裁判をすると人間関係が壊れるのか? ~ アドラー心理学 × 裁判 ~ | 数学を通して優しさや愛を伝える松岡学のブログ

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【裁判をすると人間関係が壊れるのか? ~ アドラー心理学 × 裁判 ~】

 

 

裁判とは 「争い」 だ。

 

どうしても争う気持ちに支配されてしまう。

 

裁判をすると、

 

相手への憎しみ が生じ、

それまでの人間関係は壊れてしまう。

 

しかし、

 

人間関係が壊れない裁判はないのだろうか?

 

 

このエッセイでは、そんなことをアドラー心理学的に考察してみたい。

 

 

 

1.裁判とは争いなのか

 

争わない裁判はできないものだろうか?

 

私は、裁判によって人間関係が壊れることに、

やるせない思いを抱いている。

 

 

 

遠い昔、、、

 

あるサロンオーナーが、父親と裁判をしたことで、

家族関係が壊れてしまった。

 

そのことに私は、胸を痛めていた。

 

 

父親とサロンオーナーが、

もう元の関係に戻ることはもうないのだろうか?

 

サロンオーナーの心の中には、

きっと父へのがあったはず。

 

 

なのに、

こんなことになるなんて ・ ・ ・

 

 

悲しい

 

私は涙が出てきた。

 

 

 

それ以来、、

 

私は裁判について深く考えるようになった。

 

 

そんなとき、、、

 

協力的な姿勢で裁判に臨んでいる落語家が現れた。

 

彼の名は、快楽亭ブラック

以下、ブラック師匠と呼ばせていただきます。

 

 

彼は救世主になるのか。

 

 

御射山公園

 

 

2.裁判と協力的な姿勢

 

予期せぬことに、、

 

ブラック師匠は、元弟子に裁判で訴えられた。

 

正確には、、

元弟子とその交際女性が、ブラック師匠と榎園映画監督を訴えた。

 

 

確かに、ブラック師匠は過激な発言もあり、

「表現の自由」 のギリギリのところで落語をしている。

 

 

しかし、、

 

ブラック師匠の長い落語人生の中でこんなことは初めてだった。

 

しかも、元弟子からの予期せぬ裁判。

 

普通ならカチンときて、

感情的になるところだろう。

 

 

けれど、ブラック師匠は違った。

 

落語家らしく、「笑い」 を武器に、

協力的な姿勢で裁判に臨んだ。

 

立派である。

 

なかなかできることではない。

 

私は、ブラック師匠の態度に、

アドラー心理学の精神を感じた。

 

ブラック師匠の取り組みはどうだったのか?

 

 

 

 

3.「和解」 をめぐる攻防

 

ブラック師匠は、相手への憎しみを生まないため、

ユニークな取り組みをしてきた。

 

落語家としての芸名を、「被告福田」 と変え、

裁判所へは、チンドン屋獅子舞と一緒に練り歩いた。

 

それらが功を奏したのか、、

彼はとても穏やかな気持ちで裁判に臨んでいた。

 

法廷の控え室では、

 

見ず知らずの他の被告にさえ、

優しく声をかけたりもしていた。

 

このさりげない勇気づけの姿勢からも、

アドラー心理学の精神を、私は感じる。

 

 

ブラック師匠は最後の法廷で、

和解勧告を受けた。

 

しかし、

 

両者の考えが食い違い、

和解とはならなかった。

 

相手方は、

 

謝罪と金銭の要求は必須

 

という条件を出したが、

ブラック師匠は、もっとおおらかな和解を考えていた。

 

 

楽しく飲んだり食事をしながら、仲直りをする。

 

それがブラック師匠の思い描いていた和解方法。

 

 

価値観の違いといえば違いだが、、、

 

そんな言葉で片づけていいのだろうか。

 

 

現代社会では、前者の価値観が染みついている。

 

しかし、

 

「協力的な社会」

 

という観点からみると、、

 

それでいいのだろうか?

という疑問が残る。

 

 

ちなみに、

 

落語の世界の 「和解」 は、後者だという。

 

 

今回の出来事は、落語の関係者の間で起きた事件。

 

そう思うと、、

 

ブラック師匠は、的外れなことを言っているのではない。

落語の世界の価値観で、提案したのだ。

 

けれど、その提案は受け入れられなかった。

 

 

しかしブラック師匠は、

自分を訴えた元弟子に、今も愛情をもっている。

 

「争うことのバカバカしさに

いつか気づいてくれたら、、、」

 

そんな気持ちでいるという。

 

 

円満な和解にはならなかったが、

 

ブラック師匠は、裁判に臨む姿勢に対して、

一石を投じたのではないだろうか。

 

 

裁判でも勇気づけを忘れない

 

 

そんな姿勢は、模範にすべきではないだろうか。

 

 

 

 

4.協力的な姿勢の裁判とは?

 

結局、どんな姿勢で裁判に臨めばいいのか?

 

アドラー心理学といっても2種類ある。

 

日本にアドラー心理学を導入した野田俊作氏の言葉を借りると、

 

「口先アドラー」 「真心アドラー」 だ。

 

人間関係のテクニックとして、

知識だけで身につけている人を 「口先アドラー」、

 

心からその精神を身につけ、

日常生活で実践できている人を 「真心アドラー」

 

と、野田俊作氏は定義した。

 

 

裁判では、

 

どうしても相手への 「憎しみ」 が生じてしまう。

 

言葉を変えれば、

 

エゴや欲を捨てる

 

ということ。

 

こんなこと並大抵の人間ではできない。

 

 

だからこそ、

 

アドラー心理学的な観点でいうならば、

 

「真心アドラー」 の域にまで達しなければ、

協力的な姿勢で裁判はできない。

 

すなわち、

 

 

「真心アドラー」 の姿勢で裁判をする。

 

 

それこそが、

 

人間関係を壊さずに、

裁判をするために大切なことではないだろうか。

 

 

そう信じて、このエッセイを閉じることとする。

 

 

 

 

【執筆者の紹介】

 

松岡 学

 

数学者、博士 (学術)

高知工科大学 准教授

 

大学で研究や教育に携わる傍ら、

一般向けの講座を行っている。

 

アドラー心理学の造詣も深く、

数学の教育や一般向け講座に取り入れている。

 

音楽 (J-POP) を聴くのが趣味。

ファッションを意識し、自然な生活を心がけている。

 

 

 

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