じつのところ、耕すという行為の科学的な正当性を提示した人間はだれひとりいないのだ〜自然は耕さない | 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ

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四ツ谷にありますバレリーナ専門の気功整体「まといのば」のブログです。
気功師から見たバレエとヒーリングのコツを公開します。
「まといのば」では、バレエ・ヒーリング・美容の各種セミナーを行っております。

RaySalonセラピストの「しらゆき」が早速新しい気功技術についてのレビューを書いてくれました。

 

 

同じくセラピストの一真も同様ですが、それぞれに言語抽象度での表現が非常にうまいです(←この文章は日本語としておかしい)。

 

    

実際に本家主宰が受講生にかけてくださると、すごい変化が現れましたびっくり

 

 

肌の色合いから質感、顔の表情や印象もがらっと変わります✨

 

肌に触れたときの感触も違ってきます✨

 

艶やかさ、潤い、輝きが増していきます✨

 

とても気持ちよくてずっと触っていたい肌になっていきます✨

 

 

決してコラーゲンを増やそうと頑張るわけではないのです!

 

 

小さな小さなあの子たちが私たちをこんなにも助けてくれていたことも知って感謝も湧き上がってきました。

*権利の関係がありますので、赤ちゃんの画像だけ切り替えました。しらゆきが選んだ画像は是非、御本人のブログで確認してみてください!

 

 

あ、そう言えば、一真くんからはアンサーブログを頂きました。ありがとう。

 

ブランディングについて、セミナー(オイルBootCamp)の内容を踏まえて一歩先へ進んだ彼の考えが明確に述べられています。非常に良いです。

実はカラクリはシンプル。そのシンプルなことを、淡々と倦まず弛まず続けることだけです。

 

 

 

その意味では「まといのば」のEcoSystemにいる方々はとても幸運な時代にいると思います。

 

「まといのば」ブログでは難解で意味不明なことも、セラピストやベテランメンバーさんたちの発信によって、立体的に認識できるようになります。

 

落ち葉や有機物を分解する微生物たちがいるように、いや鳥や昆虫やミミズたちも含めた生態系がInputとOutput(捕食と排泄)を繰り返しながら(もちろん水や空気や光も)、全体として調和するように、我々も不思議な気功という存在を学び、実践し、施術して施術されながら、そして文章化し、それを読むという中で全体として場をより楽しくより素晴らしい未来へ移動させていきましょう。

EcoSystemという視点から観れば、自分自身のゴールへのCrazyな取り組みは必ず自分だけではなく、誰かの役に立つのです。そして誰かのCrazyな取り組みの成果のおかげで自分も成長できるのです。それは単調な師弟関係だけではなく、生態系のようにもっと複雑に絡み合っていて、それをイタリア・ルネサンスではギルドと言いました(そうなのか?)。

 

*ロダンはルネッサンスの人ではなく、むしろ遅れてきてその影響を大きく受けます。

 

ちなみに「まといのば」の理論のとても難解な部分(難消化性な部分)を噛み砕いて消化しやすくしている筆頭の一人がMくん。

骨を砕いて、最終的には植物にでも吸収できるように分解しようという気概を感じます。

 

最近も面白い記事を書いていました。

 

 

映画「インターステラー」の冒頭の砂嵐とウォーレン・バフェットの「スノーボール(SnowBall)」の冒頭の過酷なアメリカの砂嵐は実は繋がっています。そしてそのカラクリもまたEcoSystemなのです(←また意味不明な物言い)

 

このMくんの最新の記事は、とある「まといのば」のブログ記事へのオマージュです。その記事がこちら↓

 

 

冒頭から引用します。

    

映画『インターステラー』の冒頭で、地球の寿命が尽きようとしている凄惨な光景が描かれます。

 

ひどい砂嵐が吹き荒れます。

 

この世の終わりのように。

 

いや、地球の寿命が尽きるのではなく、問題は人間の寿命ですね。人間が生存できなくなる環境になってきているという設定です。

 

これはSFフィクションなのでしょうか?

