グロタンディークの数学観 | 数学を通して優しさや愛を伝える松岡学のブログ

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グロタンディークは、フランスで活躍したドイツ出身の数学者です。
彼は代数幾何学という分野で革新的な業績をあげました。

ここでは、グロタンディークの数学観を見てみたいと思います。

 

 

 


グロタンディークは、どういう思いで数学をしていたのでしょうか?

 


彼は、次のように語っています。

「私は学び、熟し、変わります。私は変わっていますが、
『同一のまま』 であるなにかもあります。

私はこれを 『子ども』 と呼んでいます。


子どもがそこにいないときには、数学もなく恋もなくめい想もありません。
それは全くの真の願望、夢中で遊んでいる子どもの願望でした



心の中に、変わらない 「子ども」 がいて、
数学をするときは、子どもが夢中で遊んでいる

そして、

 

願望

数学をするというのは、とても純粋な行為なのかもしれません。


私は、この言葉を見た時、

数学者の岡潔が、

四歳までの子どもの気持ちで数学をしている

と言っていたのを思い出しました。




グロタンディークは、

「お母さん、見て、金魚が食べてるよ!」

というような小さな子どもの喜びが大事だといいます。

 


そんなところに数学と向き合う秘訣があったのですね。

子どもの無邪気な気持ちで数学を楽しむ、
ことが大切だと伝わってきます。
 

 



グロタンディークは、無邪気さについては、次のようにも述べています。

「私たちの宇宙を閉じ込めている 『目に見えない、絶対的な枠』

を乗り越えさせるのは、才能や野心ではありません。

 

この 無邪気さ だけが乗り越えるのです」


『無邪気さ』 と聞くと、何気ないことのように思えますが、
すごくパワーを秘めているのですね。

 


彼は、願望についても次のように述べています。

 


発見することに関しては、
願望を持たない仕事には意味はなく、みせかけだけのものです。


眠るときには、眠り、夢をみますが、


全くやろうという願望を持たずに、なにかをやっているようなふりをするために、
エネルギーを浪費するという誘惑にかられたことは私は一度もありませんでした」


なるほど、

無邪気な気持ちで、願望を持って数学に取り組む

 

ことが大切だと分かります。



「泥まじりの水を見る人は、水と泥は同一のものであると言うでしょうか?」

という言葉から、純粋な気持ちの大事さが分かります。

 

 

 

 

グロタンディークの言葉から、
数学をするうえで大切な気持ちをみてきましたが、

では、具体的にはどのように数学を学べばいいのでしょうか?

 


グロタンディークは、具体的に数学をする方法についても述べています。

「数学をおこなうこと、それはなによりも 『書くこと』 です」

 


つまり、数学では、ノートに書くというのが基本なのです。

もちろん頭で考えることも大事ですが、

数学の教科書を、小説のようにスラスラ読んでいっても、
それでは理解したことにはなりません。

とにかく、「書くこと」 をしながら、学べばいいのです。


グロタンディークは、自身のノートについての出来事を述べています。

「ノートが驚くほど積み上げられていって、
仕事部屋を埋めてしまう恐れがでてきたとき、

私は年月と共にこれに付け加わるにちがいないノートをも入れられるような広さを予測して、
これらのノートを入れるための棚を注文して作ってもらいさえしました」

パワフルなグロタンディークだけに、
すごい量のノートなのかなと想像してしまいます。
 

 

 

グロタンディークは、


「ある数学者と他の数学者の相違を生んでいるのは、
あるいはひとりの数学者のある仕事と別の仕事の相違を生んでいるのは、
いわゆる 『頭脳の力』 ではない ように思います」


と述べています。

「数学上の事柄の美しさに対する開かれた態度、
または、感受性のもつ繊細さ、微妙さという質

が、ある研究者と他の研究者、または、
ひとりの研究者のある時期と他の時期の相違を生んでいる

と言うのです。


頭脳の力ではなく、

数学の美しさ、感受性のもつ繊細さ



とても印象的な言葉です。

 


 


最後に、見落としがちな次の視点を紹介したいと思います。


グロタンディークは言います。


「『創造的な』 部分が、教科書や他の入門書にせよ、
オリジナルな論文や報告書にせよ、講義やセミナーでの発表にせよ、
実質上どこにも見えてこないということです」


確かに、

本や教科書では、完成された理論を学ぶわけですから、
創造性が見えにくくなっています。

ていうか、まったく見えません。

だからこそ、数学が無味乾燥な計算に見えたり、
数学への誤解を生むのかもしれません。


先ほどのグロタンディークの言葉

「無邪気さが 『目に見えない、絶対的な枠』 を乗り越えさせる」

が意味することは、創造性なのだと私は思います。


そう思うと、

グロタンディークが伝えたいのは、

数学は計算や論理ではなく、

目に見えない枠を乗り越える創造性

が大切なのだと思います。
 

 

 

< グロタンディークは晩年、ピレネー山脈にこもっていました >

 

 

 

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