訪問日:2024/9/1
【場所】兵庫県姫路市飾磨区英賀宮町
【築城年】永享年間(1429年〜1441年)
【築城者・改修者】赤松祐尚
【城郭様式】平城
【主な城主】赤松氏、三木氏
【見所】①土塁②石碑
【廃城年】1580年
【御城印の有無・販売場所】
通販のみ
【アクセス】
JR山陽本線英賀保駅徒歩10分
山陽電鉄網干線西飾磨駅徒歩5分
【駐車場情報】
なし
【周辺観光施設】
姫路城
英賀城は別所氏の三木城、小寺氏の御着城と並び播磨三大城と呼ばれています。永享年間初期に赤松祐尚公により築城、赤松氏以降は三木氏に支配が移っています。1578年から始まった三木合戦においては海路を使って三木城に籠る別所氏を支援しましたが、1580年1月に三木城が落城すると同年2月、三木氏9代当主三木通秋公が籠る英賀城も織田軍の猛攻を受けて落城しています。
英賀保小学校東隣、清水公園前に立てられている説明板。
英賀薬師堂、
薬師堂の裏手に土塁の一部が残っています。
またここには、英賀城城主三木一族のお墓があります。
土塁
薬師堂入口の説明板
本丸跡の石碑
英賀神社、
本殿の裏手に土塁が残っています。
土塁跡に石碑が立てられています。
神社北側の土塁、
この時期草木が生い茂っていて写真ではわからずらいです。写真のいちばん奥に「岡芝口之跡」の石碑が立てられています。
英賀神社北側にある英賀城跡公園の様子、
ここには復興石垣があったはずですが、令和6年6月28日より始まった構造物撤去工事にて撤去されていました。写真の真ん中辺りにあったと思われます。
城跡公園に立てられている石碑
城跡公園の西隣、矢倉公園に立てられている石碑