻平和会館」正面入口


施設外展示物「陸軍一式戦闘機 隼」、

総生産数5751機で、海軍の零式艦上戦闘機に続き2番目に多く生産された戦闘機です。戦争末期になると特攻機としても使用され、知覧飛行場からは126機が出撃しています。

展示のものは映画撮影用に実寸大で製作されたレプリカです。


施設外展示物「特攻隊員の像と軍用機」、

像の隣りにある軍用機は、初等練習機として航空自衛隊防府北基地で使用されていましたが、用途廃止後に知覧町が借り受けて展示しているものです。


零式艦上戦闘機52丙型、

鹿児島県川内市の手打港沖合で、昭和20年(1945年)5月にエンジントラブルにより不時着水し、水深約35mの海底に沈んでいたものです。

昭和55年(1980年)6月、知覧町によって35年ぶりに引き揚げられました。





水上特攻艇「震洋艇」、

薩摩半島に配備され終戦に伴い海没処分されていたものを引き揚げ、一部の部品を使用して復元したものです。


施設外展示物「三角兵舎(復元)」

特攻隊員が出撃までの数日間を過ごした場所です。空襲を避けるために飛行場から少し離れた松林にの中に造られました。敵に見つからないように半地下式になっていて、屋根には偽装用の幼木がのせられていました。

内部の様子


鹿児島県から熊本県へ移動

移動距離約130キロ


【5城目 人吉城(日本100名城No.93)】
人吉城は相良氏が鎌倉時代に地頭として人吉荘に赴任して以来35代670年の長きに渡り在城し、江戸時代には人吉藩の藩庁でした。人吉城はもともと平氏の家臣が城主を務めていました。源頼朝公に仕えた遠江国相良荘国人の相良長頼公が肥後国人吉荘の地頭に任じられると、城のあけ渡しを命じますが応じなかったため、大晦日に鷹狩りと言って誘い出し、殺害したと言われています。建久9年(1198年)に人吉城城主となった相良長頼公は城を拡張し人吉城の基礎を造りました。戦国時代になると相良氏は球磨地方を統一し領土の拡大を図りますが、天正15年(1587年)の豊臣秀吉公の九州征伐により降伏、交渉の末に人吉城と領土を安堵されています。関ヶ原の戦いでは西軍方として伏見城などを攻めますが、関ヶ原で西軍方が敗れると東軍方に内応し戦功をあげて、2万2千石の領地を安堵されました。

人吉城は球磨川とその支流胸川の合流地点の山に築かれており、北側と西側は球磨川と胸川を天然の堀とし、東側と南側は山の斜面と崖を天然の城壁として、巧みに自然の地形を利用しています。


人吉城遠景


人吉城案内板、

球磨川沿いに三の丸、その南に二の丸、さらに丘陵上に本丸が配置された、悌郭式の平山城です。


胸川沿いに復元されている手前から隅櫓・続塀・大手門脇多聞櫓、北側より撮影

南側より撮影


大手門跡、

奥が無料駐車場となっています。

大手門案内板


城主の居館跡(御館跡)建てられている相良護国神社、明治13年(1880年)建立され、相良家の歴代藩主や地域の戦没者を祀る神社です。奥が本殿、左側の建物が社務所で御城印が販売されています。

相良護国神社鳥居前に架かる石橋

御館跡庭園


堀合門(内側より撮影)、

城主が住む御館の北側にある裏門で、人吉城で唯一の現存する建造物です。明治の廃藩置県後に、士族の新宮家に移築されていましたが、2007年(平成19年)に塀や排水溝と共に復元されました。

案内板

堀合門(外側より撮影)


堀合門西側のはね出し工法も用いた武者返しを持つ石垣(東側より撮影)

はね出し工法を用いた武者返しは、石垣の上部が突起状にはみ出していて、登って来た敵を上から石を落として撃退できる様に設計された西洋式築城技術です。西洋式城郭では五稜郭、龍岡城での採用例はありますが和式城郭で採用されたのは人吉城のみです。

堀合門西側のはね出し工法も用いた武者返しを持つ石垣(西側より撮影)


