ここアメブロ別荘を別ブラウザに開きながらね
【Who knows ? God knows.~運命と自己疎外の戯れ~】
【禁断の果実を手にすれば、生きる厳しさ、そして死の宿命】
7月27日の連続更新を、ウェブリへ持って行って抜粋する必要あったからよ
【天使も許さぬ絆であるが故に】
【人の世の悪魔を生む親は、人間自身】
読みたけりゃ、向こうの玄関口からどーぞ
http://mathichen.at.webry.info/
なお、いま現在、IE8・Firefox・Google Chromeを同時に開き、当記事は火狐使用じゃ
ウェブリブログには、Yahoo!ブログのナイス!、FC2ブログの拍手に相当する、気持玉が用意されとるわな
mathichenさんはHotmailにBIGLOLBEからの通知届くようにしてあり
今日Hotmail見たら、「気持玉が、昨日の記事についたよ~ん」と2通届いていた
有難い限りと、放置しとこか思った1本目記事修正を施しといたぜ~
フェリペ2世が、スペイン・ハプスブルク家の明暗分けたと思う
正確に書けば、「エリザベートに男子生まれなかったのが分岐点」
恐ろしか血まみれメアリー姉さん女房を勘定に入れなければ
エリザベートだけが、夫と血縁関係持たない王妃だ
(メアリー姉さんも、血縁あるにはあった
彼女の母キャサリン・オブ・アラゴン=彼の大叔母
けどさ、メアリーを王妃の勘定に入れなくていいでしょ
彼女は彼にベタ惚れ、一方、彼は怖がってた
彼女の凶暴さに恐れをなし、彼が英国逃げ出した気持ちわかるぞ
子供生まれず、いろんな意味で助かったね~)
男子のみ王位継承の下では、痛恨の極みね
正確に書けば、「エリザベートに男子生まれなかったのが分岐点」
恐ろしか血まみれメアリー姉さん女房を勘定に入れなければ
エリザベートだけが、夫と血縁関係持たない王妃だ
(メアリー姉さんも、血縁あるにはあった
彼女の母キャサリン・オブ・アラゴン=彼の大叔母
けどさ、メアリーを王妃の勘定に入れなくていいでしょ
彼女は彼にベタ惚れ、一方、彼は怖がってた
彼女の凶暴さに恐れをなし、彼が英国逃げ出した気持ちわかるぞ
子供生まれず、いろんな意味で助かったね~)
男子のみ王位継承の下では、痛恨の極みね
下線引いた部分を追記したの
でないと、上の行
「恐ろしか血まみれメアリー姉さん女房を勘定に入れなければ」
フェリペとメアリー姉さんの間に血縁関係ないように取られるかもしれないじゃん
勘定に入れないのは、スペイン王妃にだよ(結婚している間は、王太子妃だったっけ?)
