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あなたの心と魂を励ます[ちゃぷれんろごす]

メンタルケア心理士®・上級心理カウンセラーな県内初のチャプレンによる心と魂を励ますブログ

こんにちは、なぎさです。

 

 

 

今回は、新約聖書のコリント人への手紙第二4章16~18節から、この肉体が老いていっても、日々私の中は新しくなっていくというのを見てみましょう。

 

 

 

クローバー

 

 

 

ですから、私たちは落胆しません。たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。

私たちの一時の軽い苦難は、それとはくらべものにならないほど重い永遠の栄光を、私たちにもたらすのです。

私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。見える者は一時的であり、見えないものは永遠に続くからです。

コリント人への手紙第二4:16-18

 

 

 

下↓にある私のおすすめの本にある「わたしは決してあなたをひとりにしない」の今日(12/18)の箇所がまさにここですね。

 

 

 

外なる人というのは、私たちが人として生まれ成長していき、やがて老いていくこの肉体と精神のことです。

 

内なる人というのは、魂の一番奥にある、自分が自分たらしめている中心部分のこと。

この部分をキリスト教用語では「霊(れい)」と呼んでいます。

文字としては幽霊の霊と同じですが、日本のキリスト教がいう霊と翻訳している言葉は神様の息吹のこと。

 

 

創世記で神様がアダムを神様の形に似せて造った時に、鼻から「神の息」=「霊」を吹き入れたんですね。

 

 

 

少し横道に反れますが、ここを少し掘り下げてみましょう。

 

 

 

クローバー

 

 

 

神である主は、その大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。それで人は生きるものとなった。

創世記2:7

 

 

ここの「人は生きるものとなった」というのは、単に生命活動が開始されました~ではなくて、神様から見て生きている者となった、という事。

 

 

神様から見て、魂の最奥の個体としての中心部分に「霊」がある状態が「生きている」で、生命活動があっても「霊」が入っていないと「死んでいる」なんです。

 

 

 

アダムとエバ(イブ)は神様から見て生きている人間なのですが、エデンの園で蛇の一声に誘惑されて食べたら死んでしまうと言われていた果実を食べちゃう。

 

その時、神から見てアダムとエバは死んでしまいます。

 

これは生命活動が停止しましたという死亡ではなく、神の霊がアダムとエバそれぞれの中心から追い出されるという、「神から見て」「神様との関係が切れる」=「死んだものと同じになる」です。

 

 

以降、人類は生まれた時から、自分の中心に神様の霊がいない状態でスタートをします。

私も、あなたも、聖人とかの人も、使徒と呼ばれた人たちも、預言者も。

「霊」の有無から見ると死んだ状態で産まれているのですね。

 

 

神から見て死んでいる私たちが、神様の働きによって、誰かや何かから神を知って受け入れる。

 

信じた瞬間に、私たちの一番深いところ…自分たらしめている中心に、神様が聖霊として、文字通り永遠に住んでくださる。

 

この時、私たちは「神様から見て生きている者」になるのですね。

 

 

 

 

クローバー

 

 

 

 

さて話を戻しましょう。

 

 

 

人間として成長し老いていく私たちは、日々、確かに衰えていきます。

年齢だけでなく病気でも機能は弱ったりしますね。

 

ですが、内なる人という、この聖霊は日々成長し続けるのです。

 

毎日、一新されているので成長し続けます。

この一新も、昨日までの頑張りがリセットされてまたゼロからスタートしましょう!ではありません。

気持ちも新たに「今日も一日がんばるぞいキラキラ」です。

 

 

日々私たちは「聖化」といって、現在進行形で本当に極々僅かずつ、後退したり前進したりを繰り返しながらキリスト(救い主)に似た者に近づく成長をします。

 

これは私たちの自力で成長するものではありません。

それが出来たら苦労しませんね。

 

神様が聖霊を通して、私たちに気付きやこれまでの思いの方向転換とかトラブルという名で足元に石を置いたりして成長させてくれます。

ハイハイさせてもらったり、つかまり立ちさせてもらったり、両手を握って「あんよ」の練習をさせてくれる感じです。

 

 

そしてその成長は「栄化」=永遠の救いが完成した状態に進みます。

この完成時、神を信じる者は「栄光の姿」という主と同じ姿へと変えられます。

これは未来形ですね。

 

 

少し小難しくなりましたが、この完成というのが、なんと…私たちのこの肉体の死後とされています。

 

 

 

つまりどういうこと?

