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mathichenの徒然なるままに

mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】
https://mathichen.hatenablog.com/
ココに常駐中

根は至って真面目なmathichenさん
思いっ切りワロタ風に見えたとて、目は決して笑わない(稲川淳二か~)
いつも冷静沈着に戯事(言)やダジャレを考え、アメブロ別荘他の更新を極力マジメに営んでるでやんす




10年以上前、一度だけ聴いての記憶。従って、細部忘れた、記憶違いあるかもを前置きしといて…
北野誠の朝日放送打ち切りラジオに、北関東?在住リスナーからの投書
内容は、自分は濃い~サイキッカー魂持つが、嫁と娘がまるで話にならんとの嘆き節
浪花のモーツァルトがヅラをネタに笑わせようとしても、「何それ?気持ち悪い~」
お笑い芸人志願である娘のネタがあまりに面白くない、指導しようとしても自己陶酔というか聞く耳持たない
どーしたらイイのでしょう?




元々お笑いセンス持たん嫁、そしてブスならぬ無粋な母親に育てられた娘やないけ
でないとすりゃ、所変われば品変わる、笑いのツボが東と西では違う点やろ
東が西を、西が東を、研究して身につける。可能ではあるものの、一朝一夕には無理な相談や
娘にどないしても濃い~サイキッカー魂や芸人魂を叩き込みたいんやったら
一人前なるまでは実家の敷居またがせんを厳命し、上方留学させる、どお?
本場の空気吸う、ミナミの肉吸い、身体で吸収するのは大事やで
使いもんならん無能と笑われ、故郷へ帰るに帰れず、そのまんま大阪の地に骨埋める覚悟でや
高架下での寝泊まりしながら、豹柄姿の大酒トラ子さんとして飲み屋通い
その辺の落ちぶれ具合から案外、人生の機微織り込んだ名漫談家が生まれるかも知れへんでぇ?




さよう、本場へ足を運び、ご当地グルメ食らい、師匠からは罵倒食らう、芸人修業の必須条件
芸能界における上下関係というかヒエラルキーというか厳しさ学ぶには
養成所での学習より、師匠の家の便所掃除する内弟子が、チンピラでなく序列守る親分さん同様、有効よ
汚れ仕事して、世の冷たさを知れば、誉め殺しならぬ笑い殺しの意味も知り、尾羽打ち枯らす防止出来る
笑い殺しとは?「しょおもない芸人には罵倒でなく称賛が、自惚れを引き出して自滅させられる」




ここから先は、作家の小林信彦がネタざます




小林氏は1963年秋、ちょうど半世紀前、約1週間、大阪に滞在した
勤労感謝の日、11月23日の午後1時からNHKテレビで放送される特集番組、‘漫才繁昌記’
漫才の誕生から現在までの歴史をヴァラエティ風に綴ったもの
これの作者として、漫才の本場である大阪に取材の足を運んだわけだが
小林氏は、漫才というものが、それまで考えていたものと全く違うことに気づかされた…




生い立ち

東京市日本橋区米沢町2-5(のちの東京市日本橋区両国18-5、現在の東京都中央区東日本橋2-18-5)に生まれる。江戸時代から9代続いた老舗和菓子屋「立花屋」の長男であった。

代々婿養子が跡を継ぐ家風であったが、やり手であった祖父は自分の息子に跡を継がせようと考えていた。だが、その「長男」(小林の父)は自動車の運転・修理が趣味であるようなモダンな趣味人であり、商人としては無能で後に小林の一家が没落する原因となった。小林はこの父親に歌舞伎や寄席などに連れていかれ、「芸人のうまい下手を、くどくどと説明するのは野暮」と教わった。

両国は商人町であり、小林は「このような町が本来の江戸以来の下町である」と作家となった後に繰り返し主張、浅草や柴又を「下町」と呼ぶ安易な「下町ブーム」に嫌悪を感じ、自分の生地について何度もエッセイや小説に描写している。

落語に淫して育つ。下町の商人家庭には、小林の世代のインテリ少年の大半が愛読した『少年倶楽部』などはなく、読書も落語速記本が主であった。

母方の祖父は山形県村山市出身で、沖電気の創業時のメンバー、沖牙太郎の右腕といわれた高宮信三。同社を退社後独立して、港区青山に高宮歯科工業という会社を設立した。信彦は子供の頃から山の手の祖父宅へ遊びに行って、この母方の祖父から自身の精神成長に大きな影響を受けたという。信彦の信は信三の信から付けられている。

慶應義塾幼稚舎を受験したが失敗し、日本橋区立千代田小学校(のち国民学校と改称)に入学。小学1年生の時の志望職業は第1が「上野動物園園長」、第2が落語家だった。幼少時から浅草で映画や軽演劇、ショウを見る。なかでも古川ロッパの喜劇に熱狂し、自宅でロッパの声真似をしていた。また、人形町では末広亭で落語を聞き、明治座で新派や新国劇を見ていた。学校の「お話の時間」に、同級生の前で落語を演じる。...

( Wikipedia:『小林信彦』より引用 )




…江戸っ子じゃん(おい進学や就職のため東京住み着いた辺境出身、オマエらの及ばぬ真物じゃッ)
東京漫才に親しんだろうし、上方漫才もそれなりに楽しむ機会あったろうけど
落語の本場である東京育ちじゃ、漫才の概念が西と全く違っていたって当然だね




ところで、‘漫才繁昌記’放送前、1963年11月12日には
数組の漫才を出して‘漫才変遷史’というのが、サンケイ・ホールにて催された
ここまでは、日本の大衆芸能を真面目に考える人々にとって好ましい試みが続くというだけの話




が、この後が、いけなかった
半世紀前の話で、小林氏のコラムに詳細が書かれてあるし、時効成立というかハッキリ書くと
『驕れる“司会者”トップ・ライト』(コラム題名。‘地獄の映画館’に収録)
「この企画は5年前にNHKへ持ち込んでいたが取り上げられず
今度我々がやるとなったら、同じ企画をぶつけて来た」(デイリー・スポーツ)
「私のアイデアをNHKが盗用した」(サンデー毎日)
‘漫才変遷史’の主催者である、東京漫才の大御所が、騒ぎ出したの
主張通りだとすれば、NHK側作者である小林氏は、アイデア盗用、ドロボー猫の片棒を担いだことになる…




小林コラムによれば
・NHKには、トップ・ライトからそうした話(アイデア持ち込み)を聞いた者は一人もいない
トップ・ライトには、アイデアを、一体いつ、誰に話したのか、それを明らかにする責任がある
さもないと、名誉棄損で訴えられても仕方がない
・NHKの制作決定は9月で、小林氏が依頼を受けたのは10月5日
NHK及び小林氏がトップ・ライトの‘漫才変遷史’を知ったのは10月半ばスポーツ新聞の記事で見た




このスッタモンダがどういう決着ついたか、資料ないため、当記事で黒白ハッキリつける気はない
ただ同コラムに、トップ・ライトがスポーツ紙に語った「ゼニコを積まれてもNHKへは出ない」
小林氏と同じく、「一体、誰がトップ・ライトなどに大金を積むだろうか?」を書きたいの
アナタ方など、少なくとも漫才師としては、お呼びじゃないんですけどってね




‘漫才繁昌記’出演者の選定は、NHKでなく小林氏が行い
ダイ・ラケいとし・こいし以外の大物は全部出るが、トップ・ライトは、最初からメンバーに入っておらず
また、ダイ・ラケ、いとし・こいしが出演しないのには、大人の事情があった
前者は、朝日放送専属のため。後者は、同じ日にNHkでのレギュラーがあるため
トップ・ライトが選ばれなかった理由は、「漫才師として、落第したため」




先述の通り、小林氏は漫才なる芸能について、約1週間大阪に滞在し、足で調べ回った結果
多分「オレ、何見てたんだろう…」てな感じでしょ、自分の考えるより、もっと厳しい世界だと知り
漫才への認識がガラリ変わっちゃったのね
・大阪では皆、トップ・ライトを「あれは司会者や」という
・強いて分類すればボヤキ漫才の下手な、芸になっていないものと捉えられる
・かつて大阪の劇場に出たら、目の肥えた客の舌に合わず敗退した事実が裏付けている
・東京が落語の本場である如く、大阪は漫才の本場であり、そこで落第したものは漫才の名に価しない




それはともかく『漫才史』というものが、ワタクシどもだけしか考えられぬアイデアだという思い上がり
どこから出たものだろうか。タレントの風上にも置けぬ傲慢さだ
という主張なのね、小林コラムは




同感ですな
1966年生まれのアタクシよりトップ・ライトに馴染みある1955年生まれのオッサンも
小林氏と同じような感想述べたことあるわ
皆様、YouTube検索して、ご覧になってよ
全くダメとは言わんけど、根は至って真面目だが面白けりゃ笑えるmathichenさんですら、全く笑えんぞ
所変われば品変わる、笑いのツボが東と西では違う点、それ以前の水準よ
こんだけ笑えんのって…




2012-01-03-Tue【異文化の融和が新たなる文化と歴史を紡ぐ】

1月3日といえば、NHKが東西寄席
東京の落語や漫才が多く観られる数少ない機会
問題は、東側司会進行の爆笑問題
ネタをよく練ってる努力は買いますがね
次の展開読める、台本通りの冷めた感じ
全国区の皆様、あれのドコが面白いの?
一度もクスリとも笑うた試しあらへんわ~




ジックリ育てる何十年物の定番ネタの有無
これが不発爆笑問題の弱点かしらん
何十年物の定番ネタとは?




