政権選択の議論の基軸にあるこの二つのこと

かなり疑問叫び


地方分権を推し進めると今更仰りますが、だったら何ゆえ、市町村合併政策を推進してきたのでしょうかはてなマーク


「道州制という枠組みを目指す…」という方向性は、ある意味この市町村合併政策の延長戦の様に感じられますので、政策推進の観点から、どちらかと言へば解る感もあります。

広域行政態への志向でしょうから…


しかし片や、「市町村に権限を持たせる」と仰る論点を主張されている陣営は、国政における『市町村合併政策の推進』に加担して来たこととは何だか相反する様に見受けられます!?


今更、「あれには反対だった…」という言い訳だけでは、国費を投じてあれだけ大掛かりに推進し、様々な意味で、現場市町村の混乱と混沌と仲たがい構造を包含しつつ、「生きていかざるを得ない現状現場」に対して、あまりに安易な方向転換をも迫る政策ではないかと考えます。


過去なにを議論してきたのでしょうかはてなマーク

それこそ、税金の無駄遣いというものではないでしょうか?むかっ


どちらの政策に致しましても、双方共に、この市町村合併推進の根拠と経緯に対する分析も含めて、総括するべき必要があると考えます。


また、各現場自治体の首長のみなさまも、この『市町村合併推進政策』に乗っかってきたこと-「合併特例債」という『飴玉』欲しさ、目当てに進めてきたこと-も含めて、地方の自己責任、自立の観点からの地方分権の主張もなさるべきではないかと考えます。


どうも我が国の『政策づくり』は、どこの現場においても『総括』が苦手のようです。


②「官僚、官僚」と悪の象徴のように表現なさいますが、法律を立法するお立場の方々が、無味乾燥な「法律の宿命」という構造への理解が足りない側面があることも自覚されているのでしょうか!?


このことへの自戒の念をお持ちにならずに、本質的政治家「法律を操り執行する行政官を御すること」の出来ない資質こそ問われるべき現実としてあると考えます。


いくら、そういう「法律」という構造への理解の足りない政治家を行政執行専従機構に送り込んだところで、却って足手まといで混乱の基です。ダウンあせる


行政執行機能そのもが麻痺することの方が、国民にとっては死活問題です。ドクロ


また、無味乾燥な文言の並ぶ「法律」に、人々-国民の生きる暮らしと生活における課題解決のための決め事という『魂』を入れ込む役割が、生活者の代弁者としての代議員の役割だという認識が欠落してきたことへの捉え直しも必要だと考えます。


○だとか×だとか対立しているのでは無く、「法律」がオールマイティだと思う幻想を捨てて所詮不完全な人間がつくりだした決め事なのですから、もう少し、現実に柔軟に対応できる仕組みづくりに、額を寄せ合って叡智を集める努力をして頂く方が、国民の幸福への早道だと考えます。叫び


どちらにしても、分かち合い:ワークシェアリングと支えあい:フレンドシップ精神の構築を願うものです。目

8月は古の自分のルーツへの思いを馳せたり、国家の戦争の古傷を思い返したり、と「公私」に至る事柄を考える季節ですね。

核武装は、人間界の『対立構造の最たる象徴』としてあることを、私たち被爆国の国民としては肝に銘じながら、核武装に反対せねばならないと考えます。

八百万(やおよろず)の神、多神教の根幹としての自然生態系、その仕組みとしての生物多様性に宗教的倫理観を抱く我が国の役割と国民として、役割は、悪戯に安易な扇動的○×主義に翻弄されること無く、タオヤカに、農耕文化から醸しだされる豊な「受容力」、「傾聴力」を宝としての関係性づくりの立ち居地を見失わないことだと考えます。
そう…それは、『バランス感覚』であります。

そして、この立ち居地を保てることが、国家として、国民としての『誇り』であり、『誇り」とせねばならないと考えます。

現状の国政の動向を含めて、殺伐とした対立構造の関係性から生み出される事柄の良否の本質は、空虚な想いが蔓延していそうです。

「受容力」「傾聴力」は、「福祉の概念」の根幹であり、所謂専門職としてのカウンセラーの資質として求められる『力」です。
私見ですが、本質的福祉世界では、専門職に限らず、全ての生活者自身がこの『力』を備えていることにより、『全ての人々の幸福』を齎すツールだと考えます。