勘定に入れたら、フェリペがカワイソ過ぎる~
ま、欧州の王侯貴族の血縁関係を完全理解しているニッポン人、そんなにいないと思う
スペイン・ハプスブルク家に限っても…
ハプスブルク家における近親婚
スペイン・ハプスブルク家およびオーストリア・ハプスブルク家では、一族内での近親婚が繰り返された。また、フェリペ2世以降は3親等間での結婚(叔姪婚)が増える。それには以下の要因があった。
・厳格なカトリック政策で、プロテスタントの王侯との結婚ができない。
・ヨーロッパ屈指の名門であり、家格の低い諸侯との結婚ができない。
結果、縁組できるのはフランス王家、ポルトガル王家、ボヘミア=ハンガリー王家、ポーランド=リトアニア王家、オーストリアの同族のいずれかに絞られることになった。しかし、フランスとは三十年戦争(1618年 - 1648年)以来敵対関係になり、ポルトガル王家はフェリペ2世以後スペイン王家と同一に、ボヘミア=ハンガリー王家はフェルディナント1世以後オーストリアの皇帝家と同一になり、ポーランド=リトアニアではヴァーサ家の断絶後は王位の世襲が絶えて特定の「王家」が存在しなくなった。そのため、オーストリア・ハプスブルク家との間での結婚、つまりフェリペ1世の息子カルロスとフェルディナントの子孫の間で近親婚が繰り返された(しかもカルロス1世の代ですでにいとこ婚を行っている)。その結果フェリペ4世の子のカルロス2世は遺伝子系の疾患を持って生まれて早世、後継ぎもなく断絶したと言われる。
スペイン・ハプスブルク家の近親婚の程度を示す近交係数をコンピュータで計算してみたところ、初代フェリペ1世のときには0.025だった数値が、末代のカルロス2世では0.25にまで上昇していた。その間に行われた11組の結婚のうち、9組が叔姪婚であった。また、0.2以上の近交係数の王族も複数いたことが判明している。スペイン・ハプスブルク家内の乳児死亡率は、当時の農村部の乳児死亡率より高かった。
( Wikipedia:『スペイン・ハプスブルク朝』より引用 )
結婚生活とフェリペ2世の家族
フェリペ2世は王太子時代の1543年、ポルトガル王女マリア・マヌエラ(1527年10月15日 - 1545年7月12日)と結婚した。2人は同い年であった。マリア・マヌエラの父はイザベルの兄ジョアン3世、母はカール5世の妹カタリナであり、父方でも母方でもフェリペの従姉妹に当たる。1545年に長男ドン・カルロスをもうけるが、同年に彼女は死去した。
1554年、イングランド王国の女王メアリー1世(1516年2月18日 - 1558年11月17日)と結婚した。メアリー1世は父カール5世と母イザベルの共通の従妹に当たる。スペイン王家からすればフランスのブルボン家との対抗上、メアリー1世からすれば国内での親カトリック政策の後ろ盾として、互いを求めた政略結婚であったが、11歳年上のメアリー1世とは性格が合わず、1556年にフェリペは即位のためスペインに帰国、1年半後に3ヶ月ほどロンドンを再訪したのみで別居状態となった。既に高齢出産の年齢に達していたメアリー1世は婦人科系の病に冒されていた模様で、子をもうけないまま1558年に死去した。
1559年、フランス王アンリ2世の長女エリザベート・ド・ヴァロワ(1545年4月2日 - 1568年10月3日)と結婚した。エリザベートの母はカトリーヌ・ド・メディシスであった。この結婚はスペイン・フランス両国で結ばれたカトー・カンブレジ条約によるものであり、エリザベートはもともとフェリペ2世の一人息子ドン・カルロスの婚約者であった。エリザベートは、イサベル・クララ・エウヘニアとカタリーナ・ミカエラの2女をもうけたが、彼女も1568年に死去した。なお、その数ヶ月前にドン・カルロスも死去している。
オラニエ公ウィレム1世などから、フェリペ2世が妻エリザベートと息子ドン・カルロスを毒殺したとして非難されているが、その真偽は不明である。
1568年、オーストリア・ハプスブルク家のアナ・デ・アウストリア(1549年11月1日 - 1580年10月26日)と結婚した。アンナの父、神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世はフェリペ2世と同年生まれの従弟であり、母マリアはフェリペ2世の妹であるという関係から、2人は伯父と姪の結婚となるため、ローマ教皇ピウス5世が当初反対した経緯がある。彼女とは4人の息子と1女(マリア)をもうけたが、フェリペ以外のいずれの子供も夭折した。
残された子供はイサベル、カタリーナ、フェリペ(後のフェリペ3世)だけであり、家庭的には恵まれない人物であった。
・マリア・マヌエラとの子供
ドン・カルロス(1545年 - 1568年)
・エリザベート・ド・ヴァロワとの子供
イサベル・クララ・エウヘニア(1566年 - 1633年) - オーストリア大公アルブレヒト妃
カタリーナ・ミカエラ(1567年 - 1597年) - サヴォイア公カルロ・エマヌエーレ1世妃
・アナ・デ・アウストリアとの子供
フェルナンド(1571年 - 1578年)
カルロス・ロレンソ(1573年 - 1575年)
ディエゴ・フェリックス(1575年 - 1582年)
フェリペ3世(1578年 - 1621年) - スペイン・ナポリ・シチリア・ポルトガル王
マリア(1580年 - 1583年)
( Wikipedia:『フェリペ2世 (スペイン王)』より引用 )
…独逸人ですら、何回読もうが、混乱するわッ
あれ?誰だっけ?
