侍ホリタンの続続100名城訪問記

侍ホリタンの続続100名城訪問記

惜しくも日本の100名城や続100名城に入らなかった隠れた名城が日本にはまだまだあります。
侍ホリタンが独断と偏見で選んだ続続100名城を紹介していきます。

兵庫県川西市にある安土城を模した様な天守閣、新名神高速道路からも見えて前から気になっていたので訪問しました。この天守閣風な建物は大阪青山短期大学北摂キャンパス内に建てられた付属施設で国宝・重要文化財16件を含む約5000件の古文書・典籍をはじめとする文化財の調査研究、収蔵、展示を行うための施設として平成11年4月に開館した博物館です。また6階の展望室からは北摂津を360°のパノラマで見渡せることができます。ただし2024年6月15日現在のHPでは「館内整備のためしばらくの間休館いたします」となっています。


天守閣風な建物の様子、正面から時計回りに見学して行きます。






建物の裏側はグラウンド、その隣は駐車場となっています。



博物館入口付近の様子




博物館前に建てられた「戦国三将の像」、右手から森蘭丸、織田信長、この地域の御家人である塩川長満、今まさに信長公が白鷹を飛ばさんとする瞬間のポーズで森蘭丸は竹、塩川長満は鉄扇で獲物を追いやろうとする様子が表現されています。


訪問日:2024/6/15

【場所】大阪府池田市

【築城年】建武元年(1334年)前後

【築城者・改修者】池田教依

【城郭様式】平山城

【主な城主】池田氏、荒木村重

【見所】①模擬櫓②土塁③井戸

【廃城年】1580年

【御城印の有無・販売場所】

公園内売店

【アクセス】

阪急池田駅より徒歩15分

【駐車場情報】

五月山緑地駐車場

【周辺観光施設】


池田城は室町時代から戦国時代にかけて池田市域一帯を支配していた地方豪族池田氏の居城でしたが、城主池田勝正公の時代に家来であった荒木村重公によって城を追われています。その後村重公は居城を有岡城へ移したため廃城となっています。池田城跡公園は平成元年からの4年間の発掘調査によって確認された井戸、枯山水、排水溝、礎石などを復元して平成12年(2000年)4月にオープンした池泉回遊式庭園です。また毎年6月には約2000株のシラユリ(テッポウユリ)が咲き誇ります。



池田城跡公園入口


石碑


案内板


東門


東門入口正面に建てられている「てるてる坊主の照子さん」の文学碑


北門


芝生広場と模擬櫓


シラユリと模擬櫓





池と模擬櫓、池には多くの鯉が放たれていて餌やり体験ができます。


復元された礎石群


復元された枯山水


復元された排水溝


井戸跡


土塁


虎口門、外側より撮影


虎口門、園内より撮影


西門


南門


ハナショウブと紫陽花、空堀散策路より撮影


模擬櫓2階からの園内の眺め



模擬櫓2階からの池田市内の眺め


空堀散策路、東門木橋上より撮影


園内売店で購入した限定御城印



訪問日:2024/6/15

【場所】大阪府茨木市

【築城年】不明

【築城者・改修者】茨木氏、中川清秀

【城郭様式】平城

【主な城主】茨木氏、中川清秀、片桐且元

【見所】①復元櫓門②移築搦手門

【廃城年】1616年(一国一城令による廃城)

【御城印の有無・販売場所】

なし

【アクセス】

阪急茨木市駅より徒歩15分

【駐車場情報】

市営中央公園駐車場


【周辺観光施設】


茨木城は建武年間(1334年〜1336年)に楠木正成公が築いたと言う説もありますが、定かではなく諸説あって不明です。

主な城主としては茨木氏、中川清秀公、片桐且元公が名を連れています。茨木氏の統治時代は居城程度のものであったと考えられています。1571年に起こった白井河原合戦で茨木氏は滅亡、その後城主となった中川清秀公によって本丸、二の丸、三の丸、城下町の整備が行われた様です。清秀公が賤ヶ岳の戦いで戦死した後は息子の秀政公が城主なります。秀政公が三木城へ移封後は豊臣家の直轄地となり、関ヶ原の戦い後は片桐且元公が城主となっています。

城跡周辺は宅地化が進み当時の遺構は残っていませんが、本丸は茨木小学校あたりにあったと考えられています。


茨木小学校の正門として復元された茨木城櫓門、片桐且元公の弟貞隆公が大和小泉に移封となった際、茨木城の櫓門を移し慈光院の表門として移築保存されている櫓門を元に復元されたものです。