 

 

出生 ←神から見て死んでる

神様を信じる ←神から見て生まれた!生きている

肉体は老化

私の中に住む聖霊は聖化に向かって成長中

肉体の死 ←栄化確定

栄化 

 

 

です。

 

 

 

 

クローバー

 

 

 

 

苦難の中にいるから偉いのではなく、この苦難が功績なのでもないです。

 

苦しい時でも神様がそばにいるんだと個人的に神様と関係が結ばれている人は、肉体が死してもなお「私」という者は生きて、二度と涙を流さなくてもいい「栄光の姿」というのになる…栄化するのですね。

 

それが死後だというのです。

 

 

 

ですから、肉体の死がすべての終わりではないのですね。

 

その先があるんです。

 

 

「人は1度生まれて2度死ぬ、キリストを信じる者は2度生まれて1度死ぬ」

的なことを言われます。

 

 

 

 

これは

 

<ルート1>

霊が死んだ状態で誕生

  →肉体の死

    →最後の審判での魂の死

 

 

<ルート2>

霊が死んだ状態で誕生

  →霊が内住して神から見て生きた者として誕生

    →肉体の死

      →最後の審判で魂は死なない

 

 

です。

 

聖霊が内住している人は後者の<ルート2>ですから、死のその先に苦しみのない平和な日々が待っています。

 

 

 

クローバー

 

 

 

 

それにしても、絶望的な状況の中にいる方にとって、今のシンドイ現状は最初の聖句にあるような「一時の軽い苦難」なわけがありません。

 

他の人から見たらなんてことない問題なのかもしれないけど…、

長生きして120年くらい生きられる目線から見れば、そりゃ一瞬の出来事かもしれないんだけど…、

 

 

でも、今この問題に直面している「私」にとってはとんでもなくしんどく、長く、重たい苦難です。

 

 

 

 

ですが、ここにあえて神様の目線を知るのです。

 

神様にとって1000年は1日レベル。

本当に困り果てている問題ですが、神様から見れば一時の軽い苦難なのですね。

 

この「聖化」するとか「栄化」するというのに比べたら、この問題は極々軽いモノと言ってもさ……、

 

 


……とそう簡単に目線を切り替えられたら苦労はしません!!

 

 

ですから、

 

私もそう思えるように、どうか、主よこの問題のハードルをグッと下げてください!と祈りつつ。

下げられないハードルであれば、その足元をくぐって抜けられるようにしてください!と祈りつつ。

迂回ルートを示してください!と祈りつつ。

ホントもうシンドイんで、この問題を遠ざけてください!と祈りつつ。

 

 

 

 

生きてる間でも神様は傍にいますから、孤軍奮闘しなくてもOKです。

もうダメだとガッカリしなくても大丈夫です。

 

自分のやれる闘いはしつつ、出来そうにない事は神様に投げましょう。

 

死後も神様は私たちを傍に置いてくださいます。

 

 

 

 

だから何もなくポツーンと孤独ではないことを胸に刻んで、シンドイけど今日も生きよう。

 

うまくいかなくても、

失敗しても、

悪い結果になっていても、

つまらない毎日でも。

 

 

 

 

 

 

 

チャプレンなぎさのおすすめ本

 

こんにちは、なぎさです。

 

今日は、旧約聖書にある詩編27篇を見ていきましょう。

 

 

クローバー

 

 

キリスト教の聖書は、世界創世からイエス・キリストが初臨するまでの旧約聖書と、初臨から昇天し教会が誕生して、世の終わりの幻が書かれている黙示録までの新約聖書がひとつになっています。

 

詩編は、私がちょこちょこ話に出すイスラエル王国2代目の国王であるダビデが、初代国王サウルから逃げている時に多く詠まれた歌です。

聖書ではちょうど真ん中あたりにあります。

 

今回お話する27篇も、やはりダビデがサウル軍から逃げている時の歌です。

 

一つのことを私はに願った。

それを私はもとめている。

私のいのちの日の限り の家に住むことを。

の麗しさに目を注ぎ

その宮で思いを巡らすために。

それは 主が

苦しみの日に私を隠れ場に隠し

その幕屋のひそかな所に私をかくまい

岩の上に私を上げてくださるからだ。

今 私の頭は

私を取り囲む敵の上に高く上げられる。

私は 主の幕屋で喜びのいけにえをささげ

に歌い ほめ歌を歌おう。

 

