続続100名城No.58 茨木城 | 侍ホリタンの続続100名城訪問記

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惜しくも日本の100名城や続100名城に入らなかった隠れた名城が日本にはまだまだあります。
侍ホリタンが独断と偏見で選んだ続続100名城を紹介していきます。

訪問日:2024/6/15

【場所】大阪府茨木市

【築城年】不明

【築城者・改修者】茨木氏、中川清秀

【城郭様式】平城

【主な城主】茨木氏、中川清秀、片桐且元

【見所】①復元櫓門②移築搦手門

【廃城年】1616年(一国一城令による廃城)

【御城印の有無・販売場所】

なし

【アクセス】

阪急茨木市駅より徒歩15分

【駐車場情報】

市営中央公園駐車場


【周辺観光施設】


茨木城は建武年間(1334年〜1336年)に楠木正成公が築いたと言う説もありますが、定かではなく諸説あって不明です。

主な城主としては茨木氏、中川清秀公、片桐且元公が名を連れています。茨木氏の統治時代は居城程度のものであったと考えられています。1571年に起こった白井河原合戦で茨木氏は滅亡、その後城主となった中川清秀公によって本丸、二の丸、三の丸、城下町の整備が行われた様です。清秀公が賤ヶ岳の戦いで戦死した後は息子の秀政公が城主なります。秀政公が三木城へ移封後は豊臣家の直轄地となり、関ヶ原の戦い後は片桐且元公が城主となっています。

城跡周辺は宅地化が進み当時の遺構は残っていませんが、本丸は茨木小学校あたりにあったと考えられています。


茨木小学校の正門として復元された茨木城櫓門、片桐且元公の弟貞隆公が大和小泉に移封となった際、茨木城の櫓門を移し慈光院の表門として移築保存されている櫓門を元に復元されたものです。


櫓門の案内板


瓦には片桐氏の家紋である「違い割り鷹の羽」入っています。


茨木神社東門として移築されている茨木城搦手門、外側より撮影


茨木神社東門として移築されている茨木城搦手門、境内より撮影


搦手門の案内板


搦手門屋根下部、冠木部に装飾が施されています。



中川清秀公の誕生の地とされる場所に建てられている石碑と案内板、茨木小学校から車で10分程度、茨木市内の西国街道と亀岡街道が交差する箇所にあります。