フェリペ2世の系図を見た日にゃ、精神錯乱起こす直前にまで追い詰められる請け合いね
どうにか正気を取り戻して
惜しいことしたが気がする
カトリーヌの推すヴァロワ家の娘、エリザベートの妹って
当時15歳の若さにあった、マルグリット・ド・ヴァロワだもん
激化するカトリックとユグノーの宗教対立を解消するため
ユグノーの指導者であるナバラ女王ジャンヌ・ダルブレの息子アンリ
彼との政略結婚させられるも、子供はなく
彼女の死で、ヴァロワ家の血統は庶流を除いて完全に絶えたが
さて、不妊であったのか、単に子宝運がなかったのか?
マルグリットといえば、‘王妃マルゴ’(1994年)
主演のイザベル・アジャーニよか野郎どもの方が綺麗だぜじゃなくて
派手な男性遍歴で有名であり
兄弟たちと近親相姦の関係にあったという噂もある
そんだけ精力的ならさ
男(女)替えれば案外アッサリ妊娠、よく見られるし
スペイン・ハプスブルク家の繁栄に貢献したんでないかい
ネーデルラント総督ドン・フアン・デ・アウストリアを魅了し
ドン・フアンは「アレは、男を救うというよりは、破滅させる類の美しさだ」
…スペイン中の男前漁りして、男前と国を破滅させたかしらん
カトリーヌの推すヴァロワ家の娘、エリザベートの妹って
当時15歳の若さにあった、マルグリット・ド・ヴァロワだもん
激化するカトリックとユグノーの宗教対立を解消するため
ユグノーの指導者であるナバラ女王ジャンヌ・ダルブレの息子アンリ
彼との政略結婚させられるも、子供はなく
彼女の死で、ヴァロワ家の血統は庶流を除いて完全に絶えたが
さて、不妊であったのか、単に子宝運がなかったのか?
マルグリットといえば、‘王妃マルゴ’(1994年)
主演のイザベル・アジャーニよか野郎どもの方が綺麗だぜじゃなくて
派手な男性遍歴で有名であり
兄弟たちと近親相姦の関係にあったという噂もある
そんだけ精力的ならさ
男(女)替えれば案外アッサリ妊娠、よく見られるし
スペイン・ハプスブルク家の繁栄に貢献したんでないかい
ネーデルラント総督ドン・フアン・デ・アウストリアを魅了し
ドン・フアンは「アレは、男を救うというよりは、破滅させる類の美しさだ」
…スペイン中の男前漁りして、男前と国を破滅させたかしらん
宮廷の華として誰もが憧れる絶世の美女への邪推の一方
「王さんよ、アンタも男なら、マルゴちゃんが頑丈であるに賭けてみたら良かったんでないかい
実家に返品するのは、スペイン中の男前漁りして、男前と国を破滅させる恐怖味わってからでも遅くない
親父のヘンリー8世顔のメアリー姉さんを思い起こせば、何だって堪えられるでしょーが」
メアリー姉さんばっかイヂメる気もないけどね
父親のヘンリー8世、つまりオトコの場合
エリザベスの母親アン・ブーリン含め、嫁を何人処刑した?