聞いてください よ。私が呼ぶこの声を。

私をあわれみ 私に答えてください。

あなたに代わって 私の心は言います。

「わたしの顔を慕い求めよ」と。

よ あなたの御顔を私は慕い求めます。

どうか 御顔を私に隠さないでください。

あなたのしもべを

怒って 押しのけないでください。

あなたは私の助けです。

見放さないでください。見捨てないでください。

私の救いの神よ。

私の父 私の母が私を見捨てるときは

が私を取り上げてくださいます。

 

─詩編27:4~10

 

聖書は倒置法を使って書かれていることが多いです。

これをスマートに表現しなおすと、

主が(私の)苦しみの日に、私を(主の)隠れ場に隠し、その幕屋の密かな所に私を匿い、岩の上に私を上げてくださるから、私は私の命の日の限り、主の家に住むことというただ一つのことを求めている。

となります。

 

ですから、

 

私が願う→神が私を匿ってくれる

 

ではなく、

 

神が私を匿ってくれるから、私は神に願う

 

になります。

 

 

はい、最初に神様の見返りのない恵みがあるのです。

私たちが何かをするから神様が見返りとして施しをしてくれる、のではないのですね。

 

ちなみに、信じる気持ちも、イエス・キリストについて誰かから聞くそのタイミングも、内容も、全部あなたに対して最初に神様があなたに与えているものです。

それを信じるも信じないも自由です。

私たちは常に、神様から与えられていますが自由意志も尊重されています。

 

 

神様は、私たちがただの土(と同じ成分)からできていることをご存知です。

いわゆる塵芥です。

その私たちに御心を寄せてくれている神様に、私たちは

 

「私が(あなたを)呼ぶこの声を聞いてください」

 

と言わせてくれる。

そして

 

「あなたのしもべを怒って押しのけないでください」

 

と願えます。

 

これは人権のない奴隷的な下僕ではなく、お仕えする者という意味合いです。

 

福音書内でイエス様が弟子に「わたしについてきなさい」と言いますが、これは「わたしの命令に従いなさい」という強制命令ではなくて、「自分で選んでついてきたかったらついてきなさい」です。

ですから、有無も言えない下僕ではなく追随者です。

 

あなたに自主的に付いて行く私の未熟さ、不出来さを怒らないでください。父であるあなたに縋りついている腕を押しのけ払いのけないでくださいという願いです。

 

これらの願いの言葉は、神様と共にいて、神様をとても信頼しているから言えるのです。

 

 

何よりも大切なことは、あなたが主と共にいることです。

 

常に自由意志が与えられていますので、あなたは主から離れることができます。

主はいつもあなたと共にいたい。

その主から伸ばされている手をあなたが握るかどうか、ただそれだけです。

 

握る選択をするのもまた、主の御業。

 

あなたと神様が個人的関係を結べると、こんな積極的で大胆な祈りもできるのですね。

 

 

 

神様ー、私はすぐ気持ちが乱れてしまうから、どうか私を見捨てず傍にいてください!

 

 

 

 

チャプレンなぎさのおすすめ本

[

こんにちは、なぎさです。

 

 

 

タイトルの赤ちゃんのお集りとは?

 

これ、私が参加している市の母子保健推進事業のひとつです。

 

ということで、今回は保健推進事業関係のお話。

 

 

クローバー

 

 

私は6年ほど市の上記事業の活動員をしています。

 

主な仕事は2つ。

 

 

  • 0歳児のいるご家庭への訪問
  • がん検診勧奨

 

 

です。

 

例年は初夏〜秋まで地域の公民館や地区センターなどをお借りして地域の0歳児と保護者を対象に、小児科医の話や、小児救急認定看護師によるレクチャー、離乳食について、臨床心理士による心の話などを保健福祉センターの保健師さんと一緒に主催しています。

 

対象になる子供達はみんな同級生になるので、そういう横の繋がりを作ること。

また、母親同士も交流やおしゃべりの機会が得られることで育児ストレスを少しでも緩和して、孤立しないことを目的としています。

 

私もこの事業に参加者として参加していましたが、今でもその時に知り合ったママさんたちとは交流しています。

子供達も同じ学校や同じ保育園、幼稚園なので孤立感が減ります。

 

 

そして市が行う集団がん検診の勧奨と、体の健康に関する測定展示企画なども行っています。

これはそのまま、がん検診受けましょう!というアピール活動ですね。

 

 

これらがこのコロナ禍で中止になっていました。

 

 

本来なら初夏に集まるはずだった委員がようやく集まれました。

 

当地区の委員は9名いますが、いつのまにか私が3番目に長くやってる人になっています。

 

上2名は本部の役員も兼ねていますが、私は当事業の委員としては若いので、多分本部行けとは言われないでしょう🤣

 

 

本部では、今年度やっていなかった赤ちゃんのお集まりを一度くらいはやりたいという意見がでているそう。

 

 

当地区はやる?