いや、この地球の状態はかつて起きたことがある既視感のあるものです。

 

1930年代のアメリカはもっとハードでした。

 

*予告編でも砂嵐が見られます。そしてその原因も実はしっかりと映り込んでいます。我々の巨大なスコトーマの後ろに。

 

このSFでありフィクションよりも過酷なのが現実です。

「事実は小説よりも奇なり」なのです。

 

ウォーレン・バフェットの過酷な幼少期の光景です。

 

 

〈「まといのば」ブログからの引用開始〉

 

繰り返しになりますが、このインターステラーの風景は決してフィクションなのではなく、リアルに存在しました。1930年代に実際に砂漠嵐の年が何年も続きました。(中略)

 

では、1930年代の光景をチラッと見てみましょう。

 

一九三三年一一月、冷たい風が太陽に灼(や)かれた西部の山肌から砂塵を激しく巻きあげ、それが黒い雲となって、時速一〇〇キロメートルというすさまじい速度で東のニューヨークまで飛んでいった。(略)砂漠嵐の年が、それから何年も続いた。(略)
 砂塵とともにすさまじい猛暑が何年もつづいた。(略)
 一九三四年の記録的な猛暑や旱魃でバッタが大発生し、からからに乾いたトウモロコシや小麦を刈り株になるまで食べ尽くした。(略)

 一九三〇年代はじめは、不安の時代だっただけではなく、じっさいにおそろしいことが多かった。経済は悪化していた。その時代のもっとも凶悪な犯罪者たちーーアル・カポネ、ジョン・デリンジャー、ベビーフェイス・ネルソンーーを真似たやからが、中西部に殺到し、すでに弱体化していた銀行を襲撃した。親たちは、砂漠嵐で家を失って放浪している人々のことが心配だった。狂犬病が蔓延するおそれがひろまり、子供たちが家のなかに閉じ込められることもあった。ポリオ(小児麻痺)が懸念されて、夏には公共のプールが閉鎖された。それでもネブラスカ人は、苦難には歯を食いしばって楽天的に立ち向かうことを、生まれたときから叩き込まれている。

 

 

砂漠嵐の年が何年も続き、猛暑と旱魃の上、バッタの大量発生して(現代も深刻ですが)、トウモロコシや小麦を食べ尽くすだけではなく、柵や杭や洗濯物もまで食べ、挙句の果てに共食いを。銀行が襲撃され、アル・カポネたちが暗躍し、狂犬病の蔓延やポリオの感染を恐れた時代です。

 

 

でも、楽天的でなければいけないのです。

 

祖父の家へ行ったとき、貪欲なバッタの羽音がたえず聞こえていた」のを覚えているという少年は空前絶後の大金持ちとなりました。

 

この少年とは、世界三大投資家の一人と目されるウォーレン・バフェットです。

 

 

 

〈ブログからの引用終了〉

c.f.かつて地球は輝く星のひとつだった 今、その輝きは消えようとしている(映画『インターステラー』) 2022年03月07日

 

繰り返しになりますが、映画「インターステラー」の冒頭の世界の終わりのような砂嵐とウォーレン・バフェットの「スノーボール」の冒頭の過酷なアメリカの砂嵐は実は繋がっています。そしてそのカラクリもまたEcoSystemなのです。

 

これに関して真に驚くべき原因に関する情報があるのですが、僕の言語抽象度へのアクセス困難の問題でうまく言語化できません。言葉にならないのです。

 

(引用開始)

不耕作の起源をたどっていくと、オハイオ州のエドワード・フォークナーという急進的な農学者に行き着く。1943年に出された著書『耕す民の愚かさ(Ploman's Folly)』のなかで、彼はこう宣言している。「じつのところ、耕すという行為の科学的な正当性を提示した人間はだれひとりいないのだ」(引用終了)

 

 

