P. オーベリ著「コミューン詩と歌謡」(その2) | matsui michiakiのブログ

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横浜市立大学名誉教授
専門は19世紀フランス社会経済史です

P. オーベリ著「コミューン詩と歌謡」(その2)

 

 私がこれらの歌詞の意味を的確に理解していたかどうかは分からない。この牛がいなければ土を耕すことも、畑地を耕すことも、安定した生計を立てることもできない農民の実践哲学の力強いレアリズムを感じる。一方、妻がいなければ、究極的にはどうにかこうにかやっていけるだろうが。私には奇妙に感傷的に思われるものの、農民の牛への固執は私をどぎまぎさせたが、私はその背後に大人の生活の何か重大な秘密が隠されているのを予感した。なおまだ土と切っても切れない関係にあるわが家庭を襲い、それを都会地獄に陥れ、われわれが今日、実体験しているような恥ずべき状況に陥れた呪いの表現を。

 コミューン下で人々はなおまだこれら田園風の歌、ピエール・デュポンの政治的・社会主義的な歌を唄った。デュポンの歌の中で最もよく知られているのはまちがいなく「労働者の歌」である。これは1846年の作品であって、ボードレールはこれを次のような言葉で称える。

 「苦しみと憂鬱のこのすばらしい叫びを耳にしたとき、私は目が眩み感動した。… 人がいかなる党派に属そうとも、また、いかなる偏見をもとうとも、アトリエの埃を吸い、綿毛を呑みくだし、鉛白粉・水銀・その他傑作の製造に必要な毒素にかぶれようとも、いかなるささやかで、かついかに大きな美徳さえも冷酷無慈悲な悪徳と徒刑囚監獄の嘔吐の傍らで巣くう街区の奥深く害虫とともに眠るこの病的な大衆の光景に心を動かされないでいるのは難しい。」

 

 「労働者の歌」の歌詞はさらに、ピエール・デュポンの田園風の作品よりもいっそう直接的に労働者の意識を語る。それは生産者の歌である。すべての重さの源と起源は知られており、厳しく自問する。「われわれの痩せた脊柱を曲がらせる労苦からわれわれはどんな果実を引きだすのか? われわれの汗水はどこへ行くのか? 」しかし、雇用主による剰余価値の独占は他の者の間では欲求不満にほかならない。p.53 労働者は「最後の小僧」によりなおも傷つけられるやり方で妻や娘を通してこっそり辱められるのだ。憤慨はその鷹揚な血を滾らせる。暴君やその手先の最も大きな栄誉のため、今後はけっして零さないであろうその血をである。労働者は佳き日々が訪れるのを待ちつつ「闘いより強い愛」を歌う。

 ピエール・デュポンにより活発に宣言された、単純にして奥深いこうした感情はボードレールが書いているように、「民衆の希望と確信の鮮やかな模写であった。」ピエール・デュポンはそれらを払い清めるために、プロレタリア状態の日常的枠組を構成する堪えがたい苛立ちを表わすユートピアを歌った。

 労働者の歌、それは苦しみの叫びであり、熱情溢れる疑問であり、その辛苦に束の間の安らぎを与える活力の爆発である。それはピエール・デュポンと同じく、ある教義の陳述およびある行動の正当化ではなかった。なぜなら、彼の歌は或る活力、一つの健康をもたらすからだ。健康と言ったが、それは帝政末期には兵役あるいは戦争がもたらす病気により、次いで最後には彼らの町の包囲によりもたらされた窮乏生活によって弱らされたパリの労働者にとってはまったくの幸運としか言いようがなかった。

 コミューンの最も表現的で、かつ最も特徴的な歌や詩は、明らかに事件後「血の1週間」の虐殺をくぐり抜けた逃亡者や追放者によって書かれた作品である。気取りがなく非常に直接的な調子と語句をもつ歌や詩は体験はむろんのこと、過ぎ去った感情を物語る。そして、そこから教訓を引きだすために暴動の興奮にいっぱいの、あるいは悲劇的なエピソードの紹介となる。だが、これらの表現の中に処理法・意図・着想によって幾つかの明瞭なカテゴリーに分類することができる。

