美ら海と万華鏡のキラキラが好き!

美ら海と万華鏡のキラキラが好き!

万華鏡の一瞬一瞬の輝き、美ら海の深く澄んだ輝きが好き。
いつも自分らしく輝きたい。人生は一度きり。歌をはじめてからとても楽しく充実しています。そんな日々のことや思い出を何気なく綴る『自分史』的ブログ。

ライブ動画YouTube『石垣島で歌っています』
https://youtube.com/@MAMIchurara?si=7mvYmTg_HLCEkuB7



フ…♪生まれてきた偶然と出会いの偶然。







過去に関わるすべての人々と いろいろな出来事によって


今の自分がいるのだと思う。




今がとても幸せだから過去のすべてに感謝しています。




そして続く未来に向かう「今」という時間にも感謝ですブーケ1







そんな思いを綴ったり、日々の思いつきで書いたり…。



いつか風となる日が来たときに

愛する者たちのために軌跡を残したいという思いで始めた

あくまでも自分史的な、自分本位ブログです。





歌うことは自分らしさのひとつ。ネッ♪どうぞよろしく










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昨年、世界の平均気温が過去最高となり「地球沸騰化」という言葉が話題になった。

日本においても観測史上最高気温となった場所があったという。

この先、どうなるんだろうか?と思っていたけれど、もうすでに今年はとても暑くなっているように感じる。

それは石垣島の気温にも言えることで、これまで天気予報で伝えられる最高気温はだいたい32度くらいだったかと思う。

今年、7月1週目の予想気温にびっくり。

見て見て↓33度しかない。

そして今日は34度だったとか。日中外に出たら空気が熱くてサウナにいるようだった。

ただ、石垣島は風がいつも吹いているので日陰は涼しく心地よいんだよね。

建物の影を選んで歩き、日傘があればなお快適。

あ、湿度は高いよ。

慣れてきたけどね〜


梅雨も明け、いよいよ夏本番☀️

観光客もたーくさん!

みんな石垣島においで〜🥳


思い起こせばブログで4月9日フォークの日に風邪をひいて参加できなくなったと書いたあの日から。

翌10日に熱を出し、高熱は1日だったけど微熱と身体のだるさで4日くらい寝ていた。

仕事に行けるくらいに回復した数日後、朝起きたら声が全く出なかった!

本当に空気が出るだけ。

初めての経験だった。

21日には職場の店長とオープンマイクに出る予定で、果たして出られるのか??と不安になるほど。

異動が決まった店長とのコラボなので何がなんでも出るのだ!と心に決めて、みんなが驚くほど奇跡の復活を果たし歌いきった。



そして、その数日後に…激しい咳き込みが始まった。

5月4日には大好きな宮沢和史氏が鳩間島音楽祭に出演するので絶対に行きたい!

船のチケットを予約していたが、とても行ける状態じゃなく泣く泣くキャンセル💦

翌週には楽しみにしていたプロミュージシャン主催のオープンマイクがあったけど、それも出演できず。

咳がひどくて、ライブを観に行くことも、せっかく誘っていただいたライブにも出られず。

少しずつ調子が戻り、軽い咳が出ていだけれど、5月8〜12日までの福岡出張には行くことができた!声は揺らぐ不安定な状態は続いていた。

その後、強く咳き込むことはなくなったけど、声はあいかわらずずっーと不調。

このまま歌えなくなるのではないかと不安になるほど。

そして取り残されているような感覚があって、嫌な感じが続く。

こうなったら仕方ないので徐々にで構わないから歌の練習をして行こうと、良い意味で諦めた。

5月29日にいつも島にきて活動をしているプロミュージシャン主催のオープンマイクを目指してこれには絶対に参加するぞ!とまたもや決めた。

「愛の讃歌」と「ラストダンスは私に」の2曲を選んだ。

しばらくマイクを持っていなかったことで、果たしてちゃんと声が出るか不安だったんだけど、歌ってみたら思いのほか声が出た。

ホッとしたよ〜。


たぶんプロではないからだと思うけど、歌えない不安が膨らみ、自信もなくし、落ち込んでいた。

でもこの日歌うことで少し取り戻せた気がした。

とはいえ他の人のライブにも行けず仲間と会うこともできなかったというその時間が長すぎて、いまだにちょっと不安な変な気持ちが続いているんだよね〜。


こんなに不調が長く続くのははじめてのこと。

病は気から…というけど、

病は気にも!だよ。


しかし!これから楽しいイベントが待っているので、それに向けて意気揚々✨やっていくぞー❣️


楽しみが急に降ってきた😆

わーーーーい❣️

楽しみ!楽しみ!楽しみ!


