浮世絵版リヴァイアサン?! 〜みかけはこわいいがとんだいいひとだ!!〜人は人によって創られる?! | 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ

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寺子屋「錯視・サブリミナル」で紹介した錯視画像にこんなだまし絵がありました。

歌川国芳の「みかけハこハゐが とんだいゝ人だ(見掛けは怖いが、とんだ良い人だ)」 です。


*歌川国芳の「みかけハこハゐが とんだいゝ人だ」弘化4年・1847年

普通の浮世絵に見えますが、近づいて見てみると1人の人間ではなく、たくさんの人間が寄り集まっているのが分かります。それにしてもよく出来ています。

錯視やだまし絵という文脈で言えば、人間の視覚はゲシュタルトを完成させると他の情報を落としてしまうということがあります。全体像をつかむと、神が宿るという細部(detail)を落としてしまうのです。

サブリミナルとの兼ね合いで言えば、落とされてしまう細部にメッセージを滑りこませ、特にそこにセックスやヴァイオレンスのようなVitalな情報を潜り込ませます。落とすだけではなく、抑圧も用いるということです(落ちるだけでは、忘却の彼方になってしまうので)。

錯視は意外と古くからあり、そしてそれを活用した芸術は多くあります。
研究自体も100年前から盛んに行われていますが、現代になって非常に盛んになったのにはわけがあります。

すなわちコンピュータの登場です。

たとえば、モザイクアートというものがあります。小さな絵を集めて大きなゲシュタルトを作ります。歌川国芳と同じです。ただその精密度ははるかに高くなります。

1000ピース モザイク モナリザ M81-511/ビバリー

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このモナリザは拡大してみるとわかりますが、小さな小さな絵から構成されています。

Wikipediaの例で言えばこんな感じです。


*小さな写真をたくさん集めて構成されたカモメです。

昔は地道で途方も無い手作業であったものが、その手作業をコンピュータの小人の靴屋さんが夜中のうちにやってくれます。ありがたいことです。

モザイクアートで検索してみればたくさんの作品を見ることができます。

ただもちろんアートはアートです。手作業でしかできないことも多くあります。



全体も細部も楽しめることができる傑作ですね。
作者のサイトにはアイデアスケッチから細かな描写まで盛りだくさんで楽しめます。


ちなみにリヴァイアサンというホッブズの主著の表紙もまたたくさんの人が集まって、ひとりの人間を構成しています。


*ホッブズ「リヴァイアサン」表紙のうちリヴァイアサン部分のみ。

とは言ってもこれはだまし絵のつもりでもモザイクアートでもありません(多分)。

ホッブズは本気で国家を人間が寄り集まった人造人間であるとみなしていました。地上の神である国家は人間の集合体だと(ここらへんは寺子屋「政治学」でやりましたね(^^))。リヴァイアサンはご承知のとおり、聖書に登場する海の怪物です。キリスト教とは無関係に悪魔とも言われることもあります。
ちなみにヨブ記に登場するのはこちらです。

(引用開始)
日をのろう者が、これをのろうように。レビヤタンを奮い起すに巧みな者が、これをのろうように。
(引用終了)(ヨブ記3章8節)

ちなみにここは信仰に生きたヨブが暗い道へ落ちていく印象的なシーンです。

冒頭からして、「この後、ヨブは口を開いて、自分の生れた日をのろった。(ヨブ3:1)」。端的に言えば、「俺なんか生まれなければ良かったのに」ということです。これは比喩的な理解ではなく、具体的にヨブはそう言っています。「わたしの生れた日は滅びうせよ。『男の子が、胎にやどった』と言った夜もそのようになれ。」(ヨブ3:3)

そもそもJobと書かれるヨブ記は仕事に生きて家庭を顧みないお父さんの苦悩を描いたもの賭け友達の神様と悪魔が信仰に篤く、義に生きたとても良いお父ちゃんであったヨブを賭けの対象にしたことにあります。ひどい話です。まあ神様にとって人間なんてそんな扱いなのかもしれませんが。