 

 

やらない地区もあるし、保健福祉センターでいくつかの地区が合同でやる所もある。

と保健師さんと話し合いまして、結果、当地区では開催しないこととしました。

 

 

「やってあげたい」

「赤ちゃんの顔とか見たいわ」

 

という感情論ではなく、リスクマネジメント的には─

 

 

  • 主催側の我々が大変なだけで、それを行っても参加者にはリスクがない

 

 

のであればやってもいいです。

 

ですが、

 

 

  • コロナが落ち着いていない
  • インフルエンザの第1波(例年12月頃)、第2派(年明け)時期と被る
  • 真冬に窓開けて換気しつつ赤ちゃんが寒くないよう室温保てるのか
  • 参加者は2ヶ月児〜1歳の乳児と母親である
  • 自粛期間比でgo toなどもあり人の移動が増えている

 

 

を考えると、私はリスキーだと思います。

 

 

 

ということで、話し合いの結果中止となりました。

 

 

クローバー

 

 

集団がん検診も、山間部など近隣に検診ができる医療施設がない場所似限っては近隣地区センターなどで実施されていますが、平野部では中止となっています。

 

よって、今年のがん検診は市から配付されています受診券をお持ちになり、最寄りの検診可能な医療施設でお願いします。

 

この医療施設は配付時に広報誌で掲載されている他、市ホームページでも出ていますのでご参考ください。

 

 

 

また、例年は産後すぐに助産師や保健師訪問を希望されるご家庭に訪問があり、その後生後2~3か月ごろと8~9か月ごろになりますと、我々推進員が訪問させていただいていますが、密を避けるために暫く訪問が中止となっていました。

 

11月から、産後育児の中で最もお母さんの不安と精神的な負担が大きい2~3か月ごろの訪問だけ再開されます。

 

推進員に相談ごとをお話いただいても大丈夫ですし、保健師へつなぐことも可能ですので遠慮なくどうぞ。

 

チャプレンなぎさのおすすめ本

 

こんにちは、なぎさです。

 


聖書では占いなどはダメだよという記述があります。

今回は神学的な方面から見る占いや降霊術などをしない理由です。


このブログをご覧の方の中には占いやチャネリング、降霊術などをされる方もおられますが、皆さんのお仕事を否定する意図は一切ありません。

ここではあくまでも「神学的に占いなどをしない理由」を書いていきます。

 

 

クローバー

 

 

旧約聖書の第1サムエル記28章を見てみましょう。

 

神様からの言葉を預かって人々に語る者を「言者」といいます。

言者」ではありません。

言者は神の言葉を預かる人なので、その内容が人を悲しませるものであっても、自分の手足を奪う事になっても人々に語らなければなりません。

命がけです。

言者は未来に起こることをあらかじめ発言する人です。

命がけではありません。

 

この預言者の一人がサムエルという人です。

当時、イスラエルの国の人々は神様の指示によって預言者が国を動かすのではなくて、周辺諸国のように王様がトップになってほしいと願いました。

 

つまり、イスラエル国民は自らの意志で神様を拒否して退けたのですね。

 

それならばお前たちの望む形にしてやろうと神様から指示された通り、預言者サムエルさんはサウルという背が高く見た目がとても美しい青年に「あなたがこの国の王になります」と油注ぎという任命儀式を行います。

 

サウルは王になるのですが、見た目だけはとても立派で確かに王様感がありますが、神様への信仰心はほぼありません。

都合のよい時に神様の名前を使うような、そんな人でした。

 

上手く行ってたのは即位最初のころだけ。

 

あとは、自軍に自分が召し抱えた羊飼いのダビデくんのカリスマ性と信仰深さと能力に嫉妬をしてしまい、サウルは自分が命を落とす最期の時までダビデを無き者にするために何年も追いかけまわします。

 

ダビデは次の王だと既に任命されていてサウル王もそれを理解しているのですが、気持ち的にももう収集が付けられない状態になって、ずっと追うのです。

 