僕は幽霊2-1
僕は幽霊2-2
大阪の偉大なる中田ダイマル・ラケット師匠
私は晩年の芸しか知りませんけど
桂べかこ(南光)が一昔前くらいにラジオで
「ウチの高校生の息子がヴィデオ観ながら
『お父さん、漫才はやっぱダイラケやで~』」
というくらい、普遍的な面白さを醸し出しています




漫才コンビについて調べていたら
『異文化コミュニケーション』の妙に気づきました
具体的に言えば、『関東&関西コンビが面白い』




春日三球・照代
夫は東京都荒川区出身、妻は大阪市出身
ボケ夫にツッコミ妻
標準語は、小気味良い代わり、立て板に水になりやすい
この弱点を補ったのが、照代さん
発音=歌うイタリア語的関西弁ネイティヴであり
標準語でも関西人特有の節回しで、夫を盛り上げる




島田洋之介・今喜多代
夫は兵庫県出身、妻は茨城県水戸出身の東京浅草育ち
大柄おっとり関西夫に小柄で小気味良い関東妻
夫は文句タレつつも包容力持ってオテンバ妻を愛おしむ




それぞれの特徴捨てず共存する、東西融和といいますか




2012-05-04-Fri【芸のためなら女房も泣かす?飯作ってもらえんで】

東京と大阪出身コンビといえば、獅子てんや・瀬戸わんや
交通手段は、何を使ったの?
何が理由で、出かけたの?
その食い違いからモメる、‘ なんで行ったの?’
言葉の妙ネタが面白かった
前職が警察官と役人という異端であり
下卑た話題で笑い取るを避けたに繋がったのでしょう
(聞いとけ、しょうもないポッと出芸人もどきども)




1月3日記事より
今日気分転換にお笑いYouTube検索したら
獅子てんや・瀬戸わんや「何んで行ったの」




鳳啓助京唄子
慰謝料どーたら、「するコトだけはよーしやがってッ」
女性上位のしゃべくり漫才で
唄子が啓助に「このエロガッパ!」
啓助が唄子に「わー大きな口に吸い込まれるぅ」
実際に元夫婦だから、かなりキワドイ話なのに
下ネタに陥らずで止められるのは
ネタは全て啓助が作り
唄子は啓助の演出に従っていた
別れても夫唱婦随という、高い品性の賜物




宮川左近ショウ
ちょいと情けない顔立ち、でもオシャレで色ッぽい
左近師匠は、小中学生から見てもエエ男やった
スナック≪三味≫主人の暁照夫師匠
三味線早弾き、あれは天才以上の天才芸




「圧倒的な技量と、気迫に満ちた舞台。有無を言わせぬ実力
本物の『芸人』とは彼らのことを言うのでしょう」
「こういう玄人受けする芸はもうこれからは出ないですね」
動画コメント( * 該当YouTubeは既に削除された)に同感の至り
長年小屋で叩き上げた賜物にしたって
舞台裏にはいろんな修羅場あり、それも闘わんとアカン
小綺麗な養成所上がりには真似でけへんっちゅうねん




藤山寛美
「芸が出来んようになっても、お前ら心配いらん
お父ちゃん働くで
どんなキツイ肉体労働してもな
お前らシッカリ食べさせたる」
嫁の連れ子2人、直美ちゃん他実子3人
5人姉妹に言い切った
大借金抱えようが男前な神さんやないかいな
これも、無理やわ
ファ○リーズ育ちで出来婚公表しくさるような
ブログ書いてる暇あるなら芸磨けタイプには




…長ーくなり、一部いじったけど、FC2別館記事抜粋どすえ
全部の漫才コンビYouTube貼るのメンドクサイ、観たけりゃ各自で検索しとくれ
ただし例外として、文字リンク1個ペタリ
藤山寛美「船場の子守唄」




mathichenさんによる日本お笑い芸能繁昌記、どおや?
ウチはな、自意識過剰な関西原理主義者やない
東京の落語好きやし、漫才もオモロイのは評価するで
心の広いウチに笑わせもせん、何も感銘与えん、そーいう連中は落第やっちゅうねん、それを言いたいんや




【異文化の融和が新たなる文化と歴史を紡ぐ】には




3代目古今亭志ん朝は江戸の粋ですけど
関西でも人気あった理由として、鷹揚さですかね
関西での講演会が週末に多かった理由として
『月曜日朝に、南光司会の‘痛快!エブリデイ’出演』
男がしゃべりで何が悪いコーナーが楽しかったのですと
変に格好つけない所が、関西人に好感持たれたようで




江戸の粋である志ん朝師匠かて、師匠なりに上方芸能好きで評価してはったんとちゃうの
江戸落語の中に、上方落語のエスプリを混ぜ混ぜしてたかもね




芸人としての器の大きさが、他文化地域にも評価され、後世へと語り継がれるんやないかいな
東京の場合、たかが地域限定、しかしながら全国放送の恩恵受ける、いまどきのTV芸人聞いとけッ
言われて悔しけりゃ
mathichenさんのブログ全部(アメブロ・Yahoo!・FC2・ウェブリ全部、読める記事全部)読め
完璧ではないが東西バイリンギャル(という年齢でないのは見逃せ)を凌駕してみろぉ


昨日、マジ暇だったので、ウェブリ休憩所に籠って連続更新した
ここアメブロ別荘を別ブラウザに開きながらね
【Who knows ? God knows.~運命と自己疎外の戯れ~】
【禁断の果実を手にすれば、生きる厳しさ、そして死の宿命】
7月27日の連続更新を、ウェブリへ持って行って抜粋する必要あったからよ
【天使も許さぬ絆であるが故に】
【人の世の悪魔を生む親は、人間自身】
読みたけりゃ、向こうの玄関口からどーぞ
http://mathichen.at.webry.info/
なお、いま現在、IE8・Firefox・Google Chromeを同時に開き、当記事は火狐使用じゃ




ウェブリブログには、Yahoo!ブログのナイス!、FC2ブログの拍手に相当する、気持玉が用意されとるわな
mathichenさんはHotmailにBIGLOLBEからの通知届くようにしてあり
今日Hotmail見たら、「気持玉が、昨日の記事についたよ~ん」と2通届いていた
有難い限りと、放置しとこか思った1本目記事修正を施しといたぜ~




フェリペ2世が、スペイン・ハプスブルク家の明暗分けたと思う
正確に書けば、「エリザベートに男子生まれなかったのが分岐点」
恐ろしか血まみれメアリー姉さん女房を勘定に入れなければ
エリザベートだけが、夫と血縁関係持たない王妃だ
(メアリー姉さんも、血縁あるにはあった
彼女の母キャサリン・オブ・アラゴン=彼の大叔母
けどさ、メアリーを王妃の勘定に入れなくていいでしょ
彼女は彼にベタ惚れ、一方、彼は怖がってた
彼女の凶暴さに恐れをなし、彼が英国逃げ出した気持ちわかるぞ
子供生まれず、いろんな意味で助かったね~)

男子のみ王位継承の下では、痛恨の極みね




下線引いた部分を追記したの
でないと、上の行
「恐ろしか血まみれメアリー姉さん女房を勘定に入れなければ」
フェリペとメアリー姉さんの間に血縁関係ないように取られるかもしれないじゃん
勘定に入れないのは、スペイン王妃にだよ(結婚している間は、王太子妃だったっけ?)
勘定に入れたら、フェリペがカワイソ過ぎる~




ま、欧州の王侯貴族の血縁関係を完全理解しているニッポン人、そんなにいないと思う
スペイン・ハプスブルク家に限っても…




ハプスブルク家における近親婚

スペイン・ハプスブルク家およびオーストリア・ハプスブルク家では、一族内での近親婚が繰り返された。また、フェリペ2世以降は3親等間での結婚(叔姪婚)が増える。それには以下の要因があった。

・厳格なカトリック政策で、プロテスタントの王侯との結婚ができない。
・ヨーロッパ屈指の名門であり、家格の低い諸侯との結婚ができない。
結果、縁組できるのはフランス王家、ポルトガル王家、ボヘミア=ハンガリー王家、ポーランド=リトアニア王家、オーストリアの同族のいずれかに絞られることになった。しかし、フランスとは三十年戦争(1618年 - 1648年)以来敵対関係になり、ポルトガル王家はフェリペ2世以後スペイン王家と同一に、ボヘミア=ハンガリー王家はフェルディナント1世以後オーストリアの皇帝家と同一になり、ポーランド=リトアニアではヴァーサ家の断絶後は王位の世襲が絶えて特定の「王家」が存在しなくなった。そのため、オーストリア・ハプスブルク家との間での結婚、つまりフェリペ1世の息子カルロスとフェルディナントの子孫の間で近親婚が繰り返された(しかもカルロス1世の代ですでにいとこ婚を行っている)。その結果フェリペ4世の子のカルロス2世は遺伝子系の疾患を持って生まれて早世、後継ぎもなく断絶したと言われる。