堀合門東側にある石柱


人吉城北側を流れる球磨川


球磨川沿いに設けられている水ノ手門跡、

船着場に連結した水上門で、球磨川の水運を利用して年貢米や塩などの物質を城内に運んでいました。

案内板

水ノ手門跡(内側より撮影)


水ノ手門跡近くの間米蔵跡


人吉城歴史館、

人吉城跡敷地内に建てられていて100名城スタンプが設置されています。訪問した火曜日は休館日でしたが、正面玄関は開いていて入ってすぐの所に設置されていました。


堀合門を出て右側(東側)へ進むと二の丸、本丸へと続きますが時間の都合上今回は見送り次の目的地へ向かいます。

【6城目 八代城(続日本100名城No.190)】
人吉城から車で1時間程の所にあります。

一国二城体制が認められていたこの地には、熊本城の支城である麦島城が存在していましたが、元和5年(1619年)の大地震により倒壊、廃城となったため、加藤清正公の次男加藤忠広公が江戸幕府の許可を得て麦島城北側の松江の地に新たな城が築かれました。なお松江の地に築かれた事から別名「松江城」とも呼ばれています。寛永9年(1632年)に加藤氏が改易、同年10月豊前小倉藩藩主の細川忠利公が肥後熊本藩に移封されると、忠利公の父細川忠興公が八代城に入城します。忠興公は北の丸を隠居所として、本丸には四男の細川立孝公を住まわせています。忠興公没後は細川家の筆頭家老で将軍直臣の身分をもつ松井興長公に八代城が預けられると、以後明治維新まで松井家が八代城を治めていく事になります。


八代城案内板-1

八代城案内板-2、

八代城本丸の北西隅には、外観4層地下1階の大天守が築かれ、渡り廊下を介して2層2階の小天守と繋がっていました。


天守台石垣(西面ー北面)

天守台石垣(北面)


本丸北側入口


唐人櫓跡石垣


天守台石垣


小天守跡の標柱

小天守跡からの眺め


大天守入口の様子

大天守跡の標柱


本丸東側入口、

江戸時代の本丸入口です。


本丸東側石垣-1

本丸東側石垣-2


本丸東側入口の様子-1

本丸東側入口の様子-2


本丸南側石垣-1


本丸南側、八代宮前に架けられている橋


本丸跡に建立されている八代宮、

後醍醐天皇の皇子で征西大将軍として九州における南朝方の全盛期を築いた懐良親王を主祭神として祀っています。


本丸南側石垣-2


本丸西側石垣-1、

奥が天守台石垣です。

本丸西側石垣-2


北の丸跡に建立されている松井神社、

北の丸は細川忠興公が隠居の地として茶室や庭園を整備しました。

細川忠興公が自ら植えたと伝わる臥龍梅

説明板

庭園跡


本日のお城巡りはここまで


今晩は八代城から車で1時間半程にある「道の駅阿蘇」で車中泊です。


阿蘇山近くの観光地に立地しているため車中泊の車で駐車場はほぼ埋まってました。


道の駅に隣接している阿蘇駅舎

阿蘇駅前のウソップ像

訪問日:2026/4/27


昨日の悪天候とは打って変わって晴天となりました。


【ちょこっと寄り道 その2】

お城巡りの前に道の駅から車で30分程にある

鵜戸神宮

に立ち寄りました。

鵜戸神宮は海に面した断崖絶壁の洞窟内にある珍しい神社です。



神門


楼門


鵜戸神宮の神使であるウサギ






本殿の様子、

縁結びや子授け、安産などの御利益があると言われています。


本殿裏の洞窟内の様子


本殿前にある「霊岩亀石」、

岩の窪みに男性は左手、女性は右手で運玉を投げて窪みの中に入れば願いが叶うと言われています。


「運玉」、

200円で5個購入できます。


宮崎県から鹿児島県へ移動、

移動距離約150キロ


【4城目 鹿児島城(日本100名城No.97)】

別名、鶴丸城と呼ばれる鹿児島城は、島津家久公が慶長6年(1601)年に築城を開始し約10年かけて完成させたもので、背後の山城(城山)と麓の居館からなる城です。麓の居館は御殿建築が建つ本丸と二の丸の二つの曲輪から構成され、御楼門以外は天守も櫓もないシンプルな城でした。現在、城跡には再建された御楼門と石垣、水堀が残っています。