311の津波の映像は繰り返し見ていると精神的に参るので、あまりおすすめできないと言われた。

確かにあれは何とも言えない苦しさがある。逃げ遅れた車や人が見ていてわかるのが辛いし怖い。

それでも、やはり時々は見て心構えが必要だと思った。そう先日の津波警報がそう思わせた。

後ろから来ている波というより激流が、右からも左からもやってくる。

オチオチしているとその激流にのまれるしかなくなる。

そしてこのくらいの高さで大丈夫と思っていたところまで、水かさが増してくる。それもあっという間に。

鉄筋コンクリートは壊れることはあまりないが、高さはできれば5階以上必要だ。

そして第一波より二波、三波と大きくなってくる。

いかに早く近くの高い建物に逃げるかが大事だ。

そんな想定を頭に入れて避難予定を立てなくてはならない。


311の津波地獄絵図。

もうしばらくは見ない。


明日は我が身。


1日1日を悔いなく、自分らしく生きようじゃないか。


石川の地震でも津波被害がありました。

被害者の方のご冥福をお祈りします。



クミコさんの文章力と表現力。

この人の歌が心に響いて素晴らしいと思うのも納得。心がある。



友人も同じように親のことに向き合っている。心からすごいと思う。そんな言葉では片付けられないね。

子供の頃の親子関係が続いているんだね。

私は母親不孝。

子供の頃の親子関係が続いているんだな。


まあ、それも人生。


今日は「フォークソングの日」のオープンマイクがあった。

フォークソングはとても馴染みがある。

その昔、ラジオから流れてくる音楽から覚えたい曲や好きな曲を録音しては繰り返し聴くという時代を生きていた。

ニューミュージックというジャンル名が登場したのもこの頃。

フォークなのか歌謡曲なのか迷う曲もあるけれど、私の中の昭和フォークソングを歌おうと参加表明していた。

あー前置き長い笑い泣き

一年に一度のこの日のイベントに出たいと思っていたのだ。

ところが咳が出てしまうし鼻もグジュグジュ

大事を取ってお休みにしましたニヤリ

                     ↑↑↑

来週、プロミュージシャンが来島してオープンマイクをしてくれる。

これには絶対に出たいの!

だから、残念だけど今回はお休み😌


要するに、今日は風邪ひいてしまったのでオープンマイクをお休みします❣️

という内容でした🤪


あーー歌いたかった😮‍💨

今度どこかで歌う予定だったフォークソングを歌って消化しないね❣️

季節の変わり目、皆様もご自愛くださいませ。




病名ではないけど、そんな感じです。

子供の頃から自然災害に遭う夢を何度も見ている。

地震、地割れ、竜巻、火事、津波、時々怪獣。

過去世はなんだったのかな?

大きな地震も津波も夢で何度も経験している。

そのせいで恐怖症はひどくなっているかもしれない。

台湾の地震で石垣島も揺れた。

と言っても震度3。

川崎市にいた時に、震度3って当たり前のようにあった。
東北大震災のあとは特に多くなった。
思い返せば、震度4が大きな地震と思っていたことがある。阪神淡路大震災の前まではそうだった。
大きい地震と思っていた震度4超えて、さらに大きく揺れ、停電し、太平洋側では津波が起きて、原発の事故まで起こったあの東北の震災は、私の心に不安という傷を作った。
そのあとも繰り返される余震。

放射能汚染の心配で九州産以外の野菜を買えず。

そして、もしここでもっと大きな直下型大地震が来たらどうなるかを想像するようになった。

住宅の密集しているこの地域では火事になった場合、道が狭くて行き場をなくす。

さらにたくさんある高層マンションから人々が指定避難所に集まるとどうなるのか。

救援物資はたりるのか?

それどころか届くのか?

寒かったり暑かったりしたら?