スペイン・ハプスブルク家の近親婚の程度を示す近交係数をコンピュータで計算してみたところ、初代フェリペ1世のときには0.025だった数値が、末代のカルロス2世では0.25にまで上昇していた。その間に行われた11組の結婚のうち、9組が叔姪婚であった。また、0.2以上の近交係数の王族も複数いたことが判明している。スペイン・ハプスブルク家内の乳児死亡率は、当時の農村部の乳児死亡率より高かった。

( Wikipedia:『スペイン・ハプスブルク朝』より引用 )

結婚生活とフェリペ2世の家族

フェリペ2世は王太子時代の1543年、ポルトガル王女マリア・マヌエラ(1527年10月15日 - 1545年7月12日)と結婚した。2人は同い年であった。マリア・マヌエラの父はイザベルの兄ジョアン3世、母はカール5世の妹カタリナであり、父方でも母方でもフェリペの従姉妹に当たる。1545年に長男ドン・カルロスをもうけるが、同年に彼女は死去した。

1554年、イングランド王国の女王メアリー1世(1516年2月18日 - 1558年11月17日)と結婚した。メアリー1世は父カール5世と母イザベルの共通の従妹に当たる。スペイン王家からすればフランスのブルボン家との対抗上、メアリー1世からすれば国内での親カトリック政策の後ろ盾として、互いを求めた政略結婚であったが、11歳年上のメアリー1世とは性格が合わず、1556年にフェリペは即位のためスペインに帰国、1年半後に3ヶ月ほどロンドンを再訪したのみで別居状態となった。既に高齢出産の年齢に達していたメアリー1世は婦人科系の病に冒されていた模様で、子をもうけないまま1558年に死去した。

1559年、フランス王アンリ2世の長女エリザベート・ド・ヴァロワ(1545年4月2日 - 1568年10月3日)と結婚した。エリザベートの母はカトリーヌ・ド・メディシスであった。この結婚はスペイン・フランス両国で結ばれたカトー・カンブレジ条約によるものであり、エリザベートはもともとフェリペ2世の一人息子ドン・カルロスの婚約者であった。エリザベートは、イサベル・クララ・エウヘニアとカタリーナ・ミカエラの2女をもうけたが、彼女も1568年に死去した。なお、その数ヶ月前にドン・カルロスも死去している。

オラニエ公ウィレム1世などから、フェリペ2世が妻エリザベートと息子ドン・カルロスを毒殺したとして非難されているが、その真偽は不明である。

1568年、オーストリア・ハプスブルク家のアナ・デ・アウストリア(1549年11月1日 - 1580年10月26日)と結婚した。アンナの父、神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世はフェリペ2世と同年生まれの従弟であり、母マリアはフェリペ2世の妹であるという関係から、2人は伯父と姪の結婚となるため、ローマ教皇ピウス5世が当初反対した経緯がある。彼女とは4人の息子と1女(マリア)をもうけたが、フェリペ以外のいずれの子供も夭折した。

残された子供はイサベル、カタリーナ、フェリペ(後のフェリペ3世)だけであり、家庭的には恵まれない人物であった。

・マリア・マヌエラとの子供
  ドン・カルロス(1545年 - 1568年)
・エリザベート・ド・ヴァロワとの子供
  イサベル・クララ・エウヘニア(1566年 - 1633年) - オーストリア大公アルブレヒト妃
  カタリーナ・ミカエラ(1567年 - 1597年) - サヴォイア公カルロ・エマヌエーレ1世妃
・アナ・デ・アウストリアとの子供
  フェルナンド(1571年 - 1578年)
  カルロス・ロレンソ(1573年 - 1575年)
  ディエゴ・フェリックス(1575年 - 1582年)
  フェリペ3世(1578年 - 1621年) - スペイン・ナポリ・シチリア・ポルトガル王
  マリア(1580年 - 1583年)

( Wikipedia:『フェリペ2世 (スペイン王)』より引用 )




…独逸人ですら、何回読もうが、混乱するわッ
あれ?誰だっけ?
フェリペ2世の系図を見た日にゃ、精神錯乱起こす直前にまで追い詰められる請け合いね




どうにか正気を取り戻して




惜しいことしたが気がする
カトリーヌの推すヴァロワ家の娘、エリザベートの妹って
当時15歳の若さにあった、マルグリット・ド・ヴァロワだもん




激化するカトリックとユグノーの宗教対立を解消するため
ユグノーの指導者であるナバラ女王ジャンヌ・ダルブレの息子アンリ
彼との政略結婚させられるも、子供はなく
彼女の死で、ヴァロワ家の血統は庶流を除いて完全に絶えたが
さて、不妊であったのか、単に子宝運がなかったのか?
マルグリットといえば、‘王妃マルゴ’(1994年)
主演のイザベル・アジャーニよか野郎どもの方が綺麗だぜじゃなくて
派手な男性遍歴で有名であり
兄弟たちと近親相姦の関係にあったという噂もある
そんだけ精力的ならさ
男(女)替えれば案外アッサリ妊娠、よく見られるし
スペイン・ハプスブルク家の繁栄に貢献したんでないかい




ネーデルラント総督ドン・フアン・デ・アウストリアを魅了し
ドン・フアンは「アレは、男を救うというよりは、破滅させる類の美しさだ」
…スペイン中の男前漁りして、男前と国を破滅させたかしらん




宮廷の華として誰もが憧れる絶世の美女への邪推の一方
「王さんよ、アンタも男なら、マルゴちゃんが頑丈であるに賭けてみたら良かったんでないかい
実家に返品するのは、スペイン中の男前漁りして、男前と国を破滅させる恐怖味わってからでも遅くない
親父のヘンリー8世顔のメアリー姉さんを思い起こせば、何だって堪えられるでしょーが」




メアリー姉さんばっかイヂメる気もないけどね




父親のヘンリー8世、つまりオトコの場合
エリザベスの母親アン・ブーリン含め、嫁を何人処刑した?
母親が頑張って何人産もうとも、男系と女系の家系に分かれる多いのは
母親の腹が男腹や女腹に分かれるからでなく
父親のオタマジャクシが、子供の性別決めるからじゃん
16世紀にそんなこと知られちゃいないものの
(21世紀の現代でさえ、跡取り男子どうのと五月蠅いニッポン人見よ)
英国はサリカ法典の適用外なのに、男子誕生に執念燃やし
嫁殺すわ、娘も冷遇するわ、ヒトデナシ親父も甚だしい
6人目かつ最後の王妃キャサリン・パーが女神様に見えるぞ
メアリーとエリザベスを庶子の身分から高貴な王女に戻すよう夫に嘆願し
狂信的なカトリック教徒メアリーですら、プロテスタントの継母を深く慕った
継娘を想うなんて、現代ニッポン後妻族とは月とスッポン、泣けてくるわ
泣けてくるわといえば
キャサリンの妊娠中に王女エリザベスの寝室に出入りしていた再婚亭主
キャサリンも男見る目持たなかったわね~

( 2013年6月20日ウェブリ休憩所【純白は罪の色というが…潔白をも黒く染める】より )





メアリー姉さんの成育環境見ると、フェリペ男前だね
フェリペとて、役立たずだったらしい長男ドン・カルロス見限り、有能な男子誕生を待ち望んでいたが
すぐ懐妊しないエリザベートを解任せず、娘たちも冷遇せず、ヘンリー8世とはエライ違いだ




血まみれメアリー姉さんはともかく、その異母妹エリザベスが発展させた大英帝国
女性君主による国家繁栄。歴史は皮肉な形で、ヘンリー8世にお仕置きしたのかしらん
それとも、男の身勝手に振り回された女たちの怨念が、エリザベスを玉座に上らせたのやら




女たちの怨念が報われたのであれば、何よりな話
玉座に上るのでなく、処刑台に登るを思えばね
【純白は罪の色というが…潔白をも黒く染める】、このウェブリ記事の主人公を見ろよ…




mathichenの徒然なるままに-Eliza Fenning




19世紀、1815年のロンドン
エリザベス・フェニング(以降、エリザ)は23歳の若く魅力的な召使い
ある夜、エリザの用意した料理を、主人一家が食べた直後
一家は激しい症状を起こし、その結果、料理したエリザが訴追された




激しい症状を起こした食べ物というのは、ダンプリング
黒くて重く、どうやら火の通りが充分ではなかったよう
ダンプリングは焼き方が不充分だとイースト菌がしばしば残っている
しかも料理したエリザ自身、主人一家と同じ物を食べている




料理したエリザ自身が中毒に陥ったかもしれなった
だが検察側は、召使いが主人一家に毒を盛ったと主張した
ネズミ退治用にどこの台所にも備えてあるヒ素を盛った根拠は
問題の日にエリザが、主人の妻であるターナー夫人に
いつもより熱心に自分に料理させてくれと頼んだという
状況証拠のみの、被害者による実に頼りない証言だけ
弁護側も、検察と同じく、ヒ素の毒による証明なされないままでのお粗末さ
エリザにとって不幸だったのは、自分の裁判なんて誰も価値持たないということ
エリザ裁判の後に、ある凶悪事件の大物裁判が控えており
関係者は皆そちらに気を取られ
一介の召使いなど大した存在ではなかったのである