御楼門、

明治6年(1873年)の火災で焼失しましたが、令和2年(2020年)に復元されています。

高さ幅ともに約20mある日本最大の城門です。




御楼門を抜けてすぐの石垣に残る弾痕跡、

明治10年(1877年)に起こった西南戦争で薩摩軍と新政府軍との戦い時に撃ち込まれた銃弾、砲弾跡です。当時の戦いの激しさを知ることができます。





石垣と水堀、

初夏には一面に蓮の花が咲きます。

石垣の角を削った「隅欠(すみおとし)」、

本丸の北東部分にあたる場所は、鬼(災いなど)が出入りする方角にあたるため、石垣の出隅を欠いて入隅とし鬼(災いなど)が入ってこないようにしています。


【ちょこっと寄り道 その3】


城山展望台からの桜島・錦江湾・市内の眺め

西郷隆盛公銅像


本日のお城巡りはここまで


本日の宿泊先、指宿シーサイドホテル


【ちょこっと寄り道 その4】

早目にホテルにチックインしたので入浴後にドライブに出かけました。


長崎鼻からの開聞岳の眺め


お土産物屋さんの前にある珍しい看板


日本最南端ある西大山駅

西大山駅からの開聞岳の眺め


訪問日:2026/4/25・26


ゴールデンウィークの大型連休を利用して九州にある100名城/続100名城を訪問しました。


前日に神戸より「さんふらわあ ごーるど」に乗船して大分港を目指します。


「さんふらわあ ごーるど」船首方向


「さんふらわあ ごーるど」船尾方向


19時50分神戸出航



出航から1時間後に明石海峡大橋通過



船内の様子



船内レストランの様子


客室の様子、ツーリスト(相部屋)


7時20分大分港到着


あいにくの雨です。

しかも時折雨足が強まる時間帯があり、結局夕方5時過ぎまで雨が止むことはありませんでした(>_<)


【1城目 府内城(日本100名城No.94)】

大分港から車で約6分、市役所・県庁などが立ち並ぶ大分市の中心部に築かれた平城です。

1597年(慶長2年)に豊臣秀吉公の命により福原直高公が築城を開始し、江戸時代に入ってからは竹中重利公が増改築を行い1602年(慶長7年)に完成しています。かつては、四層の天守を持ち、20の櫓と7つの門、3箇所の廊下橋が築かれていましたが、戦火などにより失われ、現存する江戸期の建築物としては宗門櫓、人質櫓のみです。



大手門、

昭和20年の空襲により焼失、昭和41年に復元されたものです。

100名城スタンプは大手門下に設置されていて24時間いつでも押す事ができます。



西ノ丸隅櫓、

昭和40年に復元されました。府内城には空襲で焼失した櫓が三基復元されています。



宗門櫓、

1859年(安政6年)に再建されたものです。

外側から見ると平櫓の様に見えますが、内側からだと二重櫓の様に見えます。

宗門櫓、内側より撮影



東丸着到櫓、

二重地下一階の造りになってます。


人質櫓、

1861年(文久元年)に再建されたものです。

後方右が本丸櫓台石垣、後方左が天守台石垣



廊下橋、

平成7年に復元されたものです。

廊下橋内部の様子



天守台、

かつては、四層の天守が建てられていましたが、1743年(寛保3年)の大火により焼失、以降天守は再建されませんでした。


天守台から見た廊下橋


二重櫓と帯曲輪、

帯曲輪はかつて大分川の河口に面していた本丸を囲うように造られた人工の土手です。


【2城目 臼杵城(続日本100名城No.193)】

1556年(弘治2年)、キリシタン大名として知られる大友義鎮(宗麟)公は、大友氏代々の本拠地であった府内を離れ、臼杵湾に浮かぶ小島(丹生嶋)に臼杵城を築きました。府内に比べて極めて高い防御性を持つ府内城は、豊後大友氏が最も栄えていた居城としてイエスズ会宣教師たちによって広く世界に知れ渡っていました。大友氏が改易された1593年(文禄2年)以降、豊臣秀吉公配下の武将である福原直高公・太田一吉公によって大友氏時代の臼杵城を石垣と瓦ぶきの櫓を数多く造る近代城郭へと改修されました。関ヶ原の合戦後は、美濃から入封した稲葉氏が臼杵城を居城として明治まで臼杵藩を支配していました。