 これらの詩や歌の幾つかの歌集が公刊された。そこには著名な詩人・論者・記者・民衆的作詞者があい並んでいる。コミューンがヴィクトル・ユゴー、ヴェルレーヌ、ランボー ― ランボーにとって謀反は革命にならなかった ― から得た詩はけっして無視すべきではなく、また、凡庸な作品でもなかったが、それらはコミューンそのものよりもその作者に関してわれわれに確実な情報を提供してくれる。ジュール・ヴァレス、クローヴィス・ユーグ、ルイーズ・ミシェル、アンリ・ロシュフォール、ウジェーヌ・ヴェルモレルなど、コミューン以前からの老練なすべての新聞記者と論者は多かれ少なかれ早い時期に詩を編集していた。コミューン以前の民衆感情やその事件に関する民衆の反応の表現を最も自然発生的に噴出し、われわれの主題にとって最も有益と思われるのは、われわれが幾つかの作者の詩を再び読みなおすことに固執することである。彼らは行動に参加したことがあり、われわれに対し筆先を使って引きだした教訓を残すのだ。これらの一時的な作品は亡命者の会合で詠まれ歌われた即興的な詩という危なっかしい伝達手段に引きわたされた詩を通してわれわれがコミューン史をめぐるあらゆる質問に対する回答を見出せると考えるからではない。p.54 また、特に武装革命において被抑圧者による潜在的な謀反の変遷について曖昧な説明を見出すことができると考えるからでもない。しかし、少なくともコミューンの民衆詩人はそれらの詩のなかで、なぜ闘いを欲したかをあからさまに述べる。著者が事件に近ければ近いほど、彼の説明はより直接的に曖昧さが消える。コミューンの民衆詩人は特に城館の領主貴族のためにあくせく働く土地に縛られた農民の境遇と、工場長に賃金で結びつけられた労働者の境遇とを区別できる目立った対句法を強調する。領主は土地を独占し、ブルジョアは機械を独占するが、どちらも働く者からその汗の果実の一部を掠め取るのだ。どちらも厚かましく、不道徳であり、彼らに対しては蜂起のみが似つかわしい返答となる。階級の偏見はかなり簡潔になるが、それは「持てる者」と「つくる者」を純粋に区分するわが著者にとっては明瞭であった。

 1873年5月、クローヴィス・ユーグは以下のように、当時獄中で唄われていた詩を紹介する。

 労働者はその指しかもたない

 いつの世も凌辱で過ぎ去る

 貴族の後はブルジョアだ!

 奴隷の後は賃金

 われわれはわが先祖と同じように欲する

 2つの膝をつくことがあってもはや膝まづかないことを

 主人の卑怯な傲慢の前に

 そして、われわれはシテで望んでいた

 わが権利とわが薬包を守ることを

 

 皇帝廃絶の1870年9月4日の後、人民は持てる階級が1830年と1848年と同様に、人民が待望する共和政と同時に社会革命をくすねる用意をしていることを看取した。一つの抑圧体制のくびきの下に再び落ち込む ― 事実上、一人の別の人物と簡単に修正された語彙とともに旧制度を恒久化する ― ことを避けるためには一つの解決法しかない。つまり、市民自治、国民衛兵、すなわちコミューンがそれだ。階級敵は明らかに名指しされる。それはブルジョアジー、つまり雇い主である。

 1877年、ウィンザー(Windsor)の日付のある「1871年の追放者」という詩において、ウジェーヌ・シャトラン(Eugène Chatelain)は彼の誓いが何であり、彼の動機が何であるかを何行かの詩句で要約している。

p.55 私は罪に対して闘った

 所有という名において

 その犠牲者を苦しめる

 古い社会の

 死ぬことなぞ何でもない、生きることが肝要

 だが、食うためにはどうすべきか?

 羊が羊飼いに反抗することによって

 暴動を起こした私は義務を全うした

 私は人を傷つけることができないで倒れる

 私は屠畜場の血を見た

 このように、ウジェーヌ・シャトランは所有権を神聖化する不公平なこの秩序に対して闘う。というのは、それが貧者の苦しみを惹き起こすものであるから。そして、それこそが貧民にとって必要不可欠なものを拒絶し、しかし、特にそれこそが彼らを搾取へ飼い馴らされた家畜の従順な服従を要求することによって人間の尊厳において彼らを辱めるものであるからだ。ブルジョアが労働者階級に課す暴政の新たな事態に直面し、ウジェーヌ・シャトランはラ・ファイエットが述べたように、叛乱が最も神聖なる義務であることを仄めかす。そして、彼の唯一遺憾と思うのは、敵をうち破る前に敗れ去ったことである。

