訪問日:2026/4/25・26
ゴールデンウィークの大型連休を利用して九州にある100名城/続100名城を訪問しました。
前日に神戸より「さんふらわあ ごーるど」に乗船して大分港を目指します。
「さんふらわあ ごーるど」船首方向
「さんふらわあ ごーるど」船尾方向
19時50分神戸出航
出航から1時間後に明石海峡大橋通過
船内の様子
船内レストランの様子
客室の様子、ツーリスト(相部屋)
7時20分大分港到着
あいにくの雨です。
しかも時折雨足が強まる時間帯があり、結局夕方5時過ぎまで雨が止むことはありませんでした(>_<)
【1城目 府内城(日本100名城No.94)】
大分港から車で約6分、市役所・県庁などが立ち並ぶ大分市の中心部に築かれた平城です。
1597年(慶長2年)に豊臣秀吉公の命により福原直高公が築城を開始し、江戸時代に入ってからは竹中重利公が増改築を行い1602年(慶長7年)に完成しています。かつては、四層の天守を持ち、20の櫓と7つの門、3箇所の廊下橋が築かれていましたが、戦火などにより失われ、現存する江戸期の建築物としては宗門櫓、人質櫓のみです。
大手門、
昭和20年の空襲により焼失、昭和41年に復元されたものです。
100名城スタンプは大手門下に設置されていて24時間いつでも押す事ができます。
西ノ丸隅櫓、
昭和40年に復元されました。府内城には空襲で焼失した櫓が三基復元されています。
宗門櫓、
1859年(安政6年)に再建されたものです。
外側から見ると平櫓の様に見えますが、内側からだと二重櫓の様に見えます。
宗門櫓、内側より撮影
東丸着到櫓、
二重地下一階の造りになってます。
人質櫓、
1861年(文久元年)に再建されたものです。
後方右が本丸櫓台石垣、後方左が天守台石垣
廊下橋、
平成7年に復元されたものです。
廊下橋内部の様子
天守台、
かつては、四層の天守が建てられていましたが、1743年(寛保3年)の大火により焼失、以降天守は再建されませんでした。
天守台から見た廊下橋
二重櫓と帯曲輪、
帯曲輪はかつて大分川の河口に面していた本丸を囲うように造られた人工の土手です。
【2城目 臼杵城(続日本100名城No.193)】
1556年(弘治2年)、キリシタン大名として知られる大友義鎮(宗麟)公は、大友氏代々の本拠地であった府内を離れ、臼杵湾に浮かぶ小島(丹生嶋)に臼杵城を築きました。府内に比べて極めて高い防御性を持つ府内城は、豊後大友氏が最も栄えていた居城としてイエスズ会宣教師たちによって広く世界に知れ渡っていました。大友氏が改易された1593年(文禄2年)以降、豊臣秀吉公配下の武将である福原直高公・太田一吉公によって大友氏時代の臼杵城を石垣と瓦ぶきの櫓を数多く造る近代城郭へと改修されました。関ヶ原の合戦後は、美濃から入封した稲葉氏が臼杵城を居城として明治まで臼杵藩を支配していました。
臼杵城遠景、
臼杵市観光交流プラザ前駐車場より撮影、
右から畳櫓と大門櫓が見えます。
斜め上へ延びる白壁の土塀が美しいです。
古橋口の様子、
臼杵城への登城路入口の一つです。
ここから鐙坂を通って二ノ丸へと向かいます。
二ノ丸への登城路
二ノ丸への登城路、
鐙坂方面へ振り返った様子
畳櫓、
天保年間に再築された櫓で、1階と2階の面積が同じ「重箱造り」と言う構造になっています。
井楼櫓台石垣、
城下を一望できる重要な櫓で城内では最大規模のものでした。
大門櫓、
平成12年に復元されました。
大門櫓(内側)
時鐘櫓跡
城下に鐘で時を報せる時報施設です。
二ノ丸居館庭園跡
空堀と本丸側石垣
空堀と西ノ丸側石垣
武具櫓跡石垣の断面、
石垣内部に組み込まれている栗石が確認できます。
鉄門枡形石垣-1、
本丸への入口となる重要な場所です。
鉄門枡形石垣-2
鉄門枡形石垣-3
天守櫓西側の空堀
天守台石垣、
大正時代に上部4m程が壊されてしまいましたが、もとは7m程の石垣でした。
天守櫓跡、
3層4重の天守櫓が建てられていました。
卯寅口門脇櫓と卯寅稲垣神社
卯寅口門脇櫓
嘉永年間に再築された櫓で、1階と2階の面積が同じ「重箱造り」と言う構造になっています。
【ちょこっと寄り道 その1】
次のお城巡り前に臼杵城から車で15分程にある
臼杵石仏に行きました。
臼杵石仏は凝灰岩の岩壁に刻まれた磨崖仏群です。平安末期から鎌倉時代にかけて彫られたと言われています。平成7年に磨崖仏としては全国初の国宝に指定されています。
大分県から宮崎県へ移動、
移動距離約210キロ
【3城目 飫肥城(日本100名城No.96)】
日南市にある飫肥城は、シラス台地の地形を利用して曲輪を幾つも並べた群郭式の平山城です。江戸時代は伊東氏飫肥藩の藩庁として栄えました。
南北朝時代に土持氏が築城したのが始まりで、戦国時代に入ると島津氏と伊東氏の争奪戦が繰り返されます。1572年(元亀3年)の木崎原の戦いで敗れ、飫肥城を失った伊東氏は豊臣秀吉公に仕えて、1587年(天正15年)の九州平定では先導役を務めた戦功から飫肥城主に返り咲きます。関ヶ原の戦いにおいても伊東氏は九州では数少ない東軍側として立ち回り領土を安堵されています。
飫肥城観光駐車場チケット販売所、
ここで御城印購入できます。
隣に無料駐車場あります。
大手門、
明治に入って取り壊されましたが、昭和53年(1978年)に国内に現存する大手門を参考に在来工法で再建されました。
大手門前の空堀
大手門の枡形
大手門、
内側より撮影
本丸の石垣と塀
本丸南東部の石垣と鐘楼
本丸へ続く階段
本丸跡に建てられている飫肥城歴史資料館、
100名城スタンプが設置されています。
旧本丸へ続く階段、
旧本丸は江戸時代前期の三度の地震による改修前に本丸が置かれていた場所です。
旧本丸の様子、
樹齢140年の飫肥杉木立と深い緑の苔のじゅうたんを敷き詰めた様な空間で「癒しの森」と呼ばれています。
旧本丸裏門
松尾の丸に建てられている松尾の丸御殿、
江戸時代初期の書院造りの御殿を参考に在来工法で昭和54年(1979年)に建てられました。
本日のお城巡りはここまで。
今晩は飫肥城から車で15分程の道の駅「きたごう」で車中泊です。
道の駅「きたごう」の様子、
100台程停めれそうな広い駐車場ですが、この日は私の他に5台程の車中泊の車のみでした。トイレ・休憩所は24時間使用可能ですが、ゴミ箱は見当たらなかった?ので持ち帰る必要あります。周りは田園地帯なので静か、快適に過ごせました。



























































































































































































































































