2022/4/29(金) 長崎2日目
夜中からずっと豪雨
でも昼前には上がる予定、雨の中出かけました
最近は戦争のニュースばかり…
少し平和を考えたくなりました
やってきたのはここ。
約18.5ヘクタールと広大な敷地で、第二次世界大戦後に世界平和を願って作られた都市公園。
平和の泉
のどが乾いてたまりませんでした 水にはあぶらのようなものが一面に浮いていました どうしても水が欲しくて とうとうあぶらの浮いたまま飲みました
被爆し、水を求めてさまよった少女の手記が、切なくて仕方ありません。
とても広い
世界各国から寄贈されたモニュメントでいっぱいです
美術館のよう
長崎の鐘
被爆地には魚雷や戦車などを生産する多くの軍需工場があり、動員学徒、女性挺身隊と呼ばれた中学生や女学生をはじめ、多くの人々が働いていました。
長崎の鐘は、33回忌にあたる1977年にここで亡くなった方々の冥福を祈るためにつくられたものです。
長崎刑務所浦上刑務支所跡
被爆時、刑務所内には職員18人、官舎住居者35人、受刑者および被告人81人(中国人32人、朝鮮人13人)の計134人がいたが、全員死亡。
建物の礎石のみ残しています。
平和祈念像
長崎出身の彫刻家北村西望氏の作で、昭和30年(1955年)に完成。
「右手は原爆を示し、左手は平和を、顔は戦争犠牲者の冥福を祈る」と作者の言葉が台座の裏に刻まれています。
でかい!!!!!
高さ約9.7メートル、重さ約30トンですって
少し移動~
昭和20年(1945)年8月9日11時2分。
アメリカのB29爆撃機から投下された原子爆弾は松山町171番地の上空約500mで炸裂しました。
原爆で倒壊した浦上天主堂壁の一部を移設したもの
当時の地層も残されているのですが…
原爆によって壊された家の瓦やレンガ、3000度の熱で焼けたガラスなどが今も大量に埋没しています
入ってすぐの長崎の街の再現されたコーナーは、とても印象に残りました。
一番恐ろしかったのが、原子爆弾の実物大模型(ファットマン)。
実は私、戦争映画見るだけで気分が悪くなるぐらいダメだったんです…
どんなグロい時代劇映画を見ても平気なのに
たぶん飛行機の音が嫌みたいです、今でも真夏に大きな飛行機の通る音がすると心拍数上がるんですよね
空爆を連想するんでしょうね。。。
祖父の家にも戦争に行って帰ってこなかった若い家族の軍服の白黒写真がいくつか飾ってありましたし、、、当たり前ですが戦争が怖い印象がずっとあって。
修学旅行で広島・沖縄と行きましたが、やっぱりほとんど資料館等の写真は見られませんでした。
大人になったからか、どうなのか
今回はしっかり見て勉強してこれたと思っています
戦争が過去のものではなく、今現在も苦しんでいる方がいる事。
そして日本の外では今もなお戦いが起きている事。
平和な日本にいると忘れそうになりますが、戦争は手の届く場所での出来事である事、紙一重の平和である事忘れてはいけないと思いました。
つづく
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