死人は一人も出なかったものの
この時代には、司法制度の未熟か、殺人を試みただけで死罪に値した
エリザには、寝耳に水
だが一方的に被告として呼びつけられ、その場で有罪を宣告された
彼女はショックのあまり被告席で身悶えし、物凄い悲鳴を上げたという
「私は、この訴えに対して全くの無罪です。本当にそうなんです
私は、ターナー館が好きです。とても快適に過ごさせて頂いてました」




当時の大多数の人々は、エリザの無実を確信した
しかし人々の頭は、ウォータルーの戦いとフランスとの戦争で一杯
エリザを絞首刑から救うまでには至らなかった
それでも人々は、処刑の日、絞首台に立つエリザを見て、同情した
白いモスリンのドレスを纏い
腰にサテンの大きなリボンを結び
大きなライラックの飾りのついた靴を履き
それらの優雅な姿こそ
エリザの無実と、幸福を踏みにじられた苦しみを表現していたからである
エリザは本来ならば、処刑前日の夜、結婚する予定だった
つまり、エリザは花嫁衣装で処刑台に登ったことになる…
最期の言葉も、「私は無実です」
白いドレスには、潔白を訴える意味も込められていたのか?




エリザ事件には状況証拠だけで決定的な証拠は何もなく
現代ならまず法廷に持ち込まれることはないだろう
いや1815年当時でも、もう少し冷静かつ詳細に捜査されていたら
エリザの無罪放免は困難ではなかったと思う
エリザは何故、検察側から毒を盛ったとされたのか?
検察側の主張として
「エリザは事件の少し前のある日
半裸で同じ屋敷内の二人の徒弟のいる部屋に入ろうとする所を
主人に見つかってしまった
館の主であるターナー夫妻は、『罰当たりな振る舞い』と見なし
召使いを厳しく注意した
この日以来、被告人は被害者である主人夫婦に強い不満を抱き
復讐を決意した」




いつもより熱心に自分に料理させてくれというのは多分
主人一家に自分の腕振るって美味しい物食べさせたいとか
逆に、場数踏んで料理の腕上げたいとか
悪意はなかったと思うけど
婚約している身で他の男に夜這いかけようとしたのか
徒弟の一人が婚約者でコッソリ逢い引きなのか
経緯はどうあれ、雇われの身を考えれば、ちょいと軽率ではあったね
時を置かずして、主人一家の凶事に関わるとなれば、後悔先立たず




法廷に持ち込まれる冤罪までは行かずとも
黒歴史が暴露され、人々の心証を悪くする事態に巻き込まれる恐れは
洋の東西、老若男女問わず、いくらでも見聞き出来る
「過去のことじゃん」「人生何度でもやり直せるわ」と浮かれポンチだと
人生狂わされる痛い目に遭うかも、どちら様もお忘れなく
特に女性は、この世は基本、男性原理で、二重基準と合わせてね




しかしながら、花嫁衣装で処刑台に登ったエリザ、成り行きを見れば、あまりにも哀れだ




女はあまり軽はずみな真似しないのが身のため
手に入れていたはずの幸福がスルリと逃げてしまう
軽率なのに口に封して賢いつもりの女性への警告として、ウェブリ記事書いたのよ




当記事題名は、後世におけるエリザの存在意義を考えたもの
昨日のウェブリ記事ヒネったものだけど、当たってない?


リヴァプールvs.マンチェスター・ユナイテッド
前半3分台でのスタリッジ得点だけで心配、でも勝った☆
アーセナルvs.トッテナム
ウォルコット→ジルーの先制点のみ、でもスパーズ猛攻をしのげて、ヴェンゲルさん良かったね♪
バレンシアvs.バルサ
メッシが前半だけでハットトリック、でも直後にポスティガ連続得点じゃ、精神衛生にいくないわ~




久保アシスト バルサU12、リバプール下し全勝V
スポニチアネックス 8月31日(土)7時1分配信

 U―12ジュニアサッカーワールドチャレンジ最終日が行われ、FW久保建英(たけふさ、12)の所属するバルセロナが決勝でリバプールを5―0で下し、6戦全勝と圧倒的な強さで優勝した。

 前日は猛暑による体調不良を起こした久保だが、この日は準決勝と決勝に先発。決勝戦では、前半9分には反則まがいのタックルで右足首を痛めたが、その5分後に左サイドから絶妙なクロスで先制点をアシスト。ゴールラッシュの火付け役となり、都内の会場に集まった約3600人の大観衆を沸かせた。

 今大会のバルセロナは30得点1失点と驚異的な成績。チームを率いたサンス監督は「タケ(久保)はチームを前進させるプレーをしていた。日本で大きな注目を浴びたが非常に高い意識でプレーしてくれた」と目を細めた。

( 出典先:Yahoo!ニュース )




小学生の話だから、精神衛生かろうじて保てるも、これがもしもトップチーム対決ならば
いくら両方応援して神さんに勝者を決めさせるとはいえ、寝込むこと請け合いの虐殺ぶり~




何にせよ、クタビレた
と言いつつ、ヤホー本館→FC2別館→ウェブリ休憩所の順番で更新
アメブロ別荘も適当に更新しとこ




8月25日【光と影に包まれた、美しき喇叭が鳴り響く処】の中で
【An die Freiheit(自由に寄せて)】(2009年11月7日ヤホー本館)
1989年12月25日、東ベルリンでのベートーヴェン第九演奏会
東西ドイツ、米国、英国、フランス、ソ連の有志による臨時編成オーケストラ
米国ソプラノ、英国メゾ・ソプラノ、東西ドイツ男声&合唱
Freude(歓喜)をFreiheit(自由)に置き換えての歌唱
に触れ、「YouTubeは赤紙ペタリ、ベートーヴェン第九の歌詞は長過ぎるため、省略した」と書いたけど




 



第4楽章映像を新たに見つけたので、ペタリしとく
全曲はあらへんのか?もおッ、貪欲は罪よ。自分で探すのメンドクサイ?仕方ないわね~
Bernstein - Beethoven no. 9. - Berlin - Freedom concert
ペタリするだけで親切だと感謝、文字リンクだけで我慢しとくれ




レナード・バーンスタインか
Leonard Bernstein - The Making of West Side Story
ミュージカル映画不朽の名作‘ウエストサイド物語’(1961年)作曲者による自作自演盤ね
どお見ても、爺さんのウエストサイズストーリーは置いといて
主要メンバーに敢えてクラシック歌手を選択
カタルーニャ人であるホセ・カレーラス、英語に訛りある。トニーはイタリア系移民の役柄であり、ご愛敬
ただ古典と違って転調が頻繁、追いつかずウッカリ移調していた場面あり
レニー爺さん、何かとイヂメてくれるもんだからさ
カレーラスは、同郷の男前セスクと顔似てるもんでさ
爺さんにシワ多いせいか、セスクがヴェンゲルさんの言うコト意味不明、そう見えてくる
…じゃなくて
West Side Storyのナンバーって、ハッキリ言うと、ストラヴィンスキーやブリテンのパクリ多くないか?
…ズッと言いたくてかれこれ四半世紀後、アクセス数稼げるアメブロ別荘に書いてスッキリした♪☆




パクリは文化(パクラレは困るけど)。創造性に富むなら、認めよう
バーンスタインの場合、クラシック基礎、すなわち音楽の基礎が確立されてるしね
カラオケ上手い程度で「オラ天才だべ」と勘違いする、音譜読めるんかいのド素人とは異次元の話なのよ
カレーラスの件は赦さんが、何はともあれ不朽のミュージカルナンバー書いたは許す




音楽の基礎は真面目な話、本気でプロ目指すなら必要不可欠だわ




今朝ね、ヤホー散策中、実感する記事を見たのよ
ブログ管理人(既婚婦人)の旦那さんの知り合いに、東京藝大ピアノ科学生の息子がいる
高校生時代にあるコンクールで優勝して、地方交響楽団と協奏曲を競演したりもした
この子がね、芸術的天分を持っているにもかかわらず、宝の持ち腐れっぽくなってるらしいの
何を弾かせても、全て自分の好きなようにアレンジしちゃうんだって
モーツァルトでも、ベートーヴェンでも、作曲家それぞれの『らしさ』を持つのだから
『らしさ』を感じられないと、技術的に巧いだけでは、聴衆から真の評価を得られないのに
困った子だね、教授陣の指導方法と意見が合わず、大学辞めたいと言い出したそう




「その男の子はどうやら、ジャズ向きの性格を持っているようですね
もっともジャズとてクラシック基本を理解していればこそ、アレンジ活きるんですけど
彼は音楽教育初期の段階で、個性尊重みたいな指導を受け
物事には基本と順序がまず重要が身につかなったのでしょうか」




mathichenさんのコメントに対し、管理人さんも「子供の頃の教育の仕方の問題ではないか」
ピアノを弾かせると巧い、それで先生がついつい自己流を大目に見てしまった?
柔軟な若いうちに、基礎をしっかり身につけなければ、一生、進歩は望めない
本人はベートーヴェンを崇拝しているが、向いていないのかなという印象だとのこと