母親が頑張って何人産もうとも、男系と女系の家系に分かれる多いのは
母親の腹が男腹や女腹に分かれるからでなく
父親のオタマジャクシが、子供の性別決めるからじゃん
16世紀にそんなこと知られちゃいないものの
(21世紀の現代でさえ、跡取り男子どうのと五月蠅いニッポン人見よ)
英国はサリカ法典の適用外なのに、男子誕生に執念燃やし
嫁殺すわ、娘も冷遇するわ、ヒトデナシ親父も甚だしい
6人目かつ最後の王妃キャサリン・パーが女神様に見えるぞ
メアリーとエリザベスを庶子の身分から高貴な王女に戻すよう夫に嘆願し
狂信的なカトリック教徒メアリーですら、プロテスタントの継母を深く慕った
継娘を想うなんて、現代ニッポン後妻族とは月とスッポン、泣けてくるわ
泣けてくるわといえば
キャサリンの妊娠中に王女エリザベスの寝室に出入りしていた再婚亭主
キャサリンも男見る目持たなかったわね~
( 2013年6月20日ウェブリ休憩所【純白は罪の色というが…潔白をも黒く染める】より )
エリザベスの母親アン・ブーリン含め、嫁を何人処刑した?
母親が頑張って何人産もうとも、男系と女系の家系に分かれる多いのは
母親の腹が男腹や女腹に分かれるからでなく
父親のオタマジャクシが、子供の性別決めるからじゃん
16世紀にそんなこと知られちゃいないものの
(21世紀の現代でさえ、跡取り男子どうのと五月蠅いニッポン人見よ)
英国はサリカ法典の適用外なのに、男子誕生に執念燃やし
嫁殺すわ、娘も冷遇するわ、ヒトデナシ親父も甚だしい
6人目かつ最後の王妃キャサリン・パーが女神様に見えるぞ
メアリーとエリザベスを庶子の身分から高貴な王女に戻すよう夫に嘆願し
狂信的なカトリック教徒メアリーですら、プロテスタントの継母を深く慕った
継娘を想うなんて、現代ニッポン後妻族とは月とスッポン、泣けてくるわ
泣けてくるわといえば
キャサリンの妊娠中に王女エリザベスの寝室に出入りしていた再婚亭主
キャサリンも男見る目持たなかったわね~
( 2013年6月20日ウェブリ休憩所【純白は罪の色というが…潔白をも黒く染める】より )
メアリー姉さんの成育環境見ると、フェリペ男前だね
フェリペとて、役立たずだったらしい長男ドン・カルロス見限り、有能な男子誕生を待ち望んでいたが
すぐ懐妊しないエリザベートを解任せず、娘たちも冷遇せず、ヘンリー8世とはエライ違いだ
血まみれメアリー姉さんはともかく、その異母妹エリザベスが発展させた大英帝国
女性君主による国家繁栄。歴史は皮肉な形で、ヘンリー8世にお仕置きしたのかしらん
それとも、男の身勝手に振り回された女たちの怨念が、エリザベスを玉座に上らせたのやら
女たちの怨念が報われたのであれば、何よりな話
玉座に上るのでなく、処刑台に登るを思えばね
【純白は罪の色というが…潔白をも黒く染める】、このウェブリ記事の主人公を見ろよ…
19世紀、1815年のロンドン
エリザベス・フェニング(以降、エリザ)は23歳の若く魅力的な召使い
ある夜、エリザの用意した料理を、主人一家が食べた直後
一家は激しい症状を起こし、その結果、料理したエリザが訴追された
激しい症状を起こした食べ物というのは、ダンプリング
黒くて重く、どうやら火の通りが充分ではなかったよう
ダンプリングは焼き方が不充分だとイースト菌がしばしば残っている
しかも料理したエリザ自身、主人一家と同じ物を食べている
料理したエリザ自身が中毒に陥ったかもしれなった
だが検察側は、召使いが主人一家に毒を盛ったと主張した
ネズミ退治用にどこの台所にも備えてあるヒ素を盛った根拠は
問題の日にエリザが、主人の妻であるターナー夫人に
いつもより熱心に自分に料理させてくれと頼んだという