櫓門の案内板


瓦には片桐氏の家紋である「違い割り鷹の羽」入っています。


茨木神社東門として移築されている茨木城搦手門、外側より撮影


茨木神社東門として移築されている茨木城搦手門、境内より撮影


搦手門の案内板


搦手門屋根下部、冠木部に装飾が施されています。



中川清秀公の誕生の地とされる場所に建てられている石碑と案内板、茨木小学校から車で10分程度、茨木市内の西国街道と亀岡街道が交差する箇所にあります。



訪問日:2024/5/2


GWの家族旅行で宿泊した宍道湖近くの某ホテル6階廊下から見える松江城天守、窓を開けれないのが残念です。


夕食を済ませた後の散歩のついでに、寄ってみました。2年振りの訪問です。



先ず松江開府の祖、堀尾吉晴公が出迎えてくれます。



二の丸跡に咲くヒトツバタコの花、別名ナンジャモンジャ、雪が降り積もった様に見えます。開花時期は5月上旬から中旬にかけてです。中国、朝鮮半島、日本では木曽川流域の一部と対馬にしか分布していない珍しい木です。松江城のものは戦前、朝鮮半島で植林に携わっていた杉坂治という人が持ち帰り、松江市に寄贈、松江城山公園に植えられたものです。



二の丸からの天守の眺め


本丸からの天守の眺め



こちらは松江城近くで見つけたマンホール、松江市で下水道が使用されるようになってから40年を記念してデザインされたものらしいです。


こちらは翌日の朝にホテルから撮った松江城天守

訪問日:2024/3/31

高松城からの転戦です。
昨年11月、
岡山マラソン以来の訪問となります。


後楽園と岡山城の間を流れる旭川、

多くのボートと遊覧船が行き交いのどかで楽しそうです。

自分も体験したかったのですがさすがに1人、オッサン2人ではそんな勇気もなく、ただただ指をくわえて眺めているだけでした(>_<)


本日やっとその機会が訪れました(^○^)


嫁、娘家族3人での家族旅行の帰り、絶好のチャンス到来と思い帰路の途中でしたが、そのためだけに岡山駅を下車しての訪問です。


まず碧水園カフェさんでチケットを購入、桃ボート選択です。カフェで購入したドリンク、フードの持ち込み可です。乗船時間は9時から17時ですが、最終受付が16時半までとなっているので注意が必要です。


チケットを持って乗船小屋まで降りて行きボートが帰ってくるのを待ちます


嫁が真ん中、私と娘が両サイドに乗りいざ出陣です‼︎


制限時間は20分なので自分で時間を測っておく必要あります。


スワンボートと岡山城天守

遊覧船と岡山城天守


普段見れる事のないアングルからの撮影、ボートを両足で漕ぎながらスマホ片手での撮影ですが楽しいです( ^∀^)







嫁と娘はお城に興味ないのですが、

こんなアングル初めて、

終始ワクワクドキドキです。





残り時間僅か、後ろ髪を引かれる思いで戻って行きます(>_<)


僅か20分、最初は割高感もありましたが十分楽しめる事ができまた乗ってみたいと思えました。





訪問日:2024/3/31


高松城は日本三大水城と呼ばれていて、堀に瀬戸内海の海水を引き込んでいるため鯛が泳いでいます。桜は桜御門の南側にある「桜の馬場」と呼ばれる芝生広場にソメイヨシノなど70本余りが植えられています。訪問時はまだ咲き始めでしたが多くの花見客で賑わっていました。


高松城では天守台や鞘橋を間近で見れる城舟体験ができます。舟上から鯛のエサやりもできます。後方は「桜の馬場」

天守台石垣付近



鞘橋


天守台と桜


桜御門と桜

艮櫓と桜


月見櫓の内部

月見櫓の内部は日曜日の9時から15時まで無料開放されています。同時に水手御門も開扉されています。高松城は幾度か訪問していますが内部の見学は今回の訪問が初めてです。月見櫓は瀬戸内海に面した城内北側に建てられた三重三階の櫓で出入りする船を監視する役割を担っていました。