彼はひょっとすると、本来はとてもクラシック演奏家に向いているのかも
ただ子供の個性や自主性の尊重とか、それは徹底的に物事の基本を叩き込んでからの話を忘れた現代
ナッマイキ~な小皇帝増殖させるだけのクサレゆとり教育の弊害の一部なのかいな








ジャクリーヌ・デュ・プレは説明するまでもなく、不世出の天才チェロ奏者
4歳の時、母親のアイリス・デュ・プレからチェロの演奏を習い、5歳でロンドン・チェロ・スクールへ
お母さんはピアノ教師だっけか?作曲出来る女性であり、娘のため楽しい練習曲も書いた
これって、子供向けに打ってつけの教材よ
日本の音楽教育では、教則本マスターに熱心だが
欧米では民謡なども取り入れる理由として、子供の音楽への興味を失わせないにある
教則本ばっかりじゃ、大人でも退屈な話。気の散りやすい子供だと、教則本すら開くの嫌になるからね
ジャッキーのお母さんの偉い所として、映像見ての通りの、「チェロ以外の楽器も習わせた」
将来、室内楽やる時に、他楽器出来るのは、チームワークと曲の理解度に大きく役立つ
ヴァイオリン奏者の五嶋みどりが、ニューヨーク・ジュリアード音楽院時代に、室内楽でヴィオラ手がけたのは
彼女がヴァイオリンだと、他の子が追いつかない高水準の音楽性と技術によるためだったが
みどりちゃん自身、ヴィオラ演奏が楽しく、音楽面での滋養強壮に役立ったと言ってた




誰だっけ、日本人男性チェロ奏者の中に、ピアノから転向したのがいる
転向の理由:「オーケストラに入りたい」。ピアノじゃ無理だもんな
演奏家上がりの指揮者にピアノ奏者多いのも、一人でチマチマ弾く率高いピアノじゃ寂しいからとか
マウリツィオ・ポッリーニのように、性格的にピアノ独奏向き演奏家もいるけど
可能ならば、ピアノ馬鹿にならない環境作りが、音楽家として成長するのに重要なのではないかい




先述のピアノ科息子、プロとして成功するかはさておき、心から音楽好きならば、いまが我慢のしどころだよ
プロとして成功しなくたって、音楽教師止まりとしたって、人間力の基礎出来ていなけりゃ人生成功しない
東京藝大いうたら、入るまでに親はどんだけ莫大なおカネ注ぎ込んだ?いま辞めちゃったら、親不幸でもある
退校を思いとどまって欲しいものだね


ワーグナーは、ニーベルングの指環四部作を書いた
mathichenさんは、自分自身意味不明なドイツ四部作を書く
珍しく4日連続更新はそのためだ
一番支離滅裂なのが、最終日の当記事、皆様ご覚悟を








記事題名の後半は、マーラー歌曲集‘子供の魔法の角笛’よりパクリ
ルチア・ポップちゃんは真剣な話、デブなっても可愛いが、ポッチャリで通る時代はメッチャ愛らしい
イスラエル・フィルを指揮する暑苦しい爺さんは、レナード・バーンスタインね
バーンスタインといえば、1918年8月25日生まれ、生きてりゃ95回目の誕生日でなくて




【An die Freiheit(自由に寄せて)】(2009年11月7日ヤホー本館)

『U2、ベルリンで「壁崩壊20年周年記念」の野外無料ライブ』(AFPBB News)

東西ドイツの国境検問所で市民の通行が自由化したのは、1989年11月9日
ベルリンの壁崩壊からまもなく20年が経つのですね

この年のクリスマス、12月25日には

mathichenの徒然なるままに-An die Freiheit

東西ドイツ、米国、英国、フランス、ソ連の有志による臨時編成オーケストラ
米国ソプラノ、英国メゾ・ソプラノ、東西ドイツ男声&合唱
Freude(歓喜)をFreiheit(自由)に置き換えての歌唱

細かいミスやズレは散見されます
でも、そんな瑣末な事はどうでも良いのです
この演奏会の主人公は、東ドイツ市民なのですから
ドイツが東西に分かれてからも通行の自由な時期はありましたが、壁が立ちはだかってからでも四半世紀あまり
その間にどれだけ、家族離散や、命を賭けての壁越えの成否が
ようやく自由を勝ち取った思いの強さが最高の演奏だと思います

残念ながら、真の自由はいまだに…
やはり西ドイツ市民が融和を図るべきなのでしょう
西側こそ、20年前の映像を見て学ぶ必要あります




YouTubeは赤紙ペタリ、ベートーヴェン第九の歌詞は長過ぎるため、省略したを書いといて
指揮しとったのが、お祭り好き爺さんバーンスタイン
映像はいま手元にないけど、CDはあるはずだ。また聴こう




上の記事、何で書いたんかいな。その辺りの記憶はあやふやだ
ベルリンの壁がぶっ壊れ、東西冷戦終結、あれに衝撃受けた余波が続いていたのやら
そーいうことにしておこう
そーでなけりゃ、同じ年の、『ドイツ鎮魂歌四部作』は生まれなかった…




【贖罪の日(ドイツ鎮魂歌第1番)】(2009年6月7日 午前2:51)
mathichenの徒然なるままに-私の殺した男

1932年のアメリカ映画‘私の殺した男’の場面です。大賢者様が英語で授業をペタリ

第1次世界大戦、西部戦線。ドイツ軍兵士を無我夢中で殺したフランス軍兵士ポール
罪悪感から脱却出来ず、瀕死の相手から渡された手帳を頼りに、彼の故郷へ行き、墓参
その後、兵士ヴァルター・ホルダリアンの実家を訪ね、罪を告白しようと決心します
老父ホルダリアンは息子を失った悲しさとフランス憎しから、敵国人の来訪を拒みますが、
息子の許嫁エルザから「フランス人がヴァルターのお墓に花を捧げていましたよ」と聞かされ、
ポールを息子の友人と思い込み、家へ招き入れ、妻とエルザの3人で歓待へと変わります
同じように息子を失い反仏感情に染まった村中からあれこれ非難は、当然の反応でした
が、忠義無双の愛国青年を育てた父親も、優しいポールとの交流により、戦争を憎んでフランスを憎まずへと
同じ音楽好き、すっかり話し相手になったポールに、「いつまでもこの村に暮らして欲しい」と懇願を
ポールの罪悪感は、エルザへの愛情もあり、日毎に深まるばかりだったので、すべてを告白して去ろうと
…すると、エルザが彼を遮り、「お父さんとお母さんから、もう一度息子を失わせるの?」
そして、老夫婦に「ポールはこの村に永住すると言ってくれましたよ」
嬉し涙に暮れる老夫婦。老父は、亡き息子愛用のヴァイオリンを、新たに得た息子に手渡します
ポールはエルザの弾くピアノに合わせ、その旋律にじっと聴き入る老夫婦

Mark Farago plays Schumann Träumerei

もう随分昔に観たきりなので、本当にこの曲だったか記憶が怪しいのは、さっさと告白します
この曲だとすれば…
ポールは、自分の殺した男の両親と恋人に尽くす事により、ようやく戦争の悪夢から救済され、
自分が死んでも恋人に彼の亡霊に囚われて欲しくないヴァルターの最後の夢を叶えてやれるのですな

第1次大戦は欧州の人々にとって、第2大戦次以上の悪夢だといいます
古い思想のままで開戦したら、近代兵器による甚大な被害が出ましたからね

ドイツにとっては、ヴェルサイユ条約により身ぐるみ剥がされる屈辱
パン1個が1億マルクって…ウドン1杯600万円の吉本新喜劇も撃沈する恐怖の世界
そりゃあ、フランスへの憎悪は元々仲悪さんでなくてもねぇ
映画を撮ったエルンスト・ルビッチはドイツ人であり、その辺の感情は充分理解していたはず

憎悪の連鎖を断ち切りたかった?
フランス側を加害者に設定したけど、ドイツ側も同じ非を犯しただろうと達観していた?

ポールはその後、ドイツ人になったのか、フランス人のままドイツに永住したのか?
それはたいした事じゃないと思います
相互理解が重要であり、その前には国籍は何の意味も持ちません

【神よ、サッカー皇帝フランツも守り給え(ドイツ鎮魂歌第2番)】(2009年6月7日 午前3:34)

The anthem of Germany
廃墟からの復活(旧東独国歌)Auferstanden aus Ruinen

ドイツの歌を第3番以外、旧東ドイツ国歌を聴く機会はそうそう無いと思い、ペタリ

ドイツの歌第1番は、鉤十字の覇権主義がどーたらという理由からダメ
第2番は、「綺麗なおねえちゃんがおったらオレら(以下略)」っぽいと、ジェンダーがどーたらでダメ
で、第3番のみが現在歌われております
1、2番を歌ったら、お縄。法律で決められております

…隣国の♪ラ・マルセイエーズ、メチャ血生臭い。アレがOKの方が~…
…細かい事ゴチャゴチャ言うよって、野郎どもがますますメメシイ反逆に出るんちゃうんかい…

クサイものにフタしようとすると、一揆の起きた町や旧東地区の居酒屋客を煽るだけなのです
『正しい歴史』なんて存在せず、だから隣近所に協力を仰いで教科書を作るのに、国歌はナゼ?