そのあたりは冒頭に赤裸々に書いてあります。

(引用開始)
主はサタンに言われた、「あなたはわたしのしもべヨブのように全く、かつ正しく、神を恐れ、悪に遠ざかる者の世にないことを気づいたか」。
サタンは主に答えて言った、「ヨブはいたずらに神を恐れましょうか。
あなたは彼とその家およびすべての所有物のまわりにくまなく、まがきを設けられたではありませんか。あなたは彼の勤労を祝福されたので、その家畜は地にふえたのです。
しかし今あなたの手を伸べて、彼のすべての所有物を撃ってごらんなさい。彼は必ずあなたの顔に向かって、あなたをのろうでしょう」。
主はサタンに言われた、「見よ、彼のすべての所有物をあなたの手にまかせる。ただ彼の身に手をつけてはならない」。サタンは主の前から出て行った。(ヨブ記1:8-12)

(引用終了)

「会社の業績が上向いているから、社員は社長にラポールを持っているけど、会社の業績が落ち目になり、給与も減額されたら誰もあなた(社長)のことを慕ったりはしないですよ」とあくどい副社長にささやかれて、頭にきた社長が優秀な社員のヨブくんを左遷して給料減額したという話です。とは言え、実際に手を下したのは副社長の悪魔くんです。汚れ仕事は部下に任せます。神様も同じです。

おかげでヨブくんは財産を失い、子供を失い、奥さんとは喧嘩ばかり、友人も失い、社長を呪います。あ、社長の前に自分のことを呪います。最後の最後に社長と対決します。「どうして、きちんと仕事していた僕が左遷させられるんですか!」と。

それに対して神様(社長)はヨブくん(平社員)に逆切れして終わりです。ひどい話です。

「え?

なに?

だいたい君、創業のときどこにいたの?

新製品開発のときに会議にいる?

常務たちに命令できる?

営業周りを全国でしたことあるの?

謝罪の記者会見開いこともないでしょ。

会社の資金繰りで苦しんだことあるの?

一介の平社員のくせに社長に楯突くなよ(#・∀・)

何も知らないのにガタガタ言うなよ」

と。

ちなみに聖書にはこうあります。

無知の言葉をもって、神の計りごとを暗くするこの者はだれか。
あなたは腰に帯して、男らしくせよ。わたしはあなたに尋ねる、わたしに答えよ。
わたしが地の基をすえた時、どこにいたか。もしあなたが知っているなら言え。
あなたがもし知っているなら、だれがその度量を定めたか。だれが測りなわを地の上に張ったか。
その土台は何の上に置かれたか。その隅の石はだれがすえたか。
かの時には明けの星は相共に歌い、神の子たちはみな喜び呼ばわった。
海の水が流れいで、胎内からわき出たとき、だれが戸をもって、これを閉じこめたか。
あの時、わたしは雲をもって衣とし、黒雲をもってむつきとし、
これがために境を定め、関および戸を設けて、
言った、『ここまで来てもよい、越えてはならぬ、おまえの高波はここにとどまるのだ』と。
あなたは生れた日からこのかた朝に命じ、夜明けにその所を知らせ、
これに地の縁をとらえさせ、悪人をその上から振り落させたことがあるか。
地は印せられた土のように変り、衣のようにいろどられる。
悪人はその光を奪われ、その高くあげた腕は折られる。
あなたは海の源に行ったことがあるか。淵の底を歩いたことがあるか。
」(ヨブ38:2-16)

神様というよりは、家庭に居場所のないパパの叫びみたいにも聞こえます。
「誰が養ってやっているんだ!」って聞こえます(神様、あまりに恥ずかしい。。。)

神様とは思えない罵詈雑言の数々です。

無知の言葉をもって、神の計りごとを暗くするこの者はだれか。

わたしが地の基をすえた時、どこにいたか。もしあなたが知っているなら言え。

あなたは生れた日からこのかた朝に命じ、夜明けにその所を知らせ、
これに地の縁をとらえさせ、悪人をその上から振り落させたことがあるか。


こうやって神様に怒鳴られたらだれでもすくみ上がります。

大体、無知の言葉でもなんでも神の計りごとが暗くなることなんて、ありえないはずでしょう。被害妄想ここに極まれりです。ほかの罵詈雑言は、「おれはあんなこともこんなこともできるんだぞ、うやまえ!」って叫んでいるかわいそうなオヤジでしかありません。


ひどい話です。


ワンマン社長はめちゃくちゃを言って、あげくに平社員ヨブを謝らせて、そのうえでそれに満足したのか、衷心を許したあげちゃって、ヨブくんの左遷を取り消し、昇進させた上に、昇給させます。

