文化は多種多様ながら、普遍性は唯一無二が不変の真理 | mathichenの徒然なるままに

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mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】
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ココに常駐中

根は至って真面目なmathichenさん
思いっ切りワロタ風に見えたとて、目は決して笑わない(稲川淳二か~)
いつも冷静沈着に戯事(言)やダジャレを考え、アメブロ別荘他の更新を極力マジメに営んでるでやんす




10年以上前、一度だけ聴いての記憶。従って、細部忘れた、記憶違いあるかもを前置きしといて…
北野誠の朝日放送打ち切りラジオに、北関東?在住リスナーからの投書
内容は、自分は濃い~サイキッカー魂持つが、嫁と娘がまるで話にならんとの嘆き節
浪花のモーツァルトがヅラをネタに笑わせようとしても、「何それ?気持ち悪い~」
お笑い芸人志願である娘のネタがあまりに面白くない、指導しようとしても自己陶酔というか聞く耳持たない
どーしたらイイのでしょう?




元々お笑いセンス持たん嫁、そしてブスならぬ無粋な母親に育てられた娘やないけ
でないとすりゃ、所変われば品変わる、笑いのツボが東と西では違う点やろ
東が西を、西が東を、研究して身につける。可能ではあるものの、一朝一夕には無理な相談や
娘にどないしても濃い~サイキッカー魂や芸人魂を叩き込みたいんやったら
一人前なるまでは実家の敷居またがせんを厳命し、上方留学させる、どお?
本場の空気吸う、ミナミの肉吸い、身体で吸収するのは大事やで
使いもんならん無能と笑われ、故郷へ帰るに帰れず、そのまんま大阪の地に骨埋める覚悟でや
高架下での寝泊まりしながら、豹柄姿の大酒トラ子さんとして飲み屋通い
その辺の落ちぶれ具合から案外、人生の機微織り込んだ名漫談家が生まれるかも知れへんでぇ?




さよう、本場へ足を運び、ご当地グルメ食らい、師匠からは罵倒食らう、芸人修業の必須条件
芸能界における上下関係というかヒエラルキーというか厳しさ学ぶには
養成所での学習より、師匠の家の便所掃除する内弟子が、チンピラでなく序列守る親分さん同様、有効よ
汚れ仕事して、世の冷たさを知れば、誉め殺しならぬ笑い殺しの意味も知り、尾羽打ち枯らす防止出来る
笑い殺しとは?「しょおもない芸人には罵倒でなく称賛が、自惚れを引き出して自滅させられる」




ここから先は、作家の小林信彦がネタざます




小林氏は1963年秋、ちょうど半世紀前、約1週間、大阪に滞在した
勤労感謝の日、11月23日の午後1時からNHKテレビで放送される特集番組、‘漫才繁昌記’
漫才の誕生から現在までの歴史をヴァラエティ風に綴ったもの
これの作者として、漫才の本場である大阪に取材の足を運んだわけだが
小林氏は、漫才というものが、それまで考えていたものと全く違うことに気づかされた…




生い立ち

東京市日本橋区米沢町2-5(のちの東京市日本橋区両国18-5、現在の東京都中央区東日本橋2-18-5)に生まれる。江戸時代から9代続いた老舗和菓子屋「立花屋」の長男であった。

代々婿養子が跡を継ぐ家風であったが、やり手であった祖父は自分の息子に跡を継がせようと考えていた。だが、その「長男」(小林の父)は自動車の運転・修理が趣味であるようなモダンな趣味人であり、商人としては無能で後に小林の一家が没落する原因となった。小林はこの父親に歌舞伎や寄席などに連れていかれ、「芸人のうまい下手を、くどくどと説明するのは野暮」と教わった。

両国は商人町であり、小林は「このような町が本来の江戸以来の下町である」と作家となった後に繰り返し主張、浅草や柴又を「下町」と呼ぶ安易な「下町ブーム」に嫌悪を感じ、自分の生地について何度もエッセイや小説に描写している。

落語に淫して育つ。下町の商人家庭には、小林の世代のインテリ少年の大半が愛読した『少年倶楽部』などはなく、読書も落語速記本が主であった。

母方の祖父は山形県村山市出身で、沖電気の創業時のメンバー、沖牙太郎の右腕といわれた高宮信三。同社を退社後独立して、港区青山に高宮歯科工業という会社を設立した。信彦は子供の頃から山の手の祖父宅へ遊びに行って、この母方の祖父から自身の精神成長に大きな影響を受けたという。信彦の信は信三の信から付けられている。

慶應義塾幼稚舎を受験したが失敗し、日本橋区立千代田小学校(のち国民学校と改称)に入学。小学1年生の時の志望職業は第1が「上野動物園園長」、第2が落語家だった。幼少時から浅草で映画や軽演劇、ショウを見る。なかでも古川ロッパの喜劇に熱狂し、自宅でロッパの声真似をしていた。また、人形町では末広亭で落語を聞き、明治座で新派や新国劇を見ていた。学校の「お話の時間」に、同級生の前で落語を演じる。...