地震恐怖症が災害恐怖症になり、少しでも早くこの場を離れなくてはならないと思った。それが石垣島への移住を早めた理由として大きい。


石垣島は人口密度が少ない分、二次災害の危険が少ない。

ただ!海に囲まれていることが津波という大きな危険をはらんでいる。

これは避けられないが、もしも大きな津波がきても、助かった場合には、みんなで助け合える文化と環境がある。

どっちが良いかを考えると私にとっては後者なのです。


いつかくると言われている、南海トラフ地震と首都直下型地震。

どう気をつけて良いかわからないけど、危険と大きな不安を感じる人は引っ越した方が良いと思っている。そんな簡単じゃないことはわかっていて言っているよ。そんなことできるはずのない人がいることもわかっているよ。

私みたいに極端に遠くに離れなくても都会から少し離れれば良いのです。

私は、たまたまいつか石垣島に引っ越すと決めていたから、ここに来ただけだよ。


関東大震災の時のことを先日、NHKで放映していたのをアプリで見たのだけど、東京のあちこちで時間が経ってから火が広がって大きな被害になったと。それも見えないところからどんどん広がってくる。皆が逃げて避難した広場にも火の粉が飛んできて大きな被害になった。当時は木造がほとんどだったからというのもあるとは思うけど、人々が溢れ出してくるその数は、当時とは比べものにならないはず。


日本にいる以上、地震は避けられない。

どこにいてもその覚悟は必要。

じゃあ、どう備えるか。

物質的な備え以外に、心も備えないとならないと思う。


私は南海トラフ地震、首都直下型地震が起こったら、離れているから被害はないといえないと覚悟している。物資は石垣島にも届かなくなるでしょう。台風の時に一週間以上物が来なくなるけどそんなもんでは済まないはず。


誰にとっても命はひとつ。


どうか大きな地震で大きな被害がありませんように…。


それしかいえない。







職場で朝礼していた時に地震が!

(震源地台湾)

震度1程度の地震が年に2、3回あるくらいの石垣島。

今朝、震度3の地震が起こった。


長くゆらゆら揺れた。

その直後に、津波警報!

携帯が一斉に鳴って心臓がバクバクした。

「逃げて!」と携帯には表示されている。

到達波予想は3m。

職場では子供がいる人、親が1人でいる人が皆帰っていった。

海抜15メートルのところに建つ建物の2階にある事務所は20メートルの高さになる。

はてさて、逃げるのか?

逃げなくても大丈夫なのか?

もっと大きな津波が来るのでは?

会社の裏側の高台に向かって逃げた方が良いのではないか?


そしてスマホで情報を得ようとする。

30㎝の津波が隣の島で観測された。

皆が高台に避難していて山に向かう道が渋滞している。


逃げていない私たちはどうするの?

大丈夫なの?


そんなこといろいろ考えていないで

とっとと逃げろ!


そう、それができなかったんです。


そこまで大きな津波は来ないだろう。

ここにいれば大丈夫。

と、楽観してしまう。

そして周りを気にしてしまう。


まずは何がなくても逃げる!

ということが大事なんだ。

命はひとつしかない。


初めての津波警報で、こんなに心の迷いがでてしまうんだということを知った。

今まで、震災を経験したり観たり聞いたりしてきて、するべきことは思い描いていたはずなのに、何もできず…

いざとなったらダメ💦


職場にいる時にはこうする、

自宅にいる時にはどうすると

今改めて考えておく必要があるんだと、よくわかった。


石垣島だけじゃないよ。

日本中、どこにいても地震が起きる島だからね。

皆も本当に気をつけてほしいです。


私が石垣島に早く引っ越したくなった理由もこれに関連しているのだ。

これはブログに書こうと思う。


心配してくださった皆さん!

私は無事に過ごしていますよ😆







昼間に夫からLINEで送られてきたツーショット写真!

誰だ?この女性。

似ている人はいるけど、まさか石垣島にいるわけがないんだよね。


その似ている人は、25年前に職場に入ってきた当時19歳の女の子。

職場の仲間が2年前に亡くなって、葬儀で会ってからSNSで繋がっている。

40歳も超えているとは思えないくらいめちゃくちゃ可愛い。

その子に似ているのだ。

まさかね〜と思うけどピースの仕方が彼女とそっくり!

インスタ写真チェックして顔をよく見たら小さなホクロを発見。今日送られてきた写真にも同じところにホクロがあった😳


わぁーーーサヤじゃないの❣️


驚いたのは偶然にも夫の勤めるレンタカー営業所に車を借りにきたこと。

そしてそこにいた夫のことわかったこと。

この2人が会うのは20年ぶりだからね。


世の中、狭いね〜


…では片付けられない縁を感じる。


ていうか、連絡してよね〜!