 1884年に流刑先からパリへ戻ってきたウジェーヌ・ポティエ(Eugène Pottier)の『叛乱者』は同じようなテーマを再び取りあげる。

 機械が要求された

 そして、背骨をもはや曲げさせることを望まない

  稼働中の蒸気の下で

 搾取者が乱暴なやり方で隷属の道具を作る

 救済の道具を

 雇い主の階級に敵対し

 社会的戦争が始まる

 それには終わりがない

 この地球上で一人の者が

 何もせず富裕になることがあるかぎり

 胸糞悪くなるようなブルジョアジー

 もはや地代は払いたくない

 そこでもやはり反抗の原因と敵対関係の本性が明確に定義されている。機械すなわち技術進歩と大量生産の手段は資本の代弁者によって、また、ごく少数の搾取者によって独占されていた。賃金と物価が堅固な法則を課すことにより「雇用者階級」は労働者を窮乏状態に追いやり、その労働が創造した剰余価値を掠めとり、彼らがそのようにして自分のために確保した地代(家賃)を享受する。なるほど、それは経済学者の賢明な分析と比較すれば、極度に図式的であるが、それは嘘ではない。いずれにせよ、それはコミュナールが自ら思い込み、集散主義的社会の達成を急ぐためにその叛乱や戦いをふり向けてきた説明の良き要約である。集散主義社会についてウジェーヌ・ポティエの同じ詩を引用しておこう。

 大地は一つ

 それを分割してはならない

 自然が源、資本は財布

 そこではすべての者が汲み取る権利をもつ

 このような状況下で以下を理解するのは難しい。すなわち、コミューン研究者の中でもっとも頻繁に引用される歴史家の一人ジャック・ルージュリは、コミューン派が今日われわれが懐くような階級闘争の明確な意識をもっていることを否認する。彼は言う。「確かにコミュナールは社会に関してガミガミ言う不満状態に置かれていた。しかし、彼の社会的憎悪は極めて漠然とし、的を射ていない。ブルジョアと富者ないしは富める者、富者(riche), 裕福者(aisé), 殿方(monsieur),貴族(aristcrate), ブルジョア(bourgeois), 雇用者(employé), おしゃれ(dandy)の区分が曖昧で、要するに「プロレタリア」でないすべての者の意をもつ。だが、後でもう一度ふり返るつもりだが、幾つかの場合を例外として「パトロン」の問題はほとんど問題にならない、ほとんどつねにコミュナールは給料を受け取る労働者である。

 「プロレタリアの歌」でアシーユ・ル・ロワ(Achille Le Roy)は直接的に言い返す。思ううに、労働者の搾取に対し責任をもつ者をはっきり明示することによってこのような議論に応酬する。労働者の労働のみが資本蓄積を可能とするのである。

 多産の機械工業により

 つねにわが生産を増強し

 だが、これまで工場の所有者は

 革新から唯一収益を挙げる

 ノラクラ生活のろくでなし者よ、お前らは絶えず増える

 われわれの儲けを減らすこのシステムによって

 経営顧問、その株式保有者、遠い社会的椅子に取り囲まれた工場の所有者たちは技術進歩、分業、流れ作業生産から出てくる利潤を掻き集める。労働者はこれまでになく辛うじて食っていけるだけの給料しか受け取らず、また、不況と戦争が削り取る日々の僅かな金額しか受け取らない。剰余価値を横領することによって雇い主は労働者から彼の労働の産物の一部を奪い取るばかりでなく、資本蓄積により絶えずその生産手段すなわち新たな利潤の源泉に関する差し押さえを強化する。1894年1月20日の『ル・シャンボール』紙に掲載された「ならず者の一団」と題する詩文の中でジャン=バティスト・クレマン(Jean-Baptiste Clément)は万事苦味を排除しない労働者の言葉で書いている。

 彼らは貴族に取って代わるためにのみ

 彼らの79年をおこなったのに

 そして、牛のように彼らを太らせる

 人民をへとへとにするまで働かせるためにのみ

 彼らの支配下ではすべてが盗みでしかない

 彼らはわれわれから工場を奪い取り

 大地と地下を奪い取り

 道具と機械を奪い取り

 そして、彼らは共和主義者とうそぶく

 ならず者の一団めは!

 虚栄心強く、冷酷で横領者たるブルジョアジーは今もなお共和主義を自称することで自由主義者ぶっている。フランス共和政の標語たる「自由」「平等」「友愛」についてブルジョアジーはその最初の標語しか唱えず、そして、さらにそれに「営利の自由」の意味、つまり貨幣の力を利用する自由、特権を享受する自由を与えることにより、また、すべての人々が等しくこれらの自由を活用することができるとか、すべての人々が富み自己に課すべくその自由を利用するならば、エネルギッシュで聡明な企業家たちと較べて彼らが知性に欠け、辛抱強さに欠け、本性的に大分恵まれていないからとか信じることによって。