月見櫓西側の様子


左から月見櫓、続櫓、水手御門、渡櫓


月見櫓1階の様子




月見櫓2階の様子



月見櫓3階の様子



月見櫓3階からの眺め①

月見櫓3階からの眺め②

月見櫓3階からの眺め③

月見櫓3階からの眺め④


高松城空撮

高松シンボルタワー29階にある無料の展望スペースからの高松城の眺め。

訪問日:2024/3/30


「石垣の名城」と呼ばれる丸亀城の石垣の高さは山麓から山頂まで合わせると60mで日本一を誇ります。




大手一の門と天守


大手二の門と天守


三の丸北側の高石垣、

扇を開いた様な曲線を持たせた積み方で「扇の勾配」と呼ばれています。高さは20mほどあります。


見返り坂付近の桜、

3月27日から4月10日まで城内で桜まつりが行われていましたが、訪問時はまだ咲き始めの状態でした。


見返り坂


二の丸のライトアップ


天守、三層三階構造で高さは15mです。


訪問日:2024/2/17


姫路城の連立式天守を構成する小天守3基のうち、今まで公開された事のない西小天守が2024年2月1日より2月29日まで公開されています

同時に西小天守へ至るルートとしてイの渡櫓、東小天守2階、ロの渡櫓、乾小天守2階、ハの渡櫓も公開されています。


三の丸広場から見た西小天守(左)と大天守(右)


三国掘から見た連立式天守の様子、

左から乾小天守、ハの渡櫓、西小天守、大天守


はの門付近からの眺め


西小天守西側の眺め、

西小天守は地上3階地下2階となっています。


西小天守真下の様子、

石落とし、格子窓、鉄砲狭間を確認できます。

西小天守は、西側から連立式天守曲輪内へ侵入して来る敵を防ぐ為の最終防御拠点としての役割を担っています。


ロの渡櫓


ロの渡櫓から西小天守の眺め。


西小天守入口(西小天守2階部分)


西小天守2階の様子


西小天守3階の様子(西側)


西小天守3階の様子(東側)


案内板


西小天守から乾小天守の眺め、

乾小天守の火灯窓が確認できます。


手前から備前丸、上山里曲輪、三の丸広場の眺め


西小天守1階南側に設けられている石落とし。



鉄砲狭間


案内板


西小天守1階から本丸への入口となっている

「にの門」の眺め。


西小天守1階東側に設けられているニの渡櫓への入口


ニの渡櫓内部の様子、二の渡櫓は連立式天守曲輪への入口にあたる水の五門の上に設けられている渡櫓です。

訪問日:2024/1/4

初めての九州のお城訪問は、続100名城に認定されている、大分県中津市にある中津城、福岡県北九州市にある小倉城の訪問です。2泊3日ですので周辺を観光しながら最終日に訪問しました。

1日目(1月2日)


錦帯橋


岩国城



岩国城天守からの眺め、絶景です。


日本一ソフトクリームの種類の多いお店で有名な「むさし」さんのソフトクリーム

鮎の焼きも絶品でした(^○^)


2日目(1月3日)


前日は徳山駅前にて宿泊、早朝徳山港からフェリーで九州入りです。


フェリー乗り場に展示されている回天


船内の様子、徳山港から国東半島の竹田津港まで2時間の船旅です。


大津島、回天の訓練基地があった所です。


ようやく別府駅に到着、7時20分徳山港を出港してから5時間の長旅でした。

写真の銅像は油屋熊八氏、別府観光の基礎を築いた人で日本初の女性バスガイドを考案した人物です。


別府地獄巡り、海地獄

別府地獄めぐり、坊主地獄

別府地獄めぐり、かまど地獄

別府地獄めぐり、血の池地獄

別府地獄めぐり、龍巻地獄


3日目(1月4日)


前日は中津駅前にて宿泊、いよいよお城訪問開始です。


ホテル12階客室からの朝日


中津城、駅から約1.2キロ、20分ぐらいの位置にあります。黒田官兵衛によって築かれた城で歴代城主には、黒田官兵衛・長政親子、細川忠興氏、小笠原氏、奥平氏などそうそうたる大名が名を連れています。


中津城天守と奥平神社(左)、大鞁櫓(だいひやぐら、右)


天守入口、現在の天守は旧藩主奥平家が中心となり市民の寄付も合わせて1964年(昭和39年)に再建されたものです。現在は奥平家歴史資料館として奥平家の武具等、奥平家に関するものが多く展示されています。


