父に電話すると「さぞいい気持ちだろう。お前がお母さんを殺したようなものだ」という言葉が返ってきた | 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ

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論理学ではそもそも文章(命題の最小単位)を文字に置き換えてしまいます。

 

「白鳥は白い」という命題があったとします。この命題をPropositionということでPとします。

次の命題はQ,R,,,,と続きます。アルファベット順ですね。

 

で、命題同士の関係を調べていくのが命題論理学です。

というか、述語論理学も無限を扱うだけで(すべての〜とか、存在するとか)、様相論理学は時間を扱うだけ(必然、可能)、と「まといのば」では教えています。

どちらも、命題論理学の変奏曲です(言い過ぎ?)

 

そして命題論理学では真偽値はあらかじめ決まっており、真偽表のマトリックスを渡されています。

長い複数の命題からなる(それが論理演算子でつながっている)ような命題を代数学のように問いていきます。いわゆる計算問題ですね。計算問題のように論理式を問いていくことで、真偽表に当てはまるようなシンプルな形式に記述し直して、そして例のマトリックスを持ち出して、真偽値を判定するのが命題論理学です。

 

ですから、そもそも命題の中身は問わないわけです。

 

よく使われる例ですが、「ナポレオンが私の母ならば、私はアメリカ合衆国大統領である」という命題は驚くべきことに真なのです。前段が偽の命題ならば、それに続く命題が真でも偽でも、その命題は真なのです。

P→Qの形でPが偽ならば、Qの真偽によらず、P→Qは真です。

 

直感に反することがしばしば論理学では起こりますが(嘘つきのパラドックスもその一つと僕は思っています)、それは直感が間違っているのが、論理学が間違っているのかは分かりません(僕は直感が間違っているで、良いと思います)

 

たとえば、あなたの女友だちが唐突に「私って嘘つきなの(*ノω・*)テヘ」みたいなことを言っていたときに、

 

「あーそれは深刻な自己言及パラドックスを起こすね、その発言は明らかな決定不能命題についての言及だけど分かっているよね(いま、嘘つきと正直者がパタンパタンとひっくり返るのはどんな気分。それとも量子論の重ね合わせ的な感覚?)」

 

とかあなたは返さないですよね。

 

「あ、そうなんだ〜」とか答えて流しますよね。

 

ですが、実際は深刻な自己言及パラドックスをもたらすのです。

そして、それゆえにラッセルはPM(プリンキピアマテマティカ)を放棄せざるを得なくなったのです。

c.f.うそつきのクレタ人が無限階段を上昇し下降して自己言及する。 2013年10月29日

そういえば、この10年以上前の記事に、自己言及命題のパラドックスの次に動画を提出してもらいたくなるようなウォーターゲート事件のパラドックスがあります(笑)。

 

いわゆるウォータゲートのパラドックスです。某所でのセミナーにて紹介しました。

(引用開始)
(1)ウォーターゲート事件に関してニクソンが言ったことの半分以上は偽である。
(2)ウォーターゲート事件に関してジョーンズが言ったあらゆることは真である。

(引用中断)

特に、パラドックスも自己言及も出てこなさそうな普通の命題です。
両方共、真であっても問題はありません。そのような状況はありえます。

しかし、これに続けて、

(引用再開)
(1)を言ったのはジョーンズであった。そしてそれがジョーンズがウォーターゲート事件に関してなした唯一の発言だった。
一方、(2)を言ったのはニクソンであった。そして、この発言以外にウォーターゲート事件に関してニクソンが言ったことはちょうど真・偽が半分ずつであった。

(引用終了)(以上、pp.90-91 論理学をつくる)

とあると、途端にパラドックスが生まれます。

パラフレーズしてみましょう。

(2)のニクソンの発言が真だと仮定します。
すると、「ウォーターゲート事件に関してジョーンズが言ったあらゆることは真である。」は真であるとなります。
すると(1)を言ったのはジョーンズです。そしてそれが唯一の発言であることから、
「ウォーターゲート事件に関してニクソンが言ったことの半分以上は偽である。」という命題は真となります。
しかしここで問題が生じます。「この発言以外にウォーターゲート事件に関してニクソンが言ったことはちょうど真・偽が半分ずつであった。」という制約がある以上は、「ウォーターゲート事件に関してニクソンが言ったことの半分以上は偽である」ことから、ニクソンのこの発言は偽となります。

とすると、ニクソンの「ウォーターゲート事件に関してジョーンズが言ったあらゆることは真である。」が偽であるとなれば、「ウォーターゲート事件に関してジョーンズが言ったあらゆることは偽である」ということになります。
とすると、ジョーンズの言った「ウォーターゲート事件に関してニクソンが言ったことの半分以上は偽である。」は偽ということになります。とすると、「ウォーターゲート事件に関してニクソンが言ったことの半分以上は真である」ということになり、「この発言以外にウォーターゲート事件に関してニクソンが言ったことはちょうど真・偽が半分ずつであった。」という制約がある以上は、「ウォーターゲート事件に関してニクソンが言ったことの半分以上は真である」ことから、ニクソンのこの発言は真となります。とするとまた仮定と矛盾し、ふたたび無限ループに陥ります。