ま、オーストリアから見たら、「我らがハイドン先生の旋律をパクリやがってィ」でしょうが
コチラにも言い分あるものの、小心者なので、ご想像に任せます(ヒントは…『リンツ』で如何?)

ドイツとオーストリアといえば

EURO 2008 German National Anthem

思わずニタニタしましたなっと(イヂ悪いねぇ)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

よう思い出してみたら、サッカー皇帝、いまオーストリア人になっちゃってる
それが?さあ?(マジ、ナニ言いたいんだか意味不明)

【冷戦と情熱の破片(ドイツ鎮魂歌第3番)】(2009年6月7日 午前4:17)

『ベルリンの壁に描かれた象徴的なキスシーン、今月復活へ』(AFPBB News)

Good Bye Lenin!

ベルリンの壁崩壊、東西に分かれていたドイツが…と聞いて思い出す映画は、コレ

1989年10月7日の東ドイツ建国記念日に心臓発作で倒れ昏睡状態に陥った母親が、8ヶ月後に目覚めた
彼女の愛するドイツ民主共和国は、もう存在しない。それを知ったら?
孝行息子、旧東ドイツグッズを東奔西走して探し出そうとするものの…

この映画以来、それまで肯定的であったドイツ統一に疑問が投げかけられたのですな
そりゃそうでしょ。統一ったって、西が東を吸収しちゃったんだから
孝行息子が見つけようとする旧東製法ピクルスを駆逐したん、西側の大量生産品やろが。それ忘れ懐かしむ?

映画には、イタリアW杯の様子がチラホラ
旧東国民は聞くところによれば、かねてよりこっそり西ドイツ代表を応援していたそうな
西ドイツW杯で実現した最初で最後の東西対決で西が負けた時は、内心ガッカリ
堂々と応援出来る1990年も、応援した?

応援した人もいるでしょうが、少なからぬ数の人々は違ったようです
統一とは名ばかり、早くも夢破れた、そんな人たちは、代表でなく、クラブチームへ
商業主義的ブンデスでなく、おらが町の貧乏クラブへ
ド貧乏でも、地域リーグで細々とでも、自分たちの『アイデンティティー』がある。そう信じて

‘ブリキの太鼓’を書いたギュンター・グラスはこう言いました
「ドイツは文化共同体としてのみ統一を持つべきだ」
政治や経済のみならず、サッカーでも、停滞・迷走を見せた後では、先見の明があったとしか
グラスはまた、「ドイツ統一がヨーロッパに危機を招く」みたいな発言もしたはずですが、
ドイツの持つ歴史や影響力を考えたら、これまた…自助努力がなされない限りは安心出来ない

一応の平和は、あくまで一応
二度と同じ過ちを繰り返さぬためには、多少の傷や痛みを覚悟で…

神よ、ドイツに守護を!

【流浪の涯てに(ドイツ鎮魂歌:幻の第4番)】(2009年6月7日 午後3:17)

『超正統派ユダヤ教徒が警察と衝突、安息日の公共駐車場オープンに抗議』(AFPBB News)

『祖国』に幻滅
欧州へ戻る、渡米する
そんなユダヤ人は大勢存在しましたが
欧州組の多くは…『ドイツ系』でした




…引用作業だけで疲れちまい、小康状態の夏バテがブリ返しそうだ
いや、4年前よりゃ楽か。あの時は、原因不明の背中から腰にかけての痛みに、どんな姿勢取ってもギャ~(悲鳴)
そんな惨状の中、第1~3番まで1時間26分の速さの投稿を行った(17分、34分、51分への偏執の成せるワザ)
一体、ドコの誰だよ?アタシに憑依しやがったのはッ




【5 ふたたびの関勝】(2009年05月26日 スポーツナビ+)

http://www.youtube.com/watch?v=mvmJ-5MijLU ( * 赤紙ペタリの刑)

味方につけたいのは、裏取引に応じる実力者かねぇ
客の胸元見て?お菓子出す、客の胸算用には応じんケツの穴小さい野郎やなく

アタシもヒザが弱っとるけど、ザマーから名前ヒネり出したせいかいな
ま、アタシが引退したかて誰も悲しまず、祝杯☆お祭り騒ぎやろさ

プジョルとリオ、ヒザがくかく言わせるくらい頑張れィ(ダメにはすんなよ)
キミらなら30代でも自分と再就職先探しに困らんやろけどネ

posted by マテ姉さん | 2009-05-26 18:52

>マテ姉さん
毎度どうも。ほほォ、今回はサリエリですか。
なるほどねえ、サリエリはつまらん男なんだ。ふーん(笑)

おいおい、世をスネる年じゃないでしょ。みっともない(笑)
かっこいいオンナのすることじゃありませんぜ?

posted by 由比彰紀 | 2009-05-29 04:50

入り口にWelcomeとあったので図々しく入ってきてしまいました(←パクリ)

最近、ドイツが東西に分けられていた頃の事を
考えていたりします。
平和な世の中になってよかったな、と。表面的でも。


で、5番と言ったら、永遠の憧れのあの会長ですな。
ディフェンダーなら1度は憧れた事でしょう。
私はあの強気な姿勢が好きなだけですが(笑)

最近、3、4、5、6あたりはお酒を共に話したい番号になりましたな。

posted by がー | 2009-06-06 14:10

>がーさん
あ、F姫登場(笑)

奇遇ですね。わたしも最近、いにしえのドイツが気になってしかたありません。
ちと多岐にわたりますが…。史料もとめて遠征しております。
ま、千葉から千駄ヶ谷じゃ遠征とは呼べませんけど。

ご友人の拠点はベルリンとリューベックでしたっけ?
なるほど、東西の感慨にふけるのもなにか想像がつきます。
そういやあの会長さんも、東独に負けたメンバーなんだよなぁ…。
そんなこんなでワイワイ騒げる日を、またお待ちしております(笑)

posted by 由比彰紀 | 2009-06-09 15:27

ちょいと、生きてんのぉ
アタシでもお呼びかからんでいるのに、大丈夫?

http://www.youtube.com/watch?v=q2qETe7PbEA ( * 赤紙ペタリの刑)

こんなんペタリしとくぞい
釣りはいらねぇ

posted by マテ姉さん | 2009-06-20 04:57

http://www.plus-blog.sportsnavi.com/shousetsu/article/85コメント欄よりパクリ )




ったく、666、悪魔な元編集長、マジ生きてんのぉ~
アタシをブログ界へと野放しにしちまった責任、地獄の偉いさんたちから取らされたとか?
そっちの今日のページビューカウンター多いの、アタシが家探しした勘定分だからな
かっこいいオンナのすることじゃありませんぜ?
ドロボー猫にゃ違いねえけど、そもそも下線引いた部分の責任、つまり、スポナビ様おうじがいくない!




やい、ヴェンゲルさん応援団おうじ、生きとるか?生きとるなら、ブサイクな顔洗うて読め
1979年生まれ、1989年にはランドセルしょってた小坊主にゃ、東西冷戦の厳しさは実感わかんだろ
それは仕方ない。許す。表面的な平和でも、ベルリンの壁乗り越え失敗して撃たれるよかマシだ
だが、1966年生まれ、1989年秋には年女まで3ヶ月近くにあったアタシにゃ、価値観崩壊でもあった
1976年のコマネチ10点満点リアルタイムで観たアタシにゃ、曲がりなりにも冷戦構造わかるんじゃ
良い悪いは抜きに、アタシゃ、100歳になる2066年まで生きたかて、ソ連とベルリンの壁は存続する思うとった
極東島国にいてそんだけ衝撃的やったんならば、地元ヨーロッパの人々はどおよ?
自由を得られた歓喜は大きいが、人生途中から180度違う価値観を覚えなアカン苦労も大きかったはずや
東ドイツの場合、西ドイツに吸収された恰好、つまり、東の諸々を全面否定されたんやぞ
表面取り繕うだけでは、問題解決を次世代以降へのツケに回しとるだけちゃうんかい
鬱憤も積もれば、新型スキンヘッド集団登場となるのかて、別に不思議やないわ
頭丸めた坊さんアレルギーやから、長い説教はこの辺でやめとくけど、そーいうこっちゃ
せやよって、ドイツ鎮魂歌第3番を書き、執念深いせいで他のも書いてしもたッ




ヤホー本館を読破しない限り超意味不明な展開ではあるが、皆様、そーいうこっちゃ




ベルリンの壁と、その崩壊まで、崩壊から、全ての歴史の重みを知るわけでないが、何も知らないよりは良い
【An die Freiheit(自由に寄せて)】のコメント欄に書かれた意味
「このクリスマスコンサートもそうした重みを背負っているからこそ、すばらしいものになりましたね。
東西格差の問題は、世界的不況の折、おそらく難しい状況なのでしょうね?」
「歴史を知った上で楽しむのと、知らないで浮かれるのでは、大違い
この種のコンサートを外国の演奏家が、それを見ても単なる地域限定じゃないですよ
20年前は西側でも同じ第九やったそうですが、翌年のプラハ街中での♪我が祖国同様
ベルリン街中の野外演奏会であったなら、もっと違った未来になっていたかも
東を吸収した西が不況では、まず…」
賢明な皆様にはおわかりになるでしょ




