ハイマン・バスが探究したこと ~算数・数学の教育~ | 数学を通して優しさや愛を伝える松岡学のブログ

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アメリカの数学者ハイマン・バスは、代数学やトポロジーの研究で知られています。

彼は晩年、科学アカデミーの委員になったことが切っ掛けで、
数学の教育に関わるようになりました。

彼は、委員会に集まった

学校教員、学校長、教育研究者、博物館の館長、
教育団体の会長、PTAの会長、産業界の代表、出版者


など様々な団体の代表と接することで、
数学教育の重要性について考えるようになりました。

そして、数学教育に精力的に取り組み始めました。
 

 

 


やがてバスは、数学教育の研究者デボラ・ボールと共同研究を始めます。

彼女が小学校で行った1年間の授業の記録(ビデオ)を、
バスは長時間観察し、算数の教育の本質を探しました。

そこでバスは、興味深い事例を見つけました。

それは、小学生のショーン君による

「6は偶数と奇数の両方になっていると思う」

という発言をもとに展開された授業でした。

その授業では、ショーン君の素朴な疑問に教師は真鍮に向き合い
彼の発言をクラスメイトとともに、数学的に掘り下げていきます。

クラスメイトたちが積極的に議論をして、
先生も結論を急がずに、それをサポートします。


普通、大人からしたら6が偶数であることは常識なので、
ショーン君の意見に対して、簡単な理由を添えて

「6は偶数ですよ」

と納得させるのが一般的な対応だと思います。

それ以上掘り下げようとは思いません。

しかし、

たとえ子どもたちにとって、
当たり前の事実だとしても、

どうしてだろうか?
本当にそうだろうか?

と、じっくり探究することは、
“数学的に考える姿勢” だと思います。

 

 

実際、ショーン君やクラスメイト、先生による丁寧な議論により、

ショーン君の6に対する考え方の特徴が浮かび上がってきました。

 

先生は、そのような数のことを、

 

「偶数であり奇数である数ではなく、ショーン数と呼びましょう」

 

と、うまくその話し合いをまとめました。

 

 

 


バスは、この事例に対して、

「ショーンは 『偶数』 と 『奇数』 の用語を間違って使っているが、
にもかかわらず、6に対する明白な“数学的なアイディア”をもっている」


と述べています。

つまり、

子どもの素朴な疑問の芽を摘むのではなく、
丁寧に掘り下げることで、数学的なアイディアを
子どもの中に見出すことができたのです。


6は偶数である

もちろん、これは揺るぎのない事実で常識かもしれません。

しかし、

固定観念にとらわれずに、
様々な角度から掘り下げていく柔軟な姿勢に、
私は算数や数学の本質を垣間見たような気持になりました。


この授業に注目したハイマン・バスに、私は共感を覚えます。



こうしてバスは、「教えるための数学的知識」 という考え方に到達しました。

これはMKT (Mathematical Knowledge for Teaching) といわれていて、
一般的な知識、特殊専門的な知識、生徒に関する知識、教え方に関する知識
などからなります。

数学の教育の世界に、MKTという考え方が提案されたことは、
バスとボールの共同研究の大きな成果です。


バスの取り組みからは、

授業で演じられている数学劇の内容を数学的に分析して、
明確な形で示すという “数学者の眼” の確かさを感じました。

そして、

算数の教科書に書かれていることの深層には、
豊かな数学的な内容が潜んでいるということを、
バスは明らかにしたのです。



< 参考文献 >
蟹江幸博、佐波学 「数学の教育の個人的側面と社会的側面 -教育数学の構築に向けて-」

佐波学 「Hans Freudenthal と Hyman Bass の数学教育について」
 

 

 

 

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