「受容」「傾聴」とは妥協・迎合ではありません

長崎の平和公園にある座像の片手の天を指し示す指先の向こうにある、『憎しみ』(原子爆弾)への警告と、片手の平にての、大地の怒りを静めようとする『抑止力』(平和)の象徴を示す姿から、次世代の子どもたちにどんな国を手渡してあげられるのだろうか…と思いを馳せました。
責任ある先人として、大地に眠る悲しみの御霊たちの上に今日生きる私たち『選択』の行動の意味を、冷静に、客観的に俯瞰的に考えなければばらない、と胸に深く刻ませられた一日となりました。

が吹けば桶屋が儲かる台風


交代の風が吹けば、で攻めていたチームが攻めになる波


ここにある書物をご紹介致します。


ジャーナリスト不在の現状マスゴミは、議論の機軸を作り出すのでは無く、雰囲気づくりのムードメーカーでしか有り得ていない。むかっ


「劇場政治の誤算」加藤 紘一(自由民主党政治家)著 角川oneテーマ21


第4章 景気対策と頼れる政府づくり P114

私が掲げる旗のもとに考える対策とは次のようなものです。


(1)労働格差を是正し、雇用におけるワークシェアリングの環境整備を進める。


(2)国民の貯金に利子をつける。


(3)年金問題は、国・社保庁・国民が力を合わせて立て直す。


(4)後期高齢者医療制度は見直し、介護のサポートを手厚くする


(5)消費税で切り捨てられた福祉行政を立て直し、国民の安心を再建する。


(6)闘争的ナショナリズムとは決別し、誇りのナショナリズムを確立する。


(7)教育格差を是正し、貧困の再生産をくい止める


(8)公共事業を否定せず、将来の産業をつくるために使う。


(9)日本の第一次産業を元気にする政策への転換を図る。


(10)地域の活性化を推進する分権化を進め、地域版ニューディールを実現する。


こういう『志』を掲げる『サムライ、武士(もののふ)』政治家も居ることを、忘れない。てんびん座


『自立』の概念が育成、醸成されていない精神構造の我が国において、『主権という剣』を巧く使いこなせない現状で、悪口と責任転嫁とオネダリと寄り架かりと擂り寄りによる大衆迎合主義の蔓延する世相が危険だとかげ


諸刃の刃か錆付いた鈍(なまくら)か…試し傷でも命取り叫び

■廃案となる政府提出17法案

・組織的犯罪処罰法改正案(共謀罪創設法案)

・被用者年金一元化法案

・地方公務員法・地方独立行政法人法改正案

・独立行政法人統計センター法改正案

・行政不服審査法案

・行政不服審査法施行関係法整備法案

・行政手続法改正案

・独立行政法人通則法改正案

・労働者派遣法改正案

・独立行政法人気象研究所法案

成田国際空港株式会社法改正案

・確定拠出年金法改正案

・公務員制度改革関連法案

・障害者自立支援法改正案

・小規模企業共済法改正案

・貨物検査特別措置法案

・独立行政法人通則法施行関係法整備法案


改正を必要とする法案は、現実に国民が抱えている緊急性という時間にとっても遅き見直し法案であったはず政権争いの波間に掻き消されることにより、廃案ということになってしまった。


立法府としての本来の機能を為さない仕組みであるならば、政党議員という存在そのものも要らない。


選挙という選別構造による不確かな国政より国民の血税にて直接行政公務員を雇用する体系づくりの方が、どれほど効率が良だろうかパンチ!


例え、どの政権になったとしても、『見直しされるべき時』への浮上には、果てしなき時間を要する。


『改正』を叫んでいた政党であっても、この、国民への付回しは許されないメラメラ

『政治献金問題』に対する対外的「説明」問題と『選挙総括』を巡っての組織内協議手続きに関する「説明」問題と、どちらにしても党首の『説明責任」の所在ポイント。


内閣政党という構図の不可思議さ


内閣批判と与党批判が同義であることの不可思議さ


政策の執行体制と政策方針起案母体の抱える課題区分け、整理の出来ないメディア論及。

ここでも、マスゴミ…ああっ!?


