安倍晴明の肖像画の周りには可愛らしい式神たちが幾人もいます。
安倍晴明の家は鬼たちの通り道である鬼門にあったそうです。
疫病が流行って、追儺を今年は開催しないと国が決めた時に、安倍晴明は1人でもやると言って、実際に行動しました。
僕らは何千年経っても変わらない部分は変わりません。
社会の漂白とホワイト化は表現にまつわるものであって、実際に自分の心と身体をホワイト化したら、きれいな奴隷ができるだけです。
心と身体はホワイト化してはいけません。
表現です。そこには身体表現も言葉遣いももちろん含まれます。
その意味では「心身のホワイト化」と言えないこともないのですが、やはりちょっと違います。
あわててパクるのは悪くないのですが、もう少し冷静になってねって思います。
自分の発言に一貫性が無いからペラペラになるのです。
次々と飛びつくから、節操が無く見えるのです。
「飛びつくのは良いけど、勘違いしすぎだなー」ということばかり散見します。あなたのクライアントはあなたの足元を見て幻滅しているかもしれません。
情報は共有物ですし、どんどんシェアされるのは良いことだと思っています。
ただ、気功技術にせよ、理論にせよ、クリエイターに対するリスペクトが欲しいとは思います。右から左へ流すだけで、あたかも自分が創始者のようなリスペクトを得られるのは嬉しいのかもしれません。労少なくして、お金も尊敬も注目も集まるでしょう。
でも、元ネタがバレた時の幻滅もセットです。あなたを信頼して集まっている人に対して、もっと真摯であるべきではないでしょうか。
と思うのですが、ただ、求めても詮無きことは求めません。
でも、実際にその代価は自分が払うのです。
なぜ自分はこれだけ頭が良く、コンテンツも素晴らしいのに、人が集まらないんだろうと思っている人は、もっと虚心に自分を見つめると良いと思います。
岡田斗司夫さんは汚くて美味しい店があったと言います。
でも今は美味しい店は綺麗になりました。
そして、汚くても美味しい店は確かに消えつつあります(僕も初詣に行ったら、おそらく今年から屋台がゼロだったことに衝撃を受けました)。
綺麗で美味しい店が「普通」になっていくでしょう。
でも、、、綺麗だけどまずい店は当然に淘汰されるのです。
「見た目」社会と言っても、別に見た目だけで判断されるわけではないから、岡田斗司夫さんはホワイト化とか、ホワイト革命とおっしゃっています。
本物であるということが、より一層求められる社会になってくるのです。
嘘つきや頭の悪いパクリしかしない人に、人がついてくるわけもないのです。
と、いつもながらイライラしているのですが、そのイライラをいかにホワイト化するかが、僕の最近の課題です。「バカと言ったら負け」のゲームだと思い、声を荒らげずに、怒鳴りもせずに、椅子も蹴らずに、投げずに、いかにホワイト化するかが課題です。僕も適応していかなければなりません。ホワイト社会への適応です。
一応書いておきますが、「まといのば」のメンバーの中の一部がパクリ集団だということは重々承知です。それが良いこととも思っていませんし、放置しているわけでもありません(ちなみに「僕は(あのブログで批判されているような)パクリですか?」と聞かれたとしても、「No」としか答えませんので、悪しからず。YesでもNoと答えます。自分で考えれば分かることをいちいち聞くなよと思います)。
一方で、本当に愚かだけど、こうやってパクっているうちに本物になるのではないかと、ピカソのような期待を抱いています。
まあ、それはさておき(あ、猛烈に怒っていますが、本人たちの前でニコニコするくらいのホワイト化はしています。それはホワイト化なのか?)、安倍晴明です。
安倍晴明は本当に魅力的な人です。
安倍晴明というとフィクションの中では若い印象がありますが、40代でもまだ学生でした。彼が活躍したのは、もう晩年になり、自分の先生が死んだ後です。
そして、彼の主著の一番最後には衝撃のカミングアウトがされています。
「この陰陽師の教科書はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。」
というのは冗談ですが、それに近いことを書いて、盛大に僕らのはしごを外します。
俺は全然「陰陽道」が分からない。ちょっとでも間違うと、めっちゃ結果が変わってしまうこの占いにおいて、俺は何も知らないに等しいし、この先も頑張るけど、多分全然ワカンナイで終わるわ(人生を)、と書いてあります。
c.f.晴明、楓萊(ふうらい)の枝 疎(うと)くして、、将来においても聖跡を逐(お)いがたし(占事略决) 2017年04月04日
c.f.私、安倍晴明は占事に疎くて、将来においてもマスターできるとは思えない(占事略决:陰陽師の教科書) 2021年02月17日
陰陽師がワカンナイ
式神もワカンナイ
式占もワカンナイ
のです。
*ニュースキャスターなのに、歌のタイトル間違えるなよと思いますね。筑紫さん。
c.f.♫君の言葉は誰にもワカンナイ 君の静かな願いもワカンナイ 望むかたちが決まればつまんない♫ 2022年01月26日
そういうSkinでお茶目で破壊的な安倍晴明だからこそ信じられる気がします(ワカンナイけど)。
というわけで、僕らも彼の衣鉢を継いでいきましょう!!