( Wikipedia:『小林信彦』より引用 )




…江戸っ子じゃん(おい進学や就職のため東京住み着いた辺境出身、オマエらの及ばぬ真物じゃッ)
東京漫才に親しんだろうし、上方漫才もそれなりに楽しむ機会あったろうけど
落語の本場である東京育ちじゃ、漫才の概念が西と全く違っていたって当然だね




ところで、‘漫才繁昌記’放送前、1963年11月12日には
数組の漫才を出して‘漫才変遷史’というのが、サンケイ・ホールにて催された
ここまでは、日本の大衆芸能を真面目に考える人々にとって好ましい試みが続くというだけの話




が、この後が、いけなかった
半世紀前の話で、小林氏のコラムに詳細が書かれてあるし、時効成立というかハッキリ書くと
『驕れる“司会者”トップ・ライト』(コラム題名。‘地獄の映画館’に収録)
「この企画は5年前にNHKへ持ち込んでいたが取り上げられず
今度我々がやるとなったら、同じ企画をぶつけて来た」(デイリー・スポーツ)
「私のアイデアをNHKが盗用した」(サンデー毎日)
‘漫才変遷史’の主催者である、東京漫才の大御所が、騒ぎ出したの
主張通りだとすれば、NHK側作者である小林氏は、アイデア盗用、ドロボー猫の片棒を担いだことになる…




小林コラムによれば
・NHKには、トップ・ライトからそうした話(アイデア持ち込み)を聞いた者は一人もいない
トップ・ライトには、アイデアを、一体いつ、誰に話したのか、それを明らかにする責任がある
さもないと、名誉棄損で訴えられても仕方がない
・NHKの制作決定は9月で、小林氏が依頼を受けたのは10月5日
NHK及び小林氏がトップ・ライトの‘漫才変遷史’を知ったのは10月半ばスポーツ新聞の記事で見た




このスッタモンダがどういう決着ついたか、資料ないため、当記事で黒白ハッキリつける気はない
ただ同コラムに、トップ・ライトがスポーツ紙に語った「ゼニコを積まれてもNHKへは出ない」
小林氏と同じく、「一体、誰がトップ・ライトなどに大金を積むだろうか?」を書きたいの
アナタ方など、少なくとも漫才師としては、お呼びじゃないんですけどってね




‘漫才繁昌記’出演者の選定は、NHKでなく小林氏が行い
ダイ・ラケいとし・こいし以外の大物は全部出るが、トップ・ライトは、最初からメンバーに入っておらず
また、ダイ・ラケ、いとし・こいしが出演しないのには、大人の事情があった
前者は、朝日放送専属のため。後者は、同じ日にNHkでのレギュラーがあるため
トップ・ライトが選ばれなかった理由は、「漫才師として、落第したため」




先述の通り、小林氏は漫才なる芸能について、約1週間大阪に滞在し、足で調べ回った結果
多分「オレ、何見てたんだろう…」てな感じでしょ、自分の考えるより、もっと厳しい世界だと知り
漫才への認識がガラリ変わっちゃったのね
・大阪では皆、トップ・ライトを「あれは司会者や」という
・強いて分類すればボヤキ漫才の下手な、芸になっていないものと捉えられる
・かつて大阪の劇場に出たら、目の肥えた客の舌に合わず敗退した事実が裏付けている
・東京が落語の本場である如く、大阪は漫才の本場であり、そこで落第したものは漫才の名に価しない




それはともかく『漫才史』というものが、ワタクシどもだけしか考えられぬアイデアだという思い上がり
どこから出たものだろうか。タレントの風上にも置けぬ傲慢さだ
という主張なのね、小林コラムは




同感ですな
1966年生まれのアタクシよりトップ・ライトに馴染みある1955年生まれのオッサンも
小林氏と同じような感想述べたことあるわ
皆様、YouTube検索して、ご覧になってよ
全くダメとは言わんけど、根は至って真面目だが面白けりゃ笑えるmathichenさんですら、全く笑えんぞ
所変われば品変わる、笑いのツボが東と西では違う点、それ以前の水準よ
こんだけ笑えんのって…




2012-01-03-Tue【異文化の融和が新たなる文化と歴史を紡ぐ】

1月3日といえば、NHKが東西寄席
東京の落語や漫才が多く観られる数少ない機会
問題は、東側司会進行の爆笑問題
ネタをよく練ってる努力は買いますがね
次の展開読める、台本通りの冷めた感じ
全国区の皆様、あれのドコが面白いの?
一度もクスリとも笑うた試しあらへんわ~




ジックリ育てる何十年物の定番ネタの有無
これが不発爆笑問題の弱点かしらん
何十年物の定番ネタとは?