仕事できたらしく、時間が少しでもありそうなら私に連絡くれる予定だったらしい。

驚かせようとしたはずなのにね。

違う形で驚いたわ〜笑


明日ちょっと会います😆

まゆも喜んでいるね❣️





ちょっと前に書いた通り、私の父は御坊ちゃまでした(笑)

叔父も叔母も従姉妹もみーんな有名私立校に行き、今もハイレベルで(という表現が正しいわけではない)お上品というそんな家系でありますが、私達兄弟は公立の学校に通い凡人となる。

一度父に聞いたことがある。

なぜウチは良い学校(必ずしもそういうわけではない)に行かないのか?と。

「学歴なんて意味がない。そのままを認めてもらうことが大事だ。普通でいいんだ」と。

んーー?そうなのかな?よくわからないけど、まあいいか〜

長男である父は会社という戦場で働き身体を壊してしまった父親をみていて、そのようになりたくないと思っていたらしい。

そして私たちはのびのび育ちました〜笑


大人になっても気づいたことなのだけど、

父は私達が小さい頃からさりげなく頭を使わせていた。

一歳違いの兄と私に「お題」を出す。

例えば「にんべんの漢字をいくつかけるか」と書き出させる。要は漢字の勉強だ。

時には山手線の駅の名前を言っていくゲームや地名ゲームをすることも。

算数の応用問題のバスに何人乗っていましたかとか、お水は何リットルですか?みたいなこともあったなぁ。

遊びの中で国語や算数、記憶力を鍛えられた。

ゲーム好きな父は知恵の輪やボードゲーム、パズル、花札、トランプ、ルーレット、麻雀まで子供達とやった。

頭が柔軟で吸収力のある小学生の頃に、そんな遊びをしてくれたおかげだと思うのだけど、今でも漢字や数字に強い。

これは父が通っていた某大学附属の小学校で学んだことがヒントになっているのではないかな?と考える。

そして一度たりとも勉強をしろとか、宿題やったか?とか言ったことがない。なんなら私は家で勉強をしたことがない。あ、嘘。中学時代はテスト前だけやっていた。

特に私の兄は勉強ができた。

県立高校も川崎市でトップクラスに入学した。

実は私も勉強(あくまでも成績)はできる方で、当時高校は県立の川崎市で3番目(?)くらいの学校に行こうかと思っていた。

中3の一学期の面談でのこと、美術の先生が私に絵をやっていく方が良いと東京のデザイン科がある学校を勧めた。美術大学附属高校にいくなら、早くからそれなりの対策勉強をしなくてはならないのだけど、勧められた学校はそんな時期からでも入れるからと。

都内のその私立高校は、色々な専門科がありタレントさんが通うような自由な学校。

ただ偏差値は受験勉強しなくてすむほど、とても低い。

そのせいか?私は中学同級生の一部からお勉強できない子と思われているんだよね(笑)

学歴主義の日本ではそういう判断もされちゃうよね。ていうかそういう態度をする人がいるわけよ。どうなの?それって?笑


余談なんだけど、そのデザイン科はひとクラスしかなく、倍率も高く50名近くが合格する。デザイン科は他の科よりも偏差値は高い。

入学して最初のテストで私は当然クラスで1番になると思っていたの。

ところが!なんと!!2番だったの!!!

誰だろー?といまでも謎😂 

結構な驚きだったから忘れない😂

おごりだよね🤣私が1番って…

上には上がいるんですよ!


話は戻りまして〜

御坊ちゃま父の楽しみながら頭を使うというコミュニケーションのおかげで、勉強そのものも好きだったし、テストも好きだし、頭がキューーーーッとなるような難しい問題を解くのも好きだし、知恵の輪やパズルをクリアすることも大好きなのだ。

しかし人生で起こる難題は…

そうはうまく行かないことがたくさん😂

今、そこそこ幸せだからこれで良いんだと思うけど。

ただ、これも結果論。

もし子供の頃から従姉妹のように私立の学校に行っていたとしたら、それはまた世界が変わり、セレブになっていたかもしれないもんね✨✨✨セレブって…笑


とはいえ、どことなく感覚的にお嬢様な私です🥳(わかる人にはわかるはず)

#自分史ブログ

#いつか子供達がブログを読んでくれた時のための記録