MiQ2期のフィードバックを頂いています!
非常に味わい深いフィードバックで、せっかくなので臨場感高く繰り返し読んで欲しいと思っています。それも分析的に。
(引用開始)
咒の実践のレクチャーをありがとうございます。
「情報だって同じように生きている。」この時の全身の緩み方はやばかったです。
目が醒めたような、生まれ変わったような感覚になりました。
そして、たまたまそこにいた式神に思わず「なんだ生きてたんだ」とニヤニヤしながら話しかけていました。本当に嬉しかったのだと思います。
式神だって生きている・・・そういうものだという直感はあったものの、そうとは思っておらず、適切に扱えていないことに気付かされました。
漫画の話ですが、ナウシカが巨人にオーマと名前を付けるとオーマが急に知的になるというシーンが好きで、何かとモノや人や現象に名前を付けるのが高校の時からの当たり前の癖になっていたことに気付きました。
どう考えても咒の世界にいたのにちゃんと活かせてなかったなぁとか、それどころか無自覚かつ無邪気に咒を乱発して、誰かを傷つけてしまったことの方が多いかも・・・
と暗い気持ちにもなったのですが、ついに正しく使えるようになったのだというまぶしいほどの明るい気持ちも湧き上がっています。
今朝、空中に浮遊する蟲をつまむ、というワークをしている夢を見ました。
夢の中で、透明の、ちっちゃな蛇のような、大きめのムカデのような蟲をつまむことに成功しました。
現時点では自分の共感覚は、視えるのは透明のぼんやりしたもやもやですが、その代り、触感がものすごく発達しているように思っています。
(気の球、封入の感覚、四獣をなでる感覚、薔薇十字の異空間の感じ、龍脈など・・・の触覚がものすごく強くあります。)
せっかく夢の中でも視覚化の練習をしているのに、夢の中でさえも色を見るのに成功していないのがおかしかったです。
とぼけるつもりではないのですが、自分は思っている以上にMiQの深いところに入り込んでいて、思っている以上に大きな力を手にしているのでは・・・と改めて感じた回となりました。
4-3もあるなんて嬉し過ぎます。ありがとうございます。
(引用終了)
おっしゃるとおり、自分は「思っている以上にMiQの深いところに入り込んでいて、思っている以上に大きな力を手にしているのでは」というのは正しい感覚だと思います。
そして、その大きな力は大きな責任が伴うのです。
c.f.「僕は力を与えられ、そして呪われた。僕が誰かって?僕はスパイダーマンさ」(スパイダーマン) 2022年01月19日
“With great power comes great responsibility.”
(大いなる力には大いなる責任が伴う)
それは呪いだと考えるスパイダーマンの気持ちも分かります。
彼も望んだのではなく、たまたま遺伝子組み換えされた蜘蛛に刺されただけなのです。それもランダムに。
どう考えても咒の世界にいたのにちゃんと活かせてなかったなぁとか、それどころか無自覚かつ無邪気に咒を乱発して、誰かを傷つけてしまったことの方が多いかも・・・
というのが良いですね。
意図せず傷つけてしまうことはあるでしょう。
でも、それは仕方ないです。反省は不要なので、これから先、咒の力をコントロールしていけば良いと思います。「大いなる力には大いなる責任が伴う」とつぶやきながら。
*明日開催です!!
【まといのば講座『漂白された未来に備えよ〜不可避なホワイト革命に備えるための解毒法』】
【日時】 1月29日(土)17:00~20:00
【場所】 四ツ谷のセミナールーム(丸ノ内線四谷三丁目駅、都営新宿線曙橋駅が最寄り)
【受講料】 30,000円(PayPal決済可能です。請求先アドレスを記載してください)
【受講資格】 「まといのば」スクール修了生、OnLine MenTor受講生・修了生
【持ち物】 情熱とゴールと筆記用具
【お申し込み】お申し込みはこちらから!!
*ライブ(Zoom)受講も、ヴァーチャル(ビデオ)受講も可能です!!
c.f.【募集開始】六条御息所ではなく、優雅な野獣を目指そう。〜漂白された社会で生き残るための解毒法〜 2022年01月22日
バレエをやめれば楽になれると思った。
だが違った。
苦しみから解放されるには踊るしかない(セルゲイ・ポルーニン)