 

追いかけまわしている頃、サムエルさんが死去しました。

 

周辺国のとても軍事的に強い国が攻めてきているし、その国にあのダビデが亡命しているからダビデが自分の命を取りに来る可能性大!と、サウル王は焦ります。

 

サウル王は国から占い師や降霊術をする人を追い出す勅令を出しているのですが、焦りと自己保身のためにこっそりと女性占い師の所にお忍びで出掛け、死んでしまったサムエルさんを呼び出してほしいと言うのです。

 

なぜ呼び出してほしいと思ったのか。

 

それは目の前に迫る敵とダビデに対して「あなたは勝てる」と言ってほしかったのです。

少し先の「都合の良い」未来を知りたかったのです。

ですが、呼び出されたサムエルからは「明日、あなたと息子は死ぬ」と言ってほしくなかった悪い未来を告げられてショックで倒れてしまいます。

 

 

 

旧約聖書3つ目の書物「レビ記」にはこうあります。

 

あなたがたは何でも血がついたままで食べてはならない。まじないをしてはならない。占いをしてはならない。

(中略)

あなたがたは霊媒や口寄せを頼りにしてはならない。彼らに尋ね、彼らによって汚されてはならない。わたしはあなたがたの神、主である。

─ レビ記19章26、31節

 

サウルの行為はこのレビ記の規定に違反します。

ではなぜ呪い(まじない)や占い、霊媒(降霊術)、口寄せ(チャネリング)をしてはならないと神様は言うのでしょうか。

 

 

理由は2つあります。

 

  1. 未来は創造主の管轄領域だから
  2. 創造主以外に聞くことになるから

 

 

 

物事はすべて創造主である神様が決めたタイミングで起こります。

人が未来を覗き見るというのは、神様の領域に無断で足を踏み入れている状態になるのです。

 

神様はあれとこれを支配している方…ではなくすべてのものを管轄されてそうなるように設定し運行するようにしている方ですので、踏み入ってはなりません。

 

また、神様の声を聞いてこの先こうなるから気を付けなさいというのは言者ではなく言者です。

 

最後の預言者はイエス・キリストがいた時代のバプテスマのヨハネと呼ばれる人です。

この人以降、預言者はいません。

 

 

となると、自称預言者や先読みをする人々は誰に聞いているのでしょうか。

 

誰とコンタクトしているのでしょうか。

 

 

 

…神様以外とコンタクトを取っているということになるのですね。

 

 

 

未来については神様の領域であり神様のみが知っている。

創造主の決められたタイミングで物事は起こるので、イエス様ですら関与されていない部分です。

イエス様未満である私たち人間が神様以外にコンタクトを取っても正確な未来は告知できないのです。

 

2つの意味で、神学的にはまじないや占い、降霊術やチャネリングはやってはならないということになります。

神様がダメだ、やめなさいと言っている事をやった場合、当然罰せられてしまいます…。

 

 

しかしここで疑問が出ます。

昔の預言者たちは「ウリム」と「トンミム」という道具を使って占いのようなことをしている記述があるのです。

それはいいのでしょうか?

ウリムとトンミムを使うのは良くて、他の占いはダメってダブルスタンダードなんじゃ?

 

 

預言者たちは創造主の指示通りにウリムとトンミムを使って創造主にお伺いを立てているのですね。

ですから2つのダメな理由に該当しないのです。

 

ちなみに、このウリムとトンミムという道具は現在失われているものなので、結局もう誰もこの道具を使ってお伺いを立てることはできません。

 

 

 

クローバー

 

 

 

いかがだったでしょうか。

 

 

占いと称していても実際は厳密に計算されつくした統計学だったりするものもありますね。

そういうものは素直に統計学的にこうですでいいと私は思っています。

 

 

一見、神学は見えない神様信じてるしオカルトやスピリチュアルと大差なく、何かのよく分からないもので癒しのパワーや引き寄せの何かがあるような、そんなつかみどころのない感じですが、実際はとても現実思考なのです。

 

 

…とかくいう私も昔は占いとかできてたクチですし、真言宗の方から弟子に欲しいと言われたことがありますが、占いをやると頭の奥が痛くて本当にシンドイし、色んなアレとかソレが見えるのでもうやりません。

 

ここから「神様以外の何か」がいるのがわかるのですねー。

 

 

 

 

こんにちは、なぎさです。

 