農耕革命は史上最大の詐欺だと宣言した方がいましたが、その詐欺の内実は狩猟採集の支配をイデア論で行おうとしたことにあります。ここで言うイデアとは脳内の点と線のこと。すなわちニューロンとシナプスです。だからガリレオ・ガリレイだけではなく、我々は世界に数学(幾何学)を見てしまいタレブから馬鹿にされます。

 

c.f.アルゴリズムをシンプルにしすぎることの弊害〜行こう牢獄へ。 我々2人で籠の鳥のように歌を歌おう 2013年07月18日(イデアとは脳内の点と線のこと」に関してはこちら↑)

(ブログからの引用開始)

我々が世界を認識する時というのは、現実の世界(という言い方が適切かどうかはともかくとして)の写像が脳内に浮かび上がります。

以前、利根川進博士の講演を聞いたことがあります。オウムの地下鉄テロの翌週だったように記憶しています。

そのとき、博士が現在やっている脳科学の研究の一部を講演の終わりごろに、楽しそうに勢い込んで紹介してくださいました。迷路を解いているネズミの脳の研究です。迷路の解き始めと途中経過と解き終わりの脳の状態を見せながら、迷路が脳内にマッピングされている様子を見せてくれました。
脳の発火がそのまま迷路の地図なのです。
脳内の地図がより鮮明になっていくのが、迷路を解く過程と対応しています。
迷路のイデア(プラトン)が脳内に広がっていきます。
(引用終了)

 

c.f.ペシミズムやオプティミズムは、その思想とともにことごとく単なる病気の兆候でしかない(チェーホフ) 2019年05月28日

(引用開始)

人類は農業革命によって、手に入る食糧の総量をたしかに増やすことはできたが、食糧の増加は、より良い食生活や、より長い余暇には結びつかなかった。むしろ、人口爆発と飽食のエリート層の誕生につながった。平均的な農耕民は、平均的な狩猟採集民よりも苦労して働いたのに、見返りに得られる食べ物は劣っていた。農業革命は、史上最大の詐欺だったのだ。

 では、それは誰の責任だったのか?王のせいでもなければ、聖職者や商人のせいでもない。犯人は小麦、稲、ジャガイモなどの、一握りの植物種だった。ホモ・サピエンスがそれらを栽培したのではなく、逆にホモ・サピエンスがそれらに家畜化されたのだ。(引用終了)(ユヴァル・ノア・ハラリ著『サピエンス全史』5章)

 

 

c.f.感謝祭には七面鳥ならぬブラック・スワンでもいかが? 2016年06月27日

(引用開始)
 前に、私たちは生まれつき、やたらとプラトン化しがちで、研究の進んだところに頼ってものごとを考える傾向があると述べた。レンガ職人でも自然哲学者でも、この傾向から簡単に逃れられる人などいない。偉大なガリレオだってそうだ。ほかの場面では間違った考えを叩き潰した彼でさえ、こんなことを書いている。

 自然が書いた偉大な本は、私たちの目の前ずっと開かれている。まことの哲学がそこに述べられている・・・(中略)・・・しかし、まず使われている言葉や文字を学ばないと、読むことはできない・・・(中略)・・・使われている言葉は数学であり、文字は三角形や円といった幾何図形である。

 ガリレオは、法的に目が不自由な人だったんだろうか? あの偉大なガリレオでさえ、あれだけ独自の考えを持てる人だと言われいるのに、母なる自然をはっきり見ることができなかったのだ。彼の家にも窓があっただろうし、彼はそこから四六時中外を見ていたに違いない。自然の中に三角形なんて、そうあるもんじゃないとわかったはずだろうに、と思う。これほど私たちは簡単に洗脳されてしまうものなのだ。
 私たちは見るのに不自由か、読むのに不自由か、その両方かのいずれかだ。自然の幾何はユークリッドの幾何ではない。こんなにはっきりしているのに、誰にも、ほとんど誰にも、それが見えない。
 こういう(物理的な)見えてなさは、ランダム性と言ってカジノを思い浮かべるお遊びの誤りとまったく同じだ。
(pp.156-157 ナシーム・ニコラス・タレブ「ブラック・スワン」下巻)

