604. パリ生まれの「自由の女神」
【質問】 「自由の女神」…準備期間、建築技術(工事期間を含む)について教えてください。 |
【回答】
「自由の女神」像の除幕式は1886年だが、この構想そのものと造成工事はもっと早い時期にフランスでなされた。構想は1865年、コレージュ・ド・フランス教授エドゥアール・ド・ラブレー(Edouard de Laboulaye;法学)に始まる。つまり、アメリカ独立革命百年は1876年だが、これに際しフランスで何らかのかたちで奉献できないかと提案したのである。フランスは百年前の合衆国独立の戦争に援軍を派遣して支援した経緯があった。この提案が国民議会で決議されたのは1871年のことである。
当時のフランスがおかれていた状態は普仏戦争敗北とコミューン騒動という二重の多難から再起しようとする時期にあたった。フランスはコミューン弾圧に踏みきったものの、政体そのものは共和制を堅持するぞ、とばかり、その政治姿勢を内外に向かって宣言するつもりだったのかもしれない。
ともあれ、銅製の彫像にすることに決まり、彫刻家のオーギュスト・バルトルディ(Auguste Bartholdi)に委託された。フランス革命の象徴マリアンヌ女神から着想を受け、像のデザインはドラクロアの絵「民衆を導く自由の女神」である。
内部の鉄骨構造は、当代随一の建築家と目され、パリのノートルダム大聖堂の修復工事に携わったヴィオレ・ル・デュクVollet-le-Duc)が受けもった。だが、彼は1879年に死去したため、その後任となったのが鉄橋技師エッフェルである。かの「エッフェル塔」のエッフェル(1832~1923)である。エッフェルは鉄骨の原案を修正し、中を中空にくり抜くとともに螺旋階段を設けることによって人が昇降できるようにした。
「自由の女神」は銅製だが、緑青のために淡緑色になっている。像の頭の部分まで111.1フィート(約34m)、台座からトーチまでは151.1フィート(46m)、結局、台座部分からトーチまで305.1フィート(93m)になる。総重量は225トンである。エッフェル塔が350トンだから、中空とはいえ女神像もかなりの重さをもつことになる。
女神像は右手に純金で形作られた炎を要する松明(タイマツ)を空高く掲げ、左手に合衆国の独立記念日の「1776年7月4日」、フランス革命の勃発日「1789年7月14日」をローマ数字で刻印された銘板をもつ。足元には引きちぎられた鎖と足枷があって、女神がこれを踏みつけにしている。つまり、弾圧や抑圧から人類は自由であり平等であるべきことを意味する。女神が被っている冠には7つの突起がある。これは7つの大陸と7つの海に自由が広がるという意味である。あるいはキリスト教でいう「7つの大罪」だとする説もある。
資金集めのためのキャンペーンとして宝くじや1878年のパリ万博の機会を利用し、その時すでに完成していた頭部だけを展示し、40万ドル相当の寄付金を集めた。1884年にパリで仮組み完成し、200個以上もの部分に分解してフランス海軍の輸送船イゼール号でアメリカに運ばれた。
結局のところ、構想そのものから20年、着工から十数年を費やして完工したのである。
なお、「自由の女神」像はニューヨークのリバティ島以外にもラスベガス、フランスのパリ、ボルドー、サンテチェンヌ(金属工業の町)、コルマール(バルトルディの故郷)、アングレーム、ポワティエにもある。日本(東京お台場)にもあることを知っているだろうか。
なかでも有名なのはパリのセーヌ川グルネル橋の袂に飾られている「自由の女神」像である。これは1889年の万博に際し本物の「自由の女神」像が贈られた返礼としてアメリカ人有志が寄金を募ってレプリカをパリに寄贈したものであり、高さは14mほどである。セーヌ川の遊覧船がUターンする場所に据えられているので、遊覧船から、しかも夜間に見上げると最も見栄えが良い。
パリのリュクサンブール公園にもレプリカが立っている。