Rayさんがまた見事な記事を書いていたので、それに乗っかって書くことにします!
これは先日のヒーラー/メンター養成BootCampでの話題についての言及です。
そこで伝えたコンテンツをまた噛み砕いて、Rayさんが言語化してくれました。
かなり難しい作業だったと思いますが、文体は軽やか。見事です!
で、件(くだん)のヒーラー/メンターでの話題は何だったかと言うと、ヒーラー(かつメンター)の成長の階梯の話でした。
1つ階段を上がると、全く違う風景が広がるのです。
これまで正しいと思っていたことが、使えなくなり、そして非人間的に思えるような操作が正しいとされる世界に参入します。そこでまた新しいルールに従い、新しい原理に従って、淡々と作業していくと、また次の扉が開きます。もしかつての方法論に固執したら、奈落の底へ落ちるのです(以前の場に戻ります。それは奈落の底です)。
ウィトゲンシュタインの言うように、階段を登ったらその階段は捨て去らなければいけないのです。執着してはいけません。
c.f.【コーチング】Google先生に見つからないサイトの作り方 2012年10月17日
ウィトゲンシュタインのお墓にあるハシゴ(でも、これがいつもあるわけではないことを教えてくれた母もまた鬼籍に入りました。ウィトゲンシュタインのお墓に実際に行ってみたら、ハシゴが無かったそうです)。
私の諸文は、私を理解する者が、それらを通じて――それらによって――それらの上へと昇ったあげく、それらがナンセンスだと認識すること、そのことを通じて解明する。(彼は、謂わば梯子を登ってしまってから、それを抛棄しなければならない。)
彼はこれらの文をのりこえなければならならず、そうすれば、彼は世界を正しく見て取る。
(ウィトゲンシュタイン 命題6:54 論理哲学論考)
これはセミナーなどにしても良いコンテンツなのですが、今多忙すぎてセミナーも開催できません(なんかいまふと思ったのですが、「まといのば」講座をこれまでコンテンツベースで集客してきましたが、そうではなくまず開催日程を決め、そのあとにその時の旬なトピックで講義したら良いのかもと思いました)。
旬を過ぎたコンテンツというのは少なくとも「まといのば」では講義はできません(これは僕が教師タイプではないことの証左)(僕はプレイヤータイプ、ソルジャータイプです)。
ですので、ここに書き記しておきます。
ブログだけでもOutputしておけば、未来に繋がります。
とは言え、そのOutputは過去の自分に(いや、過去記事自体に)語らせましょう〜
(Rayさんが見つけてくれました)(書いていたことも忘れていました)。
・そもそも他人のことを考えるから、抽象度が下がる。
・リーダーは場のことを考えるべきであって、個々人のことは見ない。
・これはLUBの取り方と同じ。
りんごとみかんのLUBを取ろうと思ったら、どちらもフラットに平等に眺めると、LUBである何らかの概念が出てくる(たとえば「果物」とか)。
そしたら、その「何らかの概念」だけを捕まえて、りんごとみかんはDeleteしたいのです。
そうでないと、せっかくLUBを取ったのに、また個別具体的なりんごとみかんという抽象度に落ちてしまいます(これは集団に対する一斉遠隔のときも同じです)。
・うまくいかないリーダーはとかくフォロワーのことを個別具体的に考えすぎ。
もう少しふわっと全体のことを考え、未来のことを考え、抽象的に考えるべきです。
個別具体的にフォロワーのことを考えるということは、厳しく言えば、LUBが取れていないのと同じです。
具体的な話ではなく、抽象的に場のことを考えるべき、そしてハイパーラポールの維持を考えるべき(すなわち、ネガティブラポールのマネージメントをひたすらに行う)。
もちろん場の移動もひたすらに行う。
・ちなみにネガティブラポールのマネージメントはしつつ(敵を作ったり、席替えをしたり、シンボル化したり)、ゴールの更新をひたすらに行っていれば、腐ったリンゴは自動的に消滅するので心配しなくて大丈夫。時間の問題。
・腐ったリンゴは周りを巻き込んでテロを起こすけど、それも心配無用。なぜなら、巻き込まれてテロの犠牲になるのは、その人の問題であって、場の管理者の問題ではない(そう見做されることは多いけど、そんなことは管理できない)。エフィカシーを維持していれば、腐ったリンゴの犠牲になるはずもないから(犠牲になるのは気の毒ですし、なるべく犠牲にならないような対策はしますが、それでもひっかかる本人の選択の問題です)。
・腐ったリンゴとは何かと言えば、、、、、ゴールがない人、周りを現状の中に引き込む人、歩くCreative Avoidance、Egoが暴走する人、すぐに批判しかしない人などなどです。
余談ながら、腐ったリンゴと言えば、「ふぞろいの林檎たち」を思い出します。
いや〜本当に書いたことも忘れていました(本当に自分が書いたのかな?w)。
言語化って非常に難しいのですが(そこまで抽象度を落とさないといけないので。言語抽象度って本当に低いのです)、我田引水ながらこれは見事な言語化。
そしてここで注目すべきはこの一説(他の重要なことはRayさんが全て書いています)。
腐ったリンゴは周りを巻き込んでテロを起こすけど、それも心配無用。なぜなら、巻き込まれてテロの犠牲になるのは、その人の問題であって、場の管理者の問題ではない(そう見做されることは多いけど、そんなことは管理できない)。エフィカシーを維持していれば、腐ったリンゴの犠牲になるはずもないから(犠牲になるのは気の毒ですし、なるべく犠牲にならないような対策はしますが、それでもひっかかる本人の選択の問題です)。
余談ながら、奇跡のリンゴの木村さんがおっしゃっていたように記憶するのですが、「虫が食べるのは美味しい葉っぱではなく、問題のある葉っぱ」という話を思い出します(場が成長すると、虫がつかなくなるそうで)。
もちろんリーダーとしては「なるべく犠牲にならないような対策」はしなくてはいけません。それは真っ直ぐにネガティブラポールのマネージメントとなるからです。でも転ばぬ先の杖も大事ですが、転びながら学ぶのも大切。
どんなことがあっても、生き残れば良いのです(いや、畢竟、生き抜けば良いのです。生命を燃焼して生きて、それで命が尽きても本望です。いずれ皆死ぬのですから)(ここらへんの手触りはナシーム・ニコラス・タレブを呼んで欲しい!)。
「大げさな」と思うむきもあるでしょうが、情報空間での闘いというのは、決闘と似ていて、どちらか(もしくは双方)が死ぬまで終わりません。
それを知らないか、経験したことがないか、信じられないのであれば、あなたがやっているのは気功や内部表現の書き換えではなく、ただのもどきです。もちろん「気功もどき」でもある程度の結果は出ますが、それでは本質的に満足できないから、イライラしているのです(多分)。
(と、唐突に終わります!)