藤沢嵐子 タンゴの女王の思い出 | CD&コンサート制作日誌

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音楽プロデューサーとしての毎日を書きとめます。

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さて、いよいよ今週となった
「日本ポピュラー音楽の歩み」コンサート

5日のタンゴ編では
1930年代に生まれたヨーロッパタンゴ
そして藤沢嵐子が歌ったブエノスアイレスのタンゴを
中心にお届けする。

藤沢さんは、ある意味短気なところもあり、
それをおっとりした早川さんが
「まあまあ」となだめていたシーンを思い出すが
早川さんが現役当時は、早川さんの方が
瞬間湯沸かし器だったらしい。
その一方で 「黙ってオレについてこい」という昔ながらの
バンマス気質を持った人だったという。
二人の思い出は尽きない。

嵐子さんは麻布台に住んでいて、
早川さんが亡くなった後、六本木にあったコージーコーナーで
よくお茶したものだった。



そういえば
ペギー葉山のマネージャーで現在90歳近い
太田耕二さんは 麹町のエスカイヤで、ティピカ東京の生まれる瞬間に
立ち会ったという。
こういうポピュラー音楽の生き証人がお元気なうちに
いろんなお話を気かなければ。

最近、コンサートやショウで
タンゴを1シーン使うことが多いが
ほとんどが「タンゴもどき」「なんちゃってタンゴ」なのは
嘆かわしい。

タンゴは実に奥が深い音楽で、人生を奏でる音楽なのだ。
アルゼンチンの無形世界遺産なのだ。

採りあげてくれるのは、うれしい気持ちがあるが、
興ざめのことも多い。
真に残念だ。
猛省を促したい