城内の展示物



最上階からの眺め


中津城は日本三大水城の一つです。



本丸北側の石垣、

右側が黒田時代の石垣、

左側が細川時代の石垣です。


JR特急ソニック号で中津から小倉へ移動、約30分で小倉駅に到着します。


小倉城天守と八坂神社の鳥居、JR小倉駅から徒歩20分です。


小倉城天守、

毛利氏の築城に始まり1602年から細川忠興公が7年の歳月をかけて天守を築きました。現在の天守は1959年に再建され2019年にリニューアルされたものです。館内は草刈正雄さんがナレーションを担当している映像シアターや展示物、体験コーナー、最上階には土曜日夜限定で開店しているバーなど子供から大人まで楽しめるようになっています。





小倉城庭園からの小倉城の眺め、

細川氏の跡を継いだ小笠原氏の下屋敷跡にあった庭園、書院等が復元されています。




訪問日:2024/1/1


2024年最初のお城訪問は徳島県の天守(模擬)がある3城です。先ずは元旦と言えば初日の出、初日の出を拝んで新たな一年の幸せを祈ります。


徳島県美波町大浜海岸からの初日の出です。ここはウミガメの産卵地としても有名です。

毎年800人程の人が訪れています。近くに大きな臨時駐車場(無料)があって早くから多くの車で埋まってました。



初日の出を拝んだ後、お城訪問開始です。

2024年最初のお城訪問は大浜海岸の近くにある日和佐城です。


続続100名城No.55日和佐城

場所】徳島県海部郡美波町

【築城年】1500年代初め頃

【築城者・改修者】日和佐肥前守

【城郭様式】山城

【主な城主】日和佐肥前守

【見所】①模擬天守

【廃城年】1585年

【御城印の有無・販売場所】

なし

【アクセス】

JR日和佐駅下車徒歩20分

【駐車場情報】

頂上付近に無料駐車場有り

【周辺観光施設】

大浜海岸、薬王寺


日和佐の豪族であった日和佐肥前守が長宗我部氏の阿波国南部侵攻を防ぐために築きました。その後、四国征伐によって蜂須賀家政公が阿波に入国した際に廃城となった為、お城に関する詳細な資料は残っていません。現地建てられている天守は昭和53年(1978年)に建てられたものです。


標高65mの城山に建てられています。



駐車場からの眺め


正面入口、日和佐勤労者野外活動施設として利用されています。


続続100名城No.56川島城

場所】徳島県吉野川市川島町

【築城年】1572年

【築城者・改修者】川島惟忠

【城郭様式】平山城

【主な城主】川島惟忠、林能勝

【見所】①模擬天守

【廃城年】1638年

【御城印の有無・販売場所】

なし

【アクセス】

JR川島駅下車徒歩10分

【駐車場情報】

天守前に無料駐車場有り

【周辺観光施設】

川島神社


三好家の家臣であった川島惟忠公によって築かれました。川島惟忠公没後、四国征伐によって阿波国に入国した蜂須賀家政公が阿波九城の一つとして重臣であった林能勝公を城番としましたが、一国一城令によって廃城となりました。

現在建てられている天守は昭和56年(1981年)に建てられたものです。


川島城天守の眺め


案内板


川島城天守、勤労者野外活動施設として利用されています。


続続100名城No.57撫養城(むやじょう)

場所】徳島県鳴門市撫養町

【築城年】不明

【築城者・改修者】益田正忠

【城郭様式】平山城

【主な城主】益田正忠、小笠原氏

【見所】①模擬天守②石垣

【廃城年】1638年

【御城印の有無・販売場所】

なし

【アクセス】

JR鳴門駅下車徒歩25分

【駐車場情報】

頂上付近に無料駐車場有り

【周辺観光施設】

妙見神社

 

小笠原氏の居城であったと伝わってますが詳細は分かってません。小笠原氏の後は、三好氏家臣の四宮氏が城主になってましたが、長宗我部元親公の阿波国侵攻によって元親公家臣の真下飛騨守が守備することになりました。その後、四国征伐によって阿波国に入国した蜂須賀家政公が阿波九城の一つとして家臣であった益田正忠公を城番としましたが、一国一城令によって廃城となりました。現在建てられている天守は昭和40年(1965年)に建てられたものです。


標高61mの妙見山に建てられています。


登城口の階段


案内板


撫養城天守、平成28年に「トリーデなると」としてリニューアルされた後は市の防災拠点及びシンボルとして利用されています。


妙見神社の裏手に残されている当時の石垣



鳴門市内の眺め