まあここから見出される結論は、パラドックスを生むかどうかは、文がどのような状況で使われるかに依存する、そしてパラドックスの責任は文それ自体ではなく、文とそれが使われる状況による。また自己言及を含んでいるような文でもパラドックスが生じないように使うことは可能ということです(たとえば、「この文は日本語の文です」は自己言及を含むがパラドックスは含まない)。

というわけで長々と書きましたが、ゲーデルの不完全性定理の肝としての自己言及のパラドックスの風景は脳の不思議な部分を使う感覚があります。ぜひ使っておきましょう!

 

 

話しを続けますと、同様に「可能性」「必然性」についても、我々がクリプキ(の可能世界意味論)を経ており、目の前に可能世界が広がっていれば、「ああ、それは可能だね」と言ったときに意味しているのは、無限にある可能世界のうち少なくとも1つではそれが真であると言えるということです。

 

論理学をなぜ学ぶかと言えば、論理的になるためではありません(論理学者は計算ができるだけ、自然言語の意味での論理性は、、、)。

 

我々は論理学をうまく活用することで、読解のゆらぎをふせぎ(意味論的なブレを最小化し)、論理計算を早めて、素早く矛盾を見つけたり、(その方の隠れた)主題を見つけたり、ゲーデル数を見つけたりしたいのです。

 

論理学をゼロから丁寧に教える情熱はもうないので、できたら寺子屋シリーズなどの教材で学んで欲しいと思いますが、本質的には論理演算子が重要です。

建築において、建築資材はさておき釘が大事というのが、論理学です。

繋ぎ目部分のみが大事で、資材は何でも良いのです。

論理演算子という繋ぎ目部分のみが真偽に関わっているからです。

 

だからこそ、僕らは接続詞や助詞にやたらにこだわります。そこに重要なポイントが隠れているからです。

たとえば、かつて盛り上がったルー・タイスの「but」もそうです。逆説は強いのです。

c.f.「ビル・ゲイツ、結婚生活やめるってよ」「ルー・タイス、『しかし』を取り下げるってよ(嘘)」 2021年05月04日

 

以下の文章もその視点を持って読むと良いのです。

そうでないと読み飛ばしてしまいます。

素晴らしい内容を捨ててしまうのです。

 

Or you will miss all the heavenly glory.です。

 

 

というわけで、今風に言えば胸糞な課題文です。

そしてよくある風景です。

 

結婚式の時、両親はいつものようにすべてを取り仕切ろうとしたが、私は生まれて初めて勇気を出して自分の意志を通し、親には口出しをさせずに自分たちのやりたい方法でやることにした。だが、その結果どうなったかというと、まず両親は結婚式にあらわれなかった。そればかりか、彼らは親戚中に私の悪口をふれてまわった。私は「可哀相な親の喜びを奪ったひどい娘」にされてしまい、家族も親戚もみな口をきかなくなった。
それから数年後、私の母はガンにかかり余命が短いことを知った。ところが母は、自分が死んでも私にだけはそのことを知らせないようにと親戚中に伝えていた。私が母の死を知ったのは、死後五ヶ月たってからだった。偶然出会った古い友人からそのことを知らされたのだ。父に電話すると、「さぞいい気持ちだろう。お前がお母さんを殺したようなものだ」という言葉が返ってきた。
父はその後も非難の言葉を吐き続け、それから三ヶ月後に死んだ。

 

 

 

この文章を丁寧に分析すると、その頃には冷静になっており、そして起きていることの悲惨さが冷静に浮かび上がってきます。抽象度高くこのありふれた悲劇を眺めることができるのです。そして、その視点からしか、次の悲劇を食い止められないのです。

 

泣き叫んで問題が解決するならば、そうすれば良いですが、そして泣き叫びたいならばそうすれば良いですが、解決したいのであれば、冷静になって頭を使うしかありません。

c.f.「悲しいときにただ悲しい顔をしていても事態の改善はない」〜ジョブズもピカソも盗む〜 2013年10月11日

 