臼杵城遠景、

臼杵市観光交流プラザ前駐車場より撮影、

右から畳櫓と大門櫓が見えます。

斜め上へ延びる白壁の土塀が美しいです。


古橋口の様子、

臼杵城への登城路入口の一つです。

ここから鐙坂を通って二ノ丸へと向かいます。



二ノ丸への登城路

二ノ丸への登城路、

鐙坂方面へ振り返った様子


畳櫓、

天保年間に再築された櫓で、1階と2階の面積が同じ「重箱造り」と言う構造になっています。


井楼櫓台石垣、

城下を一望できる重要な櫓で城内では最大規模のものでした。


大門櫓、

平成12年に復元されました。

大門櫓(内側)


時鐘櫓跡

城下に鐘で時を報せる時報施設です。


二ノ丸居館庭園跡


空堀と本丸側石垣

空堀と西ノ丸側石垣


武具櫓跡石垣の断面、

石垣内部に組み込まれている栗石が確認できます。


鉄門枡形石垣-1、

本丸への入口となる重要な場所です。

鉄門枡形石垣-2

鉄門枡形石垣-3


天守櫓西側の空堀


天守台石垣、

大正時代に上部4m程が壊されてしまいましたが、もとは7m程の石垣でした。


天守櫓跡、

3層4重の天守櫓が建てられていました。


卯寅口門脇櫓と卯寅稲垣神社


卯寅口門脇櫓

嘉永年間に再築された櫓で、1階と2階の面積が同じ「重箱造り」と言う構造になっています。


【ちょこっと寄り道 その1】

次のお城巡り前に臼杵城から車で15分程にある

臼杵石仏に行きました。

臼杵石仏は凝灰岩の岩壁に刻まれた磨崖仏群です。平安末期から鎌倉時代にかけて彫られたと言われています。平成7年に磨崖仏としては全国初の国宝に指定されています






大分県から宮崎県へ移動、

移動距離約210キロ


【3城目 飫肥城(日本100名城No.96)】

日南市にある飫肥城は、シラス台地の地形を利用して曲輪を幾つも並べた群郭式の平山城です。江戸時代は伊東氏飫肥藩の藩庁として栄えました。

南北朝時代に土持氏が築城したのが始まりで、戦国時代に入ると島津氏と伊東氏の争奪戦が繰り返されます。1572年(元亀3年)の木崎原の戦いで敗れ、飫肥城を失った伊東氏は豊臣秀吉公に仕えて、1587年(天正15年)の九州平定では先導役を務めた戦功から飫肥城主に返り咲きます。関ヶ原の戦いにおいても伊東氏は九州では数少ない東軍側として立ち回り領土を安堵されています。


飫肥城観光駐車場チケット販売所、

ここで御城印購入できます。

隣に無料駐車場あります。


大手門、

明治に入って取り壊されましたが、昭和53年(1978年)に国内に現存する大手門を参考に在来工法で再建されました。


大手門前の空堀


大手門の枡形


大手門、

内側より撮影


本丸の石垣と塀


本丸南東部の石垣と鐘楼


本丸へ続く階段


本丸跡に建てられている飫肥城歴史資料館、

100名城スタンプが設置されています。


旧本丸へ続く階段、

旧本丸は江戸時代前期の三度の地震による改修前に本丸が置かれていた場所です。


旧本丸の様子、

樹齢140年の飫肥杉木立と深い緑の苔のじゅうたんを敷き詰めた様な空間で「癒しの森」と呼ばれています。


旧本丸裏門


松尾の丸に建てられている松尾の丸御殿、

江戸時代初期の書院造りの御殿を参考に在来工法で昭和54年(1979年)に建てられました。


本日のお城巡りはここまで。


今晩は飫肥城から車で15分程の道の駅「きたごう」で車中泊です。


道の駅「きたごう」の様子、

100台程停めれそうな広い駐車場ですが、この日は私の他に5台程の車中泊の車のみでした。トイレ・休憩所は24時間使用可能ですが、ゴミ箱は見当たらなかった?ので持ち帰る必要あります。周りは田園地帯なので静か、快適に過ごせました。