すでに超大作と化したこの記事、そして、四部作のオチ、どうつけよう?
どーすりゃ、いまのドイツ憑依状態から脱却出来るのやら




mathichenの徒然なるままに-Possesion





Possessionには、憑依の意味があると書いておき
この映画、昔観たけど、四半世紀以上経った現在もなお意味不明
ソフィー・マルソーの元彼アンジェイ・ジュワフスキ作品理解出来る人、日本にいてる?
亭主役サム・ニール、オーメン第3作、大人になった悪魔の子ダミアンも書いといて
そおそお、ハインリッヒ役のハインツ・ベンネント、イザベル・アジャーニと壁でナニかやってるオッサン
このオッサンの実際の息子、欧州映画好きの方々はご存知よね?




mathichenの徒然なるままに-ブリキの太鼓&成長後のオスカル




フォルカー・シュレンドルフの‘ブリキの太鼓’(1979年)、3歳で成長止めたオスカル少年だ
演じるダーヴィト・ベンネント、1966年スイス生まれ
両親の離婚により成長が止まり、11歳で5歳の子供程度の身長しかなかった
大人たちの狂態に幻滅し、成長止めたオスカルを演じるに相応しかろ
右側の写真は、何歳頃かしらん
‘ブリキの太鼓’の後、少し成長したものの、少年合唱団員並み身長に終わったよう
トム・クルーズ主演の‘レジェンド/光と闇の伝説’(1985年)出演時も、チビだった
1990年頃、ドイツの歌劇場でブリテン♪夏の夜の夢に語り手パック役も、マッチョになった程度チビそのまま
今年、47歳。何とな~くながら、ほぼオスカル少年そのままで中年親父になってる気がする
身長は恐らく、アタクシと大差ない。年々痩せつつ若返るアタクシと並ぶと、見世物小屋行き?
と思っていたら、4年ほど前の映像が見つかった
"Blechtrommel" bei Beckmann 02/05
…マジかよ、この汚れっぷり。腐れニート風いうか、日本の街中にもよういてるわ
てか、カタリーナ・タールバッハの変わらなさ…彼女、1954年生まれなんだけど…(実話)




上段への追記として




‘ブリキの太鼓’観た方ならおわかりの通り、ある意味、異形の集まりが見られる
こんな映画やドラマ、放送禁止用語云々を見れば、日本では絶対作れんわな
深刻な社会問題扱っても、小綺麗にまとめるというか、どこか絵空事っぽい印象受けるのが多いよね
受けないとすりゃ、平成生まれの温故知新しないガキんちょどもか、その手を生んだ親世代以上トシヨリ?
ドロドロギトギト何でもアリだった昭和と違い
いや、昭和にも小綺麗傾向は見られたが、現代は昭和以上に
何が良くて何が悪いか議論せず、すぐ人権だ個の尊重だをお題目に掲げ、臭い物に蓋をする
何とか団体から抗議くれば、事情聴取せず、すぐお詫びと訂正したりとかね
そのくせ、諸外国からの諸々に対しては、被害妄想ヒステリーっぽかったり、どっか変だ
大人がそんな後手後手だから、価値判断基準育っていない子供が一丁前の顔してツケ上がるんだよ
就活で頭下げる身を忘れ面接官にダメ出しすれば、生涯就職禁止環境に追い込むくらいでないとダメ
ニッポン限定基準が世界基準とばかりにゃ、他国の文化なんて理解出来る道理もないけどさ
血なまぐさい過去を引きずり、現代もなお新たな問題を抱えながらも
明るい未来を模索する欧州より何億光年遅れているを、ニッポン人はいい加減気づいたらどおよ




PC疲れもしている目をゴシゴシこすり、気を取り直して




$mathichenの徒然なるままに-影のない女(1)




ギュンター・グラス原作の‘ブリキの太鼓’、文庫本で読んだのよ
上の画像の『ドイツの苦悩と歓喜』は、ホフマンスタールの‘影のない女’狙いで買った
文庫版、汚納戸の中だっけ?取り出すのメンドクサイ。右手伸ばせばつかめる歓喜。読んで苦悩しよかしらん
この作品もね、理解はなかなか難解なのさ(溜め息)




結局、ドイツ憑依は続くのか?
続くようだ。やめられない♪止まらない☆か○パ何とかよか、焼きWurst(ソーセージ)が美味いに決まっとる
良くも悪くも悠久たる歴史を抱えるドイツへの夢を見て、え~と、今年で何十周年?
行きたいわね。ニッポン人にはロマンティック街道、極東系独逸乙女には血塗られし街道を歩きたいわね
今生の間に行けるかどうかはわからんが、来世は必ずや、本物のドイツ人に生まれ変わってやる
右へ倣えの実質的な社会主義国、井の中の常識世界の非常識島国、何様のつもりよニッポンでなく
隣近所と怒鳴り合いやっても、負の歴史を受け入れ、そこから明るい未来を見出そうとする余地持つドイツにね







ヤホー本館を放置して何日目だろ。ま、イイや
夏バテが小康状態、今日もアメブロ別荘にて過ごそう




あれこれズラズラリ思い出してしまい
早い話、アタクシの備忘録記事ではあるが、子供いないアタクシに代わって誰か子孫に伝えとくれを込めて
「忘れんうちに、後世に残すべく、シンドイけど書いといたろ」、で、更新したのさ
と、昨日書いた、その続編だ
凝り性いうか、芸術に関しては書き出すと止まらんのさ
さすがはドイツの誇大妄想狂にして偏執狂ワーグナー愛好家だけある




一昨日、R・シュトラウス歌劇♪影のない女に登場する染物師バラクについて…




バラク役の声域、バス=バリトンざます
ワーグナーでいえば、♪ニーベルングの指環、神々の長ヴォータン歌える歌手が適役かいな
上のYouTube画像、ヒゲ生やしているロバート・ヘール、指環全曲日本初演時の神さんだ、ちょうど合うか
いっつも影薄いながら、男前だしな、アタクシ案外好きなのぉ
YouTube文字リンクの、フランツ・ハヴラタ、彼はもう少し低い声域の役が合うような?
R・シュトラウスだと、♪ばらの騎士、箱入り小娘を嫁にしたるイヒヒヒと生臭いオックス男爵とかのさ




過去の録音を思い返してみても
パウル・シェフラー:60歳手前とはいえ、爺むさ過ぎるわ
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ:いっつも、音痴補うためか踏ん張り気味、説教クサイ好かん
ヴァルター・ベリー:カラヤン盤はまァ良い、ベーム盤は音程どこにあるの気持ちワルイ
アルフレート・ムフ:作品初のノーカット版の価値だけ、影はへール以上に薄いどころか、影のない男
ジョゼ・ヴァン・ダム:この人、何歌っても知的過ぎる、男臭いマッチョ感に欠ける




絞りに絞り、残った二人、どちらもドイツ人
(なお、ヘールは米国人、ベリーはウィーンっ子、ヴァン・ダムはベルギー人以外、ドイツ人)




…何か間違えてる、誰か忘れてる、そんな気がしてならなかった
人生約半世紀にしては記憶力サイコーの部類とはいえ、怪しくなるコトも否定はせん
考え込んだ結果、記事修正するの面倒なので、補足だけで記事にしてやれとなった
先述したように
「アタクシの備忘録記事ではあるが、子供いないアタクシに代わって誰か子孫に伝えとくれ」
に加え、昨日書いた
「この記事は一体、何が言いたいのか?
何だっけ?自分でもわからんようになった…
1998年といえば、ベルリン国立歌劇場新演出マイスタージンガー?
その写真見て、シュトルックマンは「靴屋よりベックメッサー似合う」と思い込んだ??
15年後の現在も、ベックメッサー似合うの執念消えやらず???
…あ、人生約半世紀にしては記憶力サイコーの部類、脱線しながらも思い出した~」
補足だけで済まんのも、皆様お忘れなく




mathichenの徒然なるままに-Alfred Muff




誰やねん?指揮者の岩城宏之を男前にしたオッサンは?
アルフレート・ムフ:作品初のノーカット版の価値だけ、影はへール以上に薄いどころか、影のない男




ムフさん、済まん。アナタの出身国、ドイツじゃなくてスイスだった
生まれ故郷のルツェルンがドイツ語圏に属するから間違えた




従って
ヘールは米国人、ベリーはウィーンっ子、ヴァン・ダムはベルギー人、ムフはスイス人以外、ドイツ人になる




1949年生まれ
1987年録音のヴォルフガング・サヴァリッシュ盤(♪影のない女初の完全全曲盤)当時、まだ38歳の若さ
年齢的にも、明るめのバス=バリトンも、40歳くらいの根は善良な唐変木亭主バラクに合うとは思う
Ute Vinzing & Heikki Siukkola "Final-Duet" Tosca
ハイッキ・シウコラ?あの常に音程ブラ下がる、フィンランドの白熊テナーやないけ
ウィーンでトリスタン歌った時にゃ、イゾルデが、常に音程ズリ上がるガブリエーレ・シュナウト(気持ちワルイ)
1990年、旧東ドイツ体制最後のベルリン国立歌劇場日本公演では、教育TV放映時メッチャ怖かった
イゾルデが、顔のパーツ全部大柄なエヴァ=マリア・ブントシュー
美男美女でなく、全然色気もヘッタクレもない、熟年コンビなんてぇ
…ホラ、早速、脱線した。サッサと元へ戻ろう
女房役の確か1936年生まれウテ・ヴィンツィング、ババ臭く硬めの古臭いドイツ声よりゃ、ムフさんは合う