ただ、悪戯に騒がしいだけ…


確か我が国は、三権分立。


行政府内閣を非難、批判をするのでは無くチェック機関としての立法府国会。


国会審議という議論もまともに出来ない議会とは…


数に驕れるものは、いづれ数に滅ぶ…という因果応報、輪廻転生

…を、繰り返さないように…


政策論議の無い政党政治だから、支持されない組織としての政党


烏合の衆やら怒涛の集団やらと成り下がる


「自立する『個』の確立」が出来ていない故に、今正に、「組織」を組織として育てられないという側面と、「放任という名の不可思議な自由」が、社会をも崩壊させようとしている。


この「不可思議な自由」を教え込んでいるのが、「不可思議な教育現場」という実態の現実生活


「社会」の問題は、全て「教育」の問題


議員のみなさま、雑音をマスコミに吐露することより、それこそ秘密裏の作戦会議の方が、輝く『戦略』ではないか…と普通に思いますよ。


こういう状況下において、みなさま、あまりにもお喋り、多弁。


まんまと世間を賑わすお騒がせネタばかりをご提供なさっている…


マイクを差し向けられたらお喋りするのが、「説明責任」ではありませんよぉ~叫び

思わず衝動的、反射神経的に、喋らされている


それを鵜呑みに信じるような、「マスコミ教」という新興宗教にのめり込まないように…


我が国の民は、本当に「マスコミ」には従順過ぎる


「風が吹いたら桶屋が儲かる」の例えではないが、


それじゃぁいったい、この場は誰が儲かるのだろうか…目

政治世界にとって、何がカリスマ性になるのか不確定になってしまった。


世情的に『有名である』ということは、大衆にとって『アイドル化』し、アイドルは憧れの存在となり、その憧れという慕情が、『代弁者』としての幻想を抱かせる契機となっているようだ。


『代弁者』というのは、ここでは、「政治家」を意味する。


究極のサービス業としては、どちらも似通った要素が大いにある。

それは、見る人、聞く人、つまり視聴者(=有権者、納税者、生活者)にとって、耳障りの良い『言葉』によって、『幸福感』を醸し出してくれるからである


『幸福感』を醸し出す『耳障りの良い言葉』とは、この閉塞感と空ろさと虚しさ感の蔓延している現実に、「希望」と「夢」を与えてくれるような『錯覚』を抱かせる要素も有る。


人民がここまで追い詰められていると、この状況を打開することに拙速になり、俯瞰的な冷静さを欠落させる『お祭り感、お祭り気分』によって、逃避と離脱へ向かって、所謂「羽目を外す現象」が起きる。


江戸時代幕末の様相が、現代社会に投影されているというより、歴史は繰り返す…というところだろうか…


公然猥褻で摘発されたことのある女優が都議選に立候補したり、元タレントが現職県知事に就任するという様に、「政治世界」が大きく問われている。


今に始まった訳ではないが、ここに来て大きな話題になっている。

いわゆるタレントや女優・俳優という職業を蔑視するわけでは無いが、従来の「政治世界」とは縁遠い世界観に存在する人物たちが、こぞって、『政治家』を目指したり、『政治家」になっている。


もはや、「松下政経塾」より、政治家の登龍門として確率の高い『芸能界』である。


選出された実態としての『政治家』が、実際当人自身の資質としての「政治性」を吟味されることより、その取り巻き、所謂「政策秘書」だったり、「ブレーン」という存在が、「政策(マニュフェスト)」をつくり、その『仕掛けられた台本』に沿って、演じることが巧ければ、有能な『政治家』として評価される。


人民・大衆の面前で、『巧く演じることが出来るかどうか…』という評価に関しては、「政治家」も「女優」「俳優」も「タレント」も同じ土俵に乗ってしまっている。


卑近な例として、アメリカ合衆国を観察してみれば、解りやすいだろう。


別に、オバマ大統領自身に能力が無いとは言わないが、嘗てアメリカのTVドラマ「ホワイトハウスに描かれていた「大統領府の構図」に真実味を感じる者として、スピーチの魔力に、その真髄を見る。


我が国の政治世界にも同じような現象があるだろう。


国政規模での政策秘書の存在。

地方分権の現場にて、知事クラスも政策秘書を抱えている現実。

そして、はたまた、所謂、政治世界の素人であっても「政治家」になれる現代では、その当人を取り巻く、「選挙屋」(選挙アドバイザー、選挙コーディネーター)という職業の存在も含めて、「担ぎ人」というブレーン。


『政治家』は、行政コントロール力を持つ資質を当人自身が所持しなくても、政策ブレーンが有能かどうかの評価を超えて、有権者、納税者、生活者、大衆の面前で、「夢」と「希望」を語り、演じられる『エンターテイメント性』があれば、誰でもなれる職業になったという現実と向き合わなければならない。


議員バッジは『飾り物』でも機能する現実であることを自認しなくては…


賢い人民で居られるか…

ご本人が一言も漏らしていない確信的な言葉より、ザワメク周囲の想像・憶測、風評という『風の便り』(珍型インフルエンザ)ばかりが何故世間をかき回しているのだろう…カゼ