今回は私のカウンセリングについてと、自分でもできる問題解決の方法についてのお話。

 

 

クローバー

 

 

普段、私は職場で白衣を着て患者さんと接しているのですが、仕事外でカウンセリングをすることもあります。

 

このコロナ禍でネット会議やテレワークなどが普及した恩恵にあずかり、私のカウンセリングも今はネットです。

むしろこの方がそれぞれが自宅からできるので楽ですね。

 

 

私はカウンセリングルームを持ちませんので相談者さんのご希望の場所/ご希望のネット会議ツールを利用してお話を伺うわけですが、カウンセリングは1回50分~60分です。

2時間3時間と長くはお話しません。

 

メールカウンセリングも応じています。

相談内容を送っていただき私が返答をするというのが1セットです。

 

面談(ネット)・メールカウンセリングともに有料です。

ご興味がおありの方は下記のフォームからお問い合わせくださいませ。

 

 

click右矢印カウンセリングお問い合わせフォーム左矢印click

 

※PCからもスマホ・ガラケからもお問い合わせいただけます。

ご相談をお受けできるのは主に職場・家庭・親子の人間関係病気(身体疾患)についてのお気持ち信仰上の悩みです。

精神疾患に関わる相談は申し訳ありませんがお引き受けし兼ねますのでご了承ください。この場合、最寄りの精神科・心療内科・メンタルクリニックへご予約を入れられ受診されることをお勧めします。

 

 

クローバー

 

 

さて、ケースによりますが実際に私がカウンセリングで最初に書いていただく(教えていただく)内容があります。

 

 

 

  1. 今の状況(困っていること・変えたいこと)
  2. その原因や背景
  3. これからどのようにしたいか
  4. 自分でやりたいこと
  5. 支援を求めたい内容

 

これらを書き出していただきます。

例えばこんな感じ。

 

 

 

 

 

この方の場合(架空の人物です)夫婦関係に問題があって、これをなんとか付き合いだした時みたいな2人の関係に戻りたいという希望があるというのがわかりますね。

 

 

この用紙は私が自分で作ったものなのですが、私のカウンセリングでは有用です。

しかしカウンセリングに頼らず一人で問題解決しなければならないときはどうしたらいいでしょう。

 

私は次の用紙をお渡しすることがあります。

 

 

認知療法による思考記録表です。

 

認知行動療法(CBT)は精神疾患の方のカウンセリングだけでなく一般の方のカウンセリングでも有効であるのはエビデンスも豊富で有名なところですが、行動に至る前の段階で思考がグルグル回り困ってしまっている方には、私はこの認知療法の思考記録表を書いていただきます。

 

 

  1. イラッとしたり困ったり凹んだりするその出来事は何か
  2. その時の「私」の感情と割合(%)
  3. その出来事が起きた時に「私」は何を思ったか/発言したか/行動したか
  4. 3に至った根拠
  5. 3の思い/発言/行動は妥当か
  6. 公平に見てバランスの取れた思い/発言/行動はどういうものが考えらえるか
  7. ここまで書き出した今の「私」の思い

 

これらを書きます。

%は全部を合計して100%でなくてもOKです。

 

 

 

この例では、どうも相談者さんと主任との相性が合わないようですね。

恥ずかしいという思いが100%を超えています。

本当に晒しものにされたようで嫌な気持ちになったのがわかります。

 

 

書き出してみることで、頭の中にある問題を外に置くことができます。

自分の外に問題を置いてみることで、客観視への一歩が踏み出せるのです。

 

 

 

このように、自力で何とかしなければならない時は上記の思考記録は役に立ちます。

これを書き留めておくことで、次に同じことが起きそうになった/起きた時に「バランスのよい対処法」を選ぶことができるようになるのですね。

 

 

ですが、自分だけで解決できる問題だけを抱えているわけではありません。

そういう時は気軽にカウンセラーに問い合わせてみてください。

 

相談者とカウンセラーは当然他人同士ですから、性格的に合う/合わないというのはあります。

別のカウンセラーに変更することも問題ありませんので、遠慮されなくて大丈夫ですよ!

 

 

 

 

 

…とこのようにカウンセリングでは

  • 書いていただく
  • 読んでいただく

などの課題や宿題が出ます。

 

このため、がん患者さんへのスピリチュアルケアカウンセリングやチャプレンとしての働きをする時には、体力や気力温存のために課題を出さずに傾聴一本で行っています。