ちなみにヨブの友人たちには返す刀でバッサリです。「お前らはダメ」って言っています。でも、お供え物したら良いよって、どこまでも身勝手な人(神様)です。

そして、めでたしめでたし、、、、って全然めでたくありません。


そもそも神様は逆切れせずに正直になるべきです。

神様は「悪魔くんとあたなの信仰をめぐって、賭けをしてしまいました。とんだご迷惑をかけて、ごめんなさい」ってヨブに謝るべきでしょう(^^)



というか脱線しすぎました。

リヴァイアサンですね。

リヴァイアサン...ホッブズ。

ああ、ホッブズのリヴァイアサンもまただまし絵のようなモザイクアートのような人間の視覚システムのバグを利用した錯視芸術ということでした。

歌川国芳の「みかけハこハゐが とんだいゝ人だ(見掛けは怖いが、とんだ良い人だ)」という作品にはこんな風な文字が書かれています。




大ぜいの人が よつて たかつて とふと いゝ人をこしらへた とかく人のことハ 人にしてもらハねバ いゝ人にはならぬ(大勢の人が寄ってたかって、とうとう、いい人をこしらえた。兎角、人の事は人にしてもらわねば、いい人には成らぬ)


これって面白いなと思います。


大勢の人がよってたかって手を入れて、とうとう良い人を創りあげたという意味でしょう。

そしてひとのことは人にしてもらわねば、良い人はできあがらない、と。


もしかしたら誤読かもしれませんが、僕はフレーム問題を思い出しました。

R2-D2問題です。


*セミナー会場でお披露目したのはこのR2-D2。かなりかわいらしいです。

フレーム問題というのは裏返せば複雑性の問題ということです。
無限の計算を有限の時間でできるはずもなく、かわいそうなAIはバッテリー切れをいつも起こします。

大事なことは計算の速度を早くすることでも、超並列でもなく、メモリを巨大にすることでもありません。

階段を一段上がることです。


*どんなに大きな壁に思えても、ただのワンステップですw(多分)


でも階段は階段でも無限階段からは早く逃げ出しましょう!円環の理からも逃げましょうw

*エッシャー「無限階段」です。リアル無限階段の動画はこちら


抽象度の階段を上がると、計算量は思いっきり小さくなります。

ランダムに思えた計算が整合的な計算となるのです。

たとえば解の公式を知らないで闇雲に総当りで2次方程式の零解を解こうとするのと、解の公式を知っていて一瞬で回答を得ることの違いのようなものです。

ランダムな総当りが下の抽象度であり、解の公式を知って導入して計算するのが上の階の抽象度です。計算量が全く異なります。

そしてコンピュータにまかせていても、ほんの数段しか上がれないというのがフレーム問題の結論かと思います。

弱い制限付きのAIなら作れます。Siriちゃんにせよワトソンくんにせよ、ボナンザくんにせよです。
でも、アトムやドラえもんは難しいかもしれません。

計算量が爆発します。太陽に飛び込む前に爆発します。R2-D1も爆発します。

で、じゃあ人間様はどのような計算機なのかという問題があります。

その点について真に驚くべき見解を手にしたのですが、余白がないのでここで筆を置きます。




冗談です。

ただ1つだけポイントになるのは、人間の赤ん坊は赤ん坊です。
その存在が全知なわけでも、完全な脱力状態なわけでも、完全な身体意識なわけもありません。単なるポテンシャルの問題です。

そしてその計算機を育て上げるのは周囲の大人です。

人間が人間を育てます。

人間が人間のIQや抽象度を引き上げ、新しいアルゴリズムを教え込み、巨人の肩に立たせます。

ファーストネームが同じというよしみで弟子を引き上げたアイザック・バローが、ニュートンにユークリッド原論を馬鹿にせずに読むように諭しました。原論へのオマージュがプリンキピアです。

小学校教師でくすぶっているウィトゲンシュタインを再びケンブリッジに引き上げたのは世話焼きの師匠のバートランド・ラッセルでした。

数学の苦手なアインシュタインを手伝ったのは、大学の恩師のミンコフスキーでした。

老獪なアインシュタインは若きハイゼンベルクに決定的なアドバイスをして、それが不確定性原理の発見に結びつきます。

惑星の運動は楕円であると見抜いたケプラーは膨大な観測データをティコ・ブラーエから受け継ぎます。

人間が人間を育てます。


まさに、歌川国芳の言うとおりです。

大勢の人が寄ってたかって、とうとう、いい人をこしらえた。兎角、人の事は人にしてもらわねば、いい人には成らぬ