状況証拠のみの、被害者による実に頼りない証言だけ
弁護側も、検察と同じく、ヒ素の毒による証明なされないままでのお粗末さ
エリザにとって不幸だったのは、自分の裁判なんて誰も価値持たないということ
エリザ裁判の後に、ある凶悪事件の大物裁判が控えており
関係者は皆そちらに気を取られ
一介の召使いなど大した存在ではなかったのである
死人は一人も出なかったものの
この時代には、司法制度の未熟か、殺人を試みただけで死罪に値した
エリザには、寝耳に水
だが一方的に被告として呼びつけられ、その場で有罪を宣告された
彼女はショックのあまり被告席で身悶えし、物凄い悲鳴を上げたという
「私は、この訴えに対して全くの無罪です。本当にそうなんです
私は、ターナー館が好きです。とても快適に過ごさせて頂いてました」
当時の大多数の人々は、エリザの無実を確信した
しかし人々の頭は、ウォータルーの戦いとフランスとの戦争で一杯
エリザを絞首刑から救うまでには至らなかった
それでも人々は、処刑の日、絞首台に立つエリザを見て、同情した
白いモスリンのドレスを纏い
腰にサテンの大きなリボンを結び
大きなライラックの飾りのついた靴を履き
それらの優雅な姿こそ
エリザの無実と、幸福を踏みにじられた苦しみを表現していたからである
エリザは本来ならば、処刑前日の夜、結婚する予定だった
つまり、エリザは花嫁衣装で処刑台に登ったことになる…
最期の言葉も、「私は無実です」
白いドレスには、潔白を訴える意味も込められていたのか?
エリザ事件には状況証拠だけで決定的な証拠は何もなく
現代ならまず法廷に持ち込まれることはないだろう
いや1815年当時でも、もう少し冷静かつ詳細に捜査されていたら
エリザの無罪放免は困難ではなかったと思う
エリザは何故、検察側から毒を盛ったとされたのか?
検察側の主張として
「エリザは事件の少し前のある日
半裸で同じ屋敷内の二人の徒弟のいる部屋に入ろうとする所を
主人に見つかってしまった
館の主であるターナー夫妻は、『罰当たりな振る舞い』と見なし
召使いを厳しく注意した
この日以来、被告人は被害者である主人夫婦に強い不満を抱き
復讐を決意した」
いつもより熱心に自分に料理させてくれというのは多分
主人一家に自分の腕振るって美味しい物食べさせたいとか
逆に、場数踏んで料理の腕上げたいとか
悪意はなかったと思うけど
婚約している身で他の男に夜這いかけようとしたのか
徒弟の一人が婚約者でコッソリ逢い引きなのか
経緯はどうあれ、雇われの身を考えれば、ちょいと軽率ではあったね
時を置かずして、主人一家の凶事に関わるとなれば、後悔先立たず
法廷に持ち込まれる冤罪までは行かずとも
黒歴史が暴露され、人々の心証を悪くする事態に巻き込まれる恐れは
洋の東西、老若男女問わず、いくらでも見聞き出来る
「過去のことじゃん」「人生何度でもやり直せるわ」と浮かれポンチだと
人生狂わされる痛い目に遭うかも、どちら様もお忘れなく
特に女性は、この世は基本、男性原理で、二重基準と合わせてね
エリザベス・フェニング(以降、エリザ)は23歳の若く魅力的な召使い
ある夜、エリザの用意した料理を、主人一家が食べた直後
一家は激しい症状を起こし、その結果、料理したエリザが訴追された
激しい症状を起こした食べ物というのは、ダンプリング
黒くて重く、どうやら火の通りが充分ではなかったよう
ダンプリングは焼き方が不充分だとイースト菌がしばしば残っている
しかも料理したエリザ自身、主人一家と同じ物を食べている
料理したエリザ自身が中毒に陥ったかもしれなった
だが検察側は、召使いが主人一家に毒を盛ったと主張した
