ちょっと前に書いた通り、私の父は御坊ちゃまでした(笑)
叔父も叔母も従姉妹もみーんな有名私立校に行き、今もハイレベルで(という表現が正しいわけではない)お上品というそんな家系でありますが、私達兄弟は公立の学校に通い凡人となる。
一度父に聞いたことがある。
なぜウチは良い学校(必ずしもそういうわけではない)に行かないのか?と。
「学歴なんて意味がない。そのままを認めてもらうことが大事だ。普通でいいんだ」と。
んーー?そうなのかな?よくわからないけど、まあいいか〜
長男である父は会社という戦場で働き身体を壊してしまった父親をみていて、そのようになりたくないと思っていたらしい。
そして私たちはのびのび育ちました〜笑
大人になっても気づいたことなのだけど、
父は私達が小さい頃からさりげなく頭を使わせていた。
一歳違いの兄と私に「お題」を出す。
例えば「にんべんの漢字をいくつかけるか」と書き出させる。要は漢字の勉強だ。
時には山手線の駅の名前を言っていくゲームや地名ゲームをすることも。
算数の応用問題のバスに何人乗っていましたかとか、お水は何リットルですか?みたいなこともあったなぁ。
遊びの中で国語や算数、記憶力を鍛えられた。
ゲーム好きな父は知恵の輪やボードゲーム、パズル、花札、トランプ、ルーレット、麻雀まで子供達とやった。
頭が柔軟で吸収力のある小学生の頃に、そんな遊びをしてくれたおかげだと思うのだけど、今でも漢字や数字に強い。
これは父が通っていた某大学附属の小学校で学んだことがヒントになっているのではないかな?と考える。
そして一度たりとも勉強をしろとか、宿題やったか?とか言ったことがない。なんなら私は家で勉強をしたことがない。あ、嘘。中学時代はテスト前だけやっていた。
特に私の兄は勉強ができた。
県立高校も川崎市でトップクラスに入学した。
実は私も勉強(あくまでも成績)はできる方で、当時高校は県立の川崎市で3番目(?)くらいの学校に行こうかと思っていた。
中3の一学期の面談でのこと、美術の先生が私に絵をやっていく方が良いと東京のデザイン科がある学校を勧めた。美術大学附属高校にいくなら、早くからそれなりの対策勉強をしなくてはならないのだけど、勧められた学校はそんな時期からでも入れるからと。
都内のその私立高校は、色々な専門科がありタレントさんが通うような自由な学校。
ただ偏差値は受験勉強しなくてすむほど、とても低い。
そのせいか?私は中学同級生の一部からお勉強できない子と思われているんだよね(笑)
学歴主義の日本ではそういう判断もされちゃうよね。ていうかそういう態度をする人がいるわけよ。どうなの?それって?笑
余談なんだけど、そのデザイン科はひとクラスしかなく、倍率も高く50名近くが合格する。デザイン科は他の科よりも偏差値は高い。
入学して最初のテストで私は当然クラスで1番になると思っていたの。
ところが!なんと!!2番だったの!!!
誰だろー?といまでも謎😂
結構な驚きだったから忘れない😂
おごりだよね🤣私が1番って…
上には上がいるんですよ!
話は戻りまして〜
御坊ちゃま父の楽しみながら頭を使うというコミュニケーションのおかげで、勉強そのものも好きだったし、テストも好きだし、頭がキューーーーッとなるような難しい問題を解くのも好きだし、知恵の輪やパズルをクリアすることも大好きなのだ。
しかし人生で起こる難題は…
そうはうまく行かないことがたくさん😂
今、そこそこ幸せだからこれで良いんだと思うけど。
ただ、これも結果論。
もし子供の頃から従姉妹のように私立の学校に行っていたとしたら、それはまた世界が変わり、セレブになっていたかもしれないもんね✨✨✨セレブって…笑
とはいえ、どことなく感覚的にお嬢様な私です🥳(わかる人にはわかるはず)
#自分史ブログ
#いつか子供達がブログを読んでくれた時のための記録