 

 

 

複雑系である自然を単調なものに支配しようとして、土を耕して土を殺し砂漠化を招いたのです。

皮膚に湿潤療法が効果的であるように、土にはカバークロップ(被覆作物)が必要なのです。むき出しの土にはすぐに雑草が覆うのは、土の湿潤療法なのです。そこに消毒とガーゼを繰り返すことで、土は死に、土壌が土嵐として舞い、最後には砂漠化するのです。たしかにそれは世界の終わりの光景です。これが文明があった場所は全て砂漠化するカラクリです。良かれと思って、額に汗して働いて、この世の地獄を作り出していたのです。我々は脳に汗をかきましょう。物理空間ではなく、情報空間に。

 

 

 

最後に素晴らしいフィードバックを2つ紹介します!

 

〈引用開始〉

昨日もありがとうございました!
面白い体感を得られて肌がもちもちになって身体も軽く筋肉も緩んだ良い状態になったのを感じられたのが良かったです。
細胞や細菌、ウィルスまで同じ方向を向くように意図するという視点が入ったのがすごくて今までの技術の効きが変わったように思います。
直近で圧と徐圧で試したいことがあっていろいろとやっていたのですが、もち肌、コラーゲンでセルフでは緩めれない状態まで緩めることができました。
かなり面白いです。
これからいろいろと試していこうと思います!
ありがとうございました!!

 

〈引用終了〉

 

細胞や細菌、ウィルスまで同じ方向を向くように意図するという視点」が今回の肝の1つでした。

鉄と磁石の違いは磁性の向きがランダムか揃っているかの違いです。

 

 

全ての私をゴールに向かわせたいのです。

 

c.f.浮世絵版リヴァイアサン?! 〜みかけはこわいいがとんだいいひとだ!!〜人は人によって創られる?! 2014年09月28日

 

 

そして、もう一つがRaySalonセラピストであり、バイリンガルのYoginiであるYoshikaからの素晴らしいフィードバックです!!

 

〈引用開始〉

こんにちは。昨日はありがとうございました。

Oil Boot CampからのBodyDesignBootCampの流れは、最高でした。

ヨガ哲学でも宇宙の創生だけではなく、この世界の秩序を保ち、運行する役割を持つものがいること、また、最小単位についても経典に書かれています。世界のカラクリを理解するためには、色々な視点で物事を見ることが必要なんだと気づかせてくれます。(最近読んだDr. Tの本に「物理では脳、情報では心」について書いてあり、短い文章なのにすごいと思っていたところでした)

まだ、科学的にも証明できていないことがこの世の中には大きなレベルから目に見えないミクロの単位までにわたっています。改めて私たちはそれらの認識し、同時にわかっていること、またそこには自然の美しさ(誰がそこに美しい相関をもたらそうと思ったのか)に感謝せずにはいられません。

ついつい、私たちは「自分のカラダ」が自分と錯覚しがちです。でも、誰が夜寝ている間も呼吸をすることをやめないようにしてくれているのでしょうか?何が私たちが食事した後、消化をしてくれているのでしょうか?

昨日は、その世界のからくりで私達を構成してくれている細胞単位について理解を深め、それを味方につけるという流れはとても興味深かったです。

引き続き自分にベストな組み合わせを探っていきたいと思います。

また、ブログでご紹介いただいている本などを再度読み、改めて科学的な解釈の世界のからくりやそれを踏まえて「自分とは」について引き続き考えていきたいと思います。

ちなみに、私のお肌はプルプルになっています!

 

〈引用終了〉

 

最後の一行が素敵ですね!

 

(お肌プルプルのカラクリがピーリングではなく、消毒でもなかったように、土(アダム)もまた湿潤療法です)

 

ヨガは実践あるのみです。理論はとても大事ですが、それをいかに実践の中に落とし込めるかが重要なのは錬金術師的です。上のものは下のものと同じなのです。机上の空論や形而上学が存在しないのが、ヨガ哲学と錬金術です(多分w)。