ネズミ退治用にどこの台所にも備えてあるヒ素を盛った根拠は
問題の日にエリザが、主人の妻であるターナー夫人に
いつもより熱心に自分に料理させてくれと頼んだという
状況証拠のみの、被害者による実に頼りない証言だけ
弁護側も、検察と同じく、ヒ素の毒による証明なされないままでのお粗末さ
エリザにとって不幸だったのは、自分の裁判なんて誰も価値持たないということ
エリザ裁判の後に、ある凶悪事件の大物裁判が控えており
関係者は皆そちらに気を取られ
一介の召使いなど大した存在ではなかったのである
死人は一人も出なかったものの
この時代には、司法制度の未熟か、殺人を試みただけで死罪に値した
エリザには、寝耳に水
だが一方的に被告として呼びつけられ、その場で有罪を宣告された
彼女はショックのあまり被告席で身悶えし、物凄い悲鳴を上げたという
「私は、この訴えに対して全くの無罪です。本当にそうなんです
私は、ターナー館が好きです。とても快適に過ごさせて頂いてました」
当時の大多数の人々は、エリザの無実を確信した
しかし人々の頭は、ウォータルーの戦いとフランスとの戦争で一杯
エリザを絞首刑から救うまでには至らなかった
それでも人々は、処刑の日、絞首台に立つエリザを見て、同情した
白いモスリンのドレスを纏い
腰にサテンの大きなリボンを結び
大きなライラックの飾りのついた靴を履き
それらの優雅な姿こそ
エリザの無実と、幸福を踏みにじられた苦しみを表現していたからである
エリザは本来ならば、処刑前日の夜、結婚する予定だった
つまり、エリザは花嫁衣装で処刑台に登ったことになる…
最期の言葉も、「私は無実です」
白いドレスには、潔白を訴える意味も込められていたのか?
エリザ事件には状況証拠だけで決定的な証拠は何もなく
現代ならまず法廷に持ち込まれることはないだろう
いや1815年当時でも、もう少し冷静かつ詳細に捜査されていたら
エリザの無罪放免は困難ではなかったと思う
エリザは何故、検察側から毒を盛ったとされたのか?
検察側の主張として
「エリザは事件の少し前のある日
半裸で同じ屋敷内の二人の徒弟のいる部屋に入ろうとする所を
主人に見つかってしまった
館の主であるターナー夫妻は、『罰当たりな振る舞い』と見なし
召使いを厳しく注意した
この日以来、被告人は被害者である主人夫婦に強い不満を抱き
復讐を決意した」
いつもより熱心に自分に料理させてくれというのは多分
主人一家に自分の腕振るって美味しい物食べさせたいとか
逆に、場数踏んで料理の腕上げたいとか
悪意はなかったと思うけど
婚約している身で他の男に夜這いかけようとしたのか
徒弟の一人が婚約者でコッソリ逢い引きなのか
経緯はどうあれ、雇われの身を考えれば、ちょいと軽率ではあったね
時を置かずして、主人一家の凶事に関わるとなれば、後悔先立たず
法廷に持ち込まれる冤罪までは行かずとも
黒歴史が暴露され、人々の心証を悪くする事態に巻き込まれる恐れは
洋の東西、老若男女問わず、いくらでも見聞き出来る
「過去のことじゃん」「人生何度でもやり直せるわ」と浮かれポンチだと
人生狂わされる痛い目に遭うかも、どちら様もお忘れなく
特に女性は、この世は基本、男性原理で、二重基準と合わせてね
しかしながら、花嫁衣装で処刑台に登ったエリザ、成り行きを見れば、あまりにも哀れだ
女はあまり軽はずみな真似しないのが身のため
手に入れていたはずの幸福がスルリと逃げてしまう
軽率なのに口に封して賢いつもりの女性への警告として、ウェブリ記事書いたのよ
当記事題名は、後世におけるエリザの存在意義を考えたもの
昨日のウェブリ記事ヒネったものだけど、当たってない?