訪問日:2026/1/1


あけましておめでとうございます。


2026年の初日の出は姫路城が展望できる人気スポット、男山山頂からです。


男山(標高57.5m)は、姫路城天守の北西、天守からの距離約500mに位置していて頂上は男山配水池公園として整備されています。

頂上からの姫路城の展望は素晴らしく、姫路城十景に選ばれています。


西小天守からの男山の眺め

(2024年2月17日撮影)


JR姫路駅から徒歩約25分で男山頂上へ登る一直線の階段に到着します。


197段の階段、勾配もキツいので一気に登り切るには体力的を要します。


登り切った先は姫路城天守が見える絶景スポットとなっています(6時20分頃の画像)。


6時47分頃の画像


6時53分頃の画像


7時12分頃の画像、

予報では姫路の日の出時刻は7時8分頃ですが、まだ出てきません。


7時13分頃の画像、ようやくです。







7時15分頃の画像



7時17分頃の画像


今年も良い一年になりますように!

訪問日:2025/12/11


12月11日は、「世界文化遺産登録記念の日」で姫路城入場料金が無料となっています。


姫路城は平成5年(1993年)12月11日、ドイツで開催されたユネスコ世界遺産委員会で、法隆寺地域の仏教建造物とともに、日本初の世界文化遺産として登録されています。


三の丸広場より撮影


入場ゲート入口の「世界遺産登録記念の日」を告知する案内板


三国堀より撮影



備前丸より撮影


西の丸より撮影-1


西の丸より撮影-2


本日は動物園も無料です。








動物園内より撮影-1


動物園内より撮影-2


動物園内より撮影-3


姫路城入場者に配布されたクリアファイル


姫路城、動物園の他にも好古園、姫路市立美術館、姫路文学館が無料となっています。

訪問日:2025/11/21・22

ここからは11月22日夕方に撮影した画像です。

イーグレ姫路の屋上から撮影

イーグレ姫路の屋上から撮影、姫路城天守

イーグレ姫路の屋上から撮影、西の丸方面


大手前公園付近にて撮影



城見台公園付近から撮影


姫路城東側、姫路市立美術館付近より撮影





姫路市立美術館より撮影



姫路城北側、シロトピア記念公園付近より撮影





姫路城西側の石垣と内堀



好古園付近、内堀に映り込む石垣の水鏡



大手門付近より撮影、夕日に映える姫路城天守


三の丸広場より撮影

三の丸広場では今晩から始まるライトアップイベントの準備中でした。


11月21日午前中の画像は、

を参照願います。


訪問日:2025/11/21・22

11月21午前中、11月21日夕方の2日間にかけて晩秋の姫路城を撮影してみました。

大手門付近より撮影、桜門橋と姫路城天守


三の丸広場より撮影




三国堀付近より撮影


姫路城天守より撮影、南側姫路駅方面

姫路城天守より撮影、東側姫路市立美術館方面

姫路城天守より撮影、西側西の丸方面

姫路城天守より撮影、北側


本丸より撮影、西の丸方面


菱の門、内側より撮影


11月22日夕方の画像は、

を参照願います。




訪問日:2025/11/22

三の丸広場で有料のライトアップイベント、
「DANDELION 姫路城xNAKED,INC.」
が開催されています。
開催日時は令和7年11月22日から令和7年12月11日までの午後5時15分から午後9時15分まで(最終入場は午後9時まで)です。










かつて姫路城内の高台にあったとされる藤棚をモチーフに、小さなプリズムを藤棚のように吊るしたインストレーションです。







石垣に映し出されるプロジェクションマッピング






詳細は下記、姫路市HPを参照願います。

姫路城ライトアップイベント


また冬の光のイベント、

「Himeji大手前通りイルミネーション」

も始まっています。

日時は、令和7年11月22日から令和8年2月22日までの午後5時から午後10時まで(週末・祝日は24時まで)です。




11月22・23日は大手前通りの一部が歩行者天国になりレーザーやスモークなどの特別な演出やライブイベントなどが実施されます。





詳細は下記、姫路市HPを参照願います。

Himeji大手前通りイルミネーション2025