今日のセッションでクライアントさんから、
「自分の『現在地』が知りたい」と言われました。
現在地を知ることで、いま何をするべきかが分かるから、メンターから見た自分の現在地が知りたいというご質問でした。
現状(StausQuo)を「現在地」と呼ぶのはルータイスの影響でしょうし、それはそれで悪くないのですが、、、、。理論が間違ってしまっていては身も蓋もありません。
「自分の『現在地』が知りたい」
「自分の『現在地』を教えてくれないか」
という質問が現在の「現在地ブーム」の中でセッションでも増えてくることが予想されます。
このクライアントさんは極めて頭が良い人で、理論の理解も実践もしっかりやってきた人です。
そうであっても、「現在地の呪い」が広がるのだな〜と興味深く観察しました。
誰が何を言っているにせよ、我々が着目すべきはDr.Tであり、ルータイスです。
間違った理解を広めている人からは離れないと、深く汚染されるのです。
彼らの考え方、いや、その説を広めている人は中途半端に正しいことを言っているので、厄介なのです。というか、現在地を知ることで才能には繋がりません。
そもそも「期待を下げよ」「自分に対して高く評価しすぎなんです」という「まといのば」のいつもの議論と混同しているのでしょう。
セッションでも、似たようなことを言われました。
抽象度を階段のようなものだとして、6段目や7段目に自分がいると誤解している人に対して、君は2段目だよと教えるのは「エフィカシーを下げているのではなく、むしろゴールの達成確率を上げているので、エフィカシーを上げているのだ」と。
この話と現在地の話が混同しているのです。
ということで、結論から言います。
ルータイスの使っている意味で「現在地」という言葉を使い、
「自分の『現在地』が知りたい」
「自分の『現在地』を教えてくれないか」
という人に対する回答はシンプルです。
現在地など無いのです。
現在地は無いのです。
無いものを観ようとするから、闇に落ちるのです。
「いや、ルータイスが言っていました」って、言うかもしれません。
じゃあ、聞きますが、ルータイスが本当に言っていましたか?ルータイスが言っていたと主張する人の話を聞いただけでは?
我々はアファメーションという書籍を議論の土台としているので(誤訳も多いのですがw、とりあえず)、そこから引用してみましょう。
(引用開始)
高パフォーマンスの人はホワイトヘッド的な世界に生きています。彼らにとっては、現状は一時的なものでしかありません。「人生はこういうもの」と言う代わりに、彼らは毎日、新しい現実を築いていきます。
(引用終了)
*ブログタイトルはこのルータイスの言葉を少し短くしました。
「現在の現実は固定されていない」ともルータイスは言います。
それなのに、なぜ「現在地」を見つめるのでしょう。
シンプルな話です。
ゴールを見つめた結果としての、影のようなものが現状であり、現在地です。
重要なのはゴールなのです。
そして強いて言えば、ゴールの数だけ現状が存在します。
Dr.Tがクリプキはボロボロに間違っていると言ったのはこの点にあります。
クリプキは可能世界は無数にあると考えましたが、現状という可能世界は一つだと考えました。
これがクリプキの限界であり、西洋哲学の限界であったとDr.Tは考えています。
正確には現状(SQ)はゴールの数だけあります。
だから「一時的」とルータイスは言います。カチャカチャとゴールが切り替わり、カチャカチャ更新されている中で、現状はどんどん変わるのです。
ですから、今の現状がもし気に入らないと考えるなら、ゴールを更新すれば良いのです。臨場感を高めれば良いのです。
間違った理論の解釈は間違った方向へ突き進めさせます。
決して難しい理論ではありません。シンプルに虚心にルータイスのアファメーションなり、苫米地本を読みましょう。
自分の頭で考えましょう。
誰かが言っていたではなく、とことん自分のロジックを極めていくことです。