ウィルスには気をつけなくちゃ…叫び


くわばら…くわばら…目

「表現の自由」と          「プライバシーの尊重」(個人情報保護)

    ↑↓                      ↓↑

「捜査機関の政治的、恣意的権力乱用」と「プライバシーの侵害」

     ↓

「権力行使のチェック機関、機能充実、強化」も「しつけ(躾)」の問題克服の本質も、『大人の品格』


『安心・安全』を望みながら、『安心・安全』を裏打ちする『管理』→「通報」「密告」という構造も包含していることを意識、認識できているのかしら…


『管理』されることを望みながら、『自由』を主張し、謳歌しようとする<矛盾>


もはや我が国は、『国家の品格」以前に『大人の品格』が担保できているのだろうか…という「課題」に真剣に取組まなければならないと…


自室という個室こだわる子どもに叱責される「プライバシーの侵害!」という決まり言葉に怯えている『親』という大人たち

「プライバシーの侵害!」…と、『親』という「大人」を脅かしている『子どもたち』が、『公共の場』たる電車の中で、メイクアップをしている姿のどこに、「彼らの『プライバシー』」という価値観が存在しているのかが不明だわ…


私が老けてしまったのかしら…(そうね…おばさんと呼ばれるのだから…)

でも、「おばさん根性」とか「オヤジ」と言われる深意に、人目を憚らない行為に対する蔑称としての意味がかつて有ったと思うのだけど…

ということは、電車の中で見かける、身繕いをしている実態は、若い風体をしている『おばさん』ってことかしら…人目を憚っていないみたいだし

あら…仲間ってわけェ…はてなマーク


もはや『公共の場』という概念、価値観事態が崩壊してしまったのかしら…

これが、「地域コミュニティ」の喪失の際たる現象の象徴なのかしら…


自信の持てない『大人』が、「『こども』の未来」を語ってあげられるのかしら…目


これを「政治の問題」に押し付けていることからして、『人類の品格』すら喪失しているのかもしれない叫び


もはや…子育てが巧く出来ない、生物としての危機に直面している深刻さと向き合わないと…ダウンあせるDASH!

「日本発の開発援助」という言葉から、海外における、海外に対する「開発援助」を構築するための視点に、「後発国」「後進国」(当然、何が「先進」で何が「後進」なのか…という議論を経ながら)への「開発」を検証するための視点と同じ様に、日本国内における「地域活性化」を目指す為に検証する視点と共通、共有出来得る事柄が有ると思います。

なぜなら、我が国日本の国内事情だって、海外諸国に偉そうに言える、「内実ある『開発』って何か…」検証しなければならないのでは…と考えるからです。

これだけ経済状況の悪条件下において、『公共事業』という「開発行為」が槍玉に上がっている現実を検証することも問われている内容があることと、地球温暖化防止に向けての国際問題としてある、「地球環境保全」という『環境問題』の視点においても問われている内容が共通していると思えるからです。

これは、「開発」=「活性化」という基軸(機軸)の視点に対する検証を提示していると考えるからです。

失礼な表現になるかもしれないが、「限界集落」とか「中山間地域」に対する「活性化」の視点には、海外における「開発援助」の仕掛けのヒントになる事柄が満載されているように思考します。


大いに違うとしたら、若年層、取り分け、人口爆発と言われる現象として、子どもたちの悲しみに満ちたたくさんの目に見つめられているかどうか…の違いがあることだと思考します。


このバランスの欠落は一体どうしたら良いのだろうか…


片や高齢者人口の増加、片や多くの子どもたちの悲しみの目線


こういう対比をせざるを得ない課題を人類は突きつけられている。

…とは、携帯電話やインターネットと言うIT文明に振り回されている『人間』のことである。


携帯電話やインターネットはコミュニケーションの『道具』にしか過ぎない。


それにも関わらず、その『道具』の使いこなし方に知恵(叡智)を寄せ集める努力をせずに、単なるこの『道具』「悪魔の使い」の様に取り扱い、非難のやり玉に挙げている。


その先頭をきっているのが教育界である。

教育の現場にある様々な関係性における課題、コミュニケーションの取り方や扱い方、向き合い方に関する教育的検証無しに、教育者の人的要因や教育的力量の課題・問題を棚に上げ、「犠牲者は子どもたちである」ことを前面(全面)にしたキャンペーンで、文明に逆行しようとしている。


所詮、『人』の作った『道具』でしか無いはずなのに…


不思議だ…

はてなマーク


そうか…


『人間』『人』を信じられないのだ…

叫び