1995年2月、NHK交響楽団定期演奏会に登場した
ホルスト・シュタイン、ほれウェイン・ルーニーの30年後みたいな顔でしょ
この顔でさ、昔々、日本人ソプラノを囲ってたんだぜ(彼女の顔も、まァ…)
1995年10月、大阪フェスティヴァルホールで、バンベルク交響楽団演奏会を聴いたよ
前半が♪タンホイザーと♪ローエングリン抜粋、後半が♪ジークフリート牧歌と♪ワルキューレ第一幕第三場
午後7時開演、終演午後9時半頃。そんだけ時間食うんやったら、♪さまよえるオランダ人全曲出来るやろぉ
そう、♪さまよえるオランダ人は、一幕形式だと、2時間半あれば15分は余る、ワーグナーとしては短い作品だ
なのに、シュタインさん、N響定期での演奏会形式では何故、第三幕、水夫の合唱カットしたの?
合唱が物言う作品だけに、日本の合唱団では物足りなかった?
1997年新国立劇場開場公演の一つ、♪ローエングリンでの二期会は良かったけどね
N響もどーせなら、合唱指揮に、名手ノルベルト・バラッチュ招聘すりゃイイものを~
そおそお、ゼンタのバラード、通常のト短調でなく、ワーグナーが書いたイ短調も無理だったよね
Anja Silja "Traft ihr das Schiff" Der fliegende Holländer original key
え~い、ついでだ、同じサヴァリッシュ指揮、顔怖いけど大好きなカタリーナ・リゲンツァのト短調版ペタリ
Der Fliegende holländer Wagner Johohe! Traft ihr das Catarina Ligendza
1960年、ヴィーラント・ワーグナーがアニヤ・シリヤに歌わせたの、彼女が3オクターヴ半の音域だからだろ
強靭な声誇った20歳前後のシリヤちゃんでさえ、全音上げて歌うは大変だった代物とあっては
四半世紀後に東京で歌った、マリア・カラスが風邪ひいた声のオバちゃん歌手じゃ無理な相談だもん
ま、その代わり、ムフさんの題名役が、辛気臭い幽霊船船長役には声明る過ぎるけど合格ではあった
顔は暗め、かなりの長身、舞台衣装つけんでもオランダ人役似合ってたぞ




文章に書いてみると、アルフレート・ムフ、mathichenさんの記憶に存在感という名の影ある男じゃん
どーして、アタクシの評価低いんだろ?
岩城宏之のショボイ顔を思い出させるせいかいな~




…ココまでで十二分に脱線しまくりだが、バラク歌手もう一人いるから、皆様シンドイの辛抱して~




mathichenの徒然なるままに-Alan Titus




アラン・タイタス
1945年、ニューヨーク生まれ
従って、米国人バラクは、ロバート・ヘールだけでなくなる




この人は、市川猿之助のカブキ版に出演していた
1992年当時、正直、「あららら、ずいぶん出世されましたね~」
1980年代後半から重たい役に移行しつつあるのは知っていたものの
何しろ、ロッシーニとモーツァルトの両フィガロを細々歌ってる印象強かったもんでさ
IL BARIERE DI SIVIGLIA - GIOACHINO ROSSINI - 1976
ついでに、シンデレラの王子様の従者ペタリ
Rockwell Blake & Alan Titus: CINDERELLA




1990年代後半には、「あららら、バイロイトにまでご登場ですか~」
"Der fliegende Holländer" 8|16 Alan Titus & Cheryl Studer ~ "Wie aus der Ferne" ~ Bayreuth
これは、1999年の録音。その前年1998年が、バイロイト・デビュー年
その年に実演聴いた日本ワーグナー協会会員によれば
「あの舞台、ゼンタ登場しただけで、客がクスクス笑い起きたわ~」
ゼンタ役は、米国人チェリル・ステューダー…そりゃ、アノ姿見たら、皆様笑うやろ
Cheryl Studer Elena's Bolero '' Merce dilette amiche..."
え~と、1989年ミラノ・スカラ座開幕公演、ヴェルディ♪シチリアの晩鐘よりペタリ
この時点で、脂肪の塊に近い。10年後、どーなる?
相手役のタイタスも縦横ともにデカイけど、それが気にならんほど大女だったのやら
だとすれば、ステューダーさん、1998年か前年1997年のバイエルン国立歌劇場騒動、アナタ不利過ぎるわよ
ほれ、ウェーバー♪魔弾の射手、可憐なアガーテ役から下ろされたアレ
出産以降の声質変化云々を理由にされてたけど、演出家の本音は、大幅な体型変化に決まっとるがな
代わりに起用されたペトラ=マリア・シュニッツァーも大柄だが、若かった分、可憐さは残っていたしな
いまはすっかり、亭主のペーター・ザイフェルトとお似合い夫婦になっちゃってるのもご愛敬
Arabella Act 3; Über seine Felder wird der Wagen fahren (Lucia Pop,Peter Seiffert)
ザイフェルトは何しろ、豊満でも可愛いルチア・ポップちゃんともお似合いの15歳年下亭主でもあった
元々豊満過ぎる、まるで影のない男が亭主、そんなステューダーさんと一緒くたにするんじゃありませ~ん
ゼンタも正直、元々ドラマティックというよか体型同様に膨張気味の声じゃね、キツかったよ
サヴァリッシュの♪影のない女、ザルツブルク音楽祭上演の同作品での皇后は評価しましょ
人間離れした役が、人並み外れた体型でも気にならんのやろ




タイタスさんに戻ると
ワーグナー歌うようになっていた頃には、声も体重同様に重くなっていた
男の色気は感じる声質ではあるものの、う~ん、重量過ぎない?
2000~2004年、バイロイトで神々の長ヴォータン歌った録音、全部持っている
最終年の♪ワルキューレ第三幕を聴いたら…声が、お、重過ぎる
娘役のエヴェリン・ヘルリツィウス、声は拮抗していたが、体型は大人と子供の差まで見えるよう
ま、2006年指環新演出で聴いたハゲタカ、ファルク・シュトルックマンみたいなポカせんかっただけマシか
2006年の♪ワルキューレ第三幕、アレ、何なのよ?
やい、何回、オケとズレた??(数えていない)
クリスティアン・ティーレマンの独特な指揮のせい???(責任転嫁)




タイタスさんに関しては、【乙女でも勇ましき我が子を愛するのが親心】(2010年12月27日)を見ると




「身体は大きいが、気は小さい」
2000~2004年までのバイロイト『ミレニアム・リング』に参加した日本人メゾ小山由美さん証言
小山さんは、その他大勢のワルキューレ娘役でしたが
2001年東京・新国立劇場での♪ラインの黄金では、ヴォータンの嫁フリッカ
その時のヴォータンが、タイタス
タイタスは、その後のバイロイトにて「嫁?娘?どっちよ?」てな感じで困り
娘を放り投げる演技が出来ないよ~と演出家に泣き
腕つかんでポイ!で勘弁してもらったそうな
…舞台とはいえ、嫁よりゃ娘がカワイイ、ですかしらん(≧▽≦)




身体は大きいが、気は小さい
なら、一昨日書いた…




女房が孤独を打破するため亭主に求めていたのは、一個の女としての評価の他、『怒り』もあった
何言われても女房を子供のようになだめる程度のバラク、決して本心は見えない
そんな唐変木が遂に感情を爆発させたのが、女房が影を売ったを知る第二幕幕切れであった
女房はこの時恐らく、霊界の憑依を受け、自身では制御出来ない状態にあったと思うけど
浮気しただ何だの告白には笑って取り合わないバラクも、女房に影がないを見るとさすがにブチ切れ
弟とどもが必死で食い止めようとするのを振り切り、女房に手をかけようとする
たまりかねた皇后が、女房に影を返してやると、女房は正気に戻り、亭主に「アタシを殺してよ」
根は善良を絵に描いたようなバラクに人殺しなんて出来んがね
夫を裏切った後悔と、夫の『父親になりたい、一個の男』を目の前にして、ようやく安心を得たの
バラク、最愛の夫。アナタが殺すというなら、喜んで殺されましょ




…若い女房を娶り、嬉しくて、愛しているつもりではいるが
何言われても女房を子供のようになだめる程度だが、根は善良を絵に描いたような唐変木バラク
似合うはずなんだけどねぇ、何でアタクシの記憶に残らないんだろ(DVD持ってるのに)
カブキ舞台が目にチカチカして、音楽に集中出来ないというコトにしておけば?(あの舞台、マジ趣味悪いわ)