ずっと一緒に戦ってきた仲間の一人がからだ中から出血して死にかけている時、それを悲しいと思わない兵士はいない。彼らは深く悲しんでいる、だが、悲しいとは言わないし、悲しい表情も作らない。悲しい悲しいと叫び大声で泣くことによってミツイが助かるならば彼らはそうするだろう。UG兵士はシンプルな原則で生きている。最優先事項を決め、すぐにできることから始め、厳密に作業を行ない、終えると次の優先事項にとりかかる。悲しいときにただ悲しい顔をしていても事態の改善はないことを彼らは子供の頃から骨身に染みて学んできたのだ。アメリカのテレビでおなじみの光景、災害や事故や犯罪の現場でレポーターが被災者や被害者の家族に聞く、悲しいですか?悲しいでしょう?最優先事項がなく退屈な人々はそれを見て今自分が悲しくないことを確認して安心する。(p.237 村上龍 ヒュウガ・ウイルス 幻冬舎文庫)

 

そのときに情動を外して、ロジックを追いかけることです。追いかけるロジックはSemanticsではなくSyntax、助詞や接続詞です。言っていることだけを追いかけることです。

 

「英数国理社気功」の準備をしながら、思うのですが、現代文という受験科目は課題文(それは書籍からの部分抜粋であることが多い)の中に答えが必ず書かれています、、、、などと言いますが、僕らもメンターとして同じことを思います。

 

クライアントさんが話している言葉の中に答えはすでにあるのです。僕は口さがなく「語るに落ちる」などと言ってしまうのですが、、、クライアントさんの言葉を正確にEchoしReadingしていると、そこに答えはあります。それは「現代文」という入試科目と同じです(いや、現代文だけではなく、古文や漢文もそうですから、国語という科目自体がというべきかもしれません)。

 

 

また、余談ながらToxicParentsは「戦争は女の顔をしていない」とセットで読むと良いように僕は思っています。

 

 

そしてじゃあ、その悲惨な戦争をどう避ければ良いのかを考える上で、不完全燃焼ではなく、完全燃焼させろというルトワックがおすすめ。

 

    

 

今日では、あまりにも多くの戦争が「終わることのない紛争」となってしまった。その理由は、外部からの介入によって、「決定的な勝利」と「戦争による疲弊」という二つの終戦要因が阻止されるからだ。(ルトワック『戦争にチャンスを与えよ』)

 

    

戦争も大きな役割を果たしている
「戦争は巨悪であるが、大きな役割も果たしている」という事実は、やや見過ごされがちだが、それでもわれわれが認めたくない真実である。戦争は政治的な紛争を解決し、平和をもたらすことがあるからだ。
このような事態は、すべての参戦者が戦いに疲れたり、そのうちの誰かが決定的に勝利した時に発生する。
 いずれにせよ、ここで重要なのは、一つの解決策に至るまで戦いは続けられる、ということだ。戦争は、暴力が積み重なる段階を過ぎた後になってようやく平和をもたらす。「戦争の停止」が「さらなる戦闘」よりも魅力的になるためには、軍事面での成功の望みが薄まらなければならない。

 

 

 

 

 

ちなみに先日のセッションで話したのはこちら↓

    

つまり、適切な同盟相手を選び、戦術レベルでの敗北に耐え続ければ、一〇〇回戦闘に敗れても、戦争に勝つことができる。
 逆に言えば、いかに戦術面でのみ優れていても、有効な外交関係を築けていなければ、一〇〇勝しようとも、最終的には敗者となってしまう。その典型が、第一次、第二次世界大戦でのドイツだが、第二次世界大戦での日本にもそれが当てはまる。(略)

そして、もう一つ忘れてはならないのは、「同盟」という戦略は、しばしば不快で苦難を伴うものである、ということだ。

 

 

というか、重要なのは最後の一行です。

 

「同盟」という戦略は、しばしば不快で苦難を伴うものである

 

これ大事!

 

これがわかっていれば、「同盟」という言葉に別な言葉をいろいろと入れ替えながら遊べます。

 

たとえば、、、
 

「仲間」という戦略は、しばしば不快で苦難を伴うものである

 

「会社」という戦略は、しばしば不快で苦難を伴うものである

 

「家族」という戦略は、しばしば不快で苦難を伴うものである

 

「ギルド」という戦略は、しばしば不快で苦難を伴うものである

 

「チーム」という戦略は、しばしば不快で苦難を伴うものである

 

ふざけているわけではなく、そもそもこれらはすべて「同盟」です。

 

仲間意識やギルドが仲良し小好しだと思っているから辛くなるわけで、そもそも不快で苦難を伴うことを知っていれば、ゴールのために平気で耐えられるのです。

 

 

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【1位御礼】

ニーチェの言葉の記事で1位をいただきました!

c.f.夫婦生活の他のことはみな移り変る。だが交わりの大部分の時間は対話に属する〜ゴール設定のコツ公開! 2024年02月25日 テーマ:講座案内 公式ジャンル記事ランキング:整体・リラクゼーション1位

いつも応援してくださる皆様のおかげです!(総合5位もありがたいこと)

シュンくん15位おめでとう!!総合7位も素晴らしい!!
リーサル・ウェポンHiroさん16位おめでとうございます〜〜