僕は幽霊2-1
僕は幽霊2-2
大阪の偉大なる中田ダイマル・ラケット師匠
私は晩年の芸しか知りませんけど
桂べかこ(南光)が一昔前くらいにラジオで
「ウチの高校生の息子がヴィデオ観ながら
『お父さん、漫才はやっぱダイラケやで~』」
というくらい、普遍的な面白さを醸し出しています




漫才コンビについて調べていたら
『異文化コミュニケーション』の妙に気づきました
具体的に言えば、『関東&関西コンビが面白い』




春日三球・照代
夫は東京都荒川区出身、妻は大阪市出身
ボケ夫にツッコミ妻
標準語は、小気味良い代わり、立て板に水になりやすい
この弱点を補ったのが、照代さん
発音=歌うイタリア語的関西弁ネイティヴであり
標準語でも関西人特有の節回しで、夫を盛り上げる




島田洋之介・今喜多代
夫は兵庫県出身、妻は茨城県水戸出身の東京浅草育ち
大柄おっとり関西夫に小柄で小気味良い関東妻
夫は文句タレつつも包容力持ってオテンバ妻を愛おしむ




それぞれの特徴捨てず共存する、東西融和といいますか




2012-05-04-Fri【芸のためなら女房も泣かす?飯作ってもらえんで】

東京と大阪出身コンビといえば、獅子てんや・瀬戸わんや
交通手段は、何を使ったの?
何が理由で、出かけたの?
その食い違いからモメる、‘ なんで行ったの?’
言葉の妙ネタが面白かった
前職が警察官と役人という異端であり
下卑た話題で笑い取るを避けたに繋がったのでしょう
(聞いとけ、しょうもないポッと出芸人もどきども)




1月3日記事より
今日気分転換にお笑いYouTube検索したら
獅子てんや・瀬戸わんや「何んで行ったの」




鳳啓助京唄子
慰謝料どーたら、「するコトだけはよーしやがってッ」
女性上位のしゃべくり漫才で
唄子が啓助に「このエロガッパ!」
啓助が唄子に「わー大きな口に吸い込まれるぅ」
実際に元夫婦だから、かなりキワドイ話なのに
下ネタに陥らずで止められるのは
ネタは全て啓助が作り
唄子は啓助の演出に従っていた
別れても夫唱婦随という、高い品性の賜物




宮川左近ショウ
ちょいと情けない顔立ち、でもオシャレで色ッぽい
左近師匠は、小中学生から見てもエエ男やった
スナック≪三味≫主人の暁照夫師匠
三味線早弾き、あれは天才以上の天才芸




「圧倒的な技量と、気迫に満ちた舞台。有無を言わせぬ実力
本物の『芸人』とは彼らのことを言うのでしょう」
「こういう玄人受けする芸はもうこれからは出ないですね」
動画コメント( * 該当YouTubeは既に削除された)に同感の至り
長年小屋で叩き上げた賜物にしたって
舞台裏にはいろんな修羅場あり、それも闘わんとアカン
小綺麗な養成所上がりには真似でけへんっちゅうねん




藤山寛美
「芸が出来んようになっても、お前ら心配いらん
お父ちゃん働くで
どんなキツイ肉体労働してもな
お前らシッカリ食べさせたる」
嫁の連れ子2人、直美ちゃん他実子3人
5人姉妹に言い切った
大借金抱えようが男前な神さんやないかいな
これも、無理やわ
ファ○リーズ育ちで出来婚公表しくさるような
ブログ書いてる暇あるなら芸磨けタイプには




…長ーくなり、一部いじったけど、FC2別館記事抜粋どすえ
全部の漫才コンビYouTube貼るのメンドクサイ、観たけりゃ各自で検索しとくれ
ただし例外として、文字リンク1個ペタリ
藤山寛美「船場の子守唄」




mathichenさんによる日本お笑い芸能繁昌記、どおや?
ウチはな、自意識過剰な関西原理主義者やない
東京の落語好きやし、漫才もオモロイのは評価するで
心の広いウチに笑わせもせん、何も感銘与えん、そーいう連中は落第やっちゅうねん、それを言いたいんや




【異文化の融和が新たなる文化と歴史を紡ぐ】には




3代目古今亭志ん朝は江戸の粋ですけど
関西でも人気あった理由として、鷹揚さですかね
関西での講演会が週末に多かった理由として
『月曜日朝に、南光司会の‘痛快!エブリデイ’出演』
男がしゃべりで何が悪いコーナーが楽しかったのですと
変に格好つけない所が、関西人に好感持たれたようで




江戸の粋である志ん朝師匠かて、師匠なりに上方芸能好きで評価してはったんとちゃうの
江戸落語の中に、上方落語のエスプリを混ぜ混ぜしてたかもね




芸人としての器の大きさが、他文化地域にも評価され、後世へと語り継がれるんやないかいな
東京の場合、たかが地域限定、しかしながら全国放送の恩恵受ける、いまどきのTV芸人聞いとけッ
言われて悔しけりゃ
mathichenさんのブログ全部(アメブロ・Yahoo!・FC2・ウェブリ全部、読める記事全部)読め
完璧ではないが東西バイリンギャル(という年齢でないのは